[51] それぞれの夜に
炎の民の村初日の夜、いきなり色々な出来事が起ころうとしているようです。
暗くさほど広くはない洞窟の中に、ブルーリーは身体を丸めるようにして横たわっていた。
『妖精使い。お前は良いだろうさ、用があると言っては外をふらつく事ができる。だが、私はどうだ、じっとこのまま動く事もままならん。あの兄弟と旅立ってからと言うもの、私は洞窟の中にばかりおるわ。このままでは身がもたん……』
ブルーリーの愚痴を聞いていたヒルートは、自分の横で丸くなって寝ているフィーナを見つめながら、ふっと笑った。
「何をおっしゃいます、ご老体。一日中、心地よく寝ているようにお見受けするが? それに、日に日に若返られている様に見えるのは、私の勘違いかな?」
ブルーリーは、ヒルートをチラリと見てから、溜め息のような炎を吐いた。ヒルートが、顔をしかめた。
「っ熱い、狭いのだからきをつけて欲しいな」
『すまないねェ。お前のように育ちが良くないし、歳をとってるもんでな。口元が緩んでるんだろう』
呆れ顔で、ヒルートは肩をすくいめた。
「出来る事なら、若返りのヒケツをうかがいたいものだと思っていたが、話してくれる気はなさそうだな。じゃァ仕方ない、私の頼みごとだけお願いする事にしよう」
ブルーリーの目が、片方だけ大きくなってヒルートを見つめる。
『頼みごとだと? お前が? わたしにか?』
「ああ……出来れば、誰にも頼みたくはない。だが、頼まねばならんとすれば、あなたにお願いする」
ヒルートは、フィーナを抱上げるとブルーリーの腹の脇に、そっと横たわらせた。
「フィーナを……守って欲しい。私に何があっても、後を追ったり、命を絶とうとしないように、フィーナの心を守って欲しい。そして、私の城へ、両親の元へ送り届けて欲しい。頼む」
ヒルートは、半分持ち上がったブルーリーの頭の直ぐ下で、地面に手をついて頭を下げた。
『……』
ブルーリーは、ヒルートの顔の前に自分の鼻先を持っていくと、フンッと息を吐き出した。
『妖精使い。何を考えている。お前の命よりも大事なこの娘を置いて、何処へ行くつもりだ。お前がいなくなれば、フィーナがどうなるか、分からぬはずはなかろうに……』
「……行かねばならん。私でなければ出来ぬ事が……おきるのだ。だから……」
ヒルートは、目の前のブルーリーの鼻を抱きしめた。
「だから、お前に頼むのだ。フィーナの心を守って欲しい。そして、私を待たないでくれと……伝えてくれ。私は戻れぬかもしれん……」
ヒルートの閉じた瞳から涙が溢れて、ブルーリーの鼻先を濡らした。
『……みっともないぞ妖精使い……必ず帰ると約束しろ。でないと、フィーナの面倒などみてやらんし、お前が私の鼻にすがってビービーと泣きわめいたと言いふらしてくれるわ』
ヒルートは、さらに強くブルーリーの鼻先を抱え込んだ。
「食えない老いぼれだ……約束しよう、私は必ず帰ってくる……必ずな」
「ああ、約束だ。では、お前の頼みを聞いてやろう。フィーナの事は心配しなくていい、お前のしなくてはならん事を、きっちりやっておいで」
「ありがとう。美しき青竜……」
その時、フィーナの身体がピクッと動いた。
『ところで、私が面倒を見なくてはならん娘は、いつ目覚める?』
ヒルートは、ブルーリーから手を離し、フィーナの頬にその手を添えた。
「私が、この世界から消えた後に……眠りの魔法も消える……」
『辛い役目を負わされたと言う事か……まァいい、だてに長い時を生きてはおらんからな』
フンッと軽く鼻を鳴らしてから、ブルーリーはゆっくりと首を下ろして、地面に伏せた。
『妖精使い、お前も少し眠るといい。間もなく夜が明ける。何処に行くのかは聞かぬが、どうせ、休めぬ旅であろうが……』
ヒルートは黙って頷くと、ブルーリーにもたれて目を閉じた。
『おやすみ、心優しき緑の魔術師……』
夜明けを前にして、ユティは戸惑っていた。
昨夜、ケンカを吹っかけた事を謝りに来たランガは、いつもと少し様子が違っているように感じて、ユティは心配になった。そのまま家に帰らせるのも気掛かりで、家の中に招き入れ、ハーブティーを入れて一緒に飲もうと誘った。ランガは、酒にしないかと言ったが、ユティがいつも果実酒をしまっている棚の前には、ガウが陣取っていて動く気配がない。何故か、ガウはランガから目を離すことがなく、その目は、何かを探るように見つめているとユティには感じられた。
それからランガは、今まで自分がどんなにユティに対して嫉妬心や劣等感を抱いていたか、せつせつと訴え、これまでにしてきたユティへの仕打ちを謝罪し、これからは友人として付き合って欲しいと言い募り、最後には、涙を流した。
何時間もの間、ランガの様子を見ていたユティは、何かがおかしいと感じつつも、ランガの言葉にほだされていた。ランガを生まれた時から知っていて、その成長を見てきたユティにとって、ランガが見た目にはユティと変わらぬ年齢に達する頃までは、可愛い弟のように思ってきた。それが、いつも頃からか、ランガの態度は敵意に変わっていった。その裏にある、ランガの心の痛みは分かっていた。大好きだった、憧れていた父を失い、父親代わりの祖父は、血も繋がらない歳をとらない変わった男を信頼し可愛がっている。ランガの心の痛みを知っていればこそ、ランガから与えられる苦痛には黙って耐えてきた。
だからこそ、ランガの涙を流して許しを請う姿にほだされながら、それでも、戸惑っていた。ランガのいきなりの変貌には、何か理由があるとどこかで感じていた。
ユティは、ランガの頬に流れる涙をそっと拭き取ろうと手を添えた。
「ランガ……っつ!」
バチッと音がして、小さな稲妻がランガの頬とユティの手の間に走った瞬間、ランガの目がグルンと回って机にうつ伏せに倒れこんだ。
ガウが低く唸り声を上げてランガの後ろに回り込む。
その時、ガウの目に見えたのであろうものが、ユティにもはっきりと見えた、ランガの首筋に降りてくる小さな黒い影。
「なんだ?」
ユティがランガの首筋をしっかり見ようと動き出すと、ランガの顔がゆっくり起き上がった。
「ユ……ティ、助けて……」
それだけ言うと、ランガは再び机に突っ伏してしまった。首筋には、もう黒い影は見当たらない。
ガウは、まだ唸り続けている。
「ガウ、お前何か知ってるのか。俺には何が起きているのか分からない。ランガに何があったんだ。村長に知らせなくては……でも、ランガを一人にしては行けない……」
ガウが、一声唸って首を戸口の方に振った。
「行けって言ってるのか? でも、俺が残った方が良いだろう? ガウ、村長の家に行って何が何でも起こして引っ張って来い。さあ、早く行って」
ユティは、唸るガウを無理に戸口に押しやった。ユティとガウは、どちらも譲ろうとせず、押し合いになっていた為、気付かなかったが、ランガが、ユティの後ろから近付いていた。ランガの手にある大き目のナイフは直ぐにユティの首にしっかりと刃を当てていた。
「知らせに行かれちゃ困るんだよ。クソッもう少しってとこだったのに」
ガウが、威嚇するように大きな唸り声を上げる。
「オイッ、死にかけ狼。お前のご主人様がどうなってもいいのか? その汚い歯をしまいな」
ユティは、ランガから逃れようと隙をうかがっているが、相手はそれを見越しているようで、少しでも動けば、ユティの首から血しぶきが上がるのは間違いない。
「お前は誰だ……ランガの身体を乗っ取るなんて、同じ炎の民のすることじゃ……まさか、炎の民じゃ……ないのか。お前は何なんだ……」
ユティはさっきリク達が話していたことを思い出していた。
「闇の妖精なのか」
「おや、よく知ってるじゃねーか。乗っ取るには長い時間が掛かったが、これはもう俺様のもんだ」
「ランガを返せ。ランガから出て行け」
ユティの叫び声にもランガはへらへらと笑っているだけだった。
ガウは、低く唸り続けるが、動く事が出来ずにいた。
部屋の中は静かだった。旅の疲れと緊張で、深く眠っている者の寝息と、寝返りを打つゴソゴソと動くもの音しか聞こえない。その中でスカイは一人目を開けていた。戻って来なかったローショの事が気がかりだった。リクは心配ないと言っていたが、ローショが覚悟を決めねばならない事柄が気になった。果たして彼はだいじょうぶなのかと。
そんなスカイの目に窓から何かが飛び込んだのが目に入った。その瞬間、リクが声を上げる。
「ンッグッ……クッソ。何だよォ」
いきなりリクが叫んだ声に、部屋中がバタバタと動き出した。
「何だ? リクどうした」
「どうしたの? 大丈夫?」
一瞬静かになった部屋の中で、リクが毛むくじゃらの小さな生き物をぶら下げて立ち上がった。月明かりが、窓から差し込んでその姿を浮かび上がらせた。リクは、毛むくじゃらをポトンと落した。
「フーミィッ。お前何やってんだよ。俺の顔はお前のベットじゃねーんだぞ、クソッ」
フーミィはブルッと身体を振ると毛並みを整えた。
「リークのバカ。皆に大事な知らせを持ってきたのに。飛び降りたのがリークの顔の上だっただけだよ」
フーミィは素早くタカの腕の中に納まった。
タカは、優しくフーミィの背中を撫でる。
「でっフーミィ、大事な知らせって何だ? 話してごらん」
フーミィの大きな目が、クルリと回った。
「僕ね。竜神様とお友達になったんだよ」
リクがフーミィの真似をして目をクルリと回した。
「おーい。まさか、それが大事なお知らせじゃネーだろーなァ。この毛むくじゃら」
「そんなわけないわ。リク、ちゃかしちゃだめよ」
レインがリクの手に、自分の手を重ねた。
リクはペロッと舌を出してから、黙って頷いた。
「あのね、竜神様に教えてもらったんだよ。大事な知らせはさ」
「ああ、フーミィ分かってる。早く教えて、ね」
タカが、先を促した。
「うんとね、もう直ぐ炎の竜の、竜神の卵が産まれるんだよ。でもね、熱くて大きな卵を産むのは、竜神の巫女なんだって。竜神様がね、その巫女を助けて欲しいって、皆にお願いだって言ってたんだ。だから僕、急いできたの」
部屋の中が静まり返る、誰もが息を詰めているからだろう。
一気に皆の呼吸が戻った。大きく息を吐き出したリクが、部屋の天井を見上げた。
「今夜だったのか……ローショさんが巫女についていった時点で今夜だと気づいてもいいはずなのに」
タカが、リクの肩に手を置いた。
「ディアと言っていたな、あの巫女が炎の竜の卵を産むって分かってたんだな」
「ああ、分かってた。そして、彼女が瀕死の重傷を負うだろう事も……死んでしまうかもしれない」
シルバースノーがスッと動いた。
「ならば、早く行きましょう。彼女を助ける為に。さあ、スカイ」
「そうだ急ごう。ディアはローショにとっても、大切な人なんだから」
シルバースノーの後をついてスカイが部屋を出て行った。タカとレインがリクの両手を取って引っ張った。
「リク。間に合うわ大丈夫よ。私達で助けなきゃ」
リクの顔がグッと引き締まった。
「ああ、絶対助けなきゃ」
三人は、シルバースノーとスカイを追って走り出した。
戸口で動けずにいたガウの後ろで、いきなり扉が開けられた。
戸口に立っているのは、ゴルザだった。
「ランガ? 何をしている。争う声を聞いてまさかと思ったが、またケンカか? そのナイフを下ろしなさい。その様な物騒な物まで出しては、ただのケンカでは済まなくなるぞ。ほら、ランガ落ち着くんだ」
優しく諭すようにゴルザはランガに近付いていき、ナイフを奪い取った。
「長老……ランガは、闇の妖精に乗っ取られているんです。危険です、離れて下さい」
ユティは、自分もランガから離れながら、ゴルザを気遣い服の袖を引っ張った。それを見ていたランガは、薄く笑うと首を振った。
「有り得ない、俺が何に乗っ取られているというんだ? 炎の民は何者にも乗っ取られたりしない。ですよね長老?」
「当たり前だ。ユティ? 今日は色々あったからな……疲れているのかな。闇の妖精だと。とんでもない事を言い出すなど、お前らしくないぞ」
二人の会話が続いている間も、ガウは一向に警戒を解く気配はなく、ゴルザに向けて、より一層の警戒をしているように、ユティには感じられた。
「さあ、つまらぬ事にならんうちに、家に帰るんだランガ。いいな」
ゴルザがそう言って、ランガの背中を押したその時、ゴゴゴゴッと大きな音とともに大地が大きく揺れた。ゴルザが慌てて外に飛び出した。
「今夜だったか! 扉が開くぞっオイ、そいつを連れて来い! 俺達が竜神の洞窟に入るには、そいつが必要だ早く!」
ゴルザの命令を聞き終えるより早く、ランガは動いていた。ユティを抱え上げたランガの身体は、パチパチと稲光を発していて、何かに焼かれたように煙を吐いている。
ガウがランガの腰に噛み付いていたが、ゴルザが人間とは思えぬような力で蹴り飛ばし、数メートル先でガウは動かなくなっていた。ガウに噛まれ、食いちぎられたランガの腰からは血がダラダラと流れ落ちていたが、全く気にする様子は無い。
「行こうか。この身体がもつ間に、竜神の洞窟に入っておかねーとなケケケッ」
ランガがいやらしい顔で笑った。
「おお、早く行こう。金の瞳の魔術師が待ってるぞ。契約するのは俺だがなけケケケケッ」
ユティは、薄れていく意識の中で、この村の中にいったいどれほどの人が何者かに体を乗っ取られが居るのだろうと思った……。
走り出したゴルザを追いかけて、何か大声で文句を言いながら追いかけるランガの姿を、家から出てきた多くの炎の民が、恐ろしげに見つめていた。村長ガザもその中の一人ではあったが、その顔には恐ろしさではなく、怒りが燃えていた。
「長老衆! 直ぐに霊玉を持って集まれ。竜神の洞窟に行くぞ。ゴルザの霊玉はワシが持つ。奴の家から取って来い」
その怒りに満ちたガザの声に、多くの炎の民が我を取り戻して動き始めた。
そして、その声にガウも意識を取り戻して身体を起き上がらせたが、向かった先は洞窟とは反対の方向だった。
闇の世界への扉は開いてしまうのか?
ユティとランガの運命は?
ガウはユティを追う事無く、何処に行こうとしているのか?
 




