[57] 闇の世界
リクは、レインに睡眠魔法を掛けられます。
それが、リクを思いも寄らぬ場所に連れて行くことに……
『夢か……』
リクは。、今自分がいる場所がどこなのか分からないまま、フワフワと揺れるような感覚に襲われていた。目の前にある光景は、決して見ることの出来ないもののはず。夢でなければおかしい。
ヒルートが、大きな炎の前に胡坐をかいて座り、その横には、見るもおぞましい姿をした怪物が座っている。怪物の顔は人間によく似ているものの、肌の色は赤黒く口元は耳まで裂け黄色く汚い歯が並んでいる、そして鼻は犬のように長かった。身体にいたっては、赤黒いのは顔と同じだが、所々プスプスと煙を吐いていた。まるで溶岩が流れた跡の大地のように皮膚はただれ、手先も足先も鳥のように曲がり、爪が伸び時折お互いに当たってはカシャリカシャリ音を立てていた。
瞳は真っ黒でどこにも白い部分がなかった。
『あいつは何者なんだ? 悪魔ってこんな感じなのかな? 怖い怖いと思うから、こんな夢見るんじゃネーカ。バカか俺は……』
怪物は、横に座っているヒルートの顔に手を伸ばした。ヒルートの白く細い顎に長い爪を掛け、スーッと引いた。白い肌にツツーッと赤い血が流れ出たが、ヒルートは顔色一つ変える様子は無い。
「緑の王子、金の瞳の忌み子とはよく言ったものだ。このぐらいの痛みは、痛みとも感じんらしい」
怪物の言葉に、ヒルートはニヤリと笑った。
「闇の王よ。あなたと契約をしたいと望む者が、この位の痛みに顔を歪ませ、心を喰われていては、契約どころではないでしょう。何を今更」
闇の王は、ヒルートの顎を流れる血を爪ですくい取ると、長く青い舌を出してベロリと舐めとった。
「旨い。この分だと、お前の心はもっと旨いのだろうなァ」
「闇の王、契約者の心は喰らう事は出来ないと聞いているが?」
闇の王は、横目でヒルートのつま先から頭までを撫でるように見つめた。
「それは、お前が俺の契約者に相応しいと決まってからの話。そうでない時は、他でもない、俺が喰らい尽くしてやるわ、心も身体もな」
ヒルートが、金色の瞳を細めて微笑んだ。
「どうぞ、ご自由に」
「肝が据わっておるわ。それで、闇の力が流れ出る起源の泉に近付いて何を企んでおった」
闇の王は、炎の奥を指さした。リクからは大きな炎が邪魔になって、何があるのかは見えないが、話の流れからみて、その起源の泉とやらなのだろうと思った。
「起源の泉は、力の泉。闇の王との契約が成立したあかつきには、私にも関係のある大切なもの。興味がないはずはありますまい」
ニヤリと笑ったヒルートの横顔は、とても冷たかった。まるで、心を闇に取り込まれた者のように、炎に照らし出されながらも、なお氷のように白く冷ややかだった。
リクは、手足をばたつかせた。このままヒルートを此処に置いておきたくないと思った。こんな夢は、終わらせなければならないと思った。
フワフワした感覚のままだったが、今の話を聞き逃す事などできなかった。
『ヒルート!! このバカヤロウ! 今直ぐ逃げろっこっちに来るんだ! ヒルート!!……』
リクの所へ行って来ると言ったまま、帰らないレインを気にして、フィーナは、リクが見張りに付いている場所までやって来た。さっき、フィーナは自分にはリクを守れる力があるとレインに伝えた時に見せたレインの表情が気になっていた。
もし、ヒルートを守る力を持っていると、他の人間に言われたら、しかも、それが女性なら……きっと自分は酷く傷ついただろうとフィーナは思った。
「私ったら、考えが足りなかったわ。レイン様に申し訳ないことを言ってしまった……」
木の枝をよけて、そっと見張り場所を覗いたフィーナは、そこに座るレインとその横で寝そべっているリクを見つけた。二人で何か話しているのかと思ったが、どうやら起きているのはレインだけの様だった。
「レインさ、ま……」
「フィーナ、どうしたの?」
フィーナは、レインの横に腰を下ろした。
「リク様は、寝ていらっしゃるのですね。きっとお疲れなのでしょう……」
リクの方を見つめたフィーナの顔が、見る見るうちに強張ってきた。
「フィーナ…?」
「レイン様っリク様を起こしてください。早く! 私はスカイ様を呼んで参ります!!」
フィーナは、足をもつれさせるように立ち上がると、走り出した。
「起こすって、どうして! フィーナッ……」
「とにかく、起こしてください。大変な事になります!」
大声で叫びながら、フィーナは林の中に消えていった。レインは、震える手をリクの肩に置いて揺さぶった。大変な事になる、そう言ったフィーナの声がレインの頭の中にこだましている。
一瞬、自分が睡眠魔法をリクに掛けたことすら忘れてしまっていた。
「魔法……魔法を解かないと」
落ち着こうと思えば思うほど、手が震えた。レインは震える手をリクの頬に添えて、魔法を解く力をリクに向けた。そのまま、リクに覆いかぶさるように抱きしめて、リクの名前を何度も何度も叫んでいた。
ガサガサという音と共に、スカイとタカが姿を現し、続けてシルバースノーとフーミィが出てきた。
「スノー、フーミィと見張りを頼む」
スカイの言葉に、二人は離れて見張りに付いた。走りこんで来たスカイが、レインに怒鳴った。
「リクに何があった!」
レインの瞳には大粒の涙が溜まっている。
「私……リク、に、睡眠魔法掛けて……フィーナが来て……起こせって、分からない、の……リクは、どうしたの……」
スカイが、苦い表情をした。
「レイン、お前は何を学んできた。時の魔術師のことは学ばなかったのか」
「どういう事?」
スカイは、リクの頭にしっかりと手を乗せた。
「時の魔術師に睡眠魔法を掛ければ、現実にある何処かの世界に移動してしまう可能性がある。決して、掛けてはならない魔法だぞ」
レインは、ヒッと小さく叫ぶと、強く強くリクを抱きしめ、魔法を解く事に必死になった。その時、ビクビクッとリクの身体が跳ねた。
「ヒルート!! こっちだってっクッソ!」
そう叫んだリクは、大きく目を開いた。
「ヒルート???」
リクは、自分の身体がいきなり重くなったのに気が付いた。先程までのフワフワした感覚はもうなくなり、替わりに何かが自分の上に乗っている様に重い。
「リク! 大丈夫?」
リクは、自分の上にのしかかるようにして抱きしめているレインと目が合った。
「レン? 何してるの?」
「リク大丈夫か? 何処に行っていた」
リクの右横にはタカとリクの頭に手を乗せたままのスカイが並んで座り、フィーナが左横に屈みこんでいる。
「ヒルート様にお会いになったのですか? ヒルート様はご無事なのですか」
リクは、皆の質問に面食らっていた。
「どうしたんだよ。ちょっと夢見てただけなのに……皆、何の大騒ぎだよ」
リクを抱きしめていたレインが泣き始めた。
「リク……ヒック……ゴメンなさい、私知らなくって、本当にゴメンなさい」
「何が? 知らなくてなのかワカンネーじゃん」
スカイが、レインの背中をトントンと叩いた。
「レインは、時の魔術師のお前には、決して掛けてはならない魔法を掛けた」
「掛けてはならない魔法?」
「ああ、睡眠魔法と言って、深い眠りを与えるんだ。悪夢を見たり、眠れなかったりといった時に使われる。しかし、時の魔術師には使ってはならないんだ」
リクが、自分を抱きしめて泣いているレインをそっと起こして頭を撫でた。
「レン、俺が睡眠不足だって知ってたんジャン。ありがとう気を使ってくれて」
「ちがっ、違う、私ったらしてはいけないことなのに……」
「もういいジャン。何にもなかったんだし」
そう言ってレインを抱きしめるリクに、スカイが首を振った。
「何も無かったはずはない。何処に行っていた。時の魔術師に睡眠魔法を使えば、現実に存在する場所に移動してしまう危険がある。戻ってこれたのは、フィーナのおかげだ」
スカイが言った一言は、レインにはひどく胸に突き刺さっていた。
「私は、リクを守るどころか、ひどい事をしてしまうところだった。フィーナ、これからは、あなたがリクを守ってね」
リクの手からすっと逃れると、レインは立ち上がってユラリと歩き出した。
「レイン様。あなたはそんなに弱い人なのですか?」
レインの後姿に、フィーナが叫んだ。
「でも、リクを危険な目に遭わせたのは私だわ……」
レインの答えに、フィーナはフンっと鼻を鳴らした。
「そうですか、取り合えず言っておきますが、私はヒルート様の守り人です。リク様が危険な時でも、ヒルート様を優先させますが、宜しいのですね」
レインが慌てて振り返った。
「ヒルート王子は今いないじゃない。どうしてそんな事言うの? フィーナは仲間でしょう、リクを守って、お願い」
レインは、フィーナに訴えるように近付いてフィーナの手を握った。フィーナは、首を左右に振って拒絶の意思を伝える。
「リク様が、行ってらした場所には、ヒルート様がいらした、悪魔と共に。だから、私にはリク様の危険が分かったのです。そうですね、リク様」
フィーナの顔は、これまでに見せていた表情とは全く違い、まるで大人のような冷静さがあった。リクは、何かを考えるような表情を浮かべながら、フィーナから目を逸らす事無くしばらく見詰め合っていたが、フーッと長い溜め息をついた。
「分かったよフィーナ。そんなに怖い顔しないで。あれが、俺の夢でないなら話すよ……でも、俺にも何が何なのか解ってないんだ。あいつがいたのは確かにあいつがくぐった扉の向こうの世界だと思う。横にいたのもフィーナが思ってる奴だと思うけどっ」
リクは、先を続けることなく黙っている。
フィーナは目を細めて、リクを睨だ。
「リク様、それだけではないでしょう。話して下さい!」
「……話したところで、今のフィーナに何が出来る。あいつは今、自分の使命を果す為に必死になっているはずじゃネーカ。そして、そのあいつは、あんたが安全でいる事を望んでるんじゃねーかな」
フィーナは唇をクッと噛締めると、リクの横に来てその胸を何度も何度も殴りつけた。
「でも……あの方を、助けたい……守りたいっそう思うことは間違いですか」
リクは、自分の胸を殴りつけてくるフィーナの手をしっかりと握った。心を癒す魔法をフィーナに送りながら、リクはゆっくりと話し始めた。
「フィーナ……落ち着いて、よく聞いて。あいつのしようとしてる事は、きっともの凄く危険な賭けみたいなものだと思うんだ」
「危険な賭け?」
「そう、使命を果す為の危険な賭けさ。あいつにしか出来ない事。だから俺は見てきたことを全てここで言う訳にはいかない。何が聞き耳を立てているか分かんねーんだから、ね?」
そう言うとリクは、目を閉じてブツブツと言い出した。しばらく同じ様にブツブツ言い続けた後、そっと目を開けてニッコリと笑った。
「今、大地の妖精に頼んで、闇の妖精がこの近辺に潜んでないか探ってもらった。大丈夫みたいだ。あいつは、安全だ」
フィーナが、困惑したようにリクを見つめた。
「ヒルート様は安全なのですね」
リクは、自分の唇に人差し指をあてた。
「しっ、フィーナ、いいかい、よく聞くんだ。これからはどんな時もあいつの事は名前で呼んじゃダメだ。それが闇の妖精の耳に入ると、あいつにとって危険が増す。いいかい、どんな時もだ。忘れないで」
「……名前……それすら私には残らない……あの方の全てを失うのですか……」
そう言ったフィーナの肩を、抱きしめたのはレインだった。
「いいえ、全てを失ってなどいない。あなたには、彼の守りが残っている。そして、彼にも、あなたの守りがあるわ。そうでしょう、こんな髪になってまで、あなたは彼にあなたの守りの力の全てを与えた。その絆がなくなるはずはないでしょう」
フィーナは、いままで堪えていたものを一気に吐き出すように、レインにすがって泣き始めた。
「ごめんなさいね、フィーナ。私、あなたに嫉妬してたの。リクを守る力があるって言われて……でもね、リクはやっぱり私が守るわ。あなたは、大切な彼の帰りを待てばいい、私たちと一緒に大地の城に乗り込むの。あそこには、敵が一杯だってリクが言ってたわ。ね?」
レインは、リクにウィンクして見せた。
「あっうん。大地の城には闇の妖精が潜んでいる事は間違いない。あそこで、俺たちは戦うんだ。あの、ひねくれ野郎にフィーナを連れてきたって知られたら、殺されるかもナ。でも、そんなの怒らせとけばいいじゃん。一緒に行こう」
フィーナは、泣き顔をあげて皆をぐるりと見た。
「ええ、私も一緒に行きます」
その時、フーミィが離れた場所から手を上げた。
竜独特の風の様なピューと言う鳴き声は、危険を知らせていた。
迫ってきた危険とは?