[26] 恋する女同士
ヒルートはフィーナを受け入れるのでしょうか?
見開かれたヒルートの金の瞳に、フィーナの緑色の瞳が写って金の瞳は一瞬だけ緑に染まった。窓から差し込む日の光に、フィーナのくり色の髪がキラキラと輝いて揺れている。
ヒルートは、残った手でフィーナを抱き寄せた。二度と離すまいとでもする様に、きつく抱きしめて、より深く口づける。これまでずっと欲しかったものを手に入れた子供のように、ヒルートの腕はフィーナの身体を必死に抱え込んでいた。
フィーナが苦しさに小さく息を吐き出した。
「ヒルート…さ…ま」
か細いフィーナの声に、ヒルートはハッとして我に返りフィーナを離し、押し戻すように遠ざけた。
「フィーナすまない。なんと言う事を……やはり私の心は闇に犯されている。いつも、今のようにお前を自分のものにする夢を見ていた。まだ幼い妹の様なお前に、抱いてはならない感情だ。私の心は……闇で染まっている」
震えだしたヒルートにフィーナがすがりつく。
「いいえ。そんな事はありません。ヒルート様は優しいまま何も変わりはしません。それに私は幼い少女でも、妹でもありません。あなたを愛しています」
ヒルートは、フィーナから目を逸らして、アキルを見た。
「お前が幼くも、妹でも無いとしても、私の心が闇に犯されているのは事実だ。それが証拠に、私はあの女魔術師を自分の妬みのためだけに殺そうとしたのだ。私より魔力の劣る者が、私の欲してやまない魔術を使うなど許せなかった。ただそれだけの理由で、妖精の死のウェブをかけたのだ」
「ウソです。そんなこっ」
フィーナの否定の言葉にかぶせるように、ヒルートは大声を上げる。
「ウソではない! それに罪悪感など感じもしなかった。女魔術師を見るまで死のウェブをかけたことも忘れていたんだ。私はもう純粋な心など……無くしてしまった。私には、誰からも愛される資格などありはしない」
部屋の中で、皆が息をのんだ。ズカーショラルは、死のウェブに絡め取られたアキルを思い出し、ヒルートを睨みつける。
しかし、その目には、怒りだけでなく哀れみのようなものが同居していた。自分の妻を殺そうとした若者が背負わされた人生に心が痛んだ。自分達家族もまた、使命の為に苛酷な人生を負わされた事と重なったからかもしれない。
フィーナがヒルートにしがみついていた手に力を入れた。
「ヒルート様。あなたの心は純粋なままです。私があなたの心を守ります。あなたの心は誰にも渡さない。たとえそれが悪魔だとしても守ってみせます」
自分の身体に必死にしがみついて訴えているフィーナを、ヒルートは呆然と見つめている。何故こんなに、何故フィーナは自分などの為に必死になっているのだろうと、ヒルートは不思議に思ってしまう。人に求められるとか、心の底から愛されるといった経験など無かった。それは、願っても叶わぬ夢だと、幼い頃から諦めていた。フィーナの両親も、フィーナでさえ、自分を緑の王子であり、この館の主として大切に思ってくれているのだと思い込んでいた。戸惑いを隠せずに、立ち尽くしているヒルートに、女神は静かに近寄っていく。
「ヒルート、そなたにした事で私達神が心を痛めなかったとは、思わないで欲しい。そなたの事は、幾度となく話し合ったのです。このフィーナが生まれるまでは、その使命の苛酷さにそなたが耐えられるかが心配でした」
ヒルートは、近付いてくる女神を見て眉間にしわを寄せた。
「フィーナが生まれるまでとは、どういう意味だ。私の使命とフィーナに何の関係があるのだ」
女神は、ヒルートにしがみついたままのフィーナの背中に手をそっと当てた。
「フィーナは、私達がそなたの為に生み出した命では無いのです。そなたの守人として自然の運命の中で誕生したのですよ。そなたが闇に飲まれぬように、フィーナが守ってくれるでしょう。フィーナの歌は、そなたを守るために歌われるものです。闇に捕らわれぬように、今までも毎朝歌っていたはずです」
「あれは、私が朝が苦手で起きられぬから……」
ヒルートの顔に何かを思い出すような気配が見える。
「あっ……」
「分かりましたか? そなたの純粋な心を闇に捕らえようと、闇の妖精達は随分前からそなたの眠りに入り込んでいたのです。そなたが死のウェブ使った時に罪悪感も無かったのはその為でしょう。闇はまだ一瞬しかそなたを捕えらえられない。それは、フィーナの守りがあるからに他ならないのです」
ヒルートの唇が震えていた。
「一度眠ってしまうと、起きられなくなりそうで、最近は眠る事が怖かった。フィーナがいなければ起きられないのは……そのため」
女神はヒルートとフィーナをみつめている。
「そなたの苛酷な使命が、フィーナを呼んだのかもしれませんね。闇は巧妙にそなたの心を狙ってくるでしょう。フィーナがいなければ、既に捕らわれていたかもしれないのです」
ヒルートは小刻みに震えていた。フィーナが自分を闇から遠ざけてくれていた事実に対する驚きと、やはり闇が既に心に入り込んでいたのだと言う確信が恐怖となって、心の中でグルグルと回っていた。
女神は、フィーナの背においた手とは違うほうの手を、自分の額に当てて何かを呟き始めた。
「フィーナ、そなたに使命を与えます。何処までもヒルートを守りなさい。それが、そなたの生きる意味となるでしょう」
フィーナの背に当てられた女神の真っ白な手から、銀色の光が発した。
「フィーナそなたの身体に、使命の刻印がなされました。これからは、より強くヒルートを守る力を持てたのですよ」
フィーナが不思議そうに呟く。
「使命の刻印……」
「ここにいる、全ての[世界を救う命]には、使命の刻印がなされているのです。その刻印が、そなたたちを使命へといざなうのです」
ヒルートから腕を離し、女神に向き直ったフィーナは微笑んでいた。
「女神様、私はヒルート様を愛しても構わないのですか? 愛する人ならば、この命に代えても守ってみせます」
女神は、フィーナの額に軽く口付けて微笑んだ。
「金の瞳の愛し子よ。かわいい子。愛しても構わないかと聞くよりも、既に愛しているのでしょう。その答えは、ヒルートにお聞きなさい」
女神の言葉を聞いて、フィーナはヒルートを見つめなおした。
ヒルートは、フィーナの視線を避けるように俯いた。
「フィーナ。私など愛してはいけない。私のために悪魔などと戦ってはいけない……」
「何故です。私はヒルート様の為に生まれたのです。あなたを守るために」
フィーナの自分に向けられた真っ直ぐな言葉にも、強く輝く緑の瞳にも、ヒルートは向き合うことが出来ないでいた。
「お前を危険にさらす位なら、私は悪魔に心を差し出す。お前は、幸せの中にいなければならない。お前だけは……」
ヒルートの震えて俯いたままの頬に、フィーナはそっと触れる。こんなに大切に想われていたのかと、改めて自分に対するヒルートの想いを感じているフィーナだった。どうすれば、この人の心を溶かせるのだろう、どうすれば、自分の高まる想いを受け入れてもらえるのだろうと思う反面、やはり自分では、この美しい人にはつりあわないのだろうか、守人としてのみ、この人の傍にいられるのだろうかと心細くなってくる自分の心も感じていた。
ずっと、叶わぬ恋と思ってきたのだから、不安は直ぐに顔を出してくる。さっきは、ヒルートの絶望を見て、無意識に歌い、唇を重ねていた。守りたいと心底思った。それなのに今は、ヒルートを守る自信に満ちていた心は、黙って俯くヒルートを見ていると、キスをするなどバカな真似をしたのではないかと揺れ始めていた。
固まったように動かない二人の横を、スッと通った者がいた。
「チョット失礼しますわ」
ヒルートとフィーナの横に来ていたのはレインだった。レインが声をかけると同時に、フィーナの手をヒルートの頬から外し握り締めた。まるで、自分とフィーナが一体であるかのように腕を絡める。
パシッ
レインは、フィーナに絡めたのとは反対の手で、ヒルートの頬をひっぱたいた。あまりの事に目を見開いたのはヒルートはもちろん、他の者も皆同じように目を見開いている。
「何をするのだ!」
ヒルートの抗議など意に介さぬように、レインは眉を片方吊り上げた。
「何を? 分からないのですか。フィーナの代わりに、分からず屋をひっぱたいたんです」
レインは顔色一つ変えずに答えた。ヒルートの顔がひくついた。
「フィーナの代わりだと。君に何の権利がある!」
「権利などないわ。ただ、愛するものを守りたいと強く思っている同士として、女が愛する者を守ると誓ったら、それは決して変えられないと、あなたに教えて差し上げたかっただけですわ」
ヒルートは、返す言葉に一瞬詰まった。と言うよりもレインの嵐雲のような瞳にひるんだと言った方が正しいかもしれない。
「だっだからと言って、ひっぱたいて良いものではないだろう」
明らかに、ヒルートの返しは、弱くなっている。ヒルートの隙を突いて、レインは最終攻撃に入った。
「自分を守ると誓った女一人、あなたは守りきれないのですか。逃げる事が守る事にはならないわ! あなたが逃げても、フィーナはあなたを追いかけ守ろうとするでしょう。あなたが逃げても、フィーナは安全ではないし、幸せにもなれはしないのよ」
フィーナが、レインと手を絡めたまま、ヒルートの首に手を回して抱き寄せた。
「ヒルート様。悪魔から逃げられても、私からは逃げられませんよ」
何故か、離れたところでリクがぷっと吹き出した。レインがリクを見て少し睨んだが、直ぐに微笑んだ。
ヒルートの震える手は、フィーナの細い身体をゆっくりと、そして優しく抱きしめた。レインは、フィーナの手を離してリクのところ歩き出し、ヒルートの横を通り過ぎる時には、トドメを刺すのは忘れなかった。
「あなたの心は、闇に捕らわれるより早く、フィーナに捕らえられていたのよ。ご自分の気持ちに素直になられていたら、今朝そう教えて差し上げましたのに」
ヒルートは、今朝のレインとの言い争いを思い出していた。どうやら、初めから自分の完敗だったらしいと苦笑いが出る。レインの一言にフィーナも小さく笑った。
「レイン姫様、ありがとうございます。あなたが同士と認めてくださって光栄です。そして、ヒルート様、もうこの手を離しては嫌です。ずーとこのまま」
レインが自分の横まで戻ってくると、リクは溜め息をついた。
「は〜、あのままだったらヒルートはご飯も食べらんねーナ、ィヒヒヒヒ」
歯をむき出して笑っているリクを、タカが横目で見た。
「俺には、お前も同じように見えるんだけどな、リク?」
「ん〜、俺がレンに捕まってるって言いたいわけ? それも案外悪くねーかもよ。彼女無しの兄ちゃんには、まだワカンネーカ」
ニカッと笑ったリクの頭を、タカがバシッと殴った。
スカイも呆れた顔でレインを見てから、話しに加わる。
「レイン、助けた相手に、トドメを刺すのは君の悪いくせだ」
レインがスカイを睨んだ。
「私の言った事が本当だったって釘を刺したのよ。今朝フィーナが泣いたのは、ヒルート様が彼女を女性として意識している事を認めないからだわ。それを教えてあげただけじゃない。トドメだなんて人聞きの悪い事言わないで欲しいわ」
ローショがスカイの後ろから口を挟む。
「いいえ。小さな頃から、レイン様はいつもスカイ様にトドメを刺しておいででしたよ」
ククッと笑うローショの肩を、レインは軽くたたいた。
「もうっローショまで何言うのよ。リクが聞いてるでしょ」
リクが、また二カッと笑った。
「えっ? 俺ならもう知ってるし、レンが怖い事ぐらい」
リクの言いように、レインが口を尖らせた。
リクは、レインの顔を見て笑っていたが、ふとその笑顔を曇らせてヒルートを見た。
「俺、やっぱり気にいらねーや……ヒルートが使命の為に闇の妖精と……ってか、悪魔と契約するってのは納得いかねー」
リクの視線は、女神に向けられた。
女神もリクの視線に気付いたように、ヒルートとフィーナに注がれていた眼差しをリクに移した。
「救世主リク。そなたの言い分はわかっていますよ。誰かを犠牲にして救われる世界に意味は無いと思っているのではないですか」
リクが、ゆっくりと頷いた。
「当たり前だ。ヒルートは何のために悪魔と契約するんだよ。自分を危険にさらして助けなきゃいけない世界って何だよ。世界は救われました。でも、救った本人は死にました。ってんじゃ誰も使命なんて果そうと思わないって」
リクを見つめる女神の顔は、より一層優しさを増したように感じられる。
「リク、そなたは自分で言ったではありませんか。レンを守りたい、レンのいるソラルディアを守りたいと。愛する者達が生きる世界を守りたいのではないのですか」
部屋の中の空気が、一瞬ピタッと止まったように、全員が感じた。
皆、愛する者達をそれぞれに頭に浮かべていた。そして、世界が崩壊する様子を思い描いて見る。
タカがポツリと言った。
「世界の崩壊って、どんな風に起きるんだ? 生きているものはどうなる?」
女神は、空中に手をかざして何かを呟きながら額に手をやった。
「目を瞑りなさい子供達。世界の崩壊をその目に見せましょう」
皆、慌てて目を瞑った。
閉じた瞼の裏は、日の光を通すことなく真っ暗だった。
どこまでも続く暗闇の真ん中に、点のような光が見えてきた。
それは一気に大きくなって瞼の裏全体がスクリーンのようになった。
誰もが、自分とは関係のない物語でも見る観客のように、スクリーンに映し出されるものを心待ちにしていた。
何が、映し出されるかも解らずに……
世界の崩壊、それは本当に訪れる未来なのでしょうか……