[38] 自分自身の予言
タカとフーミィから逃げるように走り出して、気付くとリクは、森の中にかなり深く入り込んできていた。何も考えず、ただ走り続けて此処にいた。いや、考えすぎていたかもしれない、考えすぎて混乱していた。そんなに疲れるほどの距離でもないのに、リクの足はガクガクと鳴っていた。
「予言が見える瞳なんか、貰わなきゃよかった……」
そう言いながら、リクはその場にへたり込み、荒くなった息を吐く。
大きく息を吐くと、グッと下唇を噛締め顎を引いたため、リクの茶色の瞳は上目遣いになり真っ直ぐ前を睨みつけるようになっていた。そうしていないと、弱い自分に負けてしまいそうだった。
トワィシィから[時読み]を譲り受けてから、大地の城の予言を見ていたが、その後はフラッシュバックの様な一瞬だけの予言を、何度も見るようになっていた。自分自身に対する予言であり、回数を重ねるほどに、その内容ははっきりとしてきていた。
偽の母だと気付かずに、母を求めた事よりも、自分に関する予言が、リクを苦しめていた。予言の内容は、兄には悟らせてはいけないと気を張っていた分、母の姿を目の当たりにすると、緊張が一気に緩んでしまった。リクの茶色い丸い瞳には、大きな涙の粒が盛り上がって今にも零れ落ちそうになっている。
リクの後ろから、レインがやっと追いついて息を弾ませている。
「ハァハァ……リク? 大丈夫?」
リクは、ピクッと動いただけで、振り向こうとはしなかった。今にも零れ落ちそうな涙を、レインには見られたくなかった、男としての意地みたいなものが、誰かにすがりたい気持ちを抑えさせていた。
レインは、リクの前に回って、顔を覗き込んだ。
「まァ……可愛い!」
レインは、そう叫ぶといきなりリクの頭を自分の胸に抱きしめてしまった。リクは、少しもがいているようだったが、直ぐに大人しくなる。誰かに、すがりつきたい気持ちが、勝ったのかもしれない。
レインの手は、リクの頭に添えられて、優しく髪を撫でている。
「リクが小さい時に、[異世界への扉]越しにこの顔を何度も見たのよ。泣いているリクをお母様が、こんな風に抱きしめるとリクはいつも泣き止んだわ。幸せそうな顔になって、眠たそうにあくびをするの。いつか私も、お母様みたいにしてみたいって思ってた。今、願いが叶ったのね。あなたが拗ねて怒った顔は、とっても可愛いのだもの。小さなあなたは、いったい何を我慢していたのかしらね」
相変わらず、レインはリクの頭を撫で続けている。レインの胸に額をつけたまま、リクが溜め息をついた。
「レン。母さんじゃないから、恥ずかしいんですけど。胸が当たって……」
「キャッわたしっ」
慌ててリクを放そうとしたレインの腰を、リクがすかさず抱きかかえる。
「でも、も少しこのまんまがいい……気持ちが落ち着く。母さんじゃないけど、レンの心臓の音は母さんみたいだ。このままがいい」
レインには、自分の胸に抱えたリクの顔は見えないのに、何だか穏やかに微笑んでいるように思えた。
「リクがいいって思えるまで、ずーとこのままね。ずーと……」
リクの頭を、自分の胸に抱いていると言う事が、今になって改めて恥ずかしいレインだったが、リクの気持ちが落ち着くならと恥ずかしさを押さえ込んだ。何も言わずにリクはレインに回した腕にキュッと力を入れる。二人の間には、何も入り込む隙間がない程に、ピッタリとくっついていて、二人の周りを穏やかな空気と優しい霧雨が包み込んでいた。
リクの癒しの魔法が感じられ、森の中にみずみずしさを与えるのをレインはぼんやりと眺めていた。
「ねェリク? 今のあなたは、何を我慢しているの」
リクが、ぴくりと動いた。
「レン……俺さ、未来をみたんだ、この[時読みの瞳]で」
くぐもったリクの声が、自分の身体の中を通って聞こえてくる。まるで、自らの身体の中にリクを閉じ込めている様に感じて、なんだか嬉しくなった。
「どんな未来? 大地の城の事?」
「いや、俺の未来ってか、きっと物凄く近い未来」
レインには、密着しているせいか、リクの声から彼の心の揺らぎを感じ取ることが出来た。
「リク、無理に話さなくっていいのよ。とても、辛そうだわ。無理に聞こうと思ったのじゃないのよ」
リクは、レインの胸に額をつけたまま、小さく首を振った。
「レンには聞いて欲しい。俺……リアルディアには二度と帰れない。[空と大地の門]は通れないんだ。俺は、レンとソラルディアに残らなきゃならない。二度と母さんには会えない」
レインは驚いたように目を見開いた。
「リクあなた、それをいつ知ったの」
「ブルーリーに乗って洞窟を出てから、少しずつ見るんだ。目を閉じるとパッパって見えてくる感じだったんだけど、ヒルートの館を出てからは、結構長い間、目を閉じてたからってかさ、することなくて寝ようとしてただけなんだけど」
レインは首を左右に振って溜め息を漏らす。
「もしかして、ずっと我慢してたの? お兄様を心配させたくなかったんでしょう。バカね……」
リクがククッと笑った。
「ホント馬鹿じゃねーか俺? 母さんの姿見たら、我慢できなくなっちまって。フーミィに八つ当たりしてんの。バッカじゃねーか」
レインに、自分自身をバカにして笑っているリクの心の震えが伝わってくる。リクの頭をレインがギュッと抱き寄せる。リクもレインを抱く腕に力を入れる。
「母さんに二度と会えないって思ってたからさ。母さんの顔見たら、何にも分かんなくなっちまった」
「そんな事まだ分からないわ。予言は完全なものでは無い。実際、受け取り方によっては全く違ってくるって教わったわ」
リクは、レインから身体を離して座りなおすと、レインの瞳をじっと見つめた。
「いいや。俺の見る予言は、映像なんだ。間違いようは無い。俺は、自分で決めて、ここにレンと残るんだよ。自分で決めるんだ」
「なぜ? なぜ[空と大地の門]を通る事ができないの。リクだけなんておかしいわ」
リクが眉間に少ししわを寄せると、困ったような表情になった。
「それは俺にもワカンネー。ってかさ、その時の俺は知ってるんだ。俺だけは門を通れないって、その理由も知ってるんだ。でも、今の俺はそれを知らないから教えられない。だから、今言えるのは、俺はレンと此処にいるって事だけ」
リクをジッと見つめていたレインの瞳に、涙の粒が膨れ上がってポロリと落ちた。
「ごめっごめんなさい……」
「なんでレンが謝るんだよ。俺が決める事なんだ。レンが悪いわけじゃねーだろ?」
レインの涙は止まらない。
「ちがっちがう、の。リクが辛いのに、ひっくっわたっわたし、今の話し聞いて嬉しいって、おもっ思ったの、リクが悲しんでるのっのに、ごめっごめ……」
リクは、思いっきりレインの腕を引いて、自分の腕に抱きかかえた。さっきまでは、母親の様な安心感を自分に与えてくれていたレインが、いきなり女の子になってしまったと、リクは思った。
この少女を守れるのは自分だけでありたいと強く願った。リク自身も、先程までの混乱して情けない少年から、男に変化している事には気付かない。
「レン……嬉しくっていい。レンが嬉しくなきゃ、俺がここに残る意味が無い。俺は、使命の為でもなんでもない、レンと一緒にいたいから此処を選ぶんだ。だから、ずっとこーしてよ、な!」
レインは、リクの腕の中で泣きながら頷いている。少しして、しゃくりあげていたレインの呼吸が穏やかになり始めた頃、朝日が昇り始めた。
リクとレイン、二人の周りで朝日を受けて森の木や草がキラキラと輝きだした。しばらく、美しいきらめきに見入っていたリクが、レインの耳元にそっと囁いた。
「俺ら、二人っきりじゃないみたいだ。ダメ。じっとしてて……」
そう言ったリクの頬に、冷たい物があてがわれた。
その正体を確認するリクの目に、顔が映りそうなほど磨き上げられた剣の刃が見えた。
「その通り。じっとしていた方がいい。お前達は囲まれている。大人しくしていろ」
脅しの効いた声が、リクの背後から聞こえてくる。何者かが、自分達を隠れて窺っている事はリクにも分かったのだが、背後まで来ていた事には、全く気付かなかった。音も無く、森の中を移動する事など、不可能に思える。
頭の後ろ上方から、同じ声が話しかけてきた。
「何者かは知らぬが、まだ子供ではないか。そのローブは魔術学校のものだな。だが、魔術学校の生徒がこんな所で逢引でもあるまい。何処で盗んだのだ。夜盗の仲間か!」
声の主は、剣をくるりと返すと、素早くリクとレインの前に回った。
リクの喉元に剣先を据えた男は、綺麗な顔立ちをしていて、何故かどこかで会ったような気がするが、初めて会う人間で、軽装ではあるものの身なりの良い若者だった。
リクは、男の顔を睨みつけている。
「ね! この剣さ、下ろしてくんない。刺さると痛そうジャン。それに失礼だろーが。夜盗って泥棒のことじゃネーカ。俺らは、そんなんじゃねーぞ」
「リク。言葉使いに気をつけて。相手はどんな人か分からないでしょう。もしっ」
リクが、左手でレインの口を塞いだ。
「こんな時は、女の子は黙ってる。俺に任せろ。それに、ひねくれヒルートが此処は安全だって言って……そうだ! こいつヒルートに似てんだ。目の色が違うけど、ほらレン見てみなよ」
男が構えている剣が、ピクッと動いた。その時、いきなり日の光が遮られ、森の中は暗くなった。
バサッバサッと大きな羽ばたく音が聞こえた。
「キートアル。その剣を下ろせ。その馬鹿は私の友人だ。それに、その女性はお前の義理の妹だぞ。傷を負わせば、奥方に大目玉を食らうだけでは済まんのではないか」
ブルーリーの背中から、ヒルートが叫んだ。剣を下ろし、ブルーリーに乗ったヒルートを、男は食い入るように見つめた後、ゆっくりと振り返り、リクとレインを交互に見た目は、驚きに見開かれていた。
リクが眉を片方だけ上げて、ヒルートを真似た。
「奥方に大目玉を食らうだけでは済まんのではないか、だって。あんたヒルートの弟のキートアルなんだ。やっぱ兄弟、似てるわぁ。スカイとタカほどじゃねーけどナ。って兄ちゃんの弟は俺か、あんま似てねーや」
キートアルの目が、一段と大きくなった。
「まさか……スカイもいるのか」
リクがニーッと笑って、レインも一気に緊張が解けたようにクスクス笑っている。
「あんた、スカイの婚約者を強奪したヤローだろ。怒りに燃えてるスカイが、あっちで待ってるんじゃねーか」
キートアルの顔が、強張っていくのを、リクは笑い転げて見ていた。レインは、リクを止めながら自らも笑っていた。まるで、何かを忘れようとするかの様に、二人は笑い続けた。
キートアルの顔は真っ赤になって、怒りを爆発させる寸前の様だ。
「何が可笑しい! それ以上侮辱するなら、兄上の友人であっても容赦はせんぞ!」
再び剣を向けられて、リクとレインは笑うのをピタリと止めた。その時、キートアルの後ろから、数名の男が姿を現した。男達は、森の中を走ってくる物音の方へ剣を構えた。
キートアルを見上げて、リクが呟いた。
「スカイが来た」
真っ赤だったキートアルの顔から、血の気が引いていくのがはっきりと分かった。