[27] リクの恐怖
世界の崩壊、それはどのように訪れるのでしょうか?
リクが入り込んだ世界は、現実?
女神が見せてくれると言った、世界の崩壊の様子を、それぞれが想像しながら待っている。
リクは以前に友達の翔汰と見に行った映画のシーンを思い浮かべ、大きな津波が押し寄せ人や家や車を飲み込んでいく光景が頭をよぎった瞬間、瞼の裏のスクリーンに映像らしきものが映った。
スクリーンに映し出されたと思ったのもつかの間で、その映像はそのまま体を包み込んで、まるで自分自身が映像の中に入り込んでしまったかのように思えた。
リクは直ぐに自分の鼻孔に異臭を感じ、鼻と口を押さえた。
異臭の根源を確かめようとぐるりと辺りを見回す。
しかし、海岸であろうその場には、打ち寄せる汚い水以外に動くものは見当たらず、空には黒い雲が立ち込めて、今にも雨を降らせそうなだけで、腐っている様な物は見当たらない。
リクは、もっとよく見ようと辺りの様子に目を凝らす。
辺りは空を覆い隠す雲に光を遮られ薄暗く、かすかに霧のようなものが漂い、じっとりと肌をかすめていくが、薄暗いためなのか霧が邪魔になるのか、遠くの様子が解りにくい。
リクは、とりあえず目の前にある土手らしい斜面を登り始めた。
少し登ったところで、足が滑って前に倒れそうになった.
体を支える為に、口と鼻を覆っていた手を離し、斜面についた。
「何だ……」
支える為についた手が、何かにずるりとのめり込み、ハッと息を吸った。
「クァッ……」
喉が焼けるように痛む、吸い込んだのはじっとりとした霧で、普通の霧ではない様だ。
べチャリとした感触のものから手を引き抜いて、リクはシャツの腹の部分を握って、口と鼻をもう一度覆った。これ以上、この怪しい霧を吸い込みたくなかった。
それでもまだ、焼けた喉はビリビリと刺すように痛んで、水分を欲しがっているが、飲めるような水などあるはずもなく、つい海水に目がいってしまう。
焼けた喉の痛みに加えて、頭がもうろうとしてくる。
リクは、フラフラと海に戻っていく。汚い水でも、塩水でも何でも良い、喉の痛みを消して欲しかった。海水など飲んでは悪化すると自分の中の何かが警告を発している、なのにリクの足は真っ直ぐに海に向かっていた。
膝まで海に浸かってからかがみこんで顔を近づけた。リクは、両手を水に差し込んでようやく、異臭の正体に気付いた。テラテラと光る油のような黒いものがねっとりと自分の手を通り抜ける様子をジッと見つめた。
(水が腐ってる……)
異臭を放っていたのは海水だったのだ。だが、どこまでも続き、流れている広い海の水が腐るなど、リクには想像できなかった。それでも、間違いなく海水は腐っているのだ。
呆然と立ち尽くすリクの体に、ぽつぽつと雨が当たり始めた。
この雨を飲んで、痛む喉を癒そうとホッとした瞬間。
「クゥッ!」
焼かれた喉からは、声は出す事が出来なかったが、新たな痛みに体を丸める。
雨は、リクの服を焼き、髪や肌をジュッジュッと音を立てて焼き始めた。焼くと言うよりも、溶かしていくと言う表現の方があてはまるかもしれない。このままでは、体が溶けていきそうだった。
あまりの痛みに、リクは目を硬く閉じ、声にならない叫び声をあげた。
「……!!」
急に痛みを感じなくなり、リクはそっと目を開けた。
そこは、ヒルートの館の一室で、先程から皆が集まっている場所だった。少しだけ安堵したが、痛みは消えたものの、恐怖は心の中で叫び声をあげたままだった。
部屋の中にいる仲間達は、もう意識を現実に戻している者もいれば、硬く目を閉じ、体を庇うような格好の者もいる。
自分の横で、体を丸め肩で大きく息をしているレインが目に入った。リクは、横にしゃがみこんだままのレインの背中をさすった。
「レン大丈夫か? 目を開けろ戻って来い!」
レンの体がビクンとはねた。
「……リク……あっあっ……」
レインの大きな瞳は、これでもかと言うほどに見開かれている。
リクは、レインをしっかりと抱きしめる。
「レン、大丈夫。もう怖くない大丈夫だ」
リクは、レインに癒しの魔法を送り込みながら、背中をゆっくりと摩った。部屋の中に、また癒しの雨が降り始め、仲間達を癒していく。あちらこちらから、深い溜め息が聞こえる。
タカもフーッと息を吐き出して女神に顔を向けた。
「どうやら、俺達みんな同じ映像の世界に放り込まれたらしいですね。世界が崩壊してからどのくらいで、あの様になるんですか? 何が起こったんです」
女神は、表情を硬くしたまま答える。
「何が起こったと言う訳ではないのですよ。勿論引き金になったものはあります。ですが、リアルディアの崩壊は少しずつ進んでいくのです。人間が自分達の暮らしを豊かにするため、便利にするために日常行っている全ての事。例えば、車などと呼ばれる移動の為の機械からだされる排気ガス、毎日多大に出される廃棄物、家庭内で使われ流される自然の力では還元できない汚染された水、ほんの些細な事が、世界を崩壊へと向かわせているのです。最終的な引き金になるのは、人間達が始めてしまった戦争です。大気を汚染し、大地に血の雨を降らせ、水を腐らせる最終兵器が使われるのです。既に病みきってしまっている自然は、循環する事が出来なくなり、命は生まれる事はありません。全ては死に絶えるのです」
女神の言葉に、皆が今見たばかりの世界を思い出す。
リクがキッと女神を睨みつけた。
「あんなもの作り物だ! 嘘に決まってる。嘘だ!」
フーミィをしっかりと抱いているアキルを、抱え込むようにしていたズカーショラルが、眉間にしわを寄せてリクを見た。その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「リク、神の存在しない世界に育った君には信じられんだろうが、神は真実しか話さない。あえて本当の事を語らない時はあるが、語る事には嘘はないのだよ。今、私達の見た世界は……君らが世界を救えなかった時には必ず訪れるであろう真実なのだと、私は思う……」
そこまで言って、ズカーショラルはアキルの髪に顔をうずめてしまった。フーミィが、アキルの腕の中から這い上がり、ズカーショラルの頭を優しく撫で始めた。大きな黒い瞳から零れ落ちる涙は、アキルの髪を濡らしていった。
リクはズカーショラルの言葉を聞いても、まだ信じられずに首を振っている。
女神は、悲しそうな表情を浮かべていた。
「偽りなどではありませんよ。命が存在しない世界。人間達が自らの力で自然を元に戻す事ができなければ、必ずこの未来は訪れるのです。崩壊が始まれば、リアルディアと対のソラルディアもまた、滅ぶのです。リアルディアの自然と深く繋がっているソラルディアはリアルディアよりも早く消滅するのです。そうなれば、エネルギーは全く送り込まれる事は無くなり、自らが循環する力を失ったリアルディアの自然は、二度と立ち直ることは出来ません。命が生まれなくなると言うことが、どう言う事態を招くか分かりますか? 何も生み出されない世界がどうなるか、考えてごらんなさい」
女神は、あくまでも優しく問いかける。リクが歯を食いしばったまま、女神を睨んだが答えは出ない。
リクの横にタカが来ていた。
「初めの頃は、備蓄されている食糧や水で生活できるし、有毒ガスや酸度のきつい雨にも持ちこたえているシェルターもあるだろう。でも、そう長くは持たないだろうな。しかも、多分限られた者だけが、その恩恵に預かる。権力や金の無いものは早くに飢えて死んでいく。でも、その方が幸せかもしれない」
リクが、片手でタカの肩を強く握って叫んだ。もう片方の手は、今もレインを抱きしめている。
「何で! 何で幸せなんだよ。死ぬんだぞ。ガスや酸性の雨で死んだり、食べ物が無くって飢え死にすんだろ! 幸せなもんか」
タカが首を振りながら、リクの手を掴む。優しく、でもしっかりと握っって言葉をつなげる。
「そのうち、備蓄はなくなり、家畜も食い尽くされ、残った限られた人間は、最後には何を食い尽くすんだ? 外には出られない、出たところで何も有りはしない。生き残ったとしても最後にはやっぱり死ぬんだよ。後になればなるほど、見なくてもいい物や、しなくてもいい体験をしなけりゃならない。全ての命が消えていくのを見ているよりは、先に死んでしまった方が楽かもしれない……」
リクの手をしっかりと握った、タカの手も震えだした。タカの手を握り返したリクは、
「兄ちゃん? 何でそんな事言うんだよ」
タカがゆっくり首を振る。
「そんなの嘘に決まってる。兄ちゃんが、あんなの違うって言ってくれなきゃ……俺……どおすりゃいいんだよ。俺達が失敗したら……怖い……よ」
リクは鳴き声になっていた。情けないほど子供に見える。そんな弟を、震える手でそっと抱きしめるタカだった。
リクに抱かれていたレインも、リクを守ろうとするかのように、リクの体をしっかり抱きしめた。
部屋の中は静まり返っていた。誰も口を開こうとはしない。リクの魔法に癒されて、先程の衝撃から立ち直リ始めたレインが、リクの頬に手を添える。
「リク? 皆の心を癒しても、あなたの心は癒されないのね。でも大丈夫、私とお兄さまがリクを守っているわ。だから、もう怖がらないで。大丈夫、大丈夫だから」
レインは瞳をしっかりとリクに向け、リクの頬を流れる涙を細い指でふき取っていく。
「リクの泣いた顔も可愛いわ。でもね、リクは男でしょ。泣いていてはいけない。どんな時も笑っていられるリクの強さが、私に力をくれるのよ。さあ、もう泣かないで。私がずっと一緒にいるから」
タカが、レインの言葉を噛締めるように頷いて、抱きしめる手を緩め、リクの顔を覗き込んだ。その表情には、何かを硬く決意したような強さがあった。
「大丈夫。俺がリアルディアの王になる。あんな事にはならない。兄ちゃんが、お前と母さんと父さんを守ってみせる。お前は何を守るんだっけ? レンちゃんだけか、お前の家族は守ってくれないのか。俺達が救世主なら、二つの世界を守れるはずだ。兄ちゃんは嘘はつかない。今までだって、俺はいつもお前を守ってきたし、お前は俺に、大切な者を守る勇気をくれた。そうだろ?」
リクが顔を上げてタカを見つめ返した。その瞳に少し力が戻ってきたようだ。
「そうだな。俺らが守らなきゃ、誰にも守れない」
リクは、タカに向けていた視線をレインへと移動する。
「レン、母さんみたいだ。レンの言うとおりだ。俺、男だもんナ。レンを守らなきゃ、そしてレンが一緒なら皆の住んでる世界を救える。ずっと一緒だもんな」
レインはリクの胸に顔をうずめてコクリと頷いたが、リクにはレインが泣いているのか笑っているのか解らなかった。レインが泣いているのなら、自分はレインを泣かせてはいけないと思う。
自分が笑っていれば、レインが笑ってくれると思った。
もう一度タカを見るリクの瞳は笑っていた。
「やっぱり兄ちゃんだな。兄ちゃんが王様なら、世界は崩壊なんかしないよな。俺は兄ちゃんにパワーを送るんだ。リアルディアの自然が回復できるぐらい、レンと一緒にすっげーエネルギーをこっちから送ってやる」
タカとレインが視線を合わせて頷いた。女神は、黙って兄弟とレインを見ていたが、かすかに表情を緩めて話し出した。
「その通りです。リクがこのソラルディアを癒すことによって、今までに無い強力なエネルギーがリアルディアに送られる。それを有効に使い、フーミィと協力しながらリアルディアを回復させ、世界統一によって、人間達に二度と同じ過ちを繰り返させない事。それがタカ、あなたの使命です。そなた達、[世界を救う命]のみが、崩壊を回避できるのです。そなた達だけが、私達の希望です」
ヒルートが顔をあげた。
「この命を削っても、使命を果せと言う事か……ならば、具体的に何をどうすれば良いのか教えてほしい」
そう言ったヒルートの腕は、しっかりとフィーナを抱えていた。
タカもヒルートに賛同するように言う。
「確かに、やり方が解れば、回避するのも早くなる。教えてください。具体的にもっと詳しく」
女神は、大きな部屋の壁を半分以上占めている床から天井まで伸びた窓にそっと手を触れた。
「そうする事が、そなた達の為になるとは思いません。そなた達の使命は、世界を崩壊から救うのみに止まるものでは無いのです。その先も、二度と人間が間違った方向に進まぬように、導いていかなくてはなりません。今のそなた達に、それは望めません。もっと強く、もっと賢く成長を遂げるには、私達神がこれ以上の手助けをすることは、成長する機会を失わせてしまうでしょう」
リクがあからさまに嫌な顔をした。
「そんなん有りかよ。使命、使命って言うだけじゃ、なんもわかんねーだろ」
「リク。そなた達の使命を私達が肩代わりするのは簡単ですし、情報を与えるのはそれ以上に簡単なのです。でも、そうする事が良い方法だとは思いません。例えば、親が子を育てる時、全てをやってあげたのでは、何も出来ない人形になってしまいませんか? 親は、自分がした方が上手く行く事でも、あえて子ども自身にさせるのです。どんなに、手を出したくとも、それを堪えるのが親の愛です。そなたもその様にして育てられたのではありませんか」
リクがポカンと口を開けて女神を見た。
「なんか、母さんにも同じ様な事言われたような気がする……」
タカがリクの頭をポンと叩いた。
「夏休みの宿題を、休みの最後までほっといて、俺と母さんにさせようとした時、同じ様に怒られただろ。小4の時だ。半分まで手伝った俺も、かなり怒られた」
タカの説明に、リクの顔が少し赤くなる。
「今いうことねーじゃん」
拗ねたようなリクの頭と、レインの頭をグッと引き離してタカが言った。
「それから、そろそろ離れろ。部屋に雨が溜まってる」
その様子に、女神の顔が少し微笑んだような気がした。
「リクとレインの癒しの雨で、そなた達の気持ちも落ち着いた事でしょう。最後に、ほんの少しでは有りますが、私たちからの情報を伝えましょう」
女神が、一人一人を見つめながら使命を伝え始めた。
「リクとレインには、もう解っていますね。二人の奏でる命のリズムこそが、世界を癒しリアルディアに多大なエネルギーを送るのです。それが二人の使命です。タカ、そなたの使命もフーミィと共にリアルディアに戻り、世界を癒しながら、王となる事。それが使命です。ヒルートそなたは、闇の妖精と契約し、闇の妖精の世界に入り込むのです。そして、彼らがリアルディアとソラルディアに送り続ける負のエネルギーを押さえ込みなさい。フィーナ、そなたはヒルートを守り抜くのです。使命の半ばでヒルートが闇に取り込まれることの無いように。ローショ……そなたは、ソラルディアに散らばった竜族をまとめるのです。ソラルディアの新しい王の為に、それが使命です。青竜ブルーリーと共に行きなさい。彼女の使命も、そなたと共にあります」
ローショ自身も、周りの者も、ローショに使命があるなどと思ってもいなかった。
皆の視線を集めて、ローショの顔が紅潮している。
「私にも、使命があったのですね……」
「ええ、そなたの使命も他の者と同様に重いのですよ。そして、皆それぞれに、これからの事を考え行動するのです。世界の崩壊が進む速度は、決して速くはありませんが、遠い未来でもありません。崩壊を止めるのは早ければ早いほど、そなた達が世界を救う可能性は高くなるのですよ。さあ、私の役目は終わりました。後は、そなた達の力を見せてもらいましょう」
女神は、皆から視線を外すと、ゆっくり窓の方を向き、外を眺めた。
その時、イライラした様子で、スカイが女神に歩み寄った。
「私の使命は? 何故……言って下さらないのですか。私には、使命は無い、と言うことなのですか」
女神は、スカイの方を振り返らなかった。スカイが今の質問をすることが分かっていた様に落ち着いている。
ちょうどその時、食事を終えて戻ってきたのであろう、空き地にゆっくりと降り立ったシルバースノーを、女神は窓越しに見つめていた。
シルバースノーも女神に気付いたようで、真っ直ぐに見つめ返してくる。
「スカイ。そなたの使命は、まだ明かす訳には行かぬのです。そなたの使命は、古くからの忘れ去られた慣わしの中にある。私の口から言ってはならぬ定めになっています。遠い昔から……」
「古くからの忘れ去られた慣わし?」
スカイは、怪訝な表情を浮かべ外のシルバースノーを見た。シルバースノーは何故か頭を垂れ、まるでお辞儀でもするかのような姿勢を作っている。
スカイには、女神が言っている古くからの慣わしが何なのか、皆目分からなかったが、なぜかシルバースノーに関係が有るように思えた。
女神がシルバースノーに微笑みながら言った。
「古くからの慣わしを守るために、スカイが失った魔力をタカに返してもらわなければなりませんね」
皆が一斉にタカの方を向いた。
タカは、リクの傍を離れ、ゆっくりとスカイに近付いていった。
スカイとタカの視線が絡み合った。
スカイとタカ、対の存在である二人の間に、まだ謎が残っていた。
スカイは魔法の力を取り戻す事ができるのでしょうか?