[10] 母より怖い
レインはスカイと言い争いをしていたはずなのに、いつの間にかリクとのケンカに……
レインの寝室には、その場に似つかわしくない音が鳴り響いていた。
「ンゴー☆※!#+※※?**…ングーンゴッ」
リクは高いびきで、なぜかレインのベットの上で寝ている。少しだけ遠慮したように端のほうに寝ているが、手足は大の字に広がっている。
スカイは椅子に腰掛け、足を組み、肘掛においた手を握ったり開いたりしていたが、レインの前に身を乗り出すと、リクを横柄な態度で指さし、口調だけ丁寧にレインに話しかけた。
「この能天気な客人を、窓から捨ててもよろしいですか、姫」
真夜中をすぎて、誰も訪れないと安心したのか、一時間ほど前からリクは眠ってしまっていた。
「そんな言い方しなくてもいいんじゃない。昨夜もあまり寝てないし、今日は扉をくぐったり、ジッと隠れたりで疲れたんだわ。もっと真ん中で寝れば良いのにね」
レインがそう言うと、それが聞こえたかのように、リクが寝返りを打ってレインに少し近付く形になった。レインはリクの顔に掛かった栗色の軽くカールした髪を、そっとなで上げる。
「可愛い顔してるでしょう。寝ていると子供みたいね。初めて見た時と変わらないわ」
リクの寝顔を覗き込むレインの様子に、スカイは顔をしかめるて注意する。
「いいえ姫、その者は子供ではありません。姫と同じ13才と聞きました。[空の城]ならば、騎士見習いから本物の騎士となる者もいる年齢です。もう、れっきとした男です。若い娘が男と共にベットにいるだけでも許される事では無いのですよ。どうか、それ以上その者にお近付きにならぬように」
スカイの言葉に、自分がリクの顔のほんの近くまで顔を寄せていた事に気付いて、レインは真っ赤に頬を染めた。
「なによ。こんな事、ナッナッ何でもないことだわ。いやらしい言い方はやめてちょうだい」
レインは意地になったのか、余計にリクに近寄った。リクが起きていたら絶対にこんなに近付くことは出来ないレインだった。勿論リクが魔法を使い始めると、いつの間にか近付いて抱きしめたり、触っていたりするのだが、レインにとっても、リクにとっても、その事は全く別のことなのだ。魔法の高まりが自然に二人を引き寄せているとしか考えられなかった。だから、魔法が関係していない時には、普通の恋する少女と同じくリクに近付くとドキドキして胸が痛くなってくる。リクが寝ている今だけが、こんなに近くにいられると言うのにスカイの忠告はお節介以外の何者でもないとレインには思えた。
スカイはリクの寝ている側に移動すると、そのまま引きずり降ろそうとするかのような勢いで、リクの腕に手を掛けて言った。
「いやらしい事を言った覚えはございません。世間では当たり前のことを申し上げたのです。意地にならず、離れるのです。その者を無事に元の世界に帰すことと、扉の件に関してはお助けするとは約束しましたが、これは別の事。このままでは、父君に申し開きできない」
スカイはリクを掴んだ手をグッと持ち上げようとした。
「やめて。このまま寝かせてあげて。私がベットから降りるから」
リクの腕に掛かったスカイの手を払ってレインはベットを降り、そのままスカイとリクの間に立ちはだかる。
「それに何よ、さっきから。ワザとらしい話し方はやめて欲しいわ。まるで責められているみたいで、気分が悪い」
「責めてるんですよ姫様……君は既にとんでもない事をしでかして、その上まだ父君を困らせる様な行動を取ろうとしている。叶わぬ恋など諦めろ」
スカイの一言にレインはグッと睨み返した。きつく唇をかみ締め、耳まで赤く染まった顔は今にも爆発しそうだ。
「こんな異世界の人間に熱を上げている君を見てるととても不安になる。立場を考えろ、いずれこの領域を治める女王になるんだぞ。解っているのか、結婚の相手も自分で選ぶ事など許されないんだ。これ以上こいつに近付くんじゃない、辛い思いをすることになる。傷つくのは君なんだ」
爆発一歩手前のレインは、今度のスカイの言葉に爆発するどころか、一気に熱が冷めていくのを感じた。スカイの言っている事など、初めからわかっている。責められるのも解っているのだ。それでも諦める事は出来ない。危険を承知で異世界に旅立った。リクに逢う、逢いたい、たったそれだけの為に何年もかけて学び続け、人知れず訓練を積んできたのだ。そして、リクの傍で過ごした数日の間に、その思いは、もっと強くなってしまっていた。
恋する気持ちをスカイに解らぬはずは無い、愛する者を失う辛さを知らぬはずはない、それでも、領域のために恋を諦めろと言っているスカイの態度に、燃えるような怒りは、逆に冷めた怒りに変わっていた。レインはスカイを冷ややかな目で見つめて言い返す。
「やっぱりスカイは親の言いなり、領域のために生きてるのね。スカイは、ケトゥーリナ姉様が未来の妻になると思ったから好きになったのね。じゃあ今は私が好きになったの? あたり前よね、空の王と雲の王に決めてもらった婚約者なんだもの。スカイの言っている事は、そう言う事でしょ」
レインの辛らつな物言いに、スカイは全身の血が逆流するのを感じた。
「私の話は関係ないだろう」
自分の感情を押し殺すようにスカイは強く拳を握る。一番触れて欲しくないスカイの傷口をレインは大きく開いてしまった。スカイは失ったものが残した傷口がいまだにジクジクしていることに気付く。
二人は気づいていないが、リクはスカイの手をレインが振り払った時の勢いで目が覚めていた。だが、二人の言い争いに、声を掛けにくいのと、スカイがレインの婚約者だという事実が、リクに寝たふりを続けさせていた。
リクは、寝たふりをしながらも、スカイの苦しみと深い悲しみを、体の中から勝手に湧き上がってくる魔法の力で感じ取ってしまった。強く感じれば感じるほど、簡単に魔法で癒してはいけないように思えた。少し考えて、他の方法で、何とかこの場の雰囲気を変えられないものかと思案する。
魔法の力に目覚めてから、レインとタカを癒した経験しかないにもかかわらず、この癒しの魔法が心を癒すと言う事に、戸惑いと不安を抱いていた。体を癒すのなら、痛みと苦しみを取り除く事は、相手にとって何の問題も無いだろう。だが、心となると話は違ってくると思えたのだ。癒す事によって、相手が苦しみや悲しみから解放される事はとても良い事のように思える反面、苦しみや悲しみ憎しみ等の感情と戦ったり、折り合いをつける経験を失わせてしまうのではないか。それによって、魔法で癒された心は必然的に弱くなってしまわないのか。すぐにでも魔法で癒してやらなければならない状況にある心と、魔法に頼らず自分の力で乗り越えなければならない状況があるように思え悩んでいたのである。スカイの苦しみは、癒してはいけないと思った。
リクの思い等知る由もないレインは、スカイの苦しげな表情を見て、言い過ぎたと後悔していたが、攻める体勢を緩める気は無かった。スカイが三つ年上のケトゥーリナを強く慕い恋していた事はよくわかっていた。それは、決して親に従ったからではない、真実の恋だとも知っていた。だからこそ、スカイに解って欲しかった。自分が決してこの恋を諦める気など無いことを、どんな犠牲を払っても譲れないのだと言う事を。そして、立ち直って欲しかった。諦めない自分の姿を見て、スカイが本当の自分自身の声に耳を傾ける気になって欲しかった。
「関係ないなんて言わせないわ。あなたと私が婚約している事自体、あなたは諦めて納得できたとしても、私にはまだ諦められないものがあるのよ。姉様は他の男性を選んだ。それは、どうにも出来ないかもしれない。でも、スカイにもあるでしょ。諦めきれないものが。私と結婚して、この城で暮らすことが、あなたの本意では無いはずだわ」
リクは、声をかけるなら、この辺だと判断した。今声をかけないと、レインがスカイの心を粉々にしてしまいそうだった。レインが自分なりのやり方で、スカイを立ち直らせようと思っていることは解った。でも、行き過ぎは傷を深めてしまうと思った。
リクは半身を起こして、レインの後ろから声をかける。
「ねえ、レンはスカイと、ケ・ッ・コ・ンするのか……」
リクは、いつの間に起きて、話を聞いていたのかといぶかる二人の間に、ベットの上から身を乗り出した。レインを見るリクの表情は、せっかく手にしたおやつを、食べる前に取り上げられた子供のそれによく似ている。子供は取り上げた人間に対する怒りより、ほとんどの場合、取り上げられたおやつに執着するものだ。
「結婚なんて良くわかんねーけど、フツー好きな奴とすんだろ。俺の世界はそーなんだけど、こっちは違うのか。レンは俺を好きなんだと思ってたんだけど、間違ってたのか……」
いきなりの失恋にリクはかなりのダメージを受けている様子で小さな声でボソボソとつぶやく。
「好きになってほんのちょっとで失恋かよ……マジ俺って使えねー」
そうつぶやくリクの頭は見る見る下がって、ベットの脇の床に激突した。と言うか自爆したと言った方が正しい。レインは秘密がばれてしまったショックからなかなか立ち直れないでいた。頭を床に打ち付けたままのリクを呆然と見つめる。
「いってェ〜よ……」
リクの声に、放心状態が解けたレインは、あわててリクの頭を抱えた。レインの胸にリクの顔がぴたりとひっついた。自分の胸に抱えたリクの頭にビックリしたように、そのままベットに放り投げ数歩後ずさる。顔は見る見る真っ赤に染まり、あわてて言い訳をはじめる。
「チョット暑いのかしら、顔が火照って仕方ないわね。イエ、あのそうじゃなくて。違うの、違うのよ」
リクは、真っ赤に頬を染め恥じらいと戸惑いの中で慌てているレインを見ていると、可愛くてすぐに抱きしめたいと思ってしまう。そんな時は必ず自分も赤面して、心臓が早鐘を打っているから、抱きしめるなんて無理な話なのだが。
レインが自分を好きで居てくれる事は、初めてレインが扉をくぐって現れ、リクの体を通り過ぎた時から解っていたのだ。勿論、初めは幽霊にとり憑かれたのだと思っていたのだが、今ではイッパシの彼氏のつもりでいた。それなのに、スカイが婚約者だと聞いて、かなりショックを受けたのも事実で、今はレインに裏切られた様な気がし始めていた。スカイの心の救出はわすれかけていた。だから、ちょっとレインに意地悪したくなったのも当たり前かもしれない。
「何が違うんだよ。婚約者なんだろ、俺は騙されたんだ。だってレンはこっちに帰れたら、ホントの名前を教えてくれるって言ってて、まだ俺には教えてくれないもんな。嘘ついた証拠じゃん」
「何ですって。そんな理屈ってあるかしら。名前なんて私が教えなくっても解ってるでしょう。そんな事が、私がリクを騙した証拠だって事にはならないでしょう」
「いいや、なるさ。俺は傷ついてるんだからそれは証拠になる。婚約者がいるなんて聞いてない。名前も聞いてない。レンはウソをついたんだ」
リクの子供のような、訳のわからない理屈にレインはだんだん腹が立ってきた。
「も〜何に言ってるの。リクなんてワガママな甘えん坊なだけだわ。私の気持ちは解ってるんでしょ。ごねるのもいい加減にして。そんなリクは嫌いよ」
レインの顔は恥じらいではなく、怒りで赤く染まっている。スカイなど、レインのその顔を見て手で目を覆ってしまった。この後の展開が何となくわかってしまう、スカイはリクが地雷を踏まない事を祈った。(とりあえずリク、お前の幸運を祈るよ)とスカイは思った。
リクは、スカイの祈りも届かなかった様で、レインの様子に少し引いてしまったものの、それでも、「嫌い」の一言が、つい言ってはいけない次の言葉を言わせてしまった。売り言葉に買い言葉と言うのだろうが、おもいっきり地雷を踏んだのだ。
「スカイも可哀想だな。こんなワガママで、怒りっぽくって、じゃじゃ馬が婚約者なんてさ。俺だって、そんなレンは嫌いだ。スカイにあげるよ。結婚でも何でもすればいい」
パッシッ
レインの右手はリクの左頬を、顔が横に向くほど思いっきりひっぱたいた。
「いってー」
頬に手を当てたまま、文句を言おうとレインを睨んだリクの目に、当然の事ながら、レインの泣き顔が飛び込んできた。レインは、右手をしっかりと左手で包んで握っている。大きな目からこぼれる涙がドレスの胸の部分にシミを作っていた。レインはそのシミをジッと見つめているが、その目は大きく見開かれ、怒りの為に閉じる事を忘れてしまっているように見える。
リクの心臓がドキドキと鳴り始めた。(何で泣いてるんだよ。殴られたのは俺だって。怒ったり泣いたりワッカンねー。でも、スゲーこえーよ。母さんが怒ったより怖いかもしんない。どーすりゃーいーの、誰か助けて)
この年頃の男の子に女の子の気持ちを解れとか、上手になだめろと言う方が無理かも知れない。こんな時に頼りにしたい癒しの魔法は、レインと言い合いになってから、なりを潜めてしまった。いつも助けてくれる兄もここにはいない。まァ居たところで、リクと同じようなもので、あまり役には立ちそうもない。無い知恵を絞っていても、時間ばかりが過ぎていく。あーでもない、こーでもないと考えるうちに沈黙の時間は10分を経過してしまった。
とりあえず、リクは声を掛けてみる事にしたようだ。
「レン。あのー泣くのやめて。ね、あっそーだ、名前教えて。それでェこのケンカ無しって事でいいじゃん。そーだ、そーしよ」
母をなだめる時のように、猫なで声で言ってみる。リクは我ながら、良い考えで上出来だと思ったが、母を上手くなだめられた事など一度も無いのを忘れている。勿論、レインにも通用するわけは無く、余計に怒らせたようだ。
「名前なんて、グスッ…もう知ってるくせに。また意地悪言うのね。何故そんなに意地悪になれるの、信じられない。絶対に教えないわ、大っ嫌い」
レインは、リクにくるりと背をむけ泣き続ける。いい考えを否定され大っ嫌いとまで言われれば、もう何を言う事も、何をする事も思いつかなかった。好きな女性といえば、今まで母以外にいなかったのだから無理もない。
リクの沈みようが可哀想になったのか、昔、レインがすねたのを放っておいて長引かせ、痛い目に会った経験のあるスカイは、自分の信念をまげて、仕方なく間に入った。
「もう許してやればいいじゃないか。元はと言えばレイン、君が私のことを内緒にしていたのが問題なんだろ。リクも困っている。もう泣きやみなさい」
スカイはハンカチを取り出し、レインに渡しながらリクを見る、その表情は何とも言えない苦いものを飲み込んだようだった。
「君も、あまりレインの気持ちを逆なでするのは良くない。婚約の事は気に入らないだろうが、その件は無いものと考えてやって欲しい。レインは、ずっと嫌がっていた。だから君にも言わなかったんだろう……女の子に言い過ぎたら、素直に謝ったほうが得策だと思うぞ」
スカイは幼い頃から、この城で姉妹と共に育ってきただけあって、女の子とのケンカの終わらせ方には心得があった。勿論、素直にと言うか、嘘でも謝ったほうが丸く収まることが多いのは間違いない。男女の関係と言うものは、老若男女を問わず同じかもしれない。ケンカの後の謝罪は、大抵の場合、男がするもので、女も相手が仕方なく謝っていると感づいているとしても、男相手のケンカに取り合えず勝つ事のほうを選ぶものだ。その方が、後々優位に立てると知っている。
男は男で、謝ると言う行動が、自分の立場を相手の女よりも弱くしていく事に気付いていながら、あえてそれを続け、受け入れて暮らしていく。こんなに若い二人でも、それはきっと同じなのだろう。
リクは、こんな簡単な事が解決方法なら、すぐにでも謝ったのにと思った。レインの泣いている顔もチョット可愛い気もするけれど、怒ると怖いし、なるべくなら笑っていてくれる方が嬉しいのは確かだ。それに、その方が楽なのも確かだ。
ただ謝れば良いのか、それともそれ以上が必要なのか、リクは悩んでいた。明日扉をくぐって帰ってしまえば、次に逢えるのは随分先になるのは解っている。今すぐにでも仲直りしたかった。それでも、一番良いと思える言葉を言うのは、かなり恥ずかしかった。
リクは、自分がその言葉を言うのを想像して、真っ赤に顔を染めていた。
「ゴメン…ゴメンな。そっそっそっそれと、オッ俺……レンが好きだ……だから、嫌いって言われると辛い。名前だって知ってるけど、やっぱりレンの口から聞きたかったんだ。ゴメン」
リクの謝罪に、涙を拭きながら鼻をかんでいたレインは、振り向いたと思った瞬間にリクに飛びついた。好きだと言われる事は、謝られるよりも女心を掴んでしまう。大好きな人に「好きだ」と言われ頭を下げられても許せないケンカなら、その恋愛は終わっているのだろう。レインは一も二も無くリクの言葉を受け入れられるぐらいに、この恋に熱くなっている真っ最中だった。
「ごめんなさい。私も悪かったわ。リク大好き、大好きよ」
リクは、レインといると自分の心臓は長く持たないと思った。今にも爆発しそうだ。
「でもね、名前は教えない」
「えっなんでだよ。俺の言った意地悪の仕返し」
フフフっと笑って、その効果を知ってか知らずか、レインがリクの耳元で囁いた。
「違うの。リクにとって私はレンのままで居たい。皇女としてでは無く、レンの方がいいわ」
リクは、ビクッと身を震わせた。気絶寸前の自分の体がカッと熱くなるのを感じて、なぜそうなるのかを、誰に聞くのが一番いいだろうと考えていた。
(兄ちゃんじゃ無いのは確かだ。きっとわかんねーよな)
そして、意識をを失いそうになりながら、何か忘れている事があるような気がした。
リクはしっかりしているのか、忘れっぽくて頼りにならないのかどっちでしょう?