[30] 面倒な生き物
スカイと裸のままのシルバースノー。誘惑に耐えられるのかな? スカイ王子?
シルバースノーが上がってきた川からは、森の外れまでそれ程離れているわけではない。シルバースノーが裸のまま、森の外れまで来た時にスカイはやっと追いついた。
後ろから見る彼女の姿は、銀の長い髪がほぼ全てを隠していて、髪が揺れる時にチラリと抜けるような白い肌が見える程度だった。だが、スカイがシルバースノーの腕を掴んで振り向かせてしまったために、その目にシルバースノーの全裸の姿が飛び込んでくる形になってしまった。スカイは、あわてて目を逸らし、ヒルートの館の方でも気にするように、落ちつかなげに目を動かしていた。
シルバースノーが、スカイの頬に両手を添えて、無理やり自分の方へ向かせた。
「スカイったら、いつまでそうやって私から目を逸らしているつもり。ちゃんと私を見て」
顔はシルバースノーの方へ向かされていたが、目は横を向いている間のぬけた様子のスカイ。
「スノー無理を言わないでくれ。女性のそんな姿を見つめるなど、そんな失礼な事は私にはできない。スノー、頼むから服を着てくれないか? お前達竜族が服など着ていないことはよく分かっている。だが、お前は今、人間の姿をしているんだ。人間の女性は裸のままで人前には出ないくらい、お前も分かっているだろう」
胸のドキドキが口を急かしてでもいるかのように、スカイは一気にまくし立てたが、目だけが横に向いた状態では、今ひとつ説得力に欠ける。シルバースノーは、何も言わず、ただジッとスカイを見つめている。
スカイは、何かを言い続けていなければ、自分の心臓の音が、シルバースノーに聞かれてしまいそうで、それがとても恥ずかしい事のように思えて、そのまま話を続ける事にした。
「お前はとても賢い竜だ。人間の女性がどのようにしているかは知っているはずだろう。私が魔法で服を出すから、それを着てくれないか? それとも、お前は私を困らせたいのか?」
シルバースノーの手に少し力が入った。スカイの顔を自分の方へ引き寄せる。
「困らせたいのじゃないわ。誘っているのよ」
「誘っている?」
「そうよ。女神様が[水の宮殿]にお戻りになった後、私の呼びかけに飛んできたあなたに、言ったはずよ。今宵、全てをあなたに与えると……」
シルバースノーの唇が、スカイの唇にそっと触れて離れていく。
「あっあれは、全てを話してくれると言う事だろう。私が[竜の思い人]になったことや、いずれはソラルディアの王になると言う事をッ……」
シルバースノーの唇が、スカイの口を完全に塞いでしまった。少しの間、もがいていたスカイだったが、その甘い感触に頭がボーっとしてきた。スカイが、しゃべる気力を失ったのを確認すると、シルバースノーは唇を少し離した。
「そんな事ではないわ。今宵、私達がツガイとなる為に、結ばれる為に、あなたを誘ったのよ。あなたはその為に、川まで迎えに来てくれたのだと思ったのに……」
「ツ、ツガイ……」
「そうよ! なのに、スカイが皆に紹介するなどと言うものだから……二人でいられなくなると思って、なんだか腹が立ってしまったのよ。スカイッたら私の事もあまり見てくれないし、裸のままなら、スカイがその気になってくれるかもって……人間の男性は、女性の裸を見るとその気になるのでしょう。前に、大人の竜たちが話しているのを聞いたのよ。人間の男は、ツガイを選ぶまでは上等の服で着飾る女を好むのに、結ばれる時には、全てを脱がせないとその気にならない面倒な生き物だって……」
シルバースノーが顔を真っ赤に染めているのが、月明かりでも見えた。自分の心臓の音だけでなく、彼女の心臓の音まで聞こえてきそうだった。
スカイは、思わずシルバースノーの頭を抱き寄せた。
「スノーの言う通り、私だってお前の誘いに乗りたい。でも、私たちには、これから長い旅が待っている。使命を果さなければ、私達の未来も子供達も存在しない。だから今は、心が結ばれているだけで十分だろう。これ以上私の理性を揺す振らないでくれ。これでも、とても我慢しているのだから」
「……」
シルバースノーは黙ったまま、スカイの背中に手を回し、しがみついた。もう二度と離さないとばかりに力がこもる。
スカイは、そんなシルバースノーの様子に、戸惑っていたし、どう言えば分かってもらえるのかと頭が痛くなってきた。 心臓は相変わらず、騒音を立てたままだし、どんなに頭を働かせようとしても、いい考えなど浮かんできそうになかった。
とその時、シルバースノーの体が銀色に輝き、ゆらりと彼女を包み込む。
スカイの背から手をほどき、すっと離れたシルバースノーは、裸ではなかった。
「どう? 似合うかしら?」
シルバースノーは服を着ていた。
と言うよりは、輝く銀の鎖かたびらに、柔らかそうな皮のヨロイを身に付けている。皮のヨロイも何故か銀色に輝いていて、足元は素足に銀に輝く柔らかそうなブーツを履いている。
スカイは、ほォ〜と溜め息を漏らした。
「スノー素晴らしい。とてもよく似合うよ。まるで、竜の姿の時のお前を見ているようだ……魔法で出したんだな」
スカイは、何度も頷きながら感心している。
シルバースノーも誇らしそうに、クイッと顎をあげた。
「魔法で出したのじゃないわ。これは私の肌と同じ、竜のウロコを着ているようなものよ。厳密に言うと、裸のままみたいなものね」
シルバースノーはスカイの手を取って自分の方に引き寄せる。
「はら、触ってみて。あなたのよく知っている感触のはずだわ。他人から見れば、服を着ているようでしょう。でも、私は何も身に付けてはいないのよ。この姿なら、人間の流儀に反せず、竜の強さも兼ね備えているわ。いざと言う時には硬い鎧になる。スカイ、あなたを守る事も出来てよ」
シルバースノーの輝く鎧にそっと触れてみるスカイだった。
「柔らかい……それに温かい、まるでスノーそのものだ。この姿なら、私も落ち着いていられる。スノー、素晴らしいよ」
「あら? スカイは私がこの姿でない時には落ち着かないの?」
シルバースノーは、悪戯っぽく微笑んだ。
「え? いや、それは……もういいじゃないか。さあ、皆の所へ行こう」
スカイは、シルバースノーの手を取って、優しくエスコートするように歩き出した。シルバースノーも、嬉しそうにスカイに寄り添う。
「スカイ、皆には私をあなたの婚約者として紹介して下さいね。今夜、結ばれるはずだったのですもの、それくらいは承知して頂きたいわ」
まるで大人の女性の様に、落ち着いた声音で話すシルバースノーに、スカイは一瞬戸惑い口ごもっていたが、諦めたように頷いた。
シルバースノーは、スカイが頷いたのを見ると、満面の笑みを浮かべて愛する人を見上げた。その後は、何が嬉しいのかニコニコ笑いを浮かべたまま、スカイの腕にしがみついて歩いている。
(女ってものは、手に入れた男は自分の思うままに動くものだと思い込む生き物なのか? いや、女の思うままに動くことに喜びを感じているのは、男の方なのかもしれないな。スノーの喜ぶ笑顔は、とても心地良い。でも、婚約者として紹介する事がそんなに重要な事なのだろうか? 女と言うものは分かり難い。それとも竜だからか?)
スカイは一人、考えを巡らしている、こうやって男と女の関係はおおよその場合、表面的に女に主導権が渡ってしまうものかも知れない。そして、主導権を握られた男は、女の見栄や小さな嫉妬に翻弄されるものなのだ。とは言え肝心な時には、やっぱり男が自分の能力の限界と戦いながら、危機を脱していかなくてはならなくなるのは間違いない。だが、それまでは大人しく女に主導権を預けたふりをしていた方が無難なのは間違いないだろう。
女が主導権を握りたがる事柄は、いたって可愛らしいものが多く世界を左右する事には及ばない。だとすれば、素直に言う事を聞いてやるのが、幸福を長く味わえる秘訣だろう。なぜなら、愛しい女を怒らせるほど、恐ろしい行為はないのだから。
歩きながら、シルバースノーが話し掛けて来た。
「スカイ? やはり人間の男は、女性を裸にしないとその気にならないの?」
スカイは、シルバースノーの質問にむせて咳き込んだ。
「んっうん。スノーお前が聞いた事は、表面的なことだけだ。人間の男は自分の愛しい人が、他人からより美しく見られたいものなんだ。それに、愛しい人の裸は、絶対に他の男に見られたくない。それを見られるのは自分だけだと思いたい。人間にとって飾らない、隠さない自分自身を見せられるのは、愛しいと想う相手だけなんだ。それは、相手にとって自分は特別なんだと言う事を示す儀式みたいなものさ」
「そうなの。人間はやはり面倒な生き物だわ。ツガイになれば、する事は皆同じなのに」
シルバースノーの明け透けな物言いに、スカイはまたむせて咳き込んだ。
スカイと人間の姿をしたシルバースノーが館に入ると、物音に気付いたフィーナの父親が小走りに現れた。
「お帰りなさいませ。スカイ様、っとこちらのご婦人は? あっいえ、差し出がましい事をお尋ねいたしました。申し訳ございません」
シルバースノーが優しい笑みをフィーナの父に向けた。スカイが、自分の腕にかかるシルバースノーの手をやさしく包み込んだ。
「かまいませんよ。それより、こちらのご婦人をヒルート殿と、私の連れの者達に紹介したいのだが、まだ先程の食堂に皆は集まっていますか?」
フィーナの父はすっと手を先に伸ばすと
「はい、まだ食堂の方にいらっしゃいます。どうぞ」
と言って、すっと体を引いた。シルバースノーは嬉しそうに瞳を輝かせ、スカイを見上げた。仲良く歩を進めていく姿は、長く連れ添った夫婦のように息が合っていると、フィーナの父は思った。
フィーナの父は軽くノックすると扉を開き、そのまま横へ退いた。
「ヒルート様。スカイ様が美しいご婦人をお連れになられました。皆様にご紹介なさりたいそうです」
その言葉に、ほとんど食事を終えていた皆の視線が、扉に集中した。
全員がポカンと口を開けた。
リクが、食べていたデザートの木苺のケーキをゴクリと飲み込んで呟いた。
「女神さまじゃねーか? ん? ちょっと違う?」
リクのセリフは皆の心を代弁しているようで、皆が頷いている。
スカイがシルバースノーの手を引いて、部屋の中ほどまで入ってきた。
「こちらは、シルバースノー……彼女は[神の竜]と呼ばれる銀竜の種族で、ん〜アッえェ〜」
冷ややかにシルバースノーがスカイを睨んだ。
「スカイ。いつまでそうやってごまかしているつもり?」
婚約者として、紹介して欲しいと言われていたのは、しっかり覚えているスカイだが、自分の口からそれを言うのが、これ程恥ずかしいとは思わなかった。だが、シルバースノーを失望させる事など出来はしない。言わなければ、この場は納まらないだろう。
「彼女と私は、人間と竜という壁を乗り越え心を通い合わせ、愛し愛される存在となった。スノーは私の為に生まれてきたと言った。私と結ばれ、世界を救うのが彼女の使命だそうだ。そして今夜、私達は婚約した。私はソラルディアの王となり、ソラルディアを統一していく。これが、古くからの慣わしの中にあった、私の使命だ」
事務的な口調で、スカイはやっと言い終えた。ホッとしていると、ローショがスカイとシルバースノーの前にでてひざまずいた。
「スカイ様。そしてシルバースノー様。私はお二人に忠誠を誓います」
スカイが慌ててローショの肩に手を掛けて屈みこんだ。
「ローショ? 何を改めて忠誠を誓いなおしているんだ。そんな事しなくとも、お前の忠誠心は信じて余りあるものではないか」
ローショは、スカイを強く見つめて首を振った。
「いいえ。私は今、ソラルディアの王に忠誠を誓ったのです。そして、ソラルディアの王妃にも忠誠を誓いました。私の使命は、あなた様の為にあるのです。直ぐにでも、青竜ブルーリーと共に竜族を招集しに参ります。スカイ様が一日も速く、ソラルディアの王となられるために、私は使命を果します。お任せください」
ローショの真剣な眼差しに熱い思いを感じて、スカイは胸が詰まっていた。
その時、リクが叫んだ。
「そうだ! ブルーリーの事、忘れてネーカ? スッゲー怒ってたらどーする? みんな丸焦げにされちまう! 特にヒルートはやばいんじゃねーの」
あまりにも色んな事がありすぎて、自分達が厄介な事を忘れていたのを思い出して、背筋が寒くなる一行だった。
タカが、はァ〜と溜め息を漏らす。
「リク、お前なァ思い出したとしても、それを言うタイミングを考えろよ。ローショさんの誓いを台無しにしたんだぞ」
タカに言われて、リクはローショに謝ろうと彼を見た。
「ローショさん? ゴメン、でも震えるぐらい怒んないで欲しいんですけど」
ローショは震える声で答えた。
「……ちがいます……怒ってなどいません、ただ恐ろしいのです。ブルーリーの怒りが……」
周りから大きな溜め息が上がった。スカイがローショの肩に置いた手でポンポンと肩をたたいた。
「ローショ、お前の唯一の弱点を思い出した。これから大丈夫なのか?」
ローショは、情けないほど頼りなげにスカイを見つめた。
「スカイ様、ブルーリーが人間の老婆に変身してくれるなんて事はないのでしょうね……」
「有り得ない事だろうな。私には、人間の老婆になったブルーリーの方が恐ろしいようにも思えるけどな……」
ローショの肩がガクッと落ちた。この世に怖いものなど無いように見えるローショの弱点は、竜を必要以上に恐れている事なのは言うまでも無い。そんな彼の使命がブルーリーと共にあるとは、皆がとても不思議に思っていた。
思い出したのはいいけど、怒り狂ったブルーリーと一緒に使命など果せるのでしょうか?




