[42] 賢いユティ
夜空を行く一行の中、リクは自分の疑問に答えてもらおうと、大声を張り上げた。が……
レインの使った呪文は、その効果をしっかりと発揮し、月を隠しながらもゆっくりと流れ、夜空を行く大きな影と小さな影二つを上手く隠していた。
下の台地から見上げても、その影をとらえるのは困難だろう。
雲の流れに合わせる様に、ブルーリーとローショとシルバースノーはゆっくりと羽ばたいているため、大きな声を上げれば、会話は可能だったが、あえて大声を張り上げようとする者はいなかった。
リクを除いては、と言うことになるが。
「レン! この座席ってさ、ヒルートが寝ちゃうと消えるなんてこと無いよな! 俺っ結構気になってっブフッ」
リクの横の席に座っていたレインが、リクの口を押さえた。
後ろの席からは、タカがリクの頭を殴った。
ブルーリーの背には、ヒルートによってその背にピッタリと合う様に座席が取り付けられていて、緑の魔術で作られた座席は、木の蔦が絡まりあって出来ている。
籐製に見えるがすわり心地はかなり柔らかく、身体を包み込むようになっていて安定性も高く、腹部は蔦のベルトで固定できるようになっていた。
ブルーリーの翼の少し後ろに、リク、レイン、タカとフーミィ、スカイが乗る4人掛けのものがあり、翼と首の付け根の丁度中程にヒルートとフィーナが乗っている二人掛けのものが取り付けてあった。
レインが、リクの口を押さえたまま、首を横に振って、リクの眼をジーと見つめる。
リクもつられて、レインの眼をじっと見つめ返した。
「ムグっ?」
リクの頭に、レインの声が響いた。
『大きな声を出さないでリク。あなたの魔法の力をほんの少し使えば、声に出さなくても話しができるのよ。ブルーリーと話す時みたいな要領よ。できる?』
レインの声に、リクはウンウンと首を縦に振った。
レインがリクの口から手を離すと、ニッコリ笑った。
リクは、ふーっと息をついてから、眉を寄せた。
『初めに教えといてくれてもいいじゃん。俺も兄ちゃんも魔法の事なんて何も知らねーんだからさ』
『まァ本当ね。ごめんなさい気が付かなくて』
リクがニッコリ笑って首を振ると、後ろからもう一度タカに殴られた。
『気付いてないのはお前だけだ。一緒にするな』
「いってェ〜。そうやって殴るから、俺の頭は切れが悪いんじゃねーかと最近思うんだよなァ」
リクの言葉は、横に座っているレインにはかろうじて届いていた。クスリっと笑ったレインは、リクの頭を軽く撫でた。
『レンありがとう。優しいのはレンだけだぜェ〜って、聞かなくちゃなんない事、忘れるトコだ。なァヒルート、お前が寝ちゃっても、この魔術って解けねーのか。俺ッテ繊細ニ出来てるから気になっちまうのよ』
ヒルートは、真っ直ぐ前を見つめたまま、首を振っているようだ。
『どこが繊細なのだ笑わせるな。だが、説明だけはしておいてやろう。この呪文は[種の呪文]と言って、緑の魔術の中でも高度な魔術なのだ。種に直接呪文を掛け、自分はこんな形に成長すると思い込ませる。種は、呪文を掛けた魔術師の思いの通りの形に瞬く間に成長する。それに、呪文を逆行させると、元の種に戻るぞ。リク、やってみてもいいぞ?』
『ばか! ヤメロ落ちたらどーすんだよ』
ヒルートの肩が小刻みに揺れている。
『クックック。本気にしたか。まだまだ子供なのだなァ』
『子供って言うな! 子供じゃねーから』
身を乗り出すように立ち上がりかけたリクの肩に、そっと近付いてきたローショが手を置いた。
『リク殿、もう少しで炎の民の暮らす岩棚の村に着く。降りるのはその時まで待ってくれないかな。慌てると危ない……クック』
ヒルートだけでなく、ローショにまでからかわれて、リクの顔はプッとふくれっ面になった。
『あ〜そう。降りる時は言ってくれ。飛び降りてやる』
ローショが、ポンポンとリクの肩を叩いた。
それを見ていたタカがローショに話しかける。
『ローショさん、炎の民が住んでるのは岩棚なんですか? 炎の竜が捕らえられている山のふもとと聞いたと思いましたが…』
『山のふもとです。ただ、山の周辺に岩棚が聳え立っている、と言うか岩棚を作り上げているのです。山と周りを取り囲む岩棚のわずかな間に村がある。そして、村への入り口はたった一つ。その入り口は日々その場所を変えている、はずです。私が村で過ごしていた時まではそうだった。と言う事ですが』
タカが座席の背もたれに頭を乗せて夜空を見上げた。考える時のタカのいつものポーズだ。
二人の会話に割り込むように、ヒルートの声が響いた。
『ローショがいた頃とさほど変わりはないだろう。炎の民は、よそ者をきらい村に入れたがらない。まァ他の大地の民族も炎の民の村、炎の竜の山は呪われていると信じているから、誰も近寄ろうなどと考えることも無かろうがな。ローショがいたのが60年前だとしても、そう変わる事はなかろうな』
ローショが同意する様に頷いた。
『昔と今が、あまり変わりが無いとすれば、炎の民は竜族を村に招きいれる筈です。竜族の内乱が起きる前までは、炎の民と竜族は親密な関係でしたから、今は存在しないと思われている竜族の王家の末裔が現れれば、村の長老が会わないはずはありません。その方法以外に村に入るのは困難だと思います』
リクが片眉を上げて首を傾げた。
『友好的に入れて貰えるんなら簡単じゃん。なんでレンに月を隠せっていったのよ。堂々といきゃいいじゃん』
ローショが首を振った。
『いいえ、隠れたのは炎の民からではない。他の大地の民から隠れたのです。我々が大地の領域に侵入した事同様、炎の民の村に入る事も知られてはいけない。……さァ近付いて来ました。リク殿は私が降ろしましょう』
言うが早いか、ローショはリクの片方の脇の下に腕を入れると、軽々と持ち上げ抱え込み、もう片方の腕に考え込んでいたタカを抱えた。
フーミィが慌ててタカにしがみ付こうとすると、ヒルートの声がした。
『フーミィ、お前は後からだ。私の所へおいで』
一瞬だけ名残惜しそうにタカを見たフーミィだったが、ヒルートの声に有無を言わさぬものを感じて、跳ねるようにしてヒルートの背中に飛びついた。
タカは、フーミィがヒルートの元にたどり着くまで、心配そうに見つめていたが、ローショが降下し始めたため、ギュッとローショの肩と腕を掴むと前を向き、身体のバランスを取る事に集中した。
ローショにしっかりと抱えられ、リクはウヒョッと声を上げ、楽しそうに地面を見下ろした。その手も足も大きく広げ、まるで遊園地の乗り物にでも乗っているが如くにはしゃいでいる。
『うわっ急降下じゃん。おっもしれェ〜バンジ〜! って感じだ』
その時、はしゃいでいたリクは、何を思ったのか、その視線を上に向けた。ブルーリーの影から、シルバースノーがレンとスカイを抱えて降りてくるのが見える。
『シルバースノーも二人抱えてるわ! やっぱスカイは尻に敷かれるぜ。決まりだな』
大きな影から、二つの小さな影が降り立ったのを、誰も見る者はいなかった。
その時は、完全に雲が月を覆い隠していたのだから。
今夜は、月が輝いていると思っていたのに、何処からとも無く現れた雲に隠されてしまった。
先程までは、雲に隠れていてもぼんやりとほの暗い明かりが薄っすら見えていた月が、今はすっかり雲に隠されてしまい、森の中は暗幕でも降りたような暗い闇になっていた。
これでは、晴れると思っていた明日の天候もハッキリとしない。
「明日は、天気が崩れるな」
頭巾を被り、頭をすっぽりと隠している青年が、囁くように隣の青年に話しかけた。木の陰に、二人の青年が身を隠すようにしゃがんでいた。話しかけられた青年の方は、無言で口の前に人差し指を持っていき、眉をしかめた。頭巾の青年が、フンッと鼻を鳴らした。
「見張りったって、そんなに気を使うこと無いんじゃないか。誰もこの村境には入って来ない。まっ俺がいるんだから、誰か来たって村には簡単には侵入させないけどな。お前は、誰か来たら困るんだろうけどな。頭は回るが、腕っ節はさっぱりだもんな。賢いユティ様、ッケ」
頭巾の青年は、馬鹿にするように傍らの青年の頭を小突いた。それでも、ユティと呼ばれた青年はしかめた眉をそのままに、辺りに気を配っているようだ。知らぬ顔をされて、頭巾の青年は憤慨したように立ち上がると、ぺっと唾を吐いて歩き出した。その行動は、月の隠れた暗い森の中では、人間の目には分からなかったろう。その後ろ姿をチラリと見ると、ユティは小さく溜め息をついた。見張り番を放り出し去っていった見張り組の相方の言っていた通り、ユティは武術はからっきしだった。その事を思うと、相方の言っていた様に、今夜も誰も村境を越えようとしないことを祈った。自分一人では、誰にも太刀打ちできないのは分かっている。村境を超えようとする者がいれば、いち早く察知し、警笛を鳴らせる準備を怠らないようにしようと、真面目で気の小さなユティは今一度、辺りの様子を窺い始めた。
じっと動くことなく、小さな音さえ聞き逃すまいと神経を張り詰めているユティの耳に、明らかにこの辺りには生息していない、大きな鳥を思わせるバサッと言う羽ばたきの音が聞こえてきた。それは直ぐ後ろの木の上から聞こえてきて、慌てて上を向いて音の正体を確認しようとしたユティは、黒い影が自分にかぶさって来るのを見た。何なのか分からぬまま、何者か知れない相手に拘束される前に、どうにか首に掛けていた警笛を掴むと口に運び、大きく息を吸い込んで一気に吐き出した。
だが、何の音も鳴らない。ユティは、鳴るはずの警笛を口に咥えたまま呆然となった。
(何故鳴らない。こいつは何だ。俺はどうなる。殺されるのか、喰われるのか。誰か誰かだれか……)
ユティはあまりの恐怖に、気を失いかけていた。しっかりとユティを捕らえている相手は、華奢なユティの身体よりも、ひとまわり以上大きく、身体を包み込む大きなマントの様なものは、よく見るとコウモリの羽によく似ている。
ローショは、自分が捕らえた青年が、意識を手離そうとしているのに気付いた。
「おいっ気を失っている場合ではないだろうが。しっかりしろ。おいっ」
大きな手で、ローショはユティの頬をたたいた。ユティは遠のく意識の中で、低く太い声を聞いた。
その声にはっとして、ユティは自分の置かれている状況を思い出した。
「ななななななっ何者、ものだ……」
やっと出た言葉は、とても小さく消え入りそうだった。ローショが、ユティの身体をくるりと回転させて、自分の方に向かせる。
「おい、怖がらなくてもいい。傷つけたりはしないから、安心しろ。お前は炎の民の村の者だな。今夜の見張りは、先程の男とお前だけか?」
怖がらなくてもいいと言われて、直ぐに安心など出来ないユティだったが、相手が人間なのが分かっただけでも、それまでの恐怖感は少し薄れていた。
「みっ見張りは大勢いる。直ぐにみッ見つけられるぞ」
ローショはフッと笑った。その時、月を隠していた雲が、スーッと消えてしまい、月明かりが、ローショの背中の翼をはっきりと浮かび上がらせる。ひゅっとユティの喉が鳴った。
「つばさ……りゅうの竜の翼……」
ユティの表情が揺れた。今までの強張った顔が、何とも言えない何かに焦がれる様な表情に変わっていく。
「りゅうびと……あなたは失われた竜人なんですね。ああっ伝説は正しかったんだ。今それが証明された」
「伝説? お前、何を言っている」
「伝説。炎の民に伝わる秘密の伝説。俺が見つけたんだ、炎の竜神を解き放つ伝説を。村に行きましょう長老に話さねばなりません。さあ」
前を向いたユティの目の前に、銀の翼を輝かせたシルバースノーが立っていた。
「もう一人竜人がいるんだけど」
ニッコリ笑ったシルバースノーをユティは食い入るように見つめた。
「何故だ。まさか女の竜人が一緒だなんて……伝説はどうなる。炎の竜神の夫になる者に他の女は必要ない。いやッいてはいけない!」
ユティの手が震えながら腰に差してあった短剣に伸びて柄を握る。
「いてはいけない……」
短剣を引き抜き、ユティはシルバースノーに向かって走り出した。その瞬間、ユティの短剣は何かに弾き飛ばされて森の奥へと飛んでいってしまった。勢いを余したユティの身体は前のめりに倒れ、木の根に顔面をぶつけた。くらくらする頭を振ると辺りに血が飛び散った。ユティの肩に誰かがそっと触った。
触られた肩から、優しさが伝わってきて、ユティの中の恐怖や怒りを鎮めていく。
「あんたさ、死にたくなかったらスカイに謝った方がいいんじゃネーカ? ほらスカイの顔見てみろって、あれが鬼の形相ってやつじゃねーの」
少しの間、ユティの心を癒したリクは、
「このくらいかっ。もう大丈夫なんじゃね?」
と微笑むとユティの肩から手を放した。リクを、見上げてユティは怪訝な表情になった。
「にんげんのこども……」
リクが口だけ二カッと笑って前方のスカイを指差した。
「子供って言うな。それに、あっちも人間だぜ。早く謝っちまった方がいいんじゃねーかタコ野郎」
リクが指さした方に視線を移したユティの目に、竜人の女の前で、怒りに顔を強張らせ、真っ直ぐに自分に大振りの剣を構える男の姿が映った。スカイが、ユティの直ぐ前に進み出て、顔に剣を近づけた。
「私のスノーに刃を向けるとは、事と次第によっては命はないぞ。訳を聞かせてもらおう」
スカイは、ビュッと音を立てて険を振り上げた。スカイの質問に答える間もなく、ユティはそのまま気を失った。リクが、ユティの横にかがみ込む。
「バッカじゃねーのスカイ。気ィ失わせてどーすんの。腹が立つのは分かるけど、冷静になんなよ。まったく子供なんだからなスカイは!」
スカイが顔を歪ませる。
「お前に言われたくは無い!!」
気弱なユティが、シルバースノーを倒そうとまでした炎の民の秘密の伝説とはなんなのでしょうか……