[37] チョコバーとセーター
ヒルートの屋敷を旅立って、初めて降り立った場所は何処なのでしょう……
月明かりの中を、大きな黒い影が地上を目指して降りてくる。草原の終わりには森が見え、小さな湖らしきものがある。近付くにつれ、湖に見えていたものが、かなり大きな人工の池なのが分かる。自然に出来るはずの無いきれいな長方形をしていて、階段があり水を汲みあげるポンプと、ポンプからのびる管が繋がっている場所には、台所の流しによく似たものまであった。
ザザッドッドドと大きな音を立てて、ブルーリーは草原に降り立った。その後には、シルバースノーとローショが静かに舞い降りる。
ブルーリーの背から降りながら、レインは、シルバースノーの姿にみとれているようだ。
「綺麗だわァ。月の明かりを映して金と銀が混ざり合ったような色合いが、たまらなく美しい。あんな翼があったら素敵でしょうね」
レインの横には、ブルーリーの背中からヒルートに降ろしてもらったばかりのフィーナが、少しふらつきながら立っていた。
「ええ、素敵だろうと思います。でも、レイン様なら翼を持たれても飛びたてるかもしれませんが、私には無理ですわ。地に足が着いていないと何だか不安で、今もほら……足がフワフワしているみたいな変な感じです。ブルーリーの背に乗せてもらっただけなのに、情けないです」
レインはフィーナと見つめあいながらクフフッと笑った。
「初めてなんでしょ? 空を飛ぶのは。私も、小さな頃初めて飛風艇に乗った後、体がフワフワする様な感じがしたもの。でも、次は平気よきっと」
本当に、次に空を飛んだら、恐ろしくなくなるのか、レインの言葉を信じられず、複雑そうな表情で、フィーナも笑った。
「飛風艇って、館の空き地において来た、空飛ぶ船の事ですよね。大きな翼のついてるとても美しい立派な船だわ。あら私ったら、海に浮かぶ船さえ見た事がないのに、偉そうな事言ってしまって」
「海に浮かぶ船なら、私も見た事がないわ。同じじゃない」
二人の少女は、また笑い始めた。
白と緑の色違いの鎖かたびらに、皮の鎧にブーツ、そのいでたちの上から、レインは魔術学校の濃紺の厚めのローブを着ているし、フィーナも緑色のマントを羽織っていた。
同じ年齢と言う事もあり、二人は何かとおしゃべりをしては笑いあい、親密になりつつあり、同じいでたちが二人を姉妹のように仲良く見せていた。
二人から、少し離れた池のほとりにローショが火を熾していた。ローショは、雲の城を出るときに身に付けていた衣服と変わらぬ様に見える。だが、背中の翼を出す時に、着ている物を裂いてしまわぬ様に、フィーナの母親が背中を大きく開いて作り直してくれていた。その上から、寒くないようにとヒルートが厚い毛織のマントを用意してくれたので、それを羽織っている。
フィーナは、笑いながら気になっていた事をレインに聞いた。
「レイン様。あのう……私は生まれてから一度もヒルート様のお屋敷を出た事がないもので、ここがどの辺りなのか、全く分かりません。始めはしっかりと見ていたのですけど、竜って凄く速く飛ぶんですもの。途中で目を瞑ってしまったし、レイン様ごらんになってましたか」
「私は目を開けていられたけれど、雲の領域を出たのは、これで二度目なの。一度目は、魔術学校の形ばかりの入学式の時だもの。雲の城以外、何処も知らないわ。あなたと同じ」
二人の話している後ろから、穏やかなローショの声が掛かる。
「ここは、緑の領域の西側の境になります。雲の領域から私達が緑の領域に入ったのが東の境でしたから、緑の領域を横断した事になります。ただし、緑の城を南に大きく迂回しましたけれど」
着慣れない、厚いマントを両肩に担ぎ上げ、ローショは火の上に小ぶりの鍋をかけた。レインとフィーナは、暖かな火に誘われるようにローショの傍に来る。
「フィーナ。まだ緑の領域だそうよ。少し安心したんじゃない?」
微笑んで話すレインに、フィーナがはにかんだ様に微笑んだ。
「レイン様ったら。私そんなに臆病な子供じゃありませんわ……ウフッ本当は、なんだかホッとしましたけど。でも、少し残念な気もします。初めて違う領域に来たのかと思ってましたから。でも、この池って何に使っているのかしら、この辺りに集落でもあるのかしら」
二人の会話の間に、ローショはヒルートの屋敷で用意して貰った食料袋から、食材を取り出していた。
「少し早いですが、朝食にしましょう。準備をしたいので、フィーナさん手伝ってもらえますか」
「はーい」
フィーナが、ローショの横にかがみ込む。
レインが慌てて同じ様にかがみこんだ。
「私だって手伝えるわ」
ローショが微笑みながら迎える。
「レイン様、お手柔らかにお願いしますよ」
「もう、どう言う意味なの!」
ローショが、ハハハっと笑いながら何でもないと言う様に手を振った。その時、バサッと大きな音と共に、風がおこりブルーリーが飛び立った事が分かった。見上げると、ブルーリーの背にヒルートが乗っているのが見える。フィーナが、心配そうに見つめた。
「ヒルート様、大丈夫かしら? ブルーリーとはあまり相性が良くないみたいだったけれど」
ローショがニヤッと笑いながら、空を見上げた。
「安心なさいフィーナさん。ああ見えて、あの二人は結構いいコンビになると思いますよ」
レインが怪訝な顔をする。
「でも、あのコンビで何処に行くって言うの? まさかお散歩なわけはないでしょう」
「ええ、偵察に行ったんですよ。境周辺を探る為です」
レインの表情はまだ変わらない、と言うよりは疑問が次々に湧いてくると言った様子だ。
「何故? ここは危険なの。危険な所なら、火を熾さない方が良いのじゃない。誰かに見つかっては大変だわ。この場所だって、人工的に作られたものの様だし、ローショ無用心よ」
ローショが、少し笑いながらレインを見る。
「レイン様は相変わらず頭が回る。でも、ここを指定したのはヒルートです。彼が安全だと保障しているのです。まだ、緑の領域内ですし、彼を信じて間違いないと思いますが」
「そっそうなの。それを早く言ってくれればいいのに。ローショの意地悪」
ローショが大声で笑いながら、朝食の準備を着々と進めていく。
そこから、少し離れた所で、濃紺の上下に、黒いマントを羽織ったスカイが、シルバースノーの全身の銀の輝きを隠すように濃いグレイのマントの中に包み込んだ。
「ブルーリーは食事を探しに行ったのか? スノーはどうするんだ」
シルバースノーが、おかしそうにクククッと笑いながらスカイの顔を覗き込む。
「ブルーリーはさっき食事を済ませたようよ。私達が旅の準備をしている間にね。それに、この身体の時は、牛を一頭も食べなくていいみたいなの。人間に近付くのかしらね。でも、人間ほど寒くはないわ。だから、そんなに包み込まなくっていいわよ。」
スカイは、自分がしっかりと包みこんでいるシルバースノーの身体を見つめて赤面しながら手を離した。自分が、気を揉みすぎている事が恥ずかしかった。それもそのはずで、スカイが気を揉んでいるのは、シルバースノーが実は裸だと思えばこそだからである。
「っそっそうなのか。でも、月の光に照らされるとお前の姿は、かなり目立つ。マントは羽織っていたほうがいい。誰が見ているか解らんからな」
「あらっでも飛んでいる時は、何の役にも立たないわ。邪魔になるだけ」
スカイの顔が、少しムッとする。
「だから、飛んでる時は、私が持ってたじゃないか」
「そうね。ありがとう、ずっとお願いね」
レイン達からも、スカイからも少し離れたところに、既に座り込んでいたリクがニヤニヤ笑いながらスカイとシルバースノーの会話を聞いている。
「兄ちゃん。スカイって絶対に尻に敷かれるタイプだよな。あれでソラルディアの王様になれんのかな? ちょっと笑っちゃうよな」
タカがいつも下げている布カバンをゴソゴソと探りながら話すリクを、眉間にしわを寄せてタカは見ていた。
「お前だって似たようなもんじゃないか。レンちゃんが怒ったら何も出来ないくせに。偉そうなこと言うな。それに、さっきから何やってるんだ。人のカバンの中を探るな」
リクが、布カバンを、タカにポイと投げた。
「兄ちゃん。おやつくらい入れとけよ。あ〜チョコバー食いたい。ガム欲しい。アメでもいいよ。何で持ってねーかなァおやつ食いてェ〜」
「ガキじゃあるまいし、そんなもの持ってるわけないだろ。バカかお前は」
リクは、タカにベーッと舌を出して寝転がった。
「ローショさん用意してるみたいじゃん。飯できたら起こして。俺寝るからさ、でもまだ暗いうちに食べるのって、朝食か、それとも夜食かなァ。サブッ寒いよなァここ?」
呆れ顔のタカ。
「今は月も出てるけど、直ぐに朝日が昇る時間になる。目立たずに行動するには、朝になったら寝て、夜になったら移動するって皆で決めただろうが。早めの食事は仕方ない。寝るんならメシを食ってからにしろ」
リクがローブをグッと自分にまきつける。
「寒くって寝れないかも。なんでこんなにサミィ〜んだよ!」
タカは、カバンを大事そうに肩に掛けた。カバンの中には、アースの日記と大地の紋章の他に、リクのタオルと、綺麗に洗った弁当箱が青いバンダナに包んで入っていた。
それは、自分とリクをリアルディアに繋ぎ止める唯一の品のような気がして、タカにとって肌身離さず持っていないと不安になるほど大事な物になっていた。
「ソラルディアとリアルディアは、対になってるんだ。きっと季節も同じ様なものだろう。あっちが今、10月なんだから、此処も同じ寒くなる季節なんだろ。朝夕は冷え込むんだよ。だから、ヒルート王子が貸してくれた上着を着ろって言っただろ」
タカもリクも、スカイの衣服を借りていたので、ソラルディアの衣裳にはなっていたが、タカは白いシルクのシャツに、黒い乗馬用のようなズボンを穿いていただけなので防寒用に、ヒルートに毛織の上着を借り、その上に、魔術学校のローブを着ている。
リクはと言えば、スカイに借りたフリルの付いたシルクのシャツに、タカと同じ様なズボンを穿いて、魔術学校のローブを着ていた。ヒルートが出してくれた上着は、寒さを防ぐ為に毛織の物ばかりだったため、チクチクすると我儘を言って借りなかったのだ。タカは、いつも母親が冬のセーターを着せようとする度に、泣いて嫌がっていたリクの小さい頃の姿を思い出して、一人口元を緩めた。
「お前、セーター嫌いだったよな。母さんがいつも困ってた」
タカの背中からフーミィが顔を覗かせた。
「ターカ、ちょこばーって何? えっと、がむは? せーたは?」
タカは、優しくフーミィの頭を撫でる。
「チョコバーは甘くって美味しいおやつの事だ。ガムは甘いのや辛いのや色々ある。フーミィは、リアルディアに俺と一緒に行くんだろ? その時に買ってやるよ。木の実が入ったチョコバーがいいかなァ。でも、セーターは食べ物じゃないぞ」
リクがガバッと起き上がる。
「兄ちゃん。俺にも買って。アーモンドの入ったやつがいい。俺3箱は食えるぞ。セーターはいらねェ」
「そんなに食わなくっていい。鼻血が出るって、また母さんに怒られるぞ」
リクは、その言葉に一瞬身を硬くしたようだった。フーミィがジッとリクを見ている。
「リク? どうしたの。淋しそう」
リクは、フーミィの言葉に、ドキッとした。自分を見つめる真っ黒な瞳を、恐る恐るジッと見つめ返した。(なんでこいつ、俺の気持ちわかんだよ。俺と同じ心の癒し手だからなんかなァ)リクが、不思議そうに見つめ続けていると、フーミィの姿がゆらりと揺らいだ。
フーミィがいたはずの場所に現れた、自分が今見ているものが信じられないリクだった。
「かあ…さん。なんで?」
タカの背中にもたれるように、母がいた。タカは、リクの様子と言葉に、怪訝そうに後ろを向く。
自分にもたれかかる母の姿を、タカも見た。
「母さん……」
母親は、ゆっくりと首を振り、口を開きかける。だが、何も言う間もなく、タカを押しのけてリクが母親を抱きしめた。
「母さん。母さん。会いたかった」
タカも、自分の背中から離れてリクを抱きとめる母の肩に、そっと額をつける。でも、タカの表情はリクのそれとは少し違っている様だ。
「ありがとう……」
何故か礼を言うタカに、母親は、少し困ったような顔をした。
「ごめんね。僕……ターカとリクのお母さんじゃない。ごめんね」
タカが顔を上げた。
「フーミィ。分かってる、本物の母さんが此処にいるはずないもんな。それに、お前の魔法の波動を感じるんだ。お前の魔法の力なんだろ…母さんの顔、見れただけでも嬉しいよ」」
母親の姿のまま、フーミィが申し訳なさそうな表情になった。
「これが、僕の持って生まれた魔法の力。僕の瞳を覗き込んだとき、心の奥底に強く想い続ける人がいたら、僕はその人の姿になってしまうんだ」
リクが、手荒くフーミィを突き飛ばした。
「クッソー。ヒッデー冗談だろうが! 母さんに化けるなんて信じらんねー。バカにしてんのか」
リクは、そのままフーミィに背を向けて一人湖と反対の方へ走っていった。既に二人の母親の姿から元に戻ったフーミィは、真っ黒な大きな瞳に、大粒の涙を溜めていた。
「ごめっ……そんなつもっもり、な、い……」
タカがフーミィの小さな身体を抱きしめて、優しく頭を撫でる。
「いいんだフーミィ。わざとじゃないだろ? お前の意思とは関係ないんじゃないのか」
フーミィが、タカの腕の中でしゃくりあげてから頷いた。タカは、頭を撫でる動作を繰り返しながら、抱きしめる腕の力を強くした。
「そうだろうな。だから、仕方ないんだ。リクの心の中にある母さんを想う気持ちが強いって事なんだから。心に強く想う者の姿に変わるフーミィの魔法。悪い魔法じゃないんじゃないかな。いつでも、大切な人に逢わせてくれるんだろ?」
「でも、リク泣いてた。お母さんが僕だったから、僕が騙してしまったから」
「大丈夫さ。リクは、お前を母さんだと思って、甘えてしまった事が恥ずかしいだけだよ。直ぐに戻ってくるさ」
フーミィは、顔を上げてタカを見つめた。タカは、リクが歩いていった湖の周りの森を見つめている。
タカの心配そうな瞳が、フーミィにとっては少し辛い、大切な人の大切な者を自分の魔法が傷つけたのだと思うと、また涙が溢れてくるが、タカに心配を掛けたくなくて、毛むくじゃらの手の甲で、涙をグイッと拭き取った。
涙を拭いたフーミィの目には、既にリクの姿は見えなかった。でも、リクを追いかけたのだろうレインが森の中に消える後姿がチラリと見えた。
リクを追ってレインも森に入って行きました。リクの怒りをレインは上手くおさめられるのでしょうか……