[32] おとぎ話の二人
声の主は誰だった? 新たな登場人物が現れます。
洞窟の広い空間の中で、誰一人動く者はいなかった。誰もが、自分の目を疑っているように、ただジッと一人の人物を見つめている。これは、何かの冗談なのか? とタカは思った。
「何言ってるんだ……リク? こんな時に、変な冗談はやめろ」
そう言ったタカの横で、フーミィが首を振った。
「今しゃべったのは、リクじゃないよ。リクの中に別の魂の波動を感じるんだ。ブルーリーがそうだったみたいに。あそこにいるのはリクじゃないよ」
フーミィの言葉に、タカの顔が一瞬で険しくなった。
「くそー! 誰なんだ、勝手にリクの中に入りやがって! 許さない」
タカは、リクに向かって走り出した。走っているタカの周りで、空気が揺らいで、タカの身体を捕らえてしまう。何も無い場所で、誰にも捕まっていないはずなのに、タカの身体は走った格好のまま静止してしまった。
「なっなんなんだ。こ、れ、は……くっう」
タカは、指の先まで動かす事が出来ない事実を受け入れられず、必死に動こうと奥歯に力を入れるが、何も変わらなかった。リクが、そんなタカの様子を見つめている。
「ルビーアイ。その者は、私が身体を借りているこの少年の兄なのだ。この少年を傷つけたりはできなかろう。放してやりなさい」
リクの声で、リクではない何者かが発した一言で、タカの身体は自由になったと同時に前のめりに倒れこんでしまった。
「何が、身体を借りてるだ! 直ぐにリクから出て行け!」
「申し訳ないが、直ぐにと言うのは無理なのだ。少しの間、この身体を借りていなければ、私は話をする事ができない。それに、この大地の魔術師である少年が、私を永の眠りから覚ましたのだ。身体を借りている間に、その理由も大地の魔術師に伝えねばならん。ほんの少しの間だけのこと」
タカに注意を向けていたせいか、リクの中の何者かは、背後のヒルートの動きに気付かなかった。
「何処の誰なのか、自分の名を名乗った方が良くはないか? 私は既に、お前の魂を捕らえているぞ」
リクの背中に手を当てたままヒルートが冷ややかに言った。リクの中の何者かは、何事もなかったなかったように微笑んでいる。
「妖精使いの緑の魔術師か。妖精の呪文で私を捕らえたつもりなのだろうが、あいにく私もこの少年と同じ大地の魔術師。大地の妖精のウェブは効かぬ。だが、自らの名を名乗らんと言うのも失礼なことであろうな」
振り返ったリクの姿に、ヒルートの表情が引きつった。
「だいちのまじゅつし? 大地の魔術師は、ここ何百年、いや千年以上いなかったはず。お前は、何者なんだ」
ヒルートの声はうわずっていた。ヒルートから離れると、リクは両手を広げ、優しげな声で呟いた。
「さあルビーアイ。私を抱いておくれ。逢いたかった、眠り続けている一時もお前を忘れた事はなかった。愛しいルビー…さあ」
その声に呼び寄せられるように、空気が動くのが伝わってくる。リクの身体がフワリと地面から離れ、何かに抱かれるように浮き上がった。洞窟に響く声で、リクの中の何者かが名乗りをあげる。
「我は、大地の王子にして大地の魔術師。その名を知らぬ者などありはすまい。その名も高き[竜の思い人]トワィシィ皇子。永の時を超え、予言を成就せんがため、この時に眠りから覚めようぞ……」
たからかに名乗ったトワィシィは、何かを待つように前に手を伸ばしたまま一点を見つめている。洞窟にいた者は、全てトワィシィが見つめる一点に目をやった。
皆、突然リクの身体を乗っ取って、わが道を行くような身勝手な行動を取り、色々な肩書きを並べ立てたトワィシィを、危険な者とは思えなかった。リクの姿をしているからか、それとも他の理由なのかは分からないが、次に何をするのだろうと好奇心さえ出てきてしまっていた。
それもそのはずで、トワィシィの見つめる先にあるものは、先程ブルーリーが焼いては舐めていた若者の死体だったからだ。あれは本当に死体なのだろうか? 竜の炎で焼かれて何故無事に姿を保っていられるのだろう? トワィシィは本当は何者なんだろう? それぞれの心の中に疑問ばかりが浮かび上がる。
それぞれの思いにふけっているうちに、少しの時間が経っていたが、何も起こらない。
トワィシィが首をかしげた。
「どうしたのだ? 何故、何も起こらんのだ。私はまた何か間違えたのか?」
そう言ったトワィシィの身体が、地面にそっと戻された。
空気が動いたと思った瞬間、倒れていたブルーリーが起き上がった。
『トワィシィ……あなたは何も変わっておられぬ様じゃ。眠りから覚めぬまま、このわらわを待たせておいて、間違ったとは……呆れて物が言えませぬ。大方、目覚めの鍵の一つでも忘れておるのではないか』
「私は目覚めの鍵を忘れておるのか? 鍵はみな言ったはずだがな? [大地の王子][大地の魔術師][竜の思い人][時の預言者]……あっこれだ![時の預言者]を忘れておったわアハハハハ、またやってしまったようだアハハハ」
トワィシィの笑い声がスッと小さくなり、リクの身体ががくりと崩れ落ちた。
「いってェ〜何すんだよ。いきなり出て行きやがって、ふざけんなつーの!」
いつものリクの話し方を聞いて、タカが駆け寄った。
「リク、大丈夫か? 何ともないのか? 気持ち悪くないか?」
タカは一生懸命にリクの背中を摩っている。
「いや、兄ちゃんが優しい方が気持ちワリィ」
タカが摩っていた手を止めて、陸の頭をゴンっと小突いた。
「どうやら心配ないようだな」
二人の後ろに走ってきていたヒルートが、二人の背中を叩いた。
「見ろ! 死体が動き始めた。私の館に魔術師の年鑑があるんだが、その中に、千年も昔に姿をくらました、[大地の魔術師]についての記述がある。それが、あの死体なのだろうと思えるのだ。彼は、姿をくらました[大地の魔術師にして[時の預言者]トワィシィだ。その後[大地の魔術師]を受け継ぐ者は生まれていない。それもそのはずだ、彼は生きていたのだからな。領域を司る魔術師は、同じ時代に同時に存在する事は出来ない。一人が死に、一人が生まれる。最近では、世界の崩壊の影響なのか領域を司る魔術師自体が存在しない領域が出てきているが、それもせいぜい、ここ百年程の話だ。大地の魔術師を除いてはな……」
ヒルートの話しが終わる頃には、トワィシィは起き上がって、ブルーリーの首に抱きついていた。
そのまま、トワィシィはヒルートの方を見た。
「緑の魔術師よ。そなた、よく学んでおるのだな。そなたが、私の事を知っているとなれば、私も有名になっているのだなァ。それは喜ばしい事よのォ。なぁルビー?」
愛しそうにトワィシィに頬を寄せていたブルーリーの中のルビーアイの真っ赤な瞳が、ギロリとヒルートを睨みつけた。
『緑の魔術師。そなた、トワィシィの気を引きたいのか。ならば女同士、わらわと戦って、この男を奪い合う事になろうが、わらわと戦う気があるのか?』
ヒルートが、ぐっと眉根を寄せて、恐ろしいほどに冷酷な表情になる。周りにいた仲間が、一瞬息を呑んだ。ヒルートは、人一倍プライドが高く、それを汚される事に敏感なのは、初めて会った時の出来事から、皆には十分わかっている。
ルビーアイが、地雷を踏んだのは間違いないらしい。ヒルートの瞳がすっと細くなり、冷ややかさを増した。ヒルートが、魔法を使うために腕を上げようとすると、リクがローブの袖を掴んだ。
「ヒッヒッヒッヒルートォ、女に間違われてやんの。カッコワリーなァ。その長いキレーな金髪と色白がいけねんじゃね? マジおかしいし。まっ俺もよく女に間違われっけどさ。可愛いから仕方ないんだよね、これがアハハハハ」
ヒルートが、片方の眉を吊り上げてリクを見る。
「……リク、お前の状況を考えられない性分も、役に立つ能力と言う事か」
「状況を考えられないって、役に立つって、バカにしてんのか? それとも、褒めてんのかよ」
「褒めているつもりだ。私が怒りに任せて愚かな真似をするのを止めてくれた」
「おろかなまねって何? ヒルート何かするとこだったのか?」
リクの質問には耳を貸さず、ヒルートはルビーアイを見返した。
「お聞きの通り、私は女ではない。それに、[竜の思い人]を奪うなどと恐ろしい事を考える女性は存在しないだろう。高潔なる空竜族の女王よ、私はあなたに挑むほど、愚か者でもありますまい」
ヒルートの言葉に、シルバースノーがぴくりと反応した。
「空竜族の女王……以前ブルーリーから聞いた事があるわ。とても美しい金竜の話。愛する魔術師とともに姿を消した。小さい頃に聞かされた、おとぎ話の恋物語は、私の憧れだった。あなたが、あのルビーアイだったの。そして、大地の魔術師であり時の預言者トワィシィ……漆黒の髪に漆黒の瞳、その瞳には遥か未来の予言が映る。トワィシィは生まれて直ぐに、ルビーアイと自分の恋物語を予言した。15の誕生日には、一人ルビーアイを探す旅に出た。愛する者を探し出す旅。大地の王子の地位も、城も、家族も捨ててルビーアイを探し続け、やっと見つけたルビーアイに食べられそうになるのよ。でも、竜のままの彼女を愛し続けて旅をしてきたトワィシィに恐れる心など無かった。トワィシィの愛はルビーアイの心を捕らえるの。お互いの異種族の者を愛する想いは、[竜の思い人]となる事で叶えられる。何度もブルーリーに話をせがんだわ。やはり本当のお話だったのね、当人に出逢えるなんて……」
シルバースノーの肩は、感動に震えている。スカイがシルバースノーの震える肩を抱いた。
「私は、[竜の思い人]はおとぎ話で、実際には有り得ないと思っていたよ。警備隊の愛称だと思っていたのだから。ヒルート王子も、よくご存知でしたね」
ヒルートが口の端をクイッとあげた。
「いや、私も先程までは、吟遊詩人がかなりの部分をでっち上げている、おとぎ話だと思っていた。この目で、時の預言者を見るまではな」
シルバースノーが大きく首を振る。
「いいえ、おとぎ話じゃないわ。私は信じていたし、[竜の思い人]が本当の事だって、生まれる前から知っていた。だって、スカイの為に生まれてきたのだもの。ブルーリーも、旅の吟遊詩人の歌から知ったって言ってたわ。全く信じていなかったみたい」
そこでまた、リクが話しに割って入る。
「じゃあさ、ブルーリーの婆さんは、自分が信じてなかったもんに体を乗っ取られたんジャン。バッカだねー。で、なんでそのおとぎ話の主人公がここにいんの? てか、なんで死体になってたのさ」
スカイが頷いた。
「お前は本当に、バカなのか賢いのか分からんな」
「何だよそれ」
むくれたリクに近寄って、頭に手を置いてタカが溜め息をつく。
「冗談を言ってても、大事な事は忘れない。兄としては、賢いんだと思いたいけどな」
タカの後ろから、ローショが静かに現れた。
「皆さん。何があったのでしょうか。今までブルーリーが恐ろしくて、この中に入ってこられずに……スカイ様の従者でありながら情けないばかりです」
ローショは大きな身体を、すぼめて小さくなっているが、あまり効果は無いようで、まだ大人になり切れていない少年三人と細身のヒルートの中では、一際目立っている。
スカイが振り向いて笑った。
「仕方ないではないか。お前の竜に対する恐怖心は生半可なものではないのだから。気にするな、皆自分の身ぐらい自分で守れる」
リクがローショの手を取った。
「俺は自分の身は守れる自信ないから、よろしくっす。ってだから、あいつらは何でここにいんのって、何で死んでたんだよ! 皆、忘れてネーカ」
「忘れてない!!!」
皆の声が重なった。洞窟の奥で、笑っていたトワィシィが話しかけてきた。
「そなた等、面白い奴らだな。とても、私が900年もの間待っていた者たちとは、とても思えんな。特に大地の魔術師よ、そなたは格別におかしな者よ」
ルビーアイの瞳が光った。
『トワィシィ、900年ではないわ。千年じゃ! わらわは千年待っておったのじゃ。眠りの中で900年、身体を失って100年。予言の時は100年過ぎておる。わらわの身体にそなたが掛けた魔術など、とうに消えておるわ。わらわの身体は……朽果てた。どんなに、どんなにそなたを待ちわびたか分かるまい。青竜の身体を手に入れたのも、そなたの眠りを解こうと、命の炎を浴びせる為じゃ。何故そなたは、いつも手違いを起こす。こんな大切な事まで間違ったでは済まぬであろう……』
「ルビーまことか……そなたの身体は朽果てたのか。私は、またしくじったのか……こんな大事な事までしくじるとは……それで、青竜の身体をかりていたのか……ルビー……ルビー……許してくれ……」
トワィシィはその場に崩れ落ちた。ブルーリーの身体の前にうずくまる様にして、その足にしがみついている。ルビーアイの真っ赤な瞳から涙があふれる、瞳の赤を映して血の涙の様にみえる。
その場に居合わせたリク達は、何となくだが、トワィシィの手違いでルビーアイは身体失った事は分かったし、この洞窟で100年間ルビーアイがトワィシィを待っていた事も分かった。だが、何のためにと言う事はいまだに分からない。知りたいのはやまやまだが、この状況で聞ける者などいようはずも無かった。
リクとフーミィが揃って、トワィシィとルビーアイに近付いていく。リクの手が、そっとトワィシィに触れた。
「愛してる人を苦しめたのが自分だったら、俺は耐えられないかもしんねーな。でも、あんたは耐えなくちゃいけない。だって大切なルビーがここにいるんだから」
リクの心を癒す魔法が、トワィシィの中に流れ込む。フーミィが、ルビーアイの入ったブルーリーの足を抱えた。
「ルビーアイさん、良かったね。大切な人にもう一度逢えて。僕も身体が無いんだ。生まれた時からだから、今は悲しくないよ。女神様がくれた、代わりの身体で十分なんだ。だから、彼を許してあげてね……なんだ、あなたもう許してるんだね。それはそうだよね」
リクとフーミィの閉じた瞼から、涙がこぼれる。トワィシィがリクとフーミィを交互に見つめた。
「千に100足らぬ時を待ち、心の癒し手に与えよ。一つに時の予言の力を、一つに金竜の身体を。予言の真実はこれだったのか。心の癒し手は二人いたのか。では何故、時の長さが違うのだ」
トワィシィは、苦しみから解放されながら、心地よいリクの魔法の力のうねりの中で疑問と戦っていた。ルビーアイが、長い首を回してフーミィの背中に頬を擦りつけた。
その表情は、とても穏やかだった。
時の長さの違いは、トワィシィの失敗? 失ったルビーアイの身体をどうやって与えるのでしょうか?