[52] 孵化
新たな竜神が生まれます。
卵を産んだディアはたすかるのでしょうか? 闇の妖精が迫る中、皆が力を合わせます。
ガウは、ゴルザに身体を蹴り上げられえた時に、胸の骨を折っていたし、地面に激突した時には、前足の肩が外れてしまっていた。ボロ雑巾のようなガウは、傷だらけでヨタヨタと歩きながらも、目だけは強い光を放っていた。
一瞬にして蜂の巣を叩いたような状態になった炎の民の村では、誰もガウに注意を払う者などいなかった。ガウは、村の外れにある細い木の小さな洞に鼻先を突っ込んだ。息も絶え絶えになりながら、洞の中から薄汚い古い巾着袋を取り出した。歯と鼻先と、前足を器用に使って、中身を出す。中から出てきたのは、雪鷲の羽根だった。
何処へでも運んでくれるという魔法の羽は、もう真っ白ではなくなっていて長い年月の経過を思わせた。ガウは、その羽を口に咥えると、アウッと小さく鳴いた。ガウの身体がふわりと持ち上がり、岩壁に沿って舞い上がって飛んでいった。
何処を目的地にしているのか、ガウにははっきりと分かっている様だった。夜明け前の、静かな谷に下りていく。そこには、夜中の狩りを終え、自分達のねぐらに帰ってきた狼の群れがいた。
狼達は、いきなり空から現れたよそ者を、ゆっくりと取り囲み、間合いをつめる、群れのボス狼がガウの前に進み出た。ガウの頭よりも、自分の頭の位置を上にして、自分がこの群れのボスであり、ガウより格上であることをガウにみせつけようとしている。
ガウは、一気に事を終わらせようとでも言う様に、大きく唸るとボスに向かっていった。あっという間に、あまりにもあっけなく決着はついてしまう。ガウの喉笛を、ボスが噛みきった。ガウの身体が、地面に落ちる瞬間、群れのボスは雪鷲の羽根を咥えていた。
群れの狼達があっけに取られる中、ボスの身体はふわりと浮き上がって、飛んでいった。(ユティ、待っててくれや。必ず助ける。お前の母さんに、ワシはそう誓ったんじゃ)
やがて、ボス狼の身体は、炎の民の村の岩壁を越えて行った。
竜神の洞窟の入り口へと登って行くと、村をぐるりと囲む岩壁の向こうに、朝日が昇り始めている気配がうっすらと感じられた。だが、日の出にはまだまだ時間が掛かりそうだった。
洞窟の入り口に初めに入ったのはスカイだったが、足元にぽっかりと空いた穴を覗いてから、シルバースノーを振り返った。
「スノー、この縦穴はかなり深そうだが、タカとリクの二人を抱えて降りられるか?」
シルバースノーが、スカイの横に屈みこんだ。
「そうね、私の目には底が見えてる。大丈夫よ、二人ぐらいなら抱えられるわ。何なら、あなたも一緒でも大丈夫よ」
ニッコリ笑ったシルバースノーに、スカイは微笑み返した。
「いや結構。緊急事態だ、先に行ってる」
「あら、そう」
その時、大きな音と共に、洞窟のある山全体が揺れた。
「なっ何?」
シルバースノーが不安げにスカイを見たが、スカイも首を振るだけだった。そこへ、フーミィを肩に乗せたタカとリク、レインが入ってきて、縦穴の淵に屈みこんだ、リクがシルバースノーを見た。
「竜神の卵が産まれた。急がないとダメだ」
スカイは、縦穴に向かって足を下ろすと、そのままスルリと穴の中に消えた。シルバースノーの横に来たリクが、もう一度縦穴を覗く。
「ちょっ、スカイ落ちたんじゃねーの?」
シルバースノーが首を振った。
「いいえ、魔術を使って降りて行ってるわ。リクとタカは、私が抱えて降りる。レインは大丈夫ね?」
「ええ、大丈夫よ。これでも雲の魔術師ですから」
「じゃあ、シルバースノー早く下ろして、間に合わなくちゃ何にもなんねーじゃん」
そう言ったリクの横を通って、レインが先に縦穴に降りていった。
「じゃっ私達も下りましょう」
シルバースノーは言うが早いか、リクとタカを両脇に抱えると、縦穴に向かって飛び込んだ。
リクの発した悲鳴が洞窟にこだましたと思うと、バサッと大きな音とともに、シルバースノーの銀の翼が開いて力強く羽ばたいた。
フーミィはタカの肩にしっかりとへばり付いていた。
「しっ死ぬかと思った……」
リクが、やっとの思いで声を発した時には、すでに底は見えていて、直ぐに着地した。息をつく間もなく、三人を奥へ誘導するレインの声が聞こえた。三人が走りこんだ大きなドーム型の部屋には、大きな赤竜が横たわり、その前にはおびただしい血を流したディアの頭を抱えたローショと、ディアの腹部に手を当てたスカイとレインがいた。
「速く! 手伝って。癒しの魔法で助けるのよ」
レインが大声で怒鳴った。走り寄ったタカが、スカイの手の上に自分の手を重ねた。フーミィも同じ様に小さな手をタカの上に乗せた。
リクは、ディアの頭を抱え込んでいるローショの前に座ると、ディアとローショを一緒に抱きしめた。
「ローショさん、今は悲しんでいる時じゃない。直ぐにでも奴らが来る。ローショさんには戦ってもらわないと困る。闇の世界への扉は、開けられてはいけないんだ」
リクの心を癒す魔法が、ローショの心を癒すと共に、ディアの不安も拭い去っていく。
「ユテ……、まっまもって……こっこの村っを、ユ…テ…愛し……い…す」
今まで開く事なかったディアの瞳が開いてローショを見つめる。
「ディア、必ずっ必ず守るから。お前は生きろ! いいな、死ぬんじゃない。新たな竜神を守るのはお前の新たな使命だ。死んではいけない」
皆の傍らで、大きな燃えるよう紅い卵をシルバースノーは一心に見つめている。
「孵るわ……でも、とても弱々しい。竜神は生まれ変わっても、その力は変わらないはずなのに……どう言うこと? これでは扉は守れない」
屈みこんで卵を見つめるシルバースノーの顔は、卵が発する熱によって直ぐに赤くなってきた。スカイが、シルバースノーの方に顔を向け、怒鳴った。
「スノーっお前は癒しの魔法が使えないのか! 今はこっちが先だろう、この人を助けなくては!」
シルバースノーが、きつい視線をスカイに送った。
「分かっているわ。でも、こっちも十分に大切な事よ、世界の運命が掛かっているのよ」
二人のにらみ合いの中、フーミィの身体が銀色に輝き始めた。カッと見開いたフーミィの瞳は、元の黒ではなく、銀色だった。
「私が、この竜神の巫女を癒してやろう。私の幸せの記憶よ、もう、この身体も必要なかろう。全て使い切って終わらせてやろう。今がその時だろう」
抑揚のない、感情を表さない声が、フーミィの口から聞こえた。
タカの目が大きく見開いた。
「あなたは、生命の巫女……全て使い切るって何の事だ」
「今、お前に話して聞かせるつもりはない。この竜神の巫女を癒す事だけ考えるのだな」
その時、横たわっている炎の竜の後ろがユラリと揺れたかと思うと、ブルーリーが現れた。その腹には、フィーナがぐっすりと眠って、もたれ掛かっている。
一瞬の出来事だったが、生命の巫女となったフーミィからブルーリーへ、ブルーリーから炎の竜へと移動した光り輝く波動は、あまりに強く、誰一人見逃した者はいなかった。生命の巫女は、何も動じる事無く、癒しの作業を続けている。タカも、スカイも、レインも、癒し続けながらも、何が起こっているのか気にせずにはいられなかった。
ブルーリーは、大きく首を回した後、目を大きく開いてクルリと回した。その瞳は真っ黒で愛らしいく、フーミィを思わせた。
死んだように横たわっていたはずの炎の竜は、長い首を持ち上げてブルーリーをチラリと見た。
『私の身体はどうだい? 毛むくじゃら。ルビーアイ様が自らの波動と力を残しておいてくれたのだ。若々しい身体になってる事だろうさ。大事に使っておくれよ』
炎の竜の身体に入ったブルーリーは、以前の自分の身体を見つめながら、深い藍色の瞳を細めた。
『ブルーリー……ありがとう。僕、やっと本当の身体が手に入ったんだね。でも、竜神さまは大分歳を取ってたよ。ブルーリーは、その竜神様の身体でいいの?』
『ああ、かまわんさ。これからは小さな竜神を育てるのが仕事。この身体で十分間に合う。なんせ、竜神の巫女と、竜族の女王ミーシャ様の生まれ変わりが、私を助けてくださる。お前は、自分の使命の事を考えるんだよ』
既にディアの癒しに加わっていたシルバースノーが、納得したように頷いた。
「そう言うこと。フーミィの為にブールーリーの身体が必要だった。だから、竜神の身体に[塵に帰す魔法]を掛けなかったのね。でも、そうなると竜神はこれまでの記憶も力も失うわ。今、闇の妖精につけこまれたら、扉を開けられてしまうかもしれない」
シルバースノーの言葉に、その場に緊張が生まれた。
スカイが、ローショの様子を見つめる。
「ローショ。扉を守れるか? 俺達だけで……」
ローショが顔を上げたが、その頬にはいく筋もの涙が伝っていた。
「守らなければなりません。そうでなければ、ディアは何の為に、こんな辛い使命を与えられたのですか。守ってみせましょう」
ローショの瞳に、固い決意が現れていた。
山が大きく揺れ、竜神の洞窟への入り口にリク達が入っていったのを見届けて、ヒルートは辺りに気を配りながら、岩陰から出てきた。
「上手くやってほしいものだ」
小さく独り言を言ったヒルートの耳に、遠くから大声で叫ぶ声が聞こえてきた。ヒルートは、眉をひそめてから、もう一度岩陰に戻った。
「こォらァ、オレ様が先だぜ! お前なんぞ下っ端じゃねーか。扉をくぐって闇の世界に帰りゃ、魔王さまにご褒美を貰えるんだ。元は自分の分身に、それを渡したりはしねーからな!」
ゴルザが、卑しい笑いを顔に貼り付けて、ユティを抱えたままプスプスと音を立てながら身体から煙を噴出しているランガに、唾を吐いた。
「クソッ! 何様のつもりでいやがる。オレッチを下っ端つーなら、テメーも下っ端じゃネーカ。同じ闇の妖精のくせに、偉そうにすんじゃねーぜ。言っとくがな、こいつを抱えてんのは俺なんだよ。洞窟には入れんのもオレ様だけってコトダ」
ゴルザの身体が、すっと動いてランガの腹に剣を突きたてた。ランガがユティを抱えたまま、がくんと倒れた。
「ここまで抱えるのに、その身体は十分働いた、もう無理だろう、ご苦労さん。そんでもって、お前も此処に残れ」
いやらしく笑ったゴルザの後ろから、ヒルートが姿を現した。
「闇の妖精というものは、くだらんものなのだな。契約するのが不安になるではないか」
ゴルザの前に、ごろりと横たわるランガの身体から小さな黒い影が這い出して来て、ゴルザの身体に飛びついたと思うと、スルリと耳の中に入っていった。
ゴルザがクソッと首を振った。
「戻ってきやがった。しつこい野郎だぜ、まァ元はオレから分かれたんだから、仕方ねーって言やあ、仕方ねーわな」
ブルリと身体を振るわせたゴルザは、ユティの横に屈みこんだ。
「さあ、今度はこの身体で運ぶとするか。こいつの守りの魔法にも困ったもんだ。俺達が触るとこんなになっちまう」
ゴルザが、ランガの身体を指さした。
「ならば、この青年は必要ない。お前は私が闇の世界への扉まで連れて行ってやろう」
そう言うと、ヒルートはユティとランガの身体に手を添えて、癒しの魔法を送り込んだ。
その行動にゴルザが目をむいた。
「この野郎、何してやがる。死にかけなんか癒しやがって、お前……本当に闇の妖精の俺と契約を望んでいるのか? 怪しくなってきたな」
その言葉にもひるむ事無く、ヒルートは二人を完璧に近いまでに癒し終えていた。
「闇の妖精、私はこの作業によって、自らの中に残っていた最後の哀れみの心を使い果たしたのだよ。さあ、この世界に、思い残すものはない、行こうではないか」
すっと立ち上がったヒルートの目に、まさかと思うものが映った。
狼が、こちらに向かって飛んでくる。
あっと言う間に洞窟の入り口に着陸すると、狼はユティの傍に走り寄って、ヒルートとゴルザと横たわるランガに注意を払いながら、ユティの様子を窺っている。
ガルルルルと威嚇するように唸る狼の声に、ユティが目覚めた。
「ガウ? ガウなのか?」
ユティが目覚めたのを見て、ヒルートが呪文を唱える。
「しばらくは、そこからは動けない。さあ、行くぞ闇の妖精」
ヒルートが洞窟の入り口に入っていった。
洞窟の大きな部屋の中では、まだ癒しの魔法が使われていた。
スカイとタカが、目を合わせて、スカイは息を吐き出した。スカイが息を吐ききる前に、生命の巫女はディアから手を離した。
「終わった。竜神の巫女は救われたのだ。新たなる竜神に使命は受け継がれ、巫女の使命も続いていく」
それを聞いたタカが、スカイの肩をポンっと叩いた。
「終わった。生命の巫女が力添えしてくれなかったらと思うと恐ろしい。生命の巫女ありがとうございます」
ぺこっとお辞儀をしたタカを見上げた生命の巫女は、いつも通りの何の表情も映していない顔をしていた。タカが、生命の巫女の感情はフーミィが全て持っている事に気付いて、お礼を言ったことに少し淋しさを感じていると、生命の巫女の身体がユラリと揺れて、フーミィであったその姿はあっという間に消えた。その時、タカの耳にだけ、生命の巫女の声が聞こえていた。
『私の、幸せの記憶を頼んだぞ……』
「巫女様……あっフーミィ……」
タカはブルーリーを振り返った。
『ターカなーに?』
そこにいるのは、姿は青竜であっても、間違いなくフーミィで、ブルーリーではなかった。しばらく、ボーとフーミィと見詰め合っていたタカの横で、ピシッと大きな音がした。
竜神の卵に亀裂が入り、中からコツコツと殻を突付く音が聞こえてきた。
それまでローショとディアを抱きしめていたリクが、そっと腕を緩める。
「ディアさん、もう大丈夫だよね。気持ちは落ち着いたんじゃねーかな。新しい竜神が、あなたが産んだ卵が孵る。さあ、その時を見ていよう」
リクに促されて、ディアとローショは竜神の卵を見つめた。
バリッと卵が割れて、可愛い小さな頭が見えたと思ったとき、部屋の奥から大声が響いてきた。
闇の妖精とともに、闇の世界への扉に向かったヒルート。
ヒルートはなぜ、皆が闇の世界への扉を開けさせない様にとしていることを阻止しようとするのか……