[21] 最果ての森
ヒルートの謎が、少しずつ明らかになっていきます。彼は、敵なのでしょうか?それとも…
森の中は音を出す者も無く静かだった。ローショが焚いていた火も、既に熾き火になり大きくはぜる事もなくなっていた。先程までの騒ぎは嘘のようで、身動きせずに黙ったままのヒルートがスカイを睨みつけ、スカイを囲むように仲間達がヒルートを見つめていた。ヒルートにしてみれば、緑の民でもない者が自分を知っていると言う事自体あってはならない事だった。自分は捨てられた者、緑の領域にとって忌まわしい者なのだ。他の領域の者に知られてはいけない恥部と言ってよいのだ。
「何を勘違いしているのか知らぬが、私はその様な者ではない」
やっとの事で発したヒルートの言葉はそれだけだった。ヒルートの否定の言葉にもスカイはひるむ様子は無い。初めから、否定されると覚悟もしていた。この緑の王子には、自分の素性を隠したいだけの理由があることを知っていたのだ。
「いいえ、あなたはヒルート殿です。初めははっきりと解らなかったのです……今は、あなたの瞳の色と、魔法の研究に対する熱心さを合わせて考えて、あなたがヒルート殿だと確信しているのです」
ヒルートの眉がピクリと上がった。
「では、なぜその緑の王子の事を知っている。その者の名は、この領域ですら知る者は少ないのだぞ」
「キートアルが教えてくれました。彼とは魔術学校で同期でした。年齢は彼の方が上ですが、かなり親しくしていました」
「馬鹿な。魔法の力を持っていない者が、魔術学校で何を学ぶと言うのだ。たわ言を言うな。そんなごまかしは通用しない。何が目的でそんな嘘をつく」
ヒルートの瞳には、相手を蔑むような皮肉さと猜疑心が現れていた。スカイは、ヒルートの言葉に一瞬からだを硬くしたが、相手の顔を真っ直ぐ見つめ返した。
「それは、私の魔法の力が失われたのが魔術学校を卒業する直前だった為です。私の名はスカイ、空の王子です。キートアルから聞いたことはありませんか」
ヒルートは眉根を寄せて、思い出そうとするかのような表情になった。
「青い目に金髪の、銀竜に乗った生真面目な王子。ちょっとカッコを付けたがる生意気なルームメイト。とても気の合う弟のような友人。キートアルが魔術学校の休暇で帰ると、必ずこの地へやってきてはスカイ王子の話しをしていた。君がそうなのか」
スカイは、自分の事を他人から細かく説明を受けているようで、少し気恥ずかしさを感じた。頬が少しだけ赤く染まる。
「はい、スカイです。彼は、あなたの事を魔法の研究に没頭していない時はとても優しい兄上だと言っていました。弟の自分では、魔法の研究の魅力には勝てないのだと、淋しそうに話していましたよ。あなたは、魔法の事となると何もかも忘れてしまうとか。キートアルは、ヒルート殿の事をとても慕っているようでした」
ヒルートの顔が緩んだ。その表情にはほんの少し優しさがにじみ出ていた。神に、そして親に見捨てられた兄を、心から慕ってくれたキートアルの笑顔が思い出される。何もしてやれず、何も与えられない不甲斐ない自分を、家族の中で誰よりも心に留めてくれる可愛い弟。ヒルートの中では、弟のキートアルの存在はかなり大きな位置を占めていた。
「君の言うとおり、私は緑の王子ヒルートだ。そして、君が弟の大切な友人ならその一行を我が屋敷に招待せずにおいたのでは、キートアルに怒られてしまう。朝食を用意させよう、腹を満たしたら、君達の事を聞かせて欲しい。私の心は、何故と言う疑問ではちきれてしまいそうだ」
ヒルートが小さく微笑んだように見えた。スカイは、ホッと胸を撫で下ろした。ヒルートであると確信はしていたが、受け入れてもらえないのではないかと心配だった。受け入れてもらわなければ困るのだ。これからの旅に必要な物を用立てて貰えそうな人物などそうは居ない。キートアルから聞いている人間像に間違いが無ければ、ヒルートは自分達を助けてくれるだろうと考えていた。
「ご案内しよう[最果ての館]へ。館とは名ばかりの廃墟だがな、私の捨てられた場所だ……聞いているのだろう、私が[緑の城]の忌み児だと言うことを」
ヒルートは感情を持たない蝋人形のような顔に戻ってスカイを見つめて言った。スカイは、その視線を避けるように俯いた。何と言っていいか解らなかった。キートアルから[緑の城]の忌み児と言われた兄ヒルートの話は聞いていた。
緑の民の瞳は濃い薄いの差はあるがみな緑色をしている。ヒルートが生まれて、瞳の色が金色だと解った時に、当時の緑の魔術師が神の啓示を聞いた。彼女が啓示を受けそれを言葉にする間、その身体は銀色の光に包まれていた。
『金の瞳の魔法の子を城に置いてはならぬ。最果ての森へ捨てるのだ。それが成されねばこの世は破滅の道を辿るのみ』
緑の魔術師は、その言葉を残してその場で息を引き取った。彼女はヒルート達の祖母だった。神の啓示と、緑の魔術師である老女王の異常な死。[緑の城]はこの出来事に騒然となり右往左往した結果、ヒルートは最果ての森の古びた館で育つ事になった。ヒルートの名前は緑の領域の中でもごくわずかな者にしか伝えられず、小さな森の領主として生きる事を強いられた。他の領域にも、神の啓示は伝えられたが金の瞳の子の行方と名前は伝えられる事は無かった。ただ、啓示は正しく成されたとのみ伝えられたのだ。
キートアルがこの話しを聞いたのはかなり大きくなってからで、年に一度だけ、[最果ての館]を訪問する両親に連れられて訪れた古びた館で、数回しか会った事のない優しい年上の男の子が、自分の兄でありいつも悲しい瞳をしていた本当の訳を、その時に初めて知ったと言っていた。
スカイは、自分が魔法の力を失った事実を父王に告白した後の、城内の様子や父王の顔を思い出していた。ヒルートの負った物とは決して同じではないが、忌み児という言葉は自分にも相応しいように思えて何も言えなくなっていた。そんなスカイの様子を、リクはジッと見ていた。慰めていたレインの頭から手を離し、リクがスカイの肩をパシッと叩いて、元気一杯に叫んだ。
「カッコいいじゃん。[最果ての館]だって。何かさ、ウキウキしてこねェ」
リクに叩かれた肩に手を当てて、スカイは眉間にしわを寄せた。
「バカは黙っていろ」
搾り出すように言ったスカイを、リクが首をかしげて見返している。
「チェッ。どーせバカですよーだ」
リクが次の言葉を言う前に、タカがフーミィを抱いてヒルートに向かい合った。
「ちょっと待ってください。ブルーリーはどうするんですか。まさか、殺したわけではありませんよね」
タカとフーミィを交互に見ながら、ヒルートはフンっと鼻で笑った。
「あの無礼な青竜の事か。この森のはずれにある洞窟で眠っている。二、三日すれば目を覚ますだろう。この先ずっと目覚めぬ様にも出来る。私は、二度とあの耳障りな声が侮辱の言葉を発するのを聞きたいとは思っていない。君は聞きたいのか」
ヒルートは、自分と同じくらいの身長のタカを、あごを引いて上目使いに見て口の端をゆがめた。
「俺も聞きたくないかもしれない。でも、しばらくしたら、きっとあの怒りっぽい皮肉屋の声が恋しくなるんだ。だから、二、三日で起こして欲しい」
タカは、ブルーリーの無事を聞いて内心ホッとしていた。ブルーリーが好きになっていたのだ。皮肉を言いながらでも励ましてくれる優しさは、母親の温もりを思い出させた。
リクはヒルートを悪い奴では無いとは言っていたが、ブルーリーを消した時の彼の表情はとても残忍に見えた。ブルーリーが無事なら良かったと安心した反面、ヒルートの怒りを買ったのが彼女が放った言葉の攻撃だったのは明らかで、それならば、もう一度同じ事が、一つ間違えばそれ以上の事が起こるかもしれないと不安にもなっていた。ヒルートが、タカの杞憂を察したように言った。
「変わり者だな。あの竜の事がそんなに心配か。竜が目覚めたら、君に知らせるとしよう。しっかりと口を閉ざしているように言い聞かせてから屋敷に連れてきてくれ。何度も侮辱を受けたくは無いのでね」
ヒルートの言った事で、何か気付いたようにスカイが言った。
「ヒルート殿のお屋敷には、竜が着地できるような場所はあるのですか。竜は離着陸にかなりの場所を必要とするのですが」
ヒルートが、ククッと笑った。
「こんな辺ぴな森の中の屋敷では、大きな庭など無いと心配か」
「いえ……そんなつもりでは」
スカイは、自分の思った事を言い当てられて口ごもってしまった。
「かまわんさ。当たっている。私の屋敷に竜の離発着に必要な広さの庭は無い。だが、私が願った訳ではないが、どうやら私は緑の王の息子らしい。時々だが、彼らは親だという事を知らせる為だけに城の近衛兵全てと使用人の全てではないかと思えるほどの大所帯を軍に守らせてやって来る。その時、屋敷から大街道までの間は、テント村に早代わりする。その空き地なら竜でも飛風艇でも楽に着陸できるだろう。あの向こうに隠しているのは飛風艇なのだろう。屋敷まであれに乗せてくれないか。一度も乗った事が無いんだ」
リクを傷つけたとヒルートに怒り狂っていたレインが、ヒルートの前でお辞儀をした。
「ヒルート様。我が[雲の城]の飛風艇にご招待いたしますわ。ですが、一つだけ条件がございます。リクに謝罪して下さい」
レインにとって、ヒルートがリクに謝罪する事は譲れない事らしい。ヒルートの眉がピクッと動いた。一度目を閉じてから、ゆっくりと開けてリクを見た。
「手荒なまねをして、怪我を負わせた事は申し訳なく思っている。すまなかった」
「ありがとうございます。緑の王子の謝罪をお受けいたします」
リクが答えるよりも早くレインが深くお辞儀をしながら礼を述べた。まるで夫の代わりを務める妻のような態度だった。その後に、何か問いた気な様子を見せたが、何も言わぬままスッと後ろに下がってしまった。ヒルートも微笑みながらレインに軽く一礼して、リクに向き直った。
「自分のした事を弁解するつもりは無いが、君も口のきき方を覚えた方がいいと思うが……どうも君の話し方は、人の気持ちを逆撫でする様な気がする」
タカがプッと噴出した。
「ほんっと、人の気持ちを逆撫でするんだよ。お前のしゃべり方は。覚えとけ」
「兄ちゃん、誰の味方してんだよ。ムカツクつーの。俺って全然フツーじゃん」
リクが口を尖らせた。まるで子供の様なふくれっ面にレインまで笑い出した。
「リク、そのしゃべり方が普通ではないのよ。お友達の翔汰君もおかしな話し方だったから、あなたの世界ではそれが普通なのかと思っていたのだけれど、タカお兄さまは違うもの。やっぱりリクがおかしいんだわ」
「レンまでなんだってんだ。ああ〜ムカツク」
リクは、子供のように足元の石を蹴り飛ばした。
飛風艇の翼が遠くの森から上がってきた朝日に輝いていた。レインは、仲間達とヒルートを乗せた飛風艇をゆっくりと飛ばしていた。
さきほど離陸して直ぐに昇る直前の朝日が森の輪郭を浮かび上がらせた。少しずつ昇る日の光が、眼下に広がる森や泉を照らし出し朝露に濡れた木々をキラキラと輝かせた。鳥達が起き出して、飛風艇とシルバースノーの周りを遠巻きにしながらハミングしている。初めて見る大きなものが何だろうと話し合ってでもいるのだろうか、ハミングはせわしなくその音色を変えている。泉とそこから伸びる小さな流れは、日の光を反射して輝きながら自分の中を泳ぐ小魚が跳ね上がると、同じように輝く雫を跳ね上げて一緒に踊っているかに見える。
ヒルートが、スッと手をあげて指さした方角に広い空き地が見えた。空き地から広い道が伸びていて、その向こうに大街道が大きな蛇のように横たわっていた。
「あそこだ。我が家へようこそ。だが、我が家の朝は始まるのが遅い。屋敷の者達を起こしたくはないので静かに願いたい」
ヒルートが起きてほしくない相手はただ一人だったが、そんな事を他人に言うつもりは更々なかった。
スカイが頷いてから、口の前で人差し指を立てて皆を見た。皆がそれに答えて頷いた。ヒルートの声が聞こえたのか、飛風艇の横を静かに飛んでいるシルバースノーもスカイの方を見て頷くような仕草をしている。リクだけ頷かないでそっぽを向いている。
「何が静かに願いたいだ。俺はフツーじゃねーから意味わかんねーや」
「リク。いい加減に八つ当たりはやめろ。お前のしゃべり方が悪いのは、前から母さんにも怒られてた事じゃないか。いい機会だ直せ。そのままならレンちゃんにも嫌われるぞ」
リクが目を丸くしてタカを見た。
「えっマジ。レンに嫌われんのかよ」
「ああ、レンちゃんに聞いてみろ」
笑うのをこらえる様にタカは口に握った手をあてがった。リクは飛風艇の操舵席のレインを見つめた。レインは、今の会話が聞こえなかった様に前を見たまま答えない。リクにはその姿がタカの言葉を肯定しているように映った。実際はレインには聞こえていなかっただけの事なのだ。けれど、この事がリクをしばらく悩ませる事になる。
「マジ、ヤバイのかなァ〜」
リクは、少し不安になってきた。真面目に話し方を直そうと思い始めていた。それは、今リクの目に映るレインの姿があまりにも美しかったからかもしれない。風になびいて後ろに流れる黒髪は日の光にキラキラ輝いてゆれていた。風圧でシャツが後ろに引っ張られ、レインの身体のシルエットを浮かび上がらせ、小さいが男の自分とは違う胸のふくらみや細い腰がはかなげに見えて心をひき付ける。
レインに嫌われたくなかった。いいや、自分の事をずっと好きでいて欲しかった。リクの心臓がドクンと鳴った。レインがその音を聞きつけたかのように、タイミング良くリクを見た。ニッコリ笑ったレインの顔に風に乱された髪がいく筋かの小さな束になってゆれている。レインの全てが好ましく思えた。
「レンって可愛いなァ〜」
リクは溜め息混じりに言った。ずっとリクを観察していたらしいヒルートが呟いた。
「素直な奴だ。素直に生きると人生は違ってくるものだろうか」
「こいつを見てると、最近そんな気がしてきましたよ。私も」
スカイが笑った。
「素直なのか、天然バカなのか疑問ですけどね」
タカは呆れ顔で笑いながら言った。
「誰が天然バカなんだよ。人の悪口言う時は聞こえないように言えっつーのって…あ〜」
やはり、いつものしゃべり方になってしまうと、リクは思った。
「悪口じゃない。事実を言っただけだ。素直な天然バカ。それがお前の獲り得だろ。そのしゃべり方、頑張って直してみたらどうだ。レンちゃんの為なら出来そうじゃないか」
タカに、そう言われると本当に出来そうに思えてきた。
「サンキュー兄ちゃん。頑張ってみるっツーこと…えっと、頑張ってみるっ…よ」
「ああ、頑張れ」
タカは、レインのいる操舵席を親指で指した。リクは笑顔で頷くとレインの所へ駆け上がっていく。
ヒルートが小さな溜め息を漏らした。それを聞き逃さなかったのはスカイだ。
「あなたにも、素直になれたらやりたい事がある様ですね」
「私が、素直に。そうだな、やりたい事はあるが、もうあんなに素直にはなれない気がする。考えない事が一番だな」
「そうですか。私にはあります。何もかも全て振り払って素直になれたら、一番にしたい事が……」
そう言ったスカイの視線の先には朝日を受けてオレンジ色に輝くシルバースノーの美しい姿があった。ヒルートが、リクとならぶ笑顔のレインを見つめてから聞いた。
「スカイ王子、一つ質問なのだが、レイン嬢はやはり……[雲の城]の姫なのか」
スカイは、目線をシルバースノーに向けたまま答える。
「ええ、雲の姫であり魔術師の卵。いずれは偉大な雲の魔術師になる事でしょう。ケトゥーリナの妹です。ケトゥーリナにはお会いになりましたか」
ヒルートは、スカイの顔色を窺うようにそっと見つめた。
「レイン姫が聞きたかったのは、姉上の近況か……少し前にキートアルが彼女を伴って館に来てくれた。とても穏やかで美しい女性だった。厄介者の私の事もよく気にかけてくれて優しい人だ」
スカイが笑いながら答える。
「レインとは似ていないでしょう。でも、二人とも優しいところは同じなのですよ。レインは少し、じゃじゃ馬すぎる。レインは、まだまだ子供です」
ヒルートは、気遣うようにスカイを見つめている。それに気付いたスカイは、自嘲気味に笑いながら話し始めた。
「キートアルから聞いている様ですね。愛する許婚を友人に奪われた哀れな男と思っているのでしょう。哀れみは要らない。子供の頃の初恋はもう終わりました。私は全てを失って初めて本当に欲するものを見つけられたのです。それをどうすれば手に入れられるのかが解らない……と言うより、自分が迷っていると言った方が当たっているかもしれない」
ヒルートは、スカイとシルバースノーを交互に見た。腕をローブの中で組み目を閉じ何かを考えているように見える。ゆっくりと羽ばたいて飛風艇の速度に合わせて飛んでいたシルバースノーが、一瞬羽ばたきを止めてスカイの横に立つヒルートを見つめた。ヒルートがゆっくりと目を開けた。その瞳は、微笑んでいるようだった。
「私は神に嫌われた人間だが、今は君達との出会いを神に感謝しよう。類い稀な者の集まる一行とは……なんと私は幸運なのだ。この出会いの為に生きてきた様な気さえする」
ヒルートの言葉の意味が今一つ分からなかったスカイは、怪訝な表情を浮かべた。
「ヒルート殿なにを……」
その時、レインの透き通る声が着陸を告げた。誰もが、今から着陸する大きな空き地を見下ろしていたが、タカに抱かれたフーミィだけがヒルートを見つめていた。その瞳には、全てを知っている者だけが持つ落ち着きが感じられる。可愛い魔法の生き物のものとは思えない、物事を超越したような瞳は、何故か銀色に輝いていた。
魔法の生き物フーミィには隠された秘密がありそうですが……