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雨のリズム  作者: 海来
46/94

[46] ユヴィとバグ

 ここでは、過去にさかのぼってユヴィを見ていきます。

 ユティはどうやって、村に戻ったのでしょう。

 リクは過去の砂を東西南北の四方に撒くと、人差し指を立ててクルクルと時計とは反対に回し始めた。

(ユテの娘さんが村を出て、何処に行ったのか見せて。ユテの娘、ユヴィの消息、何処へ行った。誰に会った。教えてくれ)

 リクは見たい過去へと気持ちを集中していく。回している右手と反対の左手には、過去の砂と一緒に、ローショの手が握られていた。

 ローショも、リクと同じ様に見たい過去を強く念じる。二人には、それで同じ過去が見られると言う確信は無かったが、そうであって欲しいと言う強い願いがあった。

 それだけで、きっと二人で過去を見られるとリクもローショも信じた。

 リクとローショの閉じた瞼の裏に、砂が流れ始めた。

 流れる砂が途切れ途切れになり始めると、そこには若い娘の顔が見えてきた。

『ユヴィ……』

 ローショの囁くような声が聞こえた。



 ハッキリと全体が見えてくると、そこが硬い石壁の連なった高い塀の前だと分かる。

 そびえ立つ塀は、幅の広い堀に囲まれ、大きな門からは堀を渡って橋が架けられ、門の両脇を長槍を持った兵士が守っていた。

 ユヴィは意を決したように、橋を渡り始めた。門兵の前まで来ると、ユヴィはにこやかに挨拶した。

「お勤めご苦労様です。大地の城で働いている方に会いたいのですけど、どうすればっ」

 ユヴィが言い終わる前に、門兵はユヴィの被っていた頭巾を引き剥がした。旅の途中で、炎の民の証とも言えるユヴィの燃えるような赤い髪は、幾度となくユヴィの旅を困難なものしてきた。大地の城は別かもしれないと思っていたが、ここでもかと言う様にユヴィは溜め息をついた。

「それでも隠したつもりか。そんな頭巾でお前ら炎の民を見逃すとでも思っているのか。甘いな小娘」 

 ペッとユヴィに向かって唾を吐いて嫌なものでも見るような目つきでユヴィをチラリと見た門兵は、それ以上ユヴィと目を合わせることなく、取り上げた頭巾を堀の中にポイッと捨ててしまった。

「お前らの行くところは城じゃない。城壁に沿って歩け。一番奥のあばら屋がお前の行くところだ」

 いつもの事とでも言う様な態度の兵士は、城壁の奥を指していた長槍をブンと振ってユヴィの背中に回し、そのまま力任せにユヴィを押した。もう一人の門兵は下卑た笑いを浮かべている。

 押された勢いで前のめりに倒れそうになったユヴィを、がっちりとした大きな手が支えた。ユヴィが支えてくれた手の主を見上げると、顔の半分を赤茶けたひげで覆われた見上げるような大男がいた。

 ひげの大男は、ユヴィの身体を立て直しながら、兵士を睨みつけていた。

「こら若造。娘っ子にこんな酷い仕打ちはなかろうが」

 ユヴィを押した兵士も、もう一人の兵士も一瞬身体を硬くした様だったが、直ぐにひげの大男から視線を逸らすと、元の様に橋に向き直って何も無かったような素振りを見せた。

「炎の民の娘っ子と目を合わせる勇気も無いくせに、自分達の方が勝っているなどと思わぬことだ。お前ら門兵のたちの悪さはワシの耳にも入っとる。炎の民は、大地の王の為に、命を掛けて任務に就いているんだぞ。忘れるんじゃない。今度同じ様な事があれば、目に物見せてくれるわ」

 大きな腕を振り回して叫ぶひげの大男の言葉にも、二人の兵士は振り向かなかったが、お互いにまずい事になったとでも言うように目配せをしていた。

 どうやら、この大男は兵士達に恐れられているようだと、ユヴィは思った。とてつもなく大きな身体と隆々と盛り上がった筋肉は、ヒゲに隠れていない部分の顔のシワとはバランスが悪いと思えて、ユヴィはクスッと笑った。

 ひげの大男は、それ以上は何も言わず、くるりと身体をひるがえして歩き出した。ユヴィは、お礼を言おうと慌ててひげの大男を追いかけた。

「あの、ありがとうございました。私は……ユヴィと言います。あのゥ……」

「ユヴィか、新入りが来るとは聞いとらんの、お前さんは何の用で此処へ来た? まあ、いいわい。取りあえず詰め所にこい」

「詰め所?」

「ああ、さっき門兵が言ってたろう。一番奥のあばら屋ってな」

「あなたは? そのう…」

「ワシか、炎の民が与えられた任務に赴くまでのあいだ、どこかに寝泊りせにゃいかん。ワシはその宿舎の番人ってとこだ。バグって呼んでくれ」

 話をしながら歩いていたユヴィの目に、遠くからも見えていた大地の城が間近に見えていた。

 大きなすり鉢状になった長い長い階段を下ると、その中央に大きな岩を積み重ねて出来上がった硬い外壁に守られた城がある。頑丈そうで大きな岩山を思わせ、何者も寄せ付けない様な堂々とした風格さえ感じられた。

(炎の民の村など、村長の家でもこのお城に比べれば、家畜小屋にもならないわ。ラーダはあのお城の中のどこかに居るのね)

 熱心に城を眺めていたユヴィだったが、辺りの様子が徐々に変わってきていることを肌で感じていた。

 城に向かう大通りを横切って、城壁に沿って大門から離れれば離れるほどに、整備された美しさは失われ、路上にはゴミが増え、立派な石造りの建物は無くなってきていた。城から目を離し、辺りを見たユヴィは、薄汚れた通りを行きかう人々が、町と同じ様に薄汚れて生気が無い様に見えた。

 ユヴィは、ラーダが語っていた大地の城の闇の話を思い出した。

「特権を持っている者だけが与えられる恩恵、腐っているのは城下の下層社会ではなく、城の内部の特権階級の闇に捕らわれた心だと、あの人は言ってた。自分には近付くなと、自分も闇に心を食われていると……でも、ラーダあなたは違うわ。時々、冷たくなる時もあったけど、二人の時はいつも優しかった。ああっ早く会いたい、会ってこの子の事を伝えたいの」

 我知らず、ユヴィの歩みは遅くなり、バグから離れてしまっていた。

「こら!娘っ子、何をブツブツ言っとるか。早く来いっ昼飯にありつけなくなるぞ。腹が減って仕方ないって面してるくせに、いらぬ事に気を取られるな、まずはメシだろうが」

 バグが、大きな声で豪快に笑いながら、こっちだと言う様に手招きしている。

 ユヴィは、バグの笑顔に思わずホッとして、お腹が鳴っている事に気が付いた。

「はい。お腹すいてます」

 ユヴィは、バグの後を早足でついていった。






『バグ……あいつがユヴィの世話をしてくれたのか。奴ならきっとユヴィを助けてくれただろう』

 リクとローショの瞼の裏を、砂が流れ始めた。

『ローショさん。場面が変わりますよ』

『この部屋は? くそっあの男だ。ラーダ……』




 砂が消えたリクとローショの瞼の裏に見えた男は、豪華な造りのかなり広い部屋にある柔らかそうなソファーに深く腰を下ろしていた。

 肩まである黒髪をかき上げ、大きく溜め息をついてから、真っ黒な瞳をグッと細めて自分が座っている所から少し離れたドアの前に立つ、ひげの大男バグを睨みつけていた。

「バグ、自分が誰に何を言ってるのか分かっているのか? それとも、昔のよしみで冗談でも言いに来たか」

 ひげの大男は、ラーダに勝るとも劣らぬ目つきで睨んでいた。

「冗談でもなければ、昔のよしみとも思っておらん。ユヴィを何処へやったと聞いているんだ。お前さんの所に来た事はわかっとる。その後の事が聞きたいのよ。あの子は、お前さんの子を孕んでたはずだ。まさか、厄介払いしたわけじゃあるまいな」

 ラーダは、ソファーの脇に立て掛けてあった長剣をするりと鞘から抜き出すと、バグに向かって突き出した。剣先は、バグからかなりの距離にあったが、ラーダがすっと音も無く立ち上がっって身を翻した瞬間には、鋭い剣先はバグの心臓の位置にピタリと止まっていた。

「バグお前、誰にものを言っている。たかが炎の民の管理役ふぜいが、この諜報室の長に向かって大きな口を叩くな」

 ラーダは、言葉を切ると、剣先をスッと下にずらし、グイッとバグの腹に突きたてた。

「グッ!」

 バグは痛みに顔を歪めながら、ラーダの瞳を覗き込んだ。

 バグの輝き始めた瞳は炎の民が乗っ取りの魔法を使う時のものだった。

「ラーダお前が、話したくないっクッ……てなら…お前の頭の中で探させてもらうまでよ……クッワグフッ」

 ラーダは、乗っ取りの魔法をものともせず、何事もなったかの様に、平然としながら剣を握る手に力を込めた。

「バグ、まさかお前が炎の民だったとはな。お前は誰だっいつその身体を乗っ取った」

 ラーダの問いに答える変わりに、バグの両手がラーダの首に掛かった。ぐっと力を込めてラーダの首を締め上げる。

「ゴェッ」

 ラーダは初めのうちこそジタバタと手足を動かしていたが、だんだん身体から力が抜けていき、バグの腹に突き立ってていた剣からするりと手が離れ、深く突き刺さっていたはずの剣は、豪華に飾り立てた柄の重さに負けて、音を立てて床に落ちた。

 バグは、少し手の力を緩めると、ラーダの様子を窺っていた。

「俺が、炎の民なら、お前は何者なんだ。乗っ取りの魔法が効かぬ相手などお目にかかったことが無い」

 そう言ったバグの手に支えられていた顔がコクンと動いて瞳が開き始めた。

「バ……グ、ユヴィを助けて欲しい。この屋敷の地下牢に閉じ込められている。彼女を助けてく……れ。この悪魔から逃がして、俺の子供と一緒に、頼む」

 バグは、慌てて手を放すと、ラーダの身体を床に横たえた。

「お前は、本物のラーダか。何故? お前の中に居るのは何者なんだ」

「闇っやみの妖精。奴らは人の心に入り込む。入り込めないのは炎の民だけ、だから恐れている。生まれたばかりの俺の子に入り込み、闇の妖精は炎の民を根絶やしにするつもりだ。ユヴィを助けてくれ」

「炎の民といえども、赤子の時には魔法は使えんからか……ああっ助けるさ。その為にきたんだからな。ユヴィの父親には借りがある。何十年も昔に任務に嫌気がさして、この身体を乗っ取って生きてたワシを見逃した上に、ただ一人の友人となってくれた男だ。どんな事をしても救い出すさ。お前と共にな」

 ラーダは小さく首を振った。

「俺の意識は死にかけている。もう直ぐ奴に取って代わられてしまう……ユヴィと子供のために、今……俺を殺せ。俺が俺のままの、この時に殺してくれ!」

 バグの手がブルブルと震えだした。

「小さな時から知ってるお前を、どうして……。諜報兵になって直ぐ、お前は変わってしまった。それが闇の妖精のせいだったなんてっどうにかならんのか。俺にはお前は殺せんよ」

 ラーダは、震えているバグの手に、床に落ちていた剣を握らせた。

 その剣先は、バグの胸から流れ出る血と同じもので赤く染まっている。

「さあ、やらなきゃ駄目なんだよ。今直ぐに……はっやく…」

 言い終わらないうちに、ラーダの瞳は閉じていく。

 再び開いた瞳には、いやらしい悪意が込められていた。

「バグその目に溜まっているのは何だ? この死に掛けの男に対する哀れみの涙か? 人間と言うものは馬鹿な生き物だな。まァ、お前達の悲しみ苦しみ恐怖の感情は、俺達の好物でもあるんだから、馬鹿でいてもらわんとエサがなくなっっグフッ」

 ラーダの首は、バグの片手で締め上げられていた。

 きつく締め上げられ喉を潰されたのか声は出ない。

「もう一度、戻って来い! 泣き虫ラーダ。昔みたいに俺のケツを追いかけて、バグのおっちゃんって呼んでくれや」

 その言葉とは裏腹に、バグのもう片方の手はラーダの胸に剣を突きたてていた。

 バグの大きな身体の下で、ラーダはピクリとも動かなくなった。

「すまんな……」

 ラーダの顔に、ボトボトとバグの流した涙が落ちていた。

 涙で何も見えなくなったバグには、ラーダの耳の穴からするりと出てきた黒い影に気付く事はできなかった。








『ユヴィは、本物のラーダを好きになったんだ。闇の妖精なんかじゃない優しくて勇敢なラーダをすきになったんだ。そうだろローショさん』

『リク殿は、この結末の中で、その部分だけが救いだとでも言いたいのかな……だが、バグは気付いていないが、ラーダの中に入り込んでいた闇の妖精は、逃げ出した』

『何処に行った……誰に入り込むんだろう……くそっ場面が変わっちまう!』




 砂の向こうに見えてきた空は、暗くなり始めていた。森の中の細い道を荷馬車がゆっくりと移動していた。デコボコの細い道は、小さな馬車でも道幅一杯になっていた。幌も何も掛かっていない馬車の荷台には、ユヴィとその手の中に抱かれた生まれたばかりの赤ん坊が眠っていた。

 ユヴィは相当に疲れているのか、ガタガタ揺れて決して快適などでは有り得ない荷台に横たわったまま、ぐっすり眠っている。赤ん坊は、腹が減っているのか小さな口を、盛んにもごもごと動かし始めて、今にも泣き出しそうになっていた。

 その時、馬車がゆっくりと止まった。赤ん坊は、それを合図のように一気に泣き始めた。

「あっユティ、起きたの? お腹すいたのね、今お乳をあげるから……でも、あまり出ないの、ごめんね直ぐお腹減っちゃうね」

 赤ん坊のユティに話し掛けながら、ユヴィは自分の服の前を開いて、ユティに乳を含ませた。その様子を、御者台からチラッと見たバグは、小さく溜め息をついた。

「ユヴィ、とうとう着いた。村に続く森の手前だ。此処からは、お前さんとユティだけで行くんだな」

 ユヴィは、炎の民の村に入る唯一の道がある森と、その向こうに見えている山を取り囲むような岩棚を見つめていた。

「バグ一緒に来て……私だけでは村には入れないわ。村に入る唯一の入り口は、毎日扉を開く呪文が変わるの。今日の呪文を知らなければ、勝手に出入り出来ないのよ。見張り番に入れてもらわなければならない。でも、私は村の人達を裏切る様にして出てきてしまった。入れてもらえないわ」

 バグは額に浮かんでいる汗を服の袖で拭き取ると、腰に下げた巾着をそっと外した。とても大切な物でも扱う様に、大きな掌にその巾着を乗せ、ユヴィに差し出した。

「一緒には行ってやれない。その代わりに、これをやろう。ほれっ」

 バグの差し出した巾着をユヴィは受け取ろうとはしないで、眉を寄せるとバグの大きな手の指をしっかりと握った。

「バグ、意地悪言わないで。あなたなら、炎の民を沢山知っているでしょう。多くの炎の民の世話をしてきたじゃない。皆覚えてるわっあなたなら、村に入って父さんに話が出来る。そうでしょう」

 バグは小さく首を振った。

「いいや。ワシには、無理なんだよ。村に入れと誰が許してくれたとしても、ワシ自身が許さんさっ…ックッ…それに、この身体も許してくれん様だ……」

 そう言ったとたん、バグの体は御者台の上でぐらりと揺れて、地面に向かって落ちていった。

「バグ!!」

 ユヴィは、赤ん坊を荷台に残して、バグの元に降りていった。

「どうしたのっねェバグ?」

 バグの横たわった体を大回りするのももどかしそうに、ユヴィはバグの足を跨いで顔が見えるところに移動した。顔を見てから、全身に目を移すと、腹の辺りを中心に、どす黒い汚れが広がっていて、その汚れの上に真っ赤な血が滲み出していた。ユヴィは、慌ててバグの服を脱がしに掛かるが、大きな身体を上手く動かす事が出来ない。ユヴィは、バグの腰に差してある小刀を抜き取ると、バグの衣服を切り始めた。切った衣服の下から出てきた傷は、何の手当てもされておらず、突き刺された傷口が膿んでいて発熱し、腫れあがっている。

「バグ……嘘を、嘘を言ったのね。傷の手当てはしたって言ったわ! 私達二人を早く逃がす為に? どうしてよ。そんな事して助かっても嬉しくない。バグがいなくちゃ、どうすればいいの!」

 ユヴィは、自分の着ている物を脱ぎ始め、脱いだものの中で一番清潔に思えるブラウスを引きちぎった。

「助けるわ。今度は私が、バグを助ける」

 傷口に布切れをあてがったユヴィの手を、バグが握った。

「お前さんには言ったはずだ。ワシはラーダを殺したんだ。本物のラーダを見捨てた。だから、ワシを助けるなんぞ、お前さんにゃァ必要ないことッゴホッ…グフッ」

 ユヴィの大きく開かれた瞳から涙が零れた。

「あの地下牢に閉じ込められてから一度だけ、あの人は現れた。その時、あの人は言ったわ、逃げろって、自分はもう二度と戻れないだろうって、戻れるとしたら死ぬ時だけだって、だから、バグのした事は間違ってない。あの人も感謝してるわ、きっと……」

 バグは、ユヴィの手に、もう一度巾着を握らせようとする。

「そう思ってくれるなら、ありがたいわ。ゴホッ…じゃあ、これを受け取ってくれ。ほれ、開けてみろ」

 巾着を受け取ったユヴィは、巾着の紐を緩めて中のものを取り出した。出てきたのは、ユヴィの肘から指先ほどの大きさの銀色の鳥の羽だった。

「これは?」

「大地の領域の北の端にある[白い山]知っとるか? そこにしかいない雪鷲の羽だ。街に来ていた呪術師の婆さんから買ったのよ、高かったなァ。ハァハァ……どんな風にも負けずに空を飛べる羽だそうだ。一度だけ試してみたからハァッ大丈夫、このワシでも飛べたんだ。ハァッハァしっかり握って、行きたい場所を念じろ」

 ユヴィの顔が、パッと明るくなった。

「じゃあ、バグも一緒に飛べば良い。村に入って父さんに治療してもらえれば、きっと助かる」

 ユヴィの話を聞かず、バグは固まったまま動こうとしなかったが、クッと眉を寄せた。

「ユヴィ。ユティを連れてくるだ、速くッハァハァ」

 ただならぬバグの声音に、ユヴィは素早くユティをその腕に抱えて戻ってきた。バグが、自分の横に跪いたユヴィの頬に手を添えた。

「もうグズグズしていられない。ワシの血の匂いに、日暮れに起き出したばかりのッハァ狼達が気付いたらしい。速く行け! 飛ぶんだっ岩棚も飛び越えてしまえ。さあ、お行き、娘っ子。その子を守りたいなら、速く行くんだ。ハァアッハァさあ」

 もう、ほんの直ぐそこまで、狼達が近付いているのがユヴィにも分かった。下草を踏む多くの獣の足音が聞こえた。吼え声も聞こえたし、獲物の匂いに興奮する息遣いまで聞こえてきそうだった

 両の手でユティをしっかりと抱き、左手に雪鷲の羽根を握った。

「ごめんなさいっバグ。ごめんなさい」

「いいんだよユヴィ……ハァハァッワシは行きたくないんだ。その羽は、ワシの我儘な夢だった。帰ってはいけないのに。ゴフッゲホッ…ハァハァハァうっ裏切り者はワシさ、お前さんじゃない。さあっ行け!」

 バグは、力強くポンとユヴィを突き放した。ユヴィは、ふわりと浮き上がり、風にでも乗るように流されていく。

「バグ……何処に帰りたかったの……ねェ! どう言うことっっ裏切り者って何!」

 ユヴィとユティを運ぶ風は、思いのほか速く、遠くなるバグの姿は、暗くてハッキリと見ることは出来なかったが、狼達の吼え声はハッキリと聞こえていた。

 ユヴィの涙が、夜空にパラパラと散っていった。

「バグ……は、炎の民?……」

 ユヴィたちは、どんどん流れて、もと来た道を戻っている様だった。

「いけない。炎の山まで飛んで! お願い」

 ユヴィは、雪鷲の羽根をきつく握り締めた。









 リクとローショの瞼の裏に流れ始めた砂は、音も無く途切れ消えた。新たな場面を映すことなく、日の光に透けた瞼は、風に揺れる木々の影がチラチラと流れて明るかった。

 ローショが目を開けると、自分の手を握ったまま顔を覗き込んでいるリクの姿が見えた。

「ローショさん。大丈夫……」

「リク殿……気を使わせてしまった様だな」

「何の事だ?」

「これから見る場面に、私が耐えられぬと思ったのだろう。ユヴィの死を見せたくなかった。そんなところだろう」

「ここからは、俺が見てる。わざわざローショさんに見せる必要ないっしょ」

 リクは、ローショの手を放して、眩しい日差しに手をかざす。

「それに、ユティがさっき話してくれたじゃん。ユティを見つけてくれたのはディア。彼女は、ローショさん、いや、ユテを追って竜神の山に入ったけど、間に合わなかった。目覚めた竜神の前に倒れている亡骸になったユテを抱えていく晩も泣いていた。泣き明かした後、魂の抜けた様になって村に下りる時に、ユヴィの亡骸と死に掛けていたユティに出会った。赤ちゃんの肌着には、ユテの孫ユティと血文字が書かれていた。愛しい人の孫を育てる事が、彼女に生きる力を与えたのは間違いないみたいだ。今も元気に竜神に付き添ってるんじゃねーか」

 その時、ローショの手が、そっとリクの腕に触ったと思うと、ローショが小さな声で囁いた。

「リク殿、誰かいる」

 隠れている誰かに、今の話を聞かれていたとしたら、二人の間に一瞬緊張が走った。

「リク殿、私の不注意でした。誰かに見られてもおかしくない場所だと気付くべきでした」

 囁き声で話し掛けているローショの肩に、ドサッと何かが落ちてきた。

「ホント! 無用心なんだから。僕が見張っててあげたんだよ。だから大丈夫、誰も近付いて来なかったよ」

「フーミィじゃないか!」

 ローショの肩の上で、フーミィがニコニコと笑っている。

「ヒルートが、様子を見てきてって言ったんだよ。馬鹿が一人いるから心配だって言ってた」

 リクの眉がピクリと跳ね上がった。

「馬鹿ってのは、俺のことじゃねーよなァ」

 フーミィはローショの首の後ろに隠れてしまった。

 リクがローショの後ろに回りこんで、フーミィを捕まえようとした瞬間。

「その生き物は何!」

 大きな声がして振り返ると、そこには白い衣をまい顔を薄布で隠した女性が立っていた。

 女性は、ゆっくりとリクとローショのいる所に近寄ってくる。

「その生き物は、この周辺には生息していない魔法の生き物。あなた達が連れて入ったのですか? ここは竜神の村。竜以外の魔法の生き物は認められませんね」

 そう言ったのを聞き終るか終わらないうちに、フーミィは木をつたって逃げてしまった。

 リクが、お手上げとでも言う様に、両手を広げた。

「珍しいから捕まえようとしてたのに、あんたが大きな声出すから逃げられたじゃねーか」

 リクは、薄布で隠れた顔を睨みつけた。




























 ラーダの身体から逃げた闇の妖精は何処に行ったのでしょうか?

 フーミィを目撃したのは……?


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