[23] 銀の瞳
ヒルートに、自分達の秘密を話すと決めたスカイとタカ…そこに思いもよらぬ者が…
ヒルートは、レインとリクが出て行った扉を見つめて、フーッと溜め息をついた。
「私も大人気なかったか。レイン姫もフィーナと同じ子供だという事を忘れてしまっていた。彼女はフィーナよりも大人びて見えるものだから、ついむきになってしまった。皆さん失礼した。申し訳ない」
ヒルートが、顔を少し引きつらせ気味に軽く頭を下げるのをタカは黙ってみていた。タカは、レインがヒルートにとってかなり痛い部分を突いていたのではないかと思った。レインを子供扱いする事で自分を優位に立たせ、気持ちを落ち着けようとしている様に見えたからだ。
スカイもまた、タカと同じように感じていた。だが、いつもレインの言葉の攻撃を受けてきた身としては、ヒルートに同情する気持ちもあった。スカイは、何でもない事だとでも言うように少し首を振るとヒルートに話しかけた。
「ヒルート殿が悪いわけではありませんよ。レインは自分の思い込みで暴走する事がよくあるのです。気を悪くなさらないでいただければ良いのですが」
スカイの後ろに控えていたローショが、クッと笑いを堪える様な音を発した。
「スカイ様は、幼い頃からよくレイン様に言い込められていらっしゃいました」
スカイは振り返ると笑いながらローショを睨んだ。
「ローショ、お前はいつもレインの味方をしていたな。まあ、いいさ。今回の旅では、お前もレインには手こずるだろう。覚えておくといい、その時は私はレインの味方をするとしよう」
スカイは、ニッコリとローショに笑いかける。ローショは眉を片方だけ吊り上げて微笑んで見せた。その時もやり込められているのはやはりスカイだろうとローショは思っていた。
そして、スカイは話を続けた。
「まあ、今回はリクに助けてもらったようですね。彼は普段はにぶい所がありますが、レインの事となると敏感に察知して災いを回避する。私も助けられた事があります」
スカイの言葉に、タカが頷きながら話に加わった。
「本当だ。リクがあんなに上手く立ち回るのは、レンちゃんの事だけだから。普段は俺が尻拭いをさせられるって言うのに、恋の力はスゴイんだな」
ヒルートが、タカとスカイを交互に見つめる。
「スカイ王子。君の婚約者であるはずのレイン姫が、大地の魔術師リクと恋仲なのはどう言う事なのかな。君とシルバースノーの関係。そして、君に瓜二つの空の魔法を持っているこの少年。タカ、君達兄弟は何処からやってきたのだ。君達一行は謎だらけだ。そろそろ事情を話してくれても良いのではないか」
スカイは何処まで話すべきか迷っていた。ヒルートを信じていないわけでは無かった。親友とも言えるキートアルが全幅の信頼を寄せ慕っている兄である。キートアルを信頼するのと同じように、このひねくれ者の魔法使いを信頼したい気持ちはあった。だが、何を何処まで話すべきかを、一人で全て決断できるほどにはヒルート自身を知らないスカイだった。長い溜め息の後、スカイはタカと目を合わせ、同意を求めるよううに見つめた。
タカは、スカイが信じているほどヒルートを信じてはいなかった。実際、ヒルートの弟のキートアルさえタカは全く知らないのだ。信じる根拠が何も無い。だが、今の状況で協力を得るには、一番都合の良い相手に思えたし、協力が得られ無ければこの旅は続けられないとも思った。それなら、信じて全てを話す事が、相手の信頼も得られるだろうか、と考えた。
そして、スカイが言いにくいことは、何の関係も無い自分が言うのが良いだろうと判断したタカは、ゆっくりと笑って頷きながらヒルートを見る。
「ヒルート王子。この話は長くなりますよ。でも、あなたが俺達の話を聞いてしまったら、俺達は必ず、あなたに協力を求める。あなたは、それを与える覚悟がありますか。そして、あなたの知っている事で、俺達に役立ちそうな事は、全て情報を提供して欲しい。こんな身勝手な願いを叶える度量が、あなたに有りますか」
真っ直ぐに見つめるタカの顔をヒルートはジッと見つめ返した。ヒルートには、自分達の要求を先に話してしまうタカを、子供だからかけ引きが下手だとは思えなかった。それよりも、自分を見つめる真摯な黒い瞳に好感を持ち、自分には無い真っ直ぐに伸びた心根を感じた。
「ククッ……スカイ王子、この少年は君と本当によく似ているのだな。キートアルも君を生意気な弟のような奴だと言っていた。彼もとても生意気だが、君と同じように誠実さを感じる。君達は瓜二つと言っていい位だ……分かった、全てに協力すると約束しよう。初めから失うものなど持ち合わせてはいない。怪しい連中に加担するのも、世の中に忌み嫌われる私の役目かもしれん」
スカイが真面目な顔で答える。
「あなたが世の中に忌み嫌われているとは思わない。ですが……そうですね、我々は怪しい連中に他ならない。では、お話ししましょう。これは、レインの初恋から始まった事なのです」
そう言って、スカイはこれまでのいきさつを話し始めた。
リクとレインは息が上がっていた。フーミィはかなりのスピードで今朝上空を超えた森を、逆戻りしながら駆け抜けていた。その速度は魔法の力を使っているのだろう、普通の人間では決して追いつくことは出来ない程速い。
レインが移動の魔術を使いながら距離をつめるのだが、あまり遠くまで移動すればフーミィを追い越し見失ってしまう。適度に距離をつめ、また走って追いかけるといった事を何度も繰り返していた。
荒く息をつきながら、レインが言った。
「リッリク、ハアハア……フーミィが方向を変えたわ。ハア〜初めて私達と出会った場所とは少しずれてきたみたっ」
リクがレインの口を手で塞いだ。残りの手を、顔の前に上げ拝むようにしている。急に口を塞いだ事を謝っているのだろう。それから前方を指した。指し示す方には、何かにすがりつくフーミィの姿があった。フーミィがしがみついていたのは、ローブをまとった人間のようだ。
リクが小声で呟いた。
「誰だろう……あのローブどっかで見た気がすんだけど」
その時、しがみついてくるフーミィを振り返りながら抱き上げた人間の顔が見えた。
「ズカーショラル校長。なぜ彼が……」
レインは思わず声を上げていた。その声を聞きつけたのか、ズカーショラルがリクとレインの方を見た。その瞳には、恐ろしいほどの怒りが燃えている。リク達が何もする間もなく、一瞬のうちにズカーショラルが二人の目の前へと魔法で移動してきた。フーミィは先程の場所に置き去りにされている。
ズカーショラルは、リクの襟首を握るとグッと自分の方に引き寄せた。
「きさま。アキルに何をした。癒しの魔法以外にも妖精まで使うのか。きさまはいったい、いったい何者なんだ」
ズカーショラルは長身だ。まだ13才の未発達なリクの身体は宙吊りになり締め上げられ息が出来ない。手と足はこの状態から逃れようとバタバタと宙をかきながらズカーショラルを打ち付ける。顔は真っ赤になり口は空気を求めて喘いでいた。
「やめて。リクが死んでしまう」
レインは必死でズカーショラルの腕を掴んでリクから離そうとした。しかし、大人の男の力にかなう筈も無くリクの苦しさは和らぐ事は無い。レインがそれでもと手に力を入れ直した時、ズカーショラルの腕に小さな可愛らしい毛むくじゃらな手が掛かった。
「お父さん、リクじゃないよ。お母さんにあんな事したのは、きっとヒルートって言う緑の王子なんだ。だって、ヒルートは妖精を使うよ。それにあの時リクはずっと寝てたんだ。リクは馬鹿だけどヒドイ事はしないよ」
フーミィの言葉を聞いて、ズカーショラルはやっとリクから手を放した。リクは、ズカーショラルの足元に崩れ落ちた。ゲホゲホと咳き込むリクの背中をレインが摩っている。
ズカーショラルが、リクの喉元に手を当てて、癒しの魔法を送り込む。
「すまない。君の仕業ではなかったのだな……妻のあのような姿を見た後では、つい頭に血が上ってしまった。レイン様にも、失礼をしてしまって……」
頭を下げながら、賢明にリクを癒していくズカーショラルの顔は、苦悩に歪んでいた。
「妻って、あんたの奥さん、どうかしたの」
リクは、身体を癒していく魔術とは別の、自分自身の癒しの魔法が身体の中から湧き上がるのを感じていた。ズカーショラルの苦悩に反応しているようだ。
リクを癒し終わったズカーショラルは、先程フーミィと一緒にいた場所まで戻っていった。
「妻が、妖精のウェブの中で瀕死状態になっている。これは、普通のウェブとは違う。捕らえるためだけのものでは無い、少しずつ死を与えるものだ。ヒルートとか言う王子は、噂通りこんな非道な事のできる人間だったのか。私には、いいや誰にもこのウェブは外せない。アキルは死んでしまう……」
肩を震わせて呆然と立ち尽くすズカーショラルの背後から、リクとレインはその場を覗き見た。木の根元には、草や蔓でグルグル巻きにされた人間らしいものが横たわっている。
リクは、静かにそれに近付くと横に跪き草や蔓をほどき始めた。あっという間にそれはほどけ、蔦自らが引き下がるようにスルスルと短くなっていった。リクの魔法の力を感知したのか、妖精たちが慌ててウェブを解いてしまった様だ。
ズカーショラルは、妖精が去っていく気配やチリチリとなる音、その様子の全てを驚愕のまなざしで見つめていたが、アキルの姿が現れると即座にその身体を抱き上げた。
「アキル、目を覚ましなさい。さあ、起きるのだ。早く息をして……私の元に戻っておいで、アキルお願いだ帰ってくるのだ」
アキルの顔は青白く血の気は引いている。抱き上げられた時にダラリと落ちた腕には、生きている者の気配は無く抱きしめる夫の動きに合わせてただ揺れているだけだった。ズカーショラルは、アキルを抱きしめながら彼女の身体に癒しの魔法を送り込み、瀕死状態から救い出そうとしている。
その様子を見ていた者の目にはアキルは既に死んでいるように映った。しばらくの間、無言の癒しが続いた後、ゴボッと言う音とともにアキルの息が戻った。眠っていた細胞が動き出したように、アキルの顔に血色が戻ってきた。
「アキル。大丈夫か、どこかおかしなところは無いか。アキルっアキル」
「ズカー……あなたなの……どうして此処へ…」
「お前からの連絡が途絶えてしまったので、気になって魔術の痕跡を辿って此処まで来たのだ。ああ、追ってきて良かった。もう少しでお前を失うところだった……アキル、お前を失うなど考えられん」
ズカーショラルの顔は、涙でグショグショになっていた。そんなズカーショラルの頬にそっと手をあててアキルが微笑んだ。
「愛しているわ……あなた、今までごめんなさいね」
ズカーショラルは、アキルの言葉に目を見開いて驚いているようだ。
「アキル……愛しているよ」
夫婦は、この長い年月を埋めるかのように強く抱き合っていた。夫婦の姿を見ていたレインは、感動の涙を流しながらリクの手をギュッと握り締めていた。愛していると言って抱きしめあう夫婦の姿は、恋する乙女には刺激的だった。そんなレインを見つめるリクは、優しい笑顔になっている。(俺が愛してるって言って抱きしめたら、レンもあんなに喜ぶのかな。でも、恥ずかしくて出来ネーカ)
リクは一人で妄想にふけっているその横に静かにフーミィは立っている。親として愛情を尽くして育ててくれたアキルが瀕死の状態から救われ、夫婦が長年のこじれた関係を修復したというのに、傍に駆け寄る様子も無く、リクの横に立っている。
その瞳がまたもや銀色に輝いて、この光景を冷静に見つめていたが、誰も気付かなかった。
リクとレイン、ズカーショラル夫妻とフーミィは、森の中をヒルートの館に向かって歩いていた。
死の淵から生還したばかりのアキルと、癒しの魔術に魔力と体力のほとんどを奪われているズカーショラルに合わせる様にその歩みはかなりゆっくりしている。
フーミィを追って駆け抜けてきた時には全く余裕が無く分からなかったが、今ゆっくりと歩いていると、リクにはこの森の生命力の強さが感じられた。
太い木の幹からは大地のエネルギーを吸い上げ枝葉に送るような勢いのよい気配がリズムを奏でるようにリクの身体に伝わってくる。葉は日の光に向かって精一杯伸びてその輝きを映して光り、小動物がガサゴソと動き回って自分達の腹を満たしてくれるものを探しそれを頬張る音が聞こえる。足元の草はピンと背筋を伸ばしリクが踏んだ後も「そんなの平気さ」とでも言うようにまた起き上がってきた。
アキルを労わるように肩を抱きながら歩いていたズカーショラルがリクに話しかけた。
「リクと言ったな、君は大地の妖精を操れるのだな。ヒルート王子がかけた妖精のウェブを破った。君は大地の魔術師になる為に生まれてきたのかもしれない」
「大地の魔術師か何か知らないけどさ。俺は俺だから、何にも変わんねーって、って何にも変わらないです。だな」
ズカーショラルは、リクの返事に首を大きく振った。
「いいや、妖精使いのかけたウェブはどんなに魔法の力の強い者にも破る事は出来ない。それは、妖精が生きる世界と人間の生きる世界が、微妙にずれているからなのだが、何故か大地の魔術師にはそれが出来る。と言うよりも、妖精は大地の魔術師には逆らえないと言った方が正しいかもしれん」
リクは、レインの顔を見て声に出さず、ホントと聞いた。レインは、首を傾げただけで、何も分からない様だ。
「そっか……何かよくワカンネー話だけど、俺が大地の魔術師になるんなら、大地の領域の人間ってことか。あっそりゃそうだ、アースも大地の王子だっけ」
自分の曽祖父の事を思い出し納得しかけたリクの脇腹をつついてレインは睨みながら首を小さく振った。レインは、ズカーショラルには、大地の紋章の事やアースの事を話してしまいたくなかった。話すということは、父に知れてしまう事に繋がる。
今の話を誤魔化そうと、レインがズカーショラルに質問をし始めた。
「校長先生は父に頼まれて私達を追っていらした。それを実行されていたのが、奥様とフーミィだと思っているのですけれど、間違いありませんか」
ズカーショラルが、レインの方に向いて微笑んだ。
「確かにその通り。レイン様をお父上はとても心配されている。だからこそ捕らえるためではなく状況を知る為に、追っ手として私達を選ばれたのだ。夜もあまり寝られないご様子だった。それに、スカイ王子と銀竜の事にも心を砕いておいでで、領域間の問題は王にとっては頭の痛い難題でしょう。お父上は、この数日でかなり老け込まれた。あまり心配をお掛けなさいますな」
レインは、急に父の事が心配になってきた。父ももう若くは無い。いつ何時もしもの事があっておかしくないのだ。でも、この旅を放って帰ることは出来ない。父の事を想うと自然にレインの額にしわが寄っていた。リクがレインと繋いでいる手に力を込める。リクの励ましを感じて彼に微笑んだ。リクはいつもレインの悲しみや怒りを感じて、そっと癒してくれる。それは魔法ではないリクの優しさだとレインは思った。
少し元気を取り戻すと、レインは気になっているもう一つの質問をした。
「ところで、校長先生。ヒルート様をご存知なのですか」
ヒルートの名を聞いてズカーショラルの表情が一気に険しくなる。怒りは表に出ていなかっただけで、彼の中では沸々と煮えたぎっているらしい。
「知っている。12、3年前に、強い魔法の力を感知した前校長のタナトシュの命を受けこの地にやって来た。その時のヒルート王子の印象は、冷たいと言うよりも感情の無い人形の様な感じがした。情と言うものを感じられない彼に、魔術を教える事はとても恐ろしい事に思えた。だが、強すぎる魔力を持った者を、魔術学校で学ばせずにおく事はソラルディアでは認められない。強力な魔法が野放しになるのを恐れている為の法律であり、それを考えればヒルート王子を連れ帰って魔術を学ばせるのは、しなくてはならない事だった。早速、緑の王に王子の入学を伝えに行ったのだが、父王は許さなかった。ヒルート王子は、神の啓示により[最果ての森]を離れる事は許されない呪われた王子なのだと説明を受けた。私は、やはりと思った。彼の人間性を疑っていたので、緑の王の呪われた王子と言う説明に一も二も無く納得して魔術学校に帰った。タナトシュはがっかりしていたが、私は密かに安堵していた」
黙ったままだったリクが、怪訝そうにズカーショラルを見て言った。
「そんなに悪い奴じゃないのに。ちょっとひねくれてるだけで、そこまで言う事ないんじゃないかなァ。あんただって、最初の印象はスッゲー……じゃなくて凄く悪かったぜ」
リクを見つめるズカーショラルの瞳に怒りが見えた。慌ててレインが間に入る。
「先生。あの、怒らないで下さい。奥様にされた事でお怒りになるのは分かります。昨夜リクもヒルート様に殺されそうになったのですが、その事についてはいまだに腹が立ちますもの。でも、リクは心の癒し手なのです。彼がヒルート様の心の中を感じ取っているのですから、間違いはありませんわ。どうか信じてください」
ズカーショラルの表情は、納得などするものかとでも言うように険しいままだった。アキルが、そんな夫を気遣ってそっと頬に触れる。
「あなた……あなたは魔術学校の校長ではありませんか。一度だけしか会ったこと無い若者を、見た目だけで判断しては良くないのじゃなくて、本当の彼を見てあげなくては。あなたには、その力があるはずよ。そうでしょう」
優しく微笑むアキルを見て、その手の温もりに安堵した様にズカーショラルは表情を緩めた。
「そうかな。ヒルート王子にも、私が感じたのとは違う面があるのだろうか。あるとすれば、お前に対して行った様な、危険な魔法を二度と使わぬよう教えるのは私の義務かもしれんな」
「ええ、あなたの務めですわ」
傍らで微笑む妻の存在は、ズカーショラルにとって癒しの魔法以上の効果があるらしい。
「あっヒルートの館が見えてきた」
リクが、ズカーショラルとアキルにも分かるように指さした。
「校長センセ。いきなりケンカは無しって事で…クソッ、無しという事で…これでいいのかな」
レインがプッと吹き出す。
「リク、無理しなくっていいのよ。いつもの話し方があなたらしいんじゃない」
リクの顔は、満面の笑みになる。
「そうか、レンは俺のしゃべり方嫌いじゃねーの」
レインはまだ笑っている。
「フフッそうね、嫌いじゃないわ」
リクはガッツポーズをとって喜んでいる。はしゃぎついでにズカーショラルに再度確認するように話しかける。
「センセー。一発目に殴るチューのも無しな」
ズカーショラルが眉根を寄せた。
「先程の件を言っているのか。ならば分かっている。それ程大人気ないことはするつもりは無いし、アキルが戻った今はかなり冷静になっているつもりだ。だが、私は礼儀を重んじる人間でな、年上の者に敬意を払わぬ者に対しては厳しく対処する。例えば君の様な態度の若者のことだが。やはり君は話し方を改める必要があるのではないか」
リクの笑顔は固まってしまった。
「やっぱ…そうくるか」
リクの沈んだ様子に、ズカーショラルがもう一言補うようにトドメをさした。
「レイン姫の父君は雲の王なのだ。君がレイン様を想うなら、雲の王との謁見までに話し方を学ばねばなるまい。王を愚弄するような事は許されぬぞ」
リクの固まったままの笑顔は、完全に青くなっていた。
「王との謁見って、そんなん有りかよォ……」
「さあ、そんな先の事より大変な事が待ってるわ。行きましょう」
レインは繋いだ手をギュッと握りなおして、リクを引っ張るように歩き出した。先程、リクにして貰ったようにリクを励ましたかった。
だが、リクのうな垂れた様子はあまり変わらないようだった。
既にかなりの距離を歩いた様で、ヒルートの館が直ぐ目の前に見えてきていた。
リク達が館に到着すると、彼らとは反対の森の中から出てきたフィーナが玄関を開けて中に入れてくれた。少し目が赤いものの先程の様な腹立ちは見えない。リクは少しホッとした。
「フィーナさん。さっきはゴメン。でも、さっきはあんまりよく見てなかったんだ。フィーナさんはキレイだよ。背が低くたって、子供には見えない。ホントごめん」
リクはフィーナに頭を下げた。そんなリクの態度に驚きながらも、フィーナはキレイと言われたことで、嬉しさに頬を染めていた。
ニコニコとフィーナに笑いかけるリクを横で見ていたレインは、胸がキュッと痛くなってきた。痛みを感じた部分から、嫌な感情が湧き上がって来る。自分が焼もちを焼いている事に気がついた。
気が付いたからといって治まるはずの無い感情に押されて、握っていたリクの手を離し、腕にギュッとしがみつく。リクはレインの行動にビックリしてしがみつかれた自分の腕を見た。そこには自分の腕にしっかりとひっついたレインの柔らかい胸があり、自分の腕はその柔らかな感触を味わっているのだ。リクの顔は、あっと言う間に真っ赤になり、俯いてしまう。
フィーナは、自分を見るレインの目が怒っているように見えた。フィーナも恋する乙女である。レインが怒っている訳は、直ぐに理解できた。その場を取り繕うようにフィーナが言った。
「皆さん、どちらにいらっしゃるのでしょう。食事もお済みでしょうし、ヒルート様の書斎は、二階なのですけれど」
朝食を済ませた後、皆は何処へ行っただろうと行く先を思案していると、フーミィが先に歩き出し先程朝食をとっていた部屋の方へ向かった。今まで森を歩いている時は存在を忘れそうになるほど大人しかったフーミィは、行く場所を心得ているようにしっかりとした足取りで食堂へと歩いていく。
皆が自分に付いて来ないので、フーミィは振り返ってこっちだと言う様に手招きした。
リクが溜め息混じりに声をかける。
「おいフーミィ。さっきと同じ部屋じゃないかもだぜ。俺は二階を探してみるわ」
リクの言葉を聞いて返したフーミィの声は、いつもの可愛らしさなど微塵もなかった。
「人間よ。無駄なことをしている暇は無い。ついて来るのだ。皆に話がある」
そう語った時のフーミィの瞳は、銀色に光っていた。アキルがフーミィに駆け寄った。
「どうしたの。フーミィ、瞳が銀色になって、ああっこの子はどうしてしまったの」
ズカーショラルも、アキルの横に膝をついて、いつもの様にフーミィを抱き上げようと手をのばした。
「触れるでない」
フーミィのものでは無い声が、はっきりと冷酷に告げる。
「ユージュア……」
アキルが震える声で囁いた。ズカーショラルが、アキルの肩を抱いて自分の方に引き寄せた。
「いいや違う。アキル、これは生命の巫女だ。決してユージュアでは無い。私達の可愛い娘は、もう居ないのだ」
そう言いながら、妻をしっかり抱きしめるズカーショラルの声も手も震えていた。フーミィの姿をしたズカーショラルが生命の巫女だと言った生き物は、そんな夫婦を気に留める様子も無くクルリと背を向けると食堂に向かって歩き出した。
残された者たちも慌てて後を追ったが、ズカーショラル夫妻は歩くのにも苦労するほど身体が震え動揺しているのが傍目にもハッキリ分かった。
「巫女は何をするつもりなのだ。これは、世界を救う命と関係のあることなのか」
アキルにだけ聞こえるように、ズカーショラルが囁いた。その顔は、引きつって酷く歪んでいる。
「生命の女神は、ユージュアだけでなくフーミィまで私達から奪おうとしているの。ズカー……フーミィを助けて。お願い、あの子を連れて行かせないで……」
アキルの消え入りそうな声を聞いて、ズカーショラルは妻の肩をきつく抱きしめるしか出来ない自分を歯がゆく思った。
その時、部屋の前に立ったフーミィの身体が、銀色に輝き始めた。ずっと前方に立っている愛する子を、夫婦は呆然と見つめた。
銀の瞳のフーミィは、本当に生命の巫女なのでしょうか? このままフーミィの存在は消えてしまうのでしょうか。