[31] ルビーアイ
ヒルートが妖精の呪文でブルーリーを閉じ込めた洞窟には、何か謎があるようです。ヒルートは、その事を知っているのでしょうか?
辺りはひんやりとした空気に包まれている。つい先程入ってきた洞窟の入り口は、さほど涼しくはなかったが、中へはいるほど温度は下がっているようだった。しかし、ときおり吹いてくる洞窟の奥からの風は、不自然なほどムッとして熱かった。
足元は緩やかに下っているようで、山の裾にあった入り口よりも、もっと地下に降りていくようだった。
洞窟の通路は人間が二人ほど並んで歩ける広さがあり、真っ暗ではなく、ほんの少し先がみえる程度だったため、ヒルートの開いた掌からボーっと浮き上がる魔法の明かりだけでも十分に下っていける。
スカイに婚約者シルバースノーを紹介された翌日、ヒルートの妖精の呪文によって、 森の外れの洞窟へ閉じ込められているブルーリーのもとへやってきたのは、リクとフーミィを背負ったタカ、ヒルートとスカイ、それにブルーリーの怒りに尻込みしつつもスカイへの忠義の為に同行しているローショ。そして、洞窟の前までは人間の姿のままのシルバースノーが一緒だった。レインはフィーナと相談があるからと、館に残っていた。
シルバースノーは別のルートも確保しておきたいと言って、一行とは別行動をと飛び去っていった。少しの間、スカイはシルバースノーが消えた方角を見つめていたが、タカに促されて、一緒に洞窟に入った。
どんどん下っていく間、リクは何度も滑りそうになり、後ろのタカか前を行くスカイに助けられていた。またもや、リクが足を滑らせて、後ろから来たタカに支えられて難を逃れた。
「あっぶねー。この洞窟つるつるしてて、歩きにくいっての」
リクをしっかり立たせてから、タカがリクの頭を軽く叩いた。
「お前が落ち着きなくキョロキョロしてるから滑るんだ! しっかりしろよ」
タカの背中から顔だけ出して、フーミィが言った。
「リクって、ほんとバカなんだね」
リクは、フーミィに向かって拳を上げて見せた。
「黙ってろって! チビ助、お前もよく見ろ。この洞窟って面白くネーカ? 洞窟なのに真っ暗ってわけじゃねーし、壁が光って見える。だんだん寒くなってんのに、たまに吹いてくる風は暖かいぞってかさ。スッゴク熱い風って感じ。不思議じゃねーの?」
フーミィは、リクの言葉に改めて洞窟の様子を確かめ始めた。
タカがフーミィの頭を撫でる。
「フーミィ、こいつの言う事をまともに聞くな。バカが移る」
前にいるスカイが振り向いて答えてくれる。
「タカ、リクが不思議がるのも無理は無いかもしれない。光っているのは、光ゴケと言って暗闇の中で自ら光を発するんだ。だが、この青白い光ゴケは、私も初めて見るからな。リクが不思議がるのも無理はないだろう。それに何だか、この光ゴケの周りもほのかに光を発しているように見えるのは不思議だ」
スカイの説明を補足するように、ヒルートが話しはじめた。
「この光ゴケは、涙ゴケとも呼ばれている。自ら光を発しながら、根元からは水分を流す。それは涙と呼ばれている。自ら光り輝く為には、それなりの苦しみがあるのかもしれない。痛みの涙とでも言うところか……大地の妖精達は、この涙を集めて光源にしている。暗い洞窟や地下を好む彼らには、明るすぎず程よい光源になるらしい。彼らは涙を集める時、涙ゴケを慰めながら集めると言われている」
リクは、首を傾げた。
「こんな水を集めなくたって、光ゴケを取って光源にすりゃあ簡単じゃん」
ヒルートがクスリと笑った。
「そう簡単にはいかないのが現実なのだ。全ての光ゴケは、大地を離れると光を発しなくなる。光ゴケが輝けるのは、大地とともにあるからだ。リク、案外すべての生き物は、そうなのかもしれないぞ? それに、涙を集めるのにも涙ゴケを慰めながら行っている大地の妖精たちが、涙ゴケ自身を大地から引き剥がすとは思えんな」
「うひゃっ、それって涙ゴケを引き抜いたら呪われるからなんじゃねーか。引き抜いた奴が涙ゴケの代わりに大地に捕まって光ってたりして。きもちわり〜」
タカとスカイが同時にリクの頭を小突いた。タカが咎めるように言う。
「そう言う意味じゃないだろう。バカ」
そう言ったタカをリクが睨んだ。
「じゃあどういう意味なんだよ!」
再びヒルートがクスリと笑った。
「そんな事を言っている場合ではないぞ。この熱いほどの風は、ブルーリーの鼻息だろう。どんどん熱くなってきていると言う事は、青竜が近いと言う証拠だ。あの口の悪い竜が起きていない事を祈るがいい」
「それって、やばいじゃん! ヒルートがさ」
リクの言葉に、またしてもタカとスカイがリクの頭を小突こうとした。その二本の手を、後ろからローショが掴んで無言のまま首を振った。何か言いたげではあるローショだったが、その顔は引きつったように固まっていて、これから起こる事態に恐怖しているのが、タカにもスカイにも見て取れて、反論できなくなってしまった。
何度もリクを小突こうとしている二人を、反射的に止めたローショだったが、タカとスカイに言う言葉が浮かんでこないし、心はブルーリーが怒りを爆発させた時を想像していて、縮み上がっていた。
それを見たリクが、今とばかりに舌を出してタカとスカイをおちょくっている。
ヒルートはクククっと笑っている。笑ったヒルートをリクが睨んだ。
「ヒルート! 何が可笑しいんだよ。さっきから笑ってばっかじゃねーか。俺はヒルートのせいで殴られたんだぞ。止めるのはあんたの役目じゃねーか」
ヒルートは、笑わずにはいられないらしく、またクスリと笑って繊細そうな白い手を口元に添えた。
「リク、君の発想はとても単純で面白い。それに、君だけなのだよ、私をヒルートと呼び捨てにするのは。気付いているか? それが、私には心地好いのだ」
ヒルートは、またクスリと笑った。
シルバースノーは、皆と別れてから竜の姿に戻って、洞窟のある山の頂上まで舞い上がり、空中で人間の姿になると素早く頂上の小さな空き地に降り立った。
辺りにいた動物達は、突然現れた竜の姿に恐怖し巣穴や岩の陰に隠れたが、その竜が人間に姿を変えた事に、より恐れをなしたようにその場を動こうとはしなかった。
動物達には、姿は変えていても、この生き物が肉食の竜であることに何ら変わりは無かった。シルバースノーから発せられるオーラは竜以外の何者でもなかったし、動物達にはその危険を感じる能力が自然と備わっているものだが、ここの生き物はそれ以上に、何かを知っているかのように縮み上がっていた。
シルバースノーは、フンっと鼻を鳴らした。
「あら、この姿の時には、お前達を生で食べたりしないわよ。心配しないで。それに今、お腹は一杯だわ」
巣穴ですくみ上がっている山ウサギの方に向かって、シルバースノーは独り言いながら、その巣穴を跨いで駆けて行った。
頂から斜面を少し下ると、人間一人が入れるぐらいの穴が開いている場所に来た。
「昨日、ブルーリーの波動を追ってこの山まできたけれど、入れなかった。でも、この姿の今なら入れるわ。さあ、行くわよ! 一度は試しておかないとね」
独り言のあと、シルバースノーは、穴の中に入っていった。穴の中は真っ暗で、普通の人間なら全く何も見えないところだろうが、シルバースノーの竜の目には昼間と変わらない程度の明るさで見える。それでも、慎重に足元を踏み外さないようにゆっくりと進んでいく。足元も穴の側面も天井も、全てがデコボコとした岩のように硬い木の根がむき出しになっていて、誤ってつまずけば、狭いばかりか、かなり急になっている斜面を転がり落ちるだろう。この数十メートル続く筒状の斜面を抜けると、大きな縦穴に出た。
シルバースノーは、まずどこまでも続くように見える縦穴の底を探ってでもいるかのようにジッと見つめていたが、視線を上に向けると眉根を寄せて、小さな声で呟いた。
「そう言うことね。大昔の遺物というわけ。ブルーリーに何事もないと良いけれど」
言い終わらないうちに、シルバースノーは傍らの握りやすそうでしっかりとした木の根を、両手でグッと握りこんで、縦穴に背中を向けた。
丸くなっていた背がぴんと伸びると同時に、シルバースノーの背中から銀色に輝く翼がぱっと開いた。
「やっぱり上手くいくと思っていたわ」
シルバースノーは、片手を木の根から放して、艶やかで透き通るコウモリを思わせる竜の翼に触れた。
その翼は銀色で、自ら輝きを発しているらしく、暗闇でほのかに光っていた。
人間の姿のまま、翼を使って飛ぶ事に不安でもあるかのように、シルバースノーは少しの間、自分の翼を撫ででいた。
「さあ、しっかり羽ばたくのよ」
言うが早いか、意を決したようにシルバースノーは縦穴の闇の中に、翼をはためかせながら消えていった。
「そろそろ見えんじゃねーの? ブルーリー婆さんの寝顔」
そう言ったリクは、何故か列の一番先頭にきていた。リクの好奇心は、恐怖心に打ち勝つ強さを持っているらしい。呆れたようにスカイが首を振った。
「リク、お前だけだろうな。ブルーリーを婆さん呼ばわりするのは。だが、きっとさすがのブルーリーもお前には怒らないのかもしれない。怒るより、呆れるかもしれないな」
タカもうんうんと頷いている。
「得な奴だよお前は。お前の顔を見ていると、怒るのがあほらしくなるのかもな」
フーミィが目をクルリと回しながら笑っている。
いつもなら、そこでリクの文句が聞けるはずなのだが、いっこうに聞こえてこない事にタカとスカイが顔を見合わせてから、リクの様子を見た。
リクは、口をポカンと開けたまま、トンネルの行き止まりになっている、丸い穴から中を覗き込んでいた。リクの様子に気付いたヒルートも中を覗き込むが、一瞬にして表情が険しくなる。
トンネルの終わりになっている場所は、トンネルの中よりも少し明るく、熱気が穴から勢いよく出てきていた。ヒルートは、固まったままのリクをそっと元の通路に戻した。タカとスカイは、ヒルートの横まで静かに近寄ってきた。タカが、リクの肩に手を置いた。
「リク、どうした? 大丈夫か? 何が見えた」
ヒルートが、静かに首を振る。
「この中は、大きな空洞のようになっている。実は私も初めてここまで来たので、はっきりとは言えないないが、ブルーリーの大きさで言えば、5頭は楽に入れる大きさはあると思う。その一番奥に、ブルーリーがいたんだが……それが、一頭きりではなくて……あのひねくれ竜は何を考えているんだ」
タカが眉間にしわを寄せた。
「ヒルート王子、何を見たのかはっきり言ってください」
ヒルートが言いにくそうに口を歪めてスカイを見た。
「人間の若い男の死体と一緒なんだが、炎で焼いては、その後に舐めている……人間に忠誠を誓った竜が、人間を喰らうとは聞いた事がないのだが」
ヒルートの言葉を聞いて、驚愕した表情のスカイが開いた穴から飛び込んでいった。タカも、リクの身体をヒルートに預けると、あわてて後を追った。ヒルートは、止める間もなく穴に飛び込んでいった二人を心配そうに見たが、タカに押し付けられたリクの体が重くて、直ぐには二人を追う事が出来ないでいた。ローショに助けてもらおうと、口を開きかけたその時、大きな叫び声が聞こえた。
リクをローショに投げるように押し付けて、穴の前に走っていったヒルートの目に飛び込んできたのは、大きな空間の中ほどで、光ゴケの青白い光を受けて、闇の中で滲むような輝きを放つ銀の翼だった。
その翼の直ぐ後ろに、スカイとタカが倒れこんでいた。スカイとタカは呻きながらも、意識はあるようで、起き上がろうともがいている。
輝く銀の翼は、二人を庇うように大きく広げられていたが、二人を覆い隠せるほどには大きくなかった。その向こうには、ブルーリーの大きな姿が見えている。
洞窟内によく響く美しい声で叫んだのは、シルバースノーだった。
「ブルーリーの体の中に居るのは誰? お前はこんな所で何をしている。答えなさい」
青白い薄明かりの中で、ブルーリーの瞳が獰猛そうに光っている。だが、その色はブルーリーの深い藍色などではなく、真っ赤だった。真っ赤な燃えるような瞳が、小ぶりの銀の翼を睨んでいる。
『水の領域の銀竜……神の竜か。しかも、想い人を持っている竜とは奇遇だのォ。その身体、わらわが貰い受ける』
そう言うが早いか、ブルーリーが突進してくる。翼をキュッと身体にそわせて、器用に身体をくねらせたかと思うと、鋭い尾っぽがシュッと音を立ててシルバースノーに襲い掛かる。シルバースノーは避ける事が出来なかった。自分の後ろには、スカイがいるのだ、避ければ相手の攻撃はまともにスカイとタカに当たってしまう。
スカイが叫んだ。
「スノー逃げろ!」
スカイの悲痛な叫びは聞こえている。聞こえているからこそ、シルバースノーは、グッと歯を食いしばって与えられるであろう衝撃に備えた。人間の身体をしていても、強靭なことに変わりはないと信じていた。身構えたシルバースノーの目の前で、ブルーリーの尾っぽは、何かに跳ね返される様に勢いよく弾かれた。
何が起こったのか一瞬わからなかったが、倒れているタカの横で、大きく目を見張ったフーミィが魔力を放ったのが感じ取れた。
「シルバースノー。大切な人を守りたいのはあなただけじゃないんだよ。僕だって同じ。さあ、一緒にブルーリーの中にいる奴を追い出そうよ」
「えっええ、そうね。ありがとうフーミィ。でも、あなた凄い魔力を持っているのね」
呻きながら起き上がったタカも感心している。
「凄いよフーミィ。ありがとう助けてくれて」
「そんな事を感心してる時じゃないみたいだよ」
フーミィに促されて前に向き直ると、フーミィの魔力に弾き飛ばされて倒れていたブルーリーが長い首を振りながらもがいている。その様子を見つめながらスカイも起き上がり、シルバースノーの腕をしっかり握って、自分の方に向かせる。
「スノー。私はお前に守ってもらおうとは思っていない。私がお前を守る。どいていろ!」
反論しようとして口を開きかけたシルバースノーだったが、後ろから恐ろしいほどの波動を感じて口を閉じて振り返った。そこには、ほぼ起き上がっているブルーリーの姿があり、真っ赤に燃えているような目が自分を睨みつけていた。
『おのれ〜。小娘が小ざかしい真似をしおって。捕らえてから乗り移ろうとしたのが間違いだったらしい。その身体、無理やり乗っ取ってくれるわ!』
ブルーリーの起き上がりかけていた身体がブルッと震えた後、どさっと地面に崩れ落ちた。
洞窟全体の空気が震えている。何か目に見えないものが、洞窟の中を駆け巡りながら、シルバースノーに迫っていた。
「やめろルビーアイ! 私は戻ってきた。ここにいる、そなたの目の前に。さあ、私のもとへおいで……」
愛しい者を呼ぶような優しい声に、洞窟の中を駆け巡っていた何かが、ピタリと動きを止めた。
皆が、洞窟の入り口の声のする方へ目を向けた。
洞窟の中にいたものは一体何なのでしょうか? ルビーアイとは誰でしょう? ルビーアイを呼ぶ声の正体は? 作者にも分からなくなりそうです。