[44] 竜神の巫女
炎の民の村、竜神と巫女の暮らす洞窟。
ローショが前世で60年前まで暮らしていた村には、どんな事が待っているのか……
大きな洞窟の中は、所々に赤い炎がゆらゆらと燃えていて、中の様子を照らし出していた。その炎は、壁面にあるわけではなく、宙に浮いてゆっくりと移動している。移動する炎とともに、大きな影が壁を這うように移動していた。影がぐいっと鎌首をもたげた。
影の本体は、大きな赤竜、炎の竜だ。
『竜が近付いている、4体。……この波動は?……私も焼きが回ったかな。いるはずもない者の波動を感じるとは……』
大きな炎の竜の前に白い衣裳に身を包んだ小柄な女が座っている。女は、炎の竜の言葉に、不思議そうな表情を見せた。
『いるはずのない者とは……』
『遠い昔に、ここを訪れた竜族の女王。名をルビーアイと言ったかな。あの時は、想い人を得て人間の姿で現れおった。気の強い女王で、こんな暮らしを強いられている私を哀れむどころか、自分が手助けするから戦えと煽りおった。だが、その数年後に行方が分からなくなってしまったわ。あやつがおれば、竜族と竜人とのいざこざ等起こらなかっただろうに……』
何かを諦めたような炎の竜の瞳には、ほんの少しの悲しみと深い絶望が見て取れた。
『竜神様。どのような者達が近付いているのか、私が見てまいりましょう。もしや、その行き方知れずの竜族の女王かもしれません……』
炎の竜の赤い瞳が、切なげに揺れた。
『私は、大地の王によって造られた、この忌まわしい牢獄の魔法の力で生き延びておるが、どんなに長寿といわれる竜とて、それほど長生きは出来ぬ。私の勘違い……気にせずとも良い』
女は、頷くと立ち上がった。
『では、様子を窺うだけでも……民からの貢物を取りに行くついでに、外の土産話も持ってまいりましょう』
『ディア、可愛い娘。私の暇つぶしを用意してくれるのか。楽しみに待っていよう』
女の名はディア、年の頃は30前後に見える彼女は炎の竜の巫女である。長い年月を、この洞窟で囚われの身となっている竜神と共に暮らしてきた。ディアは、ニッコリと笑うと、洞窟の小さな出入り口を出て行った。
炎の竜は、ディアの後姿が消えた出入り口を、ただじっと見つめていた。瞬きをしない、その瞳には何故か悲しみと苦悩が浮かんでいた。
『ディア……可愛い娘。別れの時は近付いている……失われし竜人は戻ってきた』
ユティの心は、少年のように浮き立っていた。竜族の再建目指す若き竜人シルバースノーを、村に案内して来れた事が、とても誇らしく、嬉しかった。竜族は昔、炎の民とは友人であったと、古い書物では読んだいたが、現実に竜族が再建し、また友好関係が戻るとするなら、こんな喜ばしい事は無いだろう。
岩棚の前に着き、今夜の村への入り口付近まで来ると、ユティは唇に小指をあてがい呪文を唱えた。これは、とても簡単な呪文だが、毎日変えられているため、呪文を知らなければ、入り口の扉を呼び寄せる事は出来ない。
今夜の扉を呼び寄せる呪文を唱える自分の声が、心なしか弾んでいるとユティは思った。ユティの目の前の岩棚がキラリとひかり、そのひかりは移動して大きな四角い切れ目を描く。ユティは、スッと手を伸ばすと、その岩の切れ目を軽く押す、すると切れ目の内側の岩が跡形も無く消えて無きなり、ぽっかりと開いた穴は、大人二人が並んで通れるほどで、穴の向こうには、長いトンネルが見えた。
ユティの横で、様子を窺っていたリクが、大きな溜め息をついた。
「はァ〜。すっげェ〜魔法かァあんな大きな石のドア、どうやって開けんのかと思ったぜ。ユティさん、あんたも魔術師なわけ?」
ユティは、リクを怪訝な表情で見る。
「炎の民には魔術師はいない。魔法の力は持っているが、魔術師になどなれないんだ。知らないのかい。ここで生まれて、ここで死ぬ。村を出るのは任務の時だけだ。他人に乗り移って生きる魔法の力など、忌み嫌われるだけ、何所の世界も俺達を受け入れはしない」
ユティは、悲しげな顔をリクに向けた。
リクは、頭をポリポリと掻いた。
「ごめん、何もしらなくってさ。嫌な事言わせちまって……」
「いや構わないさ。君はこの領域の人間じゃないんだろ? 話し方が変わってる。と言っても、俺なんか外の人間なんて、話すのも、近くで見るのも君達が初めてなんだけどね」
ユティは、恥ずかしそうに微笑み、そのままシルバースノーへ視線を移した。
「さあ、入り口です。ここを抜ければ村の中です。付いて来て下さい」
シルバースノーを竜族の若き指導者と思い込んでいるユティは、シルバースノーに会釈すると、案内しながら前を歩いて入り口へ進んでいった。
リクがフッと溜め息を漏らし、小さな声で言った。
「あの人、いい人じゃん。なんか嘘を信じ込ませんの可哀想じゃねーか?」
レインも頷いている。
「そうよね……いい人なのに。竜人のローショに会えて、凄く嬉しそうだったものね」
タカが、二人の後ろから追い越して行った。
「仕方が無いんだよ。知らないほうが良い事もあるだろ。彼は自分の知っている事を自分の仲間に黙っていられるような人間じゃないだろ。仲間の未来を左右する事を、握りつぶしたりは出来ない。俺達がどんなに頼んだとしてもな。なら、知らない方が彼にとってもいいんだよ」
入り口を入ってしまったタカの後姿に、リクがそっと聞こえないほどの小さな声で言った。
「でもな兄ちゃん、知らなきゃなんない事もあるんだよ……」
前に進もうとしていたレインが振り向いた。
「えっなに? 何か言ったリク」
「あっうんん。何にも」
リクは、ニッコリ笑った。
「そう……さあ行きましょう」
レインは、リクの手を引っ張って歩き出した。
トンネルを抜けて村に入ったユティと、見知らぬ一行を最初に見つけたのは、ユティとは見張りの相棒で先程まで一緒に見張りについていたランガだった。ランガは、朝の見張りの交代前に、サボった事をばらされない様にユティと合流するつもりだったらしい。
見慣れぬ一行を不振そうな目で見ていたランガだったが、ユティの説明と、シルバースノーの銀翼を目にすると、大きな声で「竜人が来た!」と叫びながら、村長の住まいに走って行き、村長だけでなく、炎の民を全て起こして戻ってきたのではないかと思うほどに、大人数を連れてユティ達の前に戻ってきた。
「おい、ユティそいつ等が、本当に竜族の新しい指導者の一行だと証明できるのか。よそ者を村に入れるには、まず長と長老達に許可をねがわなくちゃならない位は知ってるだろ」
ユティは、ランガをキッと睨みつけてから、茶褐色の長いひげを蓄えた老人に向かって頭を下げた。
老人は、昇ってきつつある太陽の光にキラキラと輝くシルバースノーの銀翼を、目を細めて見つめ、ゆっくりとユティの前まで進み出た。
「銀翼のご婦人。私が炎の民の長、ガザでございます。あなた様のご身分をお教え下さらんか。この村は、他の者をあまり歓迎しませんでな。あなた様が、私等の古くからの友人ならば、問題はないのじゃが……」
炎の民の長であるガザは、笑うでもなく、威圧的なわけでもなく、ただ淡々とした口調で話し、シルバースノーを見つめている。
シルバースノーが、ガザの直ぐ前まで行って、軽く腰をおとして挨拶の礼をする。
「炎の民の長、賢き長老ガザ。私の名はシルバースノー。神の竜であり、新たなる竜族の再建を目指し旅をしております。この度は、古くからの友人である炎の民にもご助力願いたく、訪問させて頂きました。何分、今はまだ公に名乗りを挙げておりませんゆえ、この様な早朝にお騒がせする事になってしまい、申しわけありません」
ガザは、ゆっくりと頷くと、フオっと笑い声を上げた。
「これはこれは、隠密裏に事を運ばれたかったのですな。それを我が孫ランガが騒ぎ立ててしまったと言う事か。こちらこそ、申し訳なかったと言うところですな」
シルバースノーの後ろから、一礼をしてローショが進み出た。
「炎の民の長ガザ様。我らが女王がご助力を願いましたのは、少しの間、こちらに宿を取らせて頂ければと思ってのことでございます。長旅で、皆疲れ切っております。どうか願いを聞き届けていただけないでしょうか」
もう一度、頭を下げるローショをガザは一心に見つめている。
「若者よ……おぬし、……いや何でもないわ。歳を取ると誰に会っても何処かで出会った気がするものじゃな。さあ、新たなる竜族の女王に休息の場を用意するとしよう」
ガザの言葉に、後ろに控えていた長老陣の中では若く見える男が顔を上げた。
「長! まだ、この者達が真の竜族であると決まったわけではありますまい。村に滞在させる事は、危険な事もありましょう」
ガザは、口に笑みを浮かべながら、きつい眼差しをその男に向けた。
「このご婦人が竜人であることに変わりはなかろう。それだけでも、炎の竜を神と崇める我らの友人である事に間違いはない。真の竜族ならば、それは喜ばしい事。そうでなければ何事も無く立ち去ってもらえば良い。他に何も無かろう。さあ、用意をせんか」
ガザを見ていたローショは、何故か目を細め、微笑んでいた。
「長ガザ。ありがとうございます。ご好意に感謝いたします。我らが女王は、紛れもなく真の竜族の女王となられるお方。それは、決して嘘偽りなどではございません。いずれ近い将来、炎の民にも朗報が届く事をお約束いたしましょう」
ローショは、シルバースノーの後ろに下がった。シルバースノーは、静かに微笑み長と長老達を見つめた。先程、反対の意見を言った長老が、前に出てきた。
「そこまでおっしゃるなら、滞在を受け入れよう。ですが、長よ。何かが起これば、あなたにその責めを負っていただく。良いですかな」
またしても、ガザはフオッと笑った。
「ゴルザ、それは誰の意見かの? そうよのう、長老衆みなの意見と聞けば良いのかのう」
長老達の中からザワザワと声が上がり、長に近い場所に立っていた一人が声を上げた。
「我らは、長を信頼しております。勇者ユテの教えを受け、伝えられる長は、ガザ様お一人しかおられない。今この混沌の時代に、民を導いて下さるのは、ガザ様のみ」
ゴルザと一部の長老が、キッと睨んだが、ガザがゴルザの肩を叩きながら宥めるように微笑むと、何も言うことなく押し黙った。
フオッフオッと笑いながら、ガザは苦虫を噛み潰したような顔のゴルザを従えて歩き出した。
「では、お客人、ごゆっくりなされよ。マーダン後は頼んだぞ」
「かしこまりました」
ガザを讃える言葉を口にしたマーダンと呼ばれた長老は、てきぱきと指示を出し、竜族の女王をもてなす準備をさせ始めた。マーダンによって一行は、村の奥に導かれていった。
リクが、ローショの横に来た。
「ここの人達、何かもめてる感じだねェ。あのゴルザって人、長の座を狙ってる系だね。でも、ガザの方が一枚上手だ」
楽しそうに言うリクを、ローショはチラリと見て、フッと笑う。
「リク殿は、あのガザをどう思う?」
「ん? どうって、結構食えないジジイって感じかな。でも、心は真っ直ぐだって感じるね」
ローショが、また笑って小さな声で囁いた。
「その通り。ガザは幼い頃から戦略家だった。食えない子供だったよ。でも、正しい心を持っていた。いつか、炎の民を苦しい現状から救うのは自分だと夢見ていた。憎たらしいが、可愛い子だった」
リクがにやりと笑って囁く。
「勇者ユテは、ガザを可愛がっていたようですねェ」
ローショもにやりと笑う。
「やはり、私がユテだと分かっていましたか。リク殿には敵わない。何処まで分かっている事か……でも、教えてはくれないと言う事か」
「当たり。でも、一つだけ言っておく。まだこれから懐かしい人に出会うよ。覚悟をしといた方がいい」
それだけ言うとリクはレインの横に戻っていった。
ローショの頭には、覚悟を決めなくてはならない相手と言うリクの言葉が、何度も何度も繰り返し響いていた。
ディアは、竜神の洞窟から縦に伸びる穴を、魔法で一気に上っていた。
『一日に一度、この時がとても待ち遠しい。外に出られる一時が、あの人と暮らした世界に戻れる一時が、とても恋しい』
縦穴から続く横穴は、外界へと繋がっている。
朝日が穴の出口から優しく差し込んでいる。
「まぶしい……」
ディアは、光に目をやられないように、頭の上の薄布を顔の前に垂らして外に出た。洞窟への入り口には、炎の民からの貢物が積まれている。多くは、食料だが、女性が必要とする身の回りの品、口紅や肌の手入れをするための物まで置かれる事もあった。後で洞窟に持って入らねばならないが、今は村の中で起こっているであろう事柄が気になる。
目を細めて下のほうを窺った。洞窟の出入り口は、炎の民の村が見下ろせる山裾の小高いところに位置していた。
「どんな竜がやってきたのかしら……」
ディアの視力は、竜神に与えられた魔法の力によってかなり遠くまでハッキリと見ることが出来る。
ディアの目は、村長のガザと挨拶を交わしているらしいシルバースノーを素早く捕らえた。
「竜人ではないか。竜でも珍しいと言うのに、竜人の雌とは……っ、な……に」
言葉を切ったまま、動かなくなったディアは、ローショを見つめていた。
「失われし竜人か。雄の竜人……翼を隠して村の者は騙せても、私には解る。とうとうやって来た、私の運命の時が……」
ローショを食い入るように見つめるディアの薄桃色の瞳は、恐怖と希望が複雑に絡まりあっていた。
ローショを見つめるディアの言った、運命の時とは、いったい……