[3] 異世界への扉
レインが[異世界への扉]を見つけてからの7年間を追いかけています。レインがどんな少女だったか解っていただけるとよいのですが・・・
レインは急いでいた。
長いドレスの裾を少し持ち上げ気味に、小走りに必死で進んでいくレインを 巡回中の衛兵達が失礼のないように避けるのは、かなり難しい様子だ。
若い衛兵の一人は我が城の姫君との衝突を避ける為に二階の通路から雨の上がったばかりのビショビショの庭に飛び降りなければならなくなった。
怪我をしなかったのは、若さゆえの敏捷さがあったからだろう。
侍女達は仕事を片付けながら
「姫様は、またどんな遊びを思いつかれたのかしら」
と噂話に花を咲かせた。その中の一人など、
「まるで恋人に会いに行く町娘の様なお顔で……ゥフフ」
と意味ありげに笑ったのを侍女頭に見咎められ、しばらくの間、外仕事にまわされた。
そんな事を知る由もないレインは、今にも匂いだしそうな花の彫刻が施された自室の重い扉の前で、ぶつかる直前で立ち止まった。
ドレスから手を離すと、片手でドアノブに触れ、自ら掛けた施錠の魔法を解き、中に入ると直ぐにまた魔法を掛け直した。レインはそのままベットルームに入っていった。
「間に合った。もう消えてしまったかと気を揉んだわ。スカイとの会見は時間を取り過ぎてしまったもの」
彼女のベットの上には扉があった。空中に浮いていてあり得ない場所にあるのだが、輪郭はハッキリしないものの、確かに扉はそこに存在している。この国ではお目に掛かれない種類の材質で出来ている様で、とても無機質な感じがするし、好きにはなれないとレインは思っていた。
勿論、レインが恋する町娘の顔で必死に走ってきたのは、この好きになれない扉を見るためではない。
初めて扉がベットの上に浮かんでいるのを見つけたのは、もう7年も前のことで、当時まだ幼かったレインだが、持ち前の勝気さと好奇心の強さは恐怖を乗り越えるのをたやすくした。
手始めは扉を調べる事で、十分に眺め回した後、そっと触れるとスルッと手が通り抜け、通り抜けた先の手は見えなくなってしまうのを知った。直ぐにこの扉がレインの魔術教師も兼ねている執事タナトシュの授業に出てきた[異世界への扉]ではないかと思い当たった。
それからと言うもの、城の図書館では勤勉な賢い姫様が頻繁に目撃されるようになった。だが、独学にも限界を感じるとレインはタナトシュを追い掛け回し、彼に気取られないように気をつけながら、色々な質問の中に[異世界への扉]の質問を織り交ぜ、自分の知りたい答えに導いていった。
この事を取ってみても、レインは色々な才能に恵まれている様である。このソラルディアでは、ほとんどの者が少しの魔力を持って生まれる。その中でも、ごく少数の魔力の強い者だけが、魔法を学ぶのを許されていた。レインもその1人であり、その能力はかなりのものだと、生まれて直ぐに解ったため、王家では久々の雲の魔術師候補として、期待を一身に受けているのである。
雲の魔術師とは、この雲の領域を司る魔術師の事で、領域内の自然や天候を管理できる能力を持ち、人々の心身のバランスを保つ魔術から、城の守りの魔術などありとあらゆる方面から、領域を保つ力を持っている。領域の王ですら、領域の魔術師には一目を置く存在なのである。
その地位は、ここしばらくの間空いたまま埋まる事はなかった。魔法学校の教授をしていたタナトシュが執事と言う肩書きをもらい、城に職を得たことを考えれば、王家から出るであろう雲の魔術師への期待度の高さも解るだろう。
タナトシュはと言えば、レインの噂を耳した王に呼ばれ
「レインの魔術の勉学ははかどっておるようじゃな。城内でも、かなりの噂の様ではないか」
と嬉しそうに微笑みながら質問してきた王に向かって、大げさな身振りを交えながら、高らかに、こう宣言してしまった。
「レイン様は、魔術への目覚めが他の者より大変早く、才能もかなりのものでございます。将来きっと偉大な雲の魔術師になられるでしょう。レイン様の魔術の才が大きく花開くためでしたら、このタナトシュ、どの様な助力も惜しみませぬ。どうぞ、お任せくださいませ」
その姿は、「晴れの舞台に立つ役者の様だった」と城内でこれもまた噂になってしまうほどだった。タナトシュにすれば、レインの熱心さと才能の開花は、自分の功績でもあると自負していたため、後に自分の愚かさを大変悔いる事になるとも知らず、レインの質問には質問以上の答えを与えてしまっていた。こうしてレインは、何も分かっていないタナトシュの助けを十分に借りて[異世界への扉]の知識と魔術の力をを高めていった。
[異世界への扉]とは、レイン達の住む世界と少しずつ重なるように存在する異世界との接点の歪みによって生じる物で、扉とは言われているものの、実際には扉の形は成さない。
レインの扉は扉の形をとっているのだが、それはたんに普通の扉の前に[異世界への扉]が開いただけの様である。
扉のある異世界との接点は一定の法則なしに移動する為、同じ場所に常に存在するものではなく、とても不安定であり、いつ何処に現れるかは神のみぞ知る類の物らしい。それでも扉を固定する方法はある。そしてその方法など、ありとあらゆる知識をレインはタナトシュの知識と図書館の膨大な蔵書から学んでいった。知れば知るほど扉が二度と現れないのではと不安になったが、毎日それは同じ場所、レインのベットの上に同じ時間に現れては消えていった。
不思議な[異世界への扉]を誰にも知られず自分のものにし、いつか必ず異世界への旅に出掛けると言う壮大な夢はあったのだが、それだけでは今のような緊迫感はなかったのだろう。
有る時からレインを(恋する町娘)に変えてしまった原因が無機質な扉を開けて出てくるのを知ってしまった為、レインにとって失敗は恐ろしい悪夢の様でしかなくなっていた。
ある昼下がり、いつもと同じようにベットの上に図書館の本をひろげ、扉の事について調べている時それは現れた。音もなく開けられた扉から、栗色の巻き毛に栗色の瞳の少年が飛び出してきた。とは言っても、勿論あちらの世界の中の事で、レインのいるこちら側に飛び出したのではないのだが、レインにとってはそれ以上の衝撃があった。
レインはこの少年に運命を感じたし、それを信じる事が出来た。普通そのような感情を一目惚れと言うのだが……レインは運命を信じたのだ。恋する乙女のパワーは計り知れないもので、アッと言う間に扉を固定する魔法と、魔法に使う素材を調べ上げた。
魔法の呪文や空中に描く魔法円とスペルは時間をかければマスター出来たが、魔法に使う素材となると自分の力や努力だけではどうにもならない事もあり、かなりの苦労があったのは間違いない。
それと言うのも、扉を固定させる魔法に使う素材について書かれた[時と空間の魔法全集第12巻]に
〜素材は、空・大地二つの領域でそれぞれに育った生物の一部であり、
他者の魔法の影響を受けておらず、自らの魔法でのみで存在するもののみである〜
との記述があったからである。
自分は雲の領域から出る事は許されない年齢である。その為、二つの素材を集める方法はかなりの部分で誰かに頼らなくてはならないと思い当たったレインは、誰に・何処で・何をさせるか、の計画を綿密に立てなくてはならなかった。
まずは身近な所からと言う事で、空の素材はスカイが飼い始めたばかりの、生まれて間もない赤ちゃん銀竜シルバースノーのウロコと決めた。
銀竜シルバースノーは[空の城]の領域にある浮遊山の頂きで、孵化を間近に見つけられた。 野生の竜は最近では珍しくなっている。シルバースノーは孵化した後に今では希少価値の純粋種である事が判明した為、第一皇子であるスカイの騎乗用の竜として城に上げられた。
レインを女性としてみる事はなかったスカイだが、実の妹の様に可愛がり、レイン自身も、スカイが自分のワガママを簡単に受け入れてくれる事を知っていた。レインは早速スカイに手紙を送った。
「お願い。スカイお兄さまの竜が直ぐに見たいの、こちらに銀の竜の赤ちゃんを連れて遊びにきて。ウワサの美しい銀竜が早く見たいの。絶対に直ぐにね。スカイお兄さまへ」
手紙を受け取ったスカイは、レインのワガママに逆らう事など出来るはずもなく、二日後には[雲の城]に到着していた。竜の子供は成長するまで他者の魔法を嫌う為、スカイは魔法で動かす飛風艇を使わず、[空の城]の青竜に乗って来ていた。
青竜を見たレインは(大人の竜の方が魔法がシッカリするかしら)と思いあたり、そっと青竜の後ろに近付き、青竜の尻尾に手を伸ばしかけた。
「何をなさいます。竜の尻尾に近付くなど正気の沙汰ではございません。レイン様ときたら、皆が肝を冷やす事ばかりされるのは歩き始められたばかりの頃から変わられない」
叫びながら、慌てて走ってきたのはスカイの侍従だった。
「この青竜はしっかりと訓練を受けてはいますが、一般には青竜は獰猛なのですよ。レイン様に何かあれば、スカイ様も困ったお立場になられます。お気をつけ下さいませ」
スカイの従者でありながらレインに対して説教できるこの青年は、名をローショと言いスカイと共に[雲の城]に長く住んでいた為、レインの悪戯には慣れている。青竜の近くにいるレインを見つけて「何か仕出かされては我が王子の一大事」とばかりに飛んできたのである。
「ごめんなさい。ちょっと触ってみたかったの。だって[雲の城]には竜はいないのだもの。ローショ……そんなに怒らないで」
レインの上目使いの甘えた表情には、ローショもスカイと同じに何でも許してしまうのだ。
「いえ、私も少し言い過ぎた様です。申し訳ございません」
簡単に許しを貰ったレインは、獰猛な成竜をわざわざ目標にすることもないとアッサリと諦め、サッサと目標を赤ちゃん竜に絞った。
レインは、早速ウロコを盗ろうとスカイからシルバースノーを借りて、皆から離れた所までやって来た。レインにも軽々抱ける程に小さな竜は、ひんやりとした感触なのに、喉の辺りはなんだか熱いような感じがした。
ジッとレインを見上げる金色の瞳は真ん丸で愛らしく思える。シルバースノーの名の通り、その体は何者にも侵されていない山の頂の白銀の雪を思わせ、レインをうっとりとさせた。成長すればかなりの大きさになるのだろうが、美しさは体の成長以上になるであろうとレインにも容易に想像できた。
「ウロコを盗るのは勿体無いわね……でも、仕方ないのゴメンナサイね」
レインが小さな声で独り言を言うと、シルバースノーは、まるで言葉が解ったかのように突然レインの手を逃れようともがき始めた。赤ちゃんとは言え竜なのだからウロコを盗ろうにもそう簡単にはいかない。ソーっと抜こうとするのだが、シルバースノーは危険を感じ取るのかレインから目を離そうとせず、体をくねらせながらどうにか逃げようとしている。この機会を逃がすわけにはいかないし、早くしないとスカイやケトゥーリナがこちらに来てしまうと焦ったレインは強硬手段に出た。
これもレインの悪戯武勇伝の一つとして語り草になっているのだが……ウロコを無理やりに引っこ抜かれたシルバースノーは痛みと怒りで生まれて初めて炎を吐いた。まだまだ小さい炎ではあったが、その炎は、レインの長い髪の右半分を肩まで燃やしてしまった。
もし、シルバースノーではなく青竜を狙っていたら。考えるだけでも恐ろしい結果になっていたのは間違いない……ローショが来てくれたのは感謝してもしきれない気がする。
さすがのレインもこの時ばかりは肝を冷やした。城内は勿論、大騒ぎになり、責任を感じたスカイは雲の王に謝罪を入れ、自分とシルバースノーはいかような罰を科せられようと構わないとまで申し出た。
だが、この事件の結末は
「あのじゃじゃ馬め。竜のウロコを引っこ抜くなど信じられん。そなたの竜も可哀想なことをした。のうスカイよ、シルバースノーの罪は美しすぎる事。スカイそなたの罪はこの雲の王と同じ、レインに甘いと言う事よ。どちらも罰は与えられん。そのような事をすれば、このワシも罰を受けねばならん。だが、あのワガママ姫の事、また同じ事をしでかさんとも限らん。シルバースノーは訓練が終わるまで[雲の城]への立ち入りを禁ずる。それで許してはくれぬか……」
この様に、レインの非を解りすぎる程に解っていた王の謝罪という形で終わる。勿論、レインは「しばらくの間を自室にて謹慎」と言う罰は与えられたが、シルバースノーのウロコは騒ぎの中で紛失したとシラを切り通し、ベットルームに籠もったまま、次の素材の入手方法を考えていた。
次の素材は大地の素材。
これは、[大地の城]との親善大使を任命されたばかりのケトゥーリナに頼む事にした。
「姉様……親善大使の任命式での姉様は、とっても綺麗でさっそうとしていて、私の憧れだわ」
目をキラキラ輝かせて自分を見つめるレインを見たケトゥーリナは(また何をおねだりするつもりかしら)といぶかしんではみるもののいつもの如くレインに言い包められ、自分の人生を変える大変な出来事になるとも思わず、おねだりを聞いてしまうのである。
ケトゥーリナの初の親善大使としての[大地の城]訪問は思いのほか早くやってきた。[大地の城]に到着すると、大地の王との会見の席で、王からありがたい提案を受けた。
「初めての親善大使の役目、不安や気負いでもう疲れておいでではないかな。この会見も形ばかりのものじゃ。今回の訪問は顔合わせと思ってゆっくり滞在されるが良かろう。大地の領域の素晴らしさをじっくり感じて欲しいものじゃ。今夜の晩餐パーティー、明日の各セレモニーへの出席を終えられれば、大使は晴れて自由の身じゃ。楽しまれるが良かろう」
王に提案された事により、長期滞在期間を得られたケトゥーリナは、レインのおねだりの品である〜魔法の影響を受けず、最近では大地の領域と緑の領域の境にしか生息していない野生の花〜を採集に、ごく少数の供と護衛しか連れず境までの往復四日間の旅に出掛けた。
二日目の昼過ぎには境に到着したのだが、レインの欲しがっている自らの魔法を持つ野生の花は、なかなか見つからず、やっと見つけ出した時には陽は沈み始めていた。
花はみずみずしい花弁を揺らし、まるで自らの中に誘い込もうとする様に甘い蜜の香りを放っていた。魅惑の魔法でも掛かっているのかといぶかったが、護衛について来ていた[大地の城]の兵の1人が領域内の草花の知識に富んでいた為、魔法を掛けられているのではなく、この辺りにしか咲かない〜魅惑の花〜と呼ばれる大変珍しい野生種である事が判明した。この兵は大地の王がケトゥーリナの遠出の目的を知り、わざわざ護衛につけてくれた者である。珍しい花と聞き、レインの希望に添う物だと確信したケトゥーリナは、[雲の城]から持ってきていた植木鉢に魅惑の花を植え替えて大切に保管した。
全ての作業が終了した時には、護衛の兵士たちによって天幕が数個張られていた。ケトゥーリナは、可愛いレインへの土産を、自らの手で採取したがった。ケトゥーリナのおぼつかない手元をみて、皆は日が暮れてしまうと覚悟を決め、周辺を見回った兵士たちも危険も少ないと判断し仕方なくその晩は境近くで野営する事となったのだ。
食事の後、ケトゥーリナは一番大きな天幕に供の侍女と一緒に休む事になった。その他の侍女と供の男達は小さな天幕に別れて入り、見張り以外の兵たちは天幕の外で、それぞれの毛布に包まった。
昨夜は王の紹介もあり、大地の領域の伯爵の城に宿を借り、手厚い歓迎を受けていたし、今夜もその予定であったが、伯爵の城までは、ここから半日はかかる。野営は選択の余地のない事だったのだ。
この様な事もあろうかと、野営の準備に余念のなかった護衛隊長は、誰にも聞こえないように祈りながら、安堵の溜め息をそっとついたのである。
[雲の城]で育ったケトゥーリナにとって、野営は初めての体験となった。疲れてはいるものの、天幕の直ぐ外の自然の囁きに不安より憧れめいたものを感じた。なかなか寝つかれないケトゥーリナは、ぐっすり眠っている侍女を起こさない様に注意しながら天幕をそっと抜け出した。
交代で見張りについているはずの護衛の兵士は、顔は見えないが侍女の1人であろう女性と、何やら寄り添うようにして話し込んでいる。ケトゥーリナは(これでは見張りにならないじゃないの)とは思ったが、これ幸いと話しに夢中の二人を上手くかわして境の森の近くまで歩いて行った。
月は明々と森を照らし出し、誰の手も加えられていない自然の姿はケトゥーリナの眠っている何かをくすぐる様な妙な感じがした。それでいて心地良い緑の香りは、自分の生まれ育った城よりもなぜか懐かしい気持ちにさせた。
気が緩んでいたその時、音もなく大きな冷たい手がケトゥーリナの口を塞ぎ、アッと言う間に抱え込んでしまった。
「騒ぐな。静かにしていれば手荒なまねはしない。わかったら首を縦に振れ」
穏やかだが有無を言わさぬ強さを感じさせる声に、思わずケトゥーリナは頷いた。
「ここは既に境を越えている。緑の領域だ。この様な場所をうろつく輩には見ないな。何をやっている……事によれば容赦はしない」
そう言ってケトゥーリナを抱えたままで、自分の方に向かせた男は、以外にもかなり若いようだ。若者の緑の民である事を示しているエメラルド色の瞳に見つめられると、ケトゥーリナの心臓がドキッと大きく鳴った。それと同時にその音が相手に聞こえるのではないかと危機的状況にありながら恥ずかしさに頬を赤らめた。だからこそそれを相手の男に知られまいと、いつもの皇女の顔を取り繕った。
「私は、[雲の城]からの親善大使です。公式訪問を終え今は休暇中。大地の領域を見て回っていたのです。怪しい者ではありません。境を越えたなどと知らなかったのです。そなたこそ何者なのです。この手を離しなさい無礼者」
男は笑いをかみ殺した顔でケトゥーリナを見つめている。
「何なのですか。無礼は許しませんよ」
「イヤ申し訳ない、あまりに抱き心地が良かったもので……あなたは間違いなく雲の城のお姫様でしょうね。クククッ」
そう言い、笑いをこらえながらケトゥーリナの腰に回していた腕をほどいた。
「当たり前です。なぜ笑っているのです。無礼にもほどがあります」
体に自由が戻り、ケトゥーリナはあわてて夜着をなおしショールを肩まで引き上げた。
「おかしいですよ。護衛に守られた天幕の中に居れば良いものを、そんな格好で歩き回るなどここは城の中庭ではないのですよ。まァ……私には都合が良かったかな。でも、こんな危険な場所で見も知らぬ男に自分は姫様だとばらすなど、身代金目当てにさらわれますよ。世間知らずもいいとこだ。ほら、あなたの大きな声に護衛達が気付いたようだ。私は消えるとしよう。では、御機嫌よう。また、近いうちにお目に掛かるでしょう」
そう言った瞬間に男の姿は森の中に消えていた。森の住民である緑の民は、森の中を自由自在に動き回りその姿を見つけるのは至難の業だとは耳にしていたケトゥーリナではあるが、あまりの素早さに息を呑んだ。チラリとしか見えなかったが、その姿はスラリとしていて好ましかったし、身なりも簡素ではあるが、質の良い物に思われた。この辺りを徘徊する無法者ではないように感じた。
「また会うですって。あんな男になど、もう一度会うはずないわ……」
言葉とは裏腹にケトゥーリナの心は、再会を期待するように高鳴っていた。そんな事件から一週間後、明日には帰ることに決めている旨を大地の王に伝えると
「今夜、緑の城からの親善大使が到着された歓迎の晩餐パーティーを催すので、ぜひとも出席頂きたい」
と王から伝言が届いた。その[緑の城]の親善大使と言うのが、森の中で出会った男、[緑の城]の第3王子キートアルであったのは言うまでもない。
キートアルは、時々[緑の城]を抜け出しお気に入りの境の森までフラリと出掛ける事があり、偶然にも天幕を抜け出したケトゥーリナに出会ってしまった。
「初めて見た時は、夜の精霊かと思いましたよ。アッと言う間に私を虜にしたのは、魔法の力ではないでしょうね。ケトゥーリナ、あなたは〜魅惑の花〜のような方だ」
そんな口説き文句にも、初めはかたくなに反抗していたケトゥーリナだが、森の中ですでに恋に落ちていたらしく、滞在期間を延長することはやぶさかでなかった。これが、駆け落ちした二人の馴初めである。勿論、頼みごとをした当の本人のレインは大地の素材もキッチリ手に入れた。
「もう。姉様ったら遅いわ。あまりに遅くてお迎えに行こうかと思っていたのよ」
「そぉ……ごめんなさいね……」
城に帰ってからのケトゥーリナの様子が、今までと違うのは気になったが、レインは素材の二つ目が、とてもよい状態で入手できた事に気を良くして浮かれていたし、早く[異世界への扉]を固定させようと気が焦っていた事もあり、あまり気に留めなかった。
結局レインが、今陥っているスカイと婚約しなければならない状況は、スカイの婚約者であったケトゥーリナを、境の森まで行かせてしまった自分が蒔いた種だったと言う事になる。その事に思い当たるのはまだまだ先になる。
レインは、他力本願ではあるものの、魔法に用いる素材を揃えたのだ、早速に最初の魔術にとりかかることにした。自室に何重もの施錠の魔法をかけ[異世界への扉]の前に立った。
少し手が震える。掌にのせたシルバースノーのウロコと魅惑の花は、レインのふるえとともに小刻みに踊り、手から落ちてしまいそうに見えた。
「落ち着いて。失敗は許されないのよ。素材をもう一度手に入れるなんて無理だもの。落ち着いて」
そう自分に言い聞かせたレインの手は、もう震えていなかった。グッと手を扉の中心に押し出すと、一気に呪文を唱え始めた。何も持っていない方の手は、それ自体が別の生き物でもあるかのようにクルクルと回りながら空中に魔法円を正確に描いていく。室内の温度が徐々に上がり、レインの額にも玉の汗が噴き出している。呪文を唱える声と魔法円を描く手の動きがピタッと同時に止まる。すると、レインの掌にあったシルバースノーのウロコと魅惑の花はパッと燃え上がったかと思うと、全てが細かな輝く砂粒のようになり、[異世界への扉]の周囲を円を描くように回り始めた。
「フゥ終わったわ。これで完璧なはず。あなた達、しっかり扉を捕まえててね」
レインは、そう言うとそのままベットに倒れこみ眠ってしまった。自分の技量を超えた魔術を使った為にレインは思いのほか体力を奪われていた。何時間そうして眠っていたのか、バンバンと扉を叩く音にレインの眠りが覚める刹那、扉からあの少年が飛び出してきた。
『レイン。やっと会えたね』
そう言って少年はレインをだき、だき、だき……しめ……
その時やっとレインは現実の音に驚いて跳ね起きた。
「夢かァ」
「レイン様。レイン様、そちらにおいでなのですか。ドーリーです。そこにおいでなら扉をお開け下さい。どうなさいました、レイン様」
バンバンと扉を叩く音とドーリーのくぐもった声は部屋の扉の向こうから聞こえる。
「ドーリー、今空けるから、そんなに叩かないで。扉から少し離れてて」
そう声を掛けてから、ベットルームの入り口にもたれたまま扉に何重にもかけた施錠の魔法をほどいていった。今のレインには、それだけでも非常に疲れる作業で、今にも崩れ落ちそうになるのを気力だけで立っていた。慌てて部屋に入ってきたドーリーに抱きとめられなければ倒れていたかもしれない。
「お昼をお取りになってからお部屋に籠もられたっきりで。この様な夕刻まで何をなさっていらしたのです。皆様、晩餐の席に着かれてらっしゃいますよ。このままベットへお連れし……レイン様あれは何でございますか」
「……」
[異世界への扉]が見つかってしまったと慌てたレインだったが、そこにあるのはクルクルと回る扉の守り番の美しい円だけだった。
これなら、タナトシュ以外には当面のところ解らないだろう。レインはホッと胸を撫で下ろした。
「部屋の模様替えよ。綺麗なオブジェでしょ。でも、あなたの部屋にはしてあげられないわ……疲れすぎる魔術みたいなの……夕食はいいわ……もう一度ねかせて……」
そう言いながらドーリーにもたれかかったレインは、立っているのも辛かった。
「まァ、こんな事をなさっていらしたのですか。私の部屋に飾って下さらないなんて残念な事。とても美しいのに。さっ早くベットに参りましょうね。でも、疲れていても食事抜きはかえってお体に良くありませんよ。後でこちらまでスープをお持ちしましょうね」
そう言うとドーリーはレインをベットに連れて行き、手馴れた様子でレインのドレスの胸元を緩めて、ドーリー特製スープを作りにいそいそと厨房に下りていった。
ドーリーについて部屋に入ってきていた侍女達も、口々にレインの作った魔法のオブジェを心の底から賛美した。レインは何か誇らしいような充実感の中もう一度眠りに落ちた。勿論、少し経ってからドーリーに無理やり起こされ特製スープを胃の中に流し込まれたのは言うまでもない。
レインは、その後回復するまでにまる二日の間ベットで過ごすはめになった。レインにとってこの事は今後の計画をじっくりと考え直すきっかけとなった。
タナトシュもレインの様子をドーリーに逐一報告させていたが、そのように体力を消耗するような魔法で作ったオブジェとはどのような物だろうと気を揉むばかりで、姫様のベットルームに入る許しは決して下りる事はなかったのは当然である。当のレインが頑なに拒絶していたのだから。
そんな事もあり、計画を進めるにはもっと慎重に人知れず行わなくては実現する前に終わってしまうと考えたレインだった。もっと魔法の力量と体力を付けなければ、レインの計画を実行することは叶わない。次に行おうとしている魔法は扉を固定する魔法よりも遥かに難しくなるのだから。
初めて扉を見つけてから、すでに5年の月日が流れ、レインは11歳になっていた。扉の中の少年も、やはりレインと同じように育っている様で、ますますレインの胸を高鳴らせていた。
『早く会いたい。私があなたを見つめていると気付いて欲しい』
そんな思いに駆られるのだが、レインは逸る気持ちを抑えてじっくりと魔術の鍛錬を続けていった。
2年の時が過ぎ、やっと自分の魔法の力に自信が持てるようになっていた。成長とともに体力も上がり二度と前回の様にはならないとレイン自身は確信していた。
近頃になると、扉の中から出てくる少年の家族も時折だが見る事が増えていた。扉が現れている時間が少しずつ長くなっている様である。少年より少し年上に見えるもう一人の少年は、彼の兄なのだろうと思うのだが、あろうことかその顔は、スカイに瓜二つだった。
兄の方は、レインの勘違いなのかもしれないのだが、ジッとこちらを見ている様に思える時が何度かあったが、それ以上の事は何もなかった。
レインのお気に入りの少年はと言えば、何も気付く様子もなく、母親らしき女性に追い立てられるように出掛けていくのが常だった。
こうして今、スカイとの気の乗らない面会も終わり、扉の前に立つレインは望みを叶える準備をしっかりと整えていた。
そして、その時はやってきたのだ。
「さあ、早く出てきて。この時を待っていたのよ……」
異世界のソラルディアのキャラクターが沢山でてきましたが、リクとレイン二人との関わり方が上手く書けると良いのですが・・・