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第五話 鬼斬りの娘

 午後、九条はキャンプの脇に式神たちと陣を張った。北の方位のグレー、黒、濃紺三人が、最大深度まで破壊された影響は、小さなものではなかった。

 教誨師が選択した作戦は、正しいものであったが、少しだけ、見込み違いをしていた。

 一度、皮紐の状態まで戻された式神が再生するには、陣を組み、配列上隣接する二人の式神から力の供給を受けている場合で、約二時間が必要となる。それも、式神のネットワーク上に他の障害がないなど、再生に力を集中できる場合だ。それが、配列の上で並び合う式神がともに還元されてしまったとなると、同時に再生を進めても約四時間、三人の再生ともなれば約八時間はかかる。

 それとともに、他の式神たちの活動も制限され、霊力の消耗も著しいものになる。ドクター復活の際に霊力をかなり持っていかれたこともあり、場合によっては今日中の再生は難しくなることもあり得る。

 陣を張る前、九条はそんなことをかいつまんで説明した。

 ウタキで、九条から礼を言われ、一度は自分でも、整理をつけたはずだった。それより前、式神たちのためになるならば、彼女たちを斬る決心さえ、していたはずだった。だが、作戦遂行のためとは言え、彼女たちを救い出すためとは言え、九条や式神たちに、自らが思っていた以上の負担をかけてしまっていたという事実は、相馬ひなという一人の人間の心を、重く塞いだものにしていた。

 自分は、いつもこうだ。教誨師として下した、正しいはずの判断に、自分の心はいつも、乱される――。

「お嬢様、差し入れをお渡ししなくても?」

「……そうね。はるみさん、お願いできるかしら。」

「かしこまりました。」

 ひなは、おそらくは学校の校舎の土台だったと思われるコンクリートの塊の上に腰掛けて、一人、ぼんやりしていた。楽しみにしていた差し入れも、はるみさんに任せてしまうくらい、呆然としていた。

 自分は、自分の信念に従って行動し、教誨師としての役割を果たした。初めから死を覚悟して復活してきたドクターの言葉を、言葉と行動を通して聞き届け、ドクターに関わる人たちに伝えることさえできた。

 だが、その過程で選択した作戦は、本当に正しかったのだろうか。仮に正しかったとしても、九条や式神たちは、それでほんとうに納得できたのだろうか。今日はともかく、明日、明後日と時が経つ中で、納得したまま、日々を過ごせるのだろうか――

 答えは、出なかった。

 やがて、時田とはるみさんが連れ立って、海岸に魚を突きに行くと言ってキャンプを離れた。はるみさんのナイフを適当な木の枝に括り付けて、勇ましく肩に担いで歩いていく二人を、手を振って見送った。二人の姿が見えなくなると、辺りは風の音しか聞こえない、静かな世界になった。返しのないナイフで魚が獲れるのだろうか、などとどうでもいいことを考えていると、

「また、泣いてるのか?」

 背後から、森田の声が聞こえた。大方、はるみさん辺りに何とかしろと言われてしぶしぶやってきたのだろうと、ひなは思った。

「うるさいわね。あたしだって、いつもいつも泣いてるわけじゃ……。いえ、ごめんなさい。大丈夫だから、心配しないで。」

「ふん……。それで心配しないで済むようなら、お前の彼氏ってご身分も楽なもんなんだがな。」

「ずいぶんね。心配するのは彼氏じゃなくて保護者の仕事でしょ?」

「別に、彼氏が心配したって悪くはないと思うが。」

「そう。」

 互いにぶっきらぼうな会話が続く。ジッポーを開く音がして、森田がひなの視界の中に回り込んだ。ただし、ひなの方を見るわけでもなく、ただ同じ方角を向いたままだ。つぶやくように言った。

「お前のやり方、オレは悪くないと思った。それが言いたくてな。」

「……ありがとう。」

「オレに礼なんか、言う必要はないんだぜ。今回一番活躍したのはお前、教誨師だろ?お前のお手柄ってやつだ。」

「別に、手柄が欲しくて闘ってるわけじゃ……。」

 森田ケイが、振り返る。

「それじゃ、何が欲しかったんだ?」

 ついと、たばこを吸い込み、そして無造作に吐き出しながら、森田はひなの答えを待っている。

「何も、要らないよ。ただあたしは、式神ちゃんたちと由佳さんを、失いたくなかっただけ。」

「それなら、達成できただろ?……まだ何か、他に望みがあったのか?」

 たばこを口に戻し、軽く腕組みをして、また森田が問う。

「笑わない?怒らない?」

「さあな。少なくともオレは、生まれてから一度も、お前が本気で言った言葉をバカにしたことはないつもりだ。」

 相馬ひなは、崩れかけた狭いコンクリートの上で、膝を抱えるように座り直した。

「……あたしはたぶん、」

 躊躇いが、言葉を詰まらせる。

「あたしはたぶん、ドクターのことも、取り戻したかったんだと思う。」

 森田の目つきが、ひなを睨むように鋭くなる。

「ごめん。あたし、この島に渡るときにも同じこと言って、みんなに叱られてるんだよね。忘れなきゃね。そういうこと、考えないようにしないと。ね。こういう仕事、続けるなら……。」

 こんな険しい顔の森田ケイは、見たことがないとひなは思った。面倒そうな呆れたような顔で自分を見ているのがふつうで、でもごくたまには、優しい表情も浮かべてくれる、それが、ひなから見たいつもの森田ケイだった。そして、どんなに不機嫌そうでも、決して過度にひなを追いつめたりせず、多少うるさく諭すことはあっても、最後は森田なりにジェントルな解決を用意してくれる。そんな森田しか、知らなかった。

 だから、こんなに真剣な表情で睨まれたことはないな、と思い、そして、やっぱり自分はこういう仕事に向いてないのかな、と悲しくなった。ああ、きっと生まれて初めて、ケイくんに心底バカにされるのだろうと思った。

「済まない。」

「え?」

「謝るのはルール違反だと、分かってはいるんだが。」

「え?え?なんでケイくんが謝るの?」

「もちろん、教誨師ってヤツに言ってやりたいことは別にあるんだぜ。一人で全部抱えるな、とか、お前は、銃で言えば弾丸だ、責任は、引き金を引いたヤツにある、とかな。でもそれは、結局のところ、だから気分入れ替えて次の仕事しろ、ってメッセージに過ぎない。」

「うん……。」

「教誨師と、元後見人は、今でも仕事仲間だからな。相手がぼんやりしてヘマでもやらかしたら、その尻拭いが待ってるわけだ。お互いにな。だから、そういう言葉をかけて、リスクを回避しておきたい。」

「うん……。そう、だね。」

「でもな、今、オレが言葉をかけてやりたいのは、教誨師じゃないんだ。センターの偉いさんのお嬢さんでもない。オレは、ただの相馬ひなに、言葉をかけてやりたい。」

「……うん。」

「でも、かけるべき言葉が、見つからない……。」

「……。」

 森田が、森田なりに、自分のために言葉を探してくれているのが、ひなには、よく分かった。

「なぜなら、そうやって、自分を責めなければならなくなるような仕事をお前にやらせたのは、このオレなんだからな。……今は違うが、ドクターのときは、少なくとも、そうだった。」

「……ごめんなさい。」

「ん?なぜ謝る?謝ろうとしてるのは、こっちだ。」

「ケイくんも、そうやって、自分のしたことで、自分を責めてるんだね。」

「……まあ、な。」

 すうと吸い込んだ息を、相馬ひなはふう、と吐き出した。抱えていた膝を降ろし、もう一度、崩れた土台の上に腰掛ける。

「それでもケイくんは、かっこいいよね。」

 はあ?、という顔で、元後見人は相馬ひなを見返す。

「お前、ドクターとのバトルで妙なダメージ受けてないか?話がぶっ飛んだ上にキャラ変わってるぞ?」

「え?あ、ああ、まあ、そう聞こえるかもね。あははは。恥ずかしい~」

(ようやく笑ったな。)

 森田はそう、思った。

「あたしが言いたかったのは、後悔するって、そんなかっこわるいことでもないんだ、ってことだったんだけど。あははは。」

「ま、少なくとも、何もしなかったことを後悔するよりは、何かやった上で後悔する方が、だいぶマシだとは思うけどな。」

 ひなは、軽く頷いた。そして、尋ねた。

「……相馬家の執事を辞めたことは、後悔してる?」

「していない。」

「即答ね。」

「当たり前だろ?おかげでオレは、「ただの相馬ひな」ってヤツと向き合えるようになった。」

「……キャラ、変わってない?」

「うるさい。」

「ありがと。」

「ん?」

「……ありがと。」

 相馬ひなはそう言うと、キャンプの側に陣を組んだ九条と式神たちの方を見た。

 自分が痛めつけてしまったもの、自分が傷つけてしまったもの、そして、自分が護りたかったものを、もう一度、確認した。

「恨まれても、いいや。」

「ああ。お前は、よくやったよ。」

「うん。」

 これ以上、ケイの側にいると、ケイに触れたくなってしまうと思った。

「あ、あたし、海まで、見に行ってみようかな。魚取り。」

「そうだな。ここはオレ一人で十分だ。」

「それじゃ、行ってくるね。」

 コンクリートの塊から立ち上がり、軽く迷彩服の尻を叩く。

 歩き出そうとしたひなに、森田が声をかける。

「そう言えば、昨日、島に着いて森に入る前に、時田に何か言ってたろ?」

「え、ああ。あれ?」

「何を言ったんだ?」

「大したことじゃないわ。うちのメイドに手を出さないで、あのメイドは、あなたの上司の女であたしの母候補だから、ってやんわり。」

「やんわりじゃ、ねえだろそれ。」

「そうかしら?」

 二人は笑い合い、海へ向かう者とキャンプに戻る者とに分かれた。



 翌朝も、相馬ひなは、まだ薄暗いうちから、海を見下ろす岸壁の上にいた。

 左手には、銘消し。

 今朝は、よく晴れていた。リーフに砕ける白い波が、島の岸から意外なほど離れた先に、見えていた。

 じり、と大地を踏みしめ、軽く腰を落とす。呼吸を整える。とん、というように白木の鞘から刀身が滑り出る。

 煌めき出た刀身が、一瞬後にはまた、鞘に戻る。

 抑制していた呼吸を、通常のペースに戻す。

「早いのね。」

 唐突に、背後から声が響く。九条の声だ。少しだけ首を捻り、答える。

「……おはよう。もう、大丈夫なの?」

「ええ。」

「みんなも?」

「ええ。もちろん。ほら。」

 そう言われて振り返ると、ひなと同じように迷彩服を着込んだ式神たちが、立っていた。思わず、人数を数えてしまう。

 ちゃんと、一二人、いた。

「あなたに、言いたいことがあるんだって。まだ休んでればいいのに、揃って起き出して、あなたを探していたの。」

「そう。」

「どうしたの?あなた、不安そうな顔をしている。」

 九条が言う。

「不安、よ?間違いなく。」

「なぜ?」

「だってあたしは、あなたたちを何度も、何度も傷つけた。そのおかげで、由佳さんも、みんなも、何とか失わずに済んだけれど、それだって、あたしのエゴかもしれないし。」

 式神の一人が、とことこと、前に進み出る。迷彩服の襟に、ちょうど階級章のように深紫のラインが入っているのが、明けてきた空気の中、見て取れた。

「深紫?」

 式神の少女は無言のまま、相馬ひなの前に立つと、一瞬軽くしゃがみ込んだ後、全身のバネを使って、相馬ひなの鳩尾に右ストレートを叩き込んだ。

 完全に予想外の一撃に、相馬ひなは腹部を押さえ、膝を突く。空腹に近い状態だったからよかったものの、食後だったら確実に胃の内容物を深紫の上にぶちまけていた。

「……。痛い?」

 深紫が、涼しい調子で訊く。かは、けは、と咳込みながら、ひなは答えた。

「当たり前でしょ!……すっごく、痛い。」

「それじゃ、あたしのこと、恨める?殺そうと思える?その刀で、あたしを斬ろうと思える?」

「……いえ、全然。」

「なぜ?」

「だってあたしたち、友達でしょう?殴り返すにしても、理由を聞いてからにするわ。」

 そう答えると、別の式神が言った。

「同じことだ。」

「え?」

「お前が、私たちにしたことは、今の深紫のしたことと、同じことだ。……そして私たちは、お前がなぜ私たちを傷つけたか、その理由をちゃんと、分かっている。」

「あたしのこと、殴り返したいと、思う?」

 深紫がまた問う。

 相馬ひなは、首を横に振る。

「あたしたちも、それと一緒ってこと。殴って悪かったけど。あなた、口で言っても分からなそうだから。」

 今にも泣き出しそうだった相馬ひなの眉が、ぴくりと動く。

「……それ、暗にあたしのこと、バカだって言ってない?」

「意外と鋭いのね。」

「ちょっと待ちなさい今のベージュでしょ?」

「だったら?」

 相馬ひなはその問いへの答えを、言葉ではなく態度で表した。刀を放り出して全力でダッシュし、式神の少女たちを追い回し始めた。だが――

 とんと間合いに入った式神の少女に、たった今深紫に一発もらったばかりの箇所を、ぽんと叩かれた。痛みから体が反射的にくの字になり、追撃不能になる。諦めて、地面に寝転がる。

 朝の空をそのまま見上げていると、ひょこ、ひょこ、と視界の中に少女たちの顔が入ってきた。

「みんな……。」

「助けてくれて、感謝している。」

「クロ、再生できたのね。」

「グレーも濃紺も、ほら、元通りだ。」

「今まで通りなの?」

「ああ。記憶も全部、再生できている。」

「そう……。」

「あなたの声、ずっと、聞こえてた。うれしかったわ。」

 ベージュが言った。

「……うん。」

「そうだね。聞こえてた。たとえ失敗しても、誰もあなたを恨まなかったと思う。」

 赤が言った。

「……。」

 相馬ひなは、両手の甲を眼の辺りに当てて、仰向けのまま泣いていた。

「ほんと、泣き虫なのね。」

 深紫が言う。

「悪い?」

 涙の中、言い返す。

「ちょっと、かっこわるい、かも。」

 薔薇が言う。

「うるさいなあ、もう。」

「教誨師とは、まるで別人みたいね。面倒じゃない?」

 白が、突き放したような口調であっさり分析する。

「……。自覚してるわよ。」

 厳しい評価の駄目押しに、何とか小声で言い返す。

「あと、男の趣味が、ちょっと。」

 そうインディゴが言うと、少女たちは皆、あああ、と賛同する空気になった。

「え?ケイさん、かっこいいじゃん?」

 ただ一人異を唱えたのは、相馬ひなではなく、バイオレットだった。

「ケ、ケイさん……?」

「ええええー!」

「バイオレット、ああ言うのが好みなのー?」

「信じられない、絶対カラオケでビジュアル系歌うよあーゆータイプ!」

 少女たちは、呆然とする相馬ひなと、ひなが放り投げた刀を拾ってきた九条由佳を置き去りに、壮絶な森田ケイ批評を開始した。ただ一人、その攻撃の矢面に立たされたバイオレットは、それでも何かを言い返しているが、詳しくは聞き取れない。

「……ねえ、いつもこうなの?このコたち。」

「私の留守中は、きっとこうなんでしょうね。」

 嬉しそうに、九条由佳は眼を細めた。そして、

「はい。鬼斬り。もっと大切に扱わなきゃだめよ。」

 そう言って、刀をひなに渡した、

「オニキリ?」

「ええ。人ならざる者を斬る刀、くらいの意味よ。……元からそうだったのか、それともあの戦いで、刀自体が進化したか、それは分からないけれどね。ただ、今はもう、その刀も、それからあなたも、立派な鬼斬りよ。邪神クラスを斬ったなんて、そうたくさんある話じゃないから。」

「そっか。まあ、刀は確かにね。人の方は、あれは式神ちゃんたちがつないでくれたから……。」

 そう言って、まだ騒いでいる少女たちを眺める。

「ねえ。……その、鬼のことなんだけどさ。」

「何かしら?」

 ひなは、昨日森田に話して整理をつけた自分の気持ちを、九条にも伝えてみることにした。

「後でひっぱたいても、殴ってもいいから、あたしの言いたいこと、聞いてくれる?」

「……ええ。」

「あたし、ほんとは、ドクターも、連れて帰りたかった。教誨師として、絶対言ってはいけないセリフだけど、ずるいと言われても仕方ないけど、ここにいる相馬ひなは、ドクターも、一緒に連れて、帰りたかった。でも、できなかった。それが、悔しいの……。自分のしたことを忘れて、何を綺麗事言ってるんだって、そう思うわよね?……ごめんなさい。きっと、あなたたちが必死で整理をつけて納得していることを、蒸し返すようなこと言って。だけど……。」

 また泣き出さないように、ぐっと噛みしめるようにしながら、相馬ひなはそう、言った。

「何を言い出すのかと思ったら、そんなこと?」

「え?……そんなこと、なの?」

「ええ。昨日も言ったでしょ?ありがとう、って。私たち全員の気持ちは、ほんと、ただそれだけなのよ。そうやって、ドクターのことまで気遣ってくれるあなたに、ちゃんと決着をつけてもらえて、きっと、当のドクターだって、納得して旅立てた。そりゃ、ドクターのいない世界は、寂しい世界だけどね。でもそれは、あなたのせいじゃない。……これだけ言ってもまだ分からないなら、」

「……できたら、同じ場所に三発目ってのだけは勘弁してください。」

 一歩踏み出した九条由佳はいたずらっぽく笑った。式神たちも、いつの間にか大騒ぎをやめて、二人の周りを囲んでいる。相馬ひなは覚悟を決めて、足元に刀をそっと置いてから、きゅっと眼を閉じた。

 その瞬間――。

 暖かい、体温。やわらかい、唇。九条由佳の、匂い。

(ちょ、ちょっと待って!)

 じたばたする間もなく抱擁され、口づけられていた。九条の腕の力が、少しずつ強くなる。それにつれて、直接触れられてもいない身体のあちこちが、暖かく、潤むようにほぐされていく感覚が襲う。水原環の施術とも違う、強引な癒しの業だった。その快感に驚いて、抱きしめ返す余裕もなく、つま先立ちになって九条の肩にしがみつく。

 でも九条は、唇を離してくれない。

(やっぱりあたし、男子より女子にモテる気がする……!)

 そっと目を開けると、眼を閉じた九条の瞼の間から、涙が流れていた。

 またこの人を、泣かせてしまった。

 痛みは、忘れない。その重荷を、降ろすこともしない。

 すべてを抱えたまま、前に進むと決めた。



 正午少し前に、組合長の船が着いた。すでにキャンプを畳み、九条と一二人の式神を加えた総勢一七名が出迎えると、組合長はさすがに驚いたような顔になった。

「こりゃ、ずいぶん増えたねぇ。定員オーバーだよ。」

 そう言って、大笑いした。慌てた時田が交渉しようとすると、組合長は手を振ってそれを遮り、さらに笑って言った。

「冗談冗談。定員ってのは、人間様の人数を数えればいいんだ。神様の人数は入らない。だからみんな乗せてくよー。」

 どんな屈託も鬱屈も一切感じさせない組合長のことばに、式神たちも、わーい、と子どもっぽく声を上げて笑った。基本的に、乗り物好きのようだ。

「しっかし、万札二枚預けただけの利息としちゃ、ずいぶん得した気がするなあ。みんなかわいいし、あの人も美人だし。」

 そう、時田に話しかけた。組合長は本気でにやにやしているように見える。

「組合長さんがそういう性格で助かったよ。まあ、あのコたちは、人間には見えないようにもできるんだけどね。うっかり忘れていた。」

「いや、それくらいじゃ、たぶんオレには見えてたんじゃないかな。」

「……そうか。あんた、最初から式神たちを神様だって見抜いてたね。」

 皆で手分けして、荷物の積み込みが始まった。式神たちが手伝ってくれるので、帰りはあっと言う間に作業が終わる。

 一段落してから、相馬ひなが組合長に挨拶に行った。

「また、お世話になります。」

「お、今日はいい顔してるな。がんばったんだろ?お疲れさまだ。」

「はい。ありがとうございます。」

 学校の先生と言うより、小さな塾の塾長と教え子のような光景だ。

 ひながまた丘の上に戻ると、今度は九条由佳が、組合長に頭を下げた。

「九条由佳と申します。組合長さんは、この島ゆかりの方だと伺いました。島とウタキを、荒らしてしまい、お詫びの言葉もありません。」

「んん?……まあ、そうだな。昔、天湧ウタキに鳥居立てたバカもいたが、もうすっかり戻ってたろ?ウタキはちゃんと、元に戻る。案ずるなよ、美人の魔術師さん。」

「ありがとうございます。」

「詳しくは知らないけど、あんた、仲間に恵まれてるみたいだな。」

「ええ。ほんとに。バカみたいに。」

 九条がそう言って、二人は笑った。



 午後一時。船は船着き場を離れ、リーフの隙間を縫うようにして、外海に出た。

 このときはまだ誰も、この作戦の本当の結末を、知らなかった。

南の島編、一応おしまいです。次からまた都内に帰ってきます。ほんの脇役ですけど、組合長さんは著者なりに好きなキャラです。

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