[60] フーミィは女の子
スカイはシルバースノーと共に、ウィンガーとギャビーを連れ、空の城に向かいます。
残ったのは5人、月明かりの中を進み始めます……
スカイは、ウィンガーがシルバースノーの背中に乗る手助けをしていた。そのスカイの直ぐ後ろに、ギャピーが近寄ってきて、鼻面を撫で付けてきた。
「ギャピー、ほらお前も乗るんだ。速く飛ばなければならんからな。お前の翼ではついてくるのは辛いだろう」
ギャピーは、まだ人間と会話する事はできないが、人の言葉は理解できる。スカイの言葉に反抗するかのように、ギャピーはブルンブルンと首をふった。シルバースノーが、優しい瞳でギャビーを見つめる。
『スカイ、彼女は飛べるわ。誰も乗せなければ、自分だけなら大丈夫だって、怒ってるのよ』
「スノー、通訳をしてくれるのか。幼くとも、竜の誇りは忘れんか……仕方ない……」
『そう、仕方ないわよ。この私が育てたんですもの』
「ああ、ギャピー。好きにするといい」
それを聞いて、ギャピーは嬉しそうにキュルっと喉を鳴らした。
「兄上、ギャピーはシルバースノーが城を抜け出した後、私の騎乗用の竜として訓練を受けています。大きくなったら、立派な竜になりますよ」
ギャピーは、薄青い身体を反らせて色の濃くなりかけた青い翼を広げて見せた。リクがギャピーの翼をそっと触った。
「結構イケテンジャン。お前の翼。ブルーリーのに似てる綺麗な青だ」
ギャピーは、首を少し傾げると、悲しそうに空を見た。リクは、ギャビーの翼をもう一度触ってから、微笑んだ。
「ギャビー、もしかしなくてもお前、あのクソババァに世話になったのか?」
シルバースノーがジロリとリクを睨んだ。
『ギャビーにそんな言葉を教えないで。彼女は、まだまだ子供なのよ』
リクは、申し訳なさそうに頭を掻いたが、あまり反省もしていないようだ。いまだに空を見つめるギャビーに向かって、ベッと舌を出しておどけて見せた。
「残念だけど、ブルーリーは来ないよ。今まで以上にバーさんになったからな。こき使っちゃダメだ」
まだ分からないとでも言う様に、ギャピーは空を見上げたままだった。リクが、今度は真剣な表情になってスカイに向き合った。
「スカイ、空の城に帰って、もしもダメだって……負けたって思っても、諦めんな」
スカイが、顔を曇らせた。
「俺たちが、負けるということか……」
リクは、両手を広げてから首を振り、笑った。
「違うって、勝ったとか負けたとかって、最後の最後まで分かんねーってこと」
「最後の最後まで……」
「ああ、何が起きても諦めんな」
スカイが、片方だけ口元を上げて、フンっと笑った。
「それは、時の魔術師としてのアドバイスかな?」
リクも、ニヤリと笑った。
「イヤっ、お友達としてだよ」
「そうか、ならばそのアドバイス喜んで受ける」
「おうっ、さあ、出発しろ」
スカイは、リクの言葉を合図に、シルバースノーが伸ばした尻尾から昇っていった。
「スノー、出発だ!」
スカイの掛け声に答えるように、グッと首をあげるとシルバースノーは皆が自分の周辺から離れたのを確認する。大きく1歩、2歩と助走をつけて一気に翼をはためかすと飛び上がった。周りの木々が大きくしなる。みるみる上昇して飛び去っていく銀竜とそれを追う小さな青い翼は、あっと言う間に見えなくなった。
レインとフィーナ、そしてタカがリクの隣の木の陰から出てきた。リクは、髪の毛を後ろに掻き揚げながらフーッと息を吐いた。
「シルバースノーは、人の形の方がいい。竜のままだとでかすぎるもんナ。飛び立つたびに、誰かが吹っ飛びそうじゃん」
レインがプッと噴出した。
「飛ばされるのは、リクかもね」
「俺も、そんな気がする……なんでか、わかんねーけどさ」
4人の所に、フーミィが走ってきた。
「僕達も出かけるんでしょう。僕に乗っていく?」
タカが、フーミィの頭を撫でた。
「いや、歩いて行くんじゃないかな? リク、どうする」
リクは、地面をじっと見つめ、眉をピクピクと動かしながら考えているようだ。
「しばらく歩いてから、別の方法を考えるか……結構、俺って天才かもナ」
「別の方法ってなんだ」
リクは、ニヤーッとタカに微笑みかけた。
「な・い・しょ・でしょう。それはやっぱし」
ゴンッ!!
「痛って〜」
タカが、思いっきりリクの頭を小突いた。
出発の準備を終え、5人になってしまった仲間は月夜の中を歩き出した。タカは、自分の少し前を歩く、弟の姿をじっと見つめながら、肩から提げた通学用の布カバンの底を握り締めた。入っているのは、リクの名前の刺繍が入ったタオルと空の弁当箱、曾祖父の日記、それに大地の紋章。そもそも、タカがソラルディアに来た目的は、この大地の紋章をしかるべき場所に戻し、リクと共に元の世界に帰るためだった。タカの手は、握ったカバンに知らず知らずに力を加えていた。
タカの目に映るリクは、いつでもレインを横に連れて、いつの間にか頼もしく成長していた。
今のリクを見ていると、本当にリアルディアに連れ帰ることが幸せなのか……いや、使命について考えれば考えるほど、連れ帰るなど無理だと分かっていた……。それでも、タカは自分の後ろをいつも追いかけてきた弟と離れ離れになるなど、想像できなかったし、したくなかった。
「ターカ?」
タカの横を歩いていたフーミィが顔を覗き込んできた。
「なに?」
フーミィはそっとタカの腕に、自分の腕を絡めた。
「ターカは、淋しいの? リクが離れていくみたいに感じる?」
チラリとフーミィを見てから、ふっと笑った。
「そうだな、お前にそう見えるなら淋しいのかな」
「そうなんだ……」
「リクが生まれてから、ずっと一緒だった。いつも俺の後を追いかけてきて、鬱陶しいのに突き放せなくて、本当は可愛くて仕方なくて……」
フーミィは、ウンウンと小さく頷いた。
「毎日毎日、同じもの取り合ってケンカして、母さんに怒られて、結局いつも俺ががまんする羽目になって、もうこんな奴キライだって思うのに……気が付いたら、やっぱり一緒に遊んで、一緒に寝て、またケンカして……」
タカは、自分の目からポロポロとこぼれる涙に驚いたように手で拭うと、その指先の涙が月明かりに光っていた。フーミィが、タカの涙を指先で掬い取っていく。
「ターカ……兄弟は、いつか必ず、離れる時がくるんだよ。いつまでも、一緒にはいられない……」
タカは、フーミィがタカの頬に当てている手を握った。
「そんな事は……分かってる。分かてても、ここが、ここが……分かろうとしないんだ」
タカは、握ったフーミィの手を、自分の胸に持っていった。
「ここが、心が納得できないんだ……この世界に、リクをおいて行くなんて……」
フーミィは、立ち止まってタカを抱きしめた。
「ダメだよ、納得しなきゃ。ターカは、強くならなきゃならない。リアルディアの王として、成長しなきゃダメだから。女神様もそう願ってる……」
タカを抱きしめながら、フーミィは分からないように、そっと癒しの魔法をタカの心に送り込み始めた。タカは、自分を抱きしめるフーミィの腕を掴むと、グッと突き放した。
「強くならなきゃいけないなら、俺の心を勝手に癒すのは止めろっ」
いつになくフーミィに対して、きつく当たるタカを、フーミィは、黙って見つめた。
「……そっだね……」
「俺は、リクを失うかもしれない痛みを、忘れたいとは思わない。これから一生忘れずにここに持ち続ける」
タカは、胸に手を置いてそのまま歩き出した。
しばらくの間、フーミィはタカの後姿を見ていた。
「ターカ……やっぱり強いね。そうだよ、忘れちゃいけない痛みだってあるから……」
フーミィは、軽くはねるとタカの後を追った。
ガバッ!!
「ウワッ! フーミィ何するんだよ」
フーミィは、タカが背負っている荷物の上から、タカの背中に乗って、タカの頭を抱えていた。
「フーミィの場所。ここだから」
「……バッバカ、魔法の生き物だった頃とは……」
最後まで言わないうちに、タカの顔は見る見る真っ赤になっていく。
「なーに? 重たくないよ。だって僕飛んでるもん。ねっ?」
フーミィは、軽く翼を動かして宙に浮いている。少し開けた場所だからいいが、木の密集した森の中を進んでいたら、フーミィの全体重はタカが背負う事になるのは明らかだった。
「だから……前とは違うだろう。身体の大きさも形……も……」
フーミィは、タカの頭を抱えるようにしながら、頭の上からタカを覗き込んでいる。
「フーミィ……あのさ……当たってるんだよ、そのぅ、えっと胸がサ……」
「え???」
何を言ってるのか分からないとでも言う様に、小首を傾げるフーミィの大きな瞳は、魔法の生き物だった頃と何も変わってはいない。リク達と一緒に、前を歩いていたフィーナが振り返って、小走りにやってきた。
「フーミィ、女性がその様な格好をするものではないわ。タカ様が困っていらっしゃいます。仲がいいのはいいけれど、人前では控えなければね。女性にはつつしみと言うものが大事なのよ」
フィーナのお説教に、フーミィは初めて自分の身体にまじまじと見入った。自分の胸に手を当てて、感触を確かめるように揉んでみたり、触ったりしている。フィーナが、慌ててフーミィの腕を取って地面に降ろした。一連の動作は、宙に浮いたまま行われていたから、前方のリクとレインからもよく見えているようだった。レインは口に手を当てて驚き、リクは夜空を見上げて笑っているようだった。
フィーナも、まだ慌てている。
「フーミィっ、人前でそんな事はしてはダメ。女の子でしょう」
フーミィはフィーナの顔をジーっと見た後、満面の笑みになった。
「女の子! そうだね、フーミィは女の子なんだね。ターカ!! 僕、女の子だよ」
タカは、大きく溜め息をつくと下を向いた。
「そうだな、フーミィは女の子だよ。皆が知ってたんだけど、お前は知らなかったのか?」
フーミィは、ブンブンと首を振った。
「知ってたけど……気が付かなかったんだ」
フーミィはタカの腕を取ると、歩き始めた。
「さァ、リークもレインも待ってるよ。フィーナも行こう、女の子同士仲良くね」
フーミィは、フィーナの手も取るとリクとレインの待つ場所に、羽の様に軽い足取りで向かっていった。
「ターカっ、フーミィが女の子で嬉しい?」
フーミィが大きな声でタカに聞いた。
「え? あっああ、嬉しい……」
タカは、またもや真っ赤になった。合流した仲間は、皆、プッと吹き出した。リクは、目に涙を溜めていた。こんなに動揺している兄を見るのは、初めてかもしれないとリクは思った。
「兄ちゃん、お幸せにっ」
「うるさい!!」
リクは、自分の口に人差し指を当てた。
「あんま大声は出さないでよね。これでも、こっそり進んでかなきゃなんないんだからさ」
タカは、ジロッとリクを睨んだ。
「悪かった。ほら、もう行こう……」
「だな」
ぽっかりと浮かんだ月までも、自分を笑っているようだと思えるタカだった。
先程までの、弟を思う切羽詰った感情は、いつの間にか薄れていた。
いつか来る、兄弟の別れ。
普通に生きていれば、普通にある事。
でも、無理やりに訪れる別れは、ある種の痛みを伴う事もあるのかもしれません……