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第四話 ドクター

(何が、起こったの?)

 ウタキのほとりにいる教誨師には、なぜかウタキの中の様子が見えなかった。近づくだけで心眼が開くほどのウタキのすぐ側にいながら、完全に太陽が月の影に隠れた途端、何も見えなくなった。ウタキの外の様子は、ほの明るく見えている。

(これじゃまるで、品川のマスキングじゃない……!)

 気づいて一歩、ウタキを囲む結界内に足を踏み入れようとした。だが、何かに押し戻されるような感覚があって、気が付くと元の位置に立っていた。

 数歩下がって、体当たりするように飛び込んでみたが、やはり気が付くと結界の手前に仰向けに転がされていた。

(え、入れなくしてるのは、あたしたちがつくった結界なの?)

 身を起こしながら、頭の中を整理した。昨日はウタキに入れた。ならば、疑わしきは、昨日はなかった要因だ。さしずめそれは皆既日蝕という状況か、新しく張られた陣による結界のどちらかだ。

 日蝕であれば、仕方がない。日輪が月の陰から煌めき出るまであと四分ほど、待つしかない。だがもし、九条の指示で張った陣が教誨師を阻むというのであれば、状況は変わってくる。

 そのとき、先ほどの試し撃ちとは比べものにならない、重く激しい音が響いた。九条が陣内で、大規模な術を行使している。ほんとうの戦いが、始まった――

(行かなくちゃ。あたしは、みんなを連れて、帰るんだ。でもどうする?見えないのでは銃は使えない。どうすれば……)

 ゴギュア、とも、ゴブアァ、とも着かない音とともに、また着弾の振動が届く。

(考えるまでも、なかったわね。)

 突如、稠密な確かさを伴う答え、そう、まさに託宣としか言いようのない答えを、教誨師は得た。MP5からマガジンを抜き、躊躇いのない様子で肩から降ろす。右手を腰の辺りに伸ばし、背中の鞘を水平近くまで回転させる。左手で鯉口付近を掴み、引き寄せる。

(待ってなさい、九条由佳。あなたは一発殴らなければ気が済まないわ。)

 闇の中、叩きつける雨滴を切り裂くように刃が躍り出て、ウタキを囲む結界がひととき、切り開かれた。教誨師が飛び込むと、すぐにまた、結界に穿たれた穴は閉じた。



「くそ、まるで見えない。」

 ウタキ西側から、森田と時田が駆け寄ってきた。

「ここも変わらない。お嬢様は?」

「北側にはいなかった。代わりに、MP5だけが置いてあった。マガジンなしでな。」

 森田が答える。

「なら、お嬢様は、中だね。きっと、闘っていらっしゃる。」

「……あと三分。太陽が出たら、突入するぞ!」

 森田はそう叫んだが、「突入」以降は青木にも時田にも聞こえなかった。蝕に入って三発目と四発目が、相次いでウタキを揺るがせた。

「あと、一発。」

 青木が無意識に上空を見上げ、呟く。両の頬が、ぴりぴりする。九条の術に、まるで雷神そのものを地上に落とすような強引さを感じる。大気の組成まで変えてしまいそうな禍々しさだ。

 やがて、ぎりぎりぎりと空が撓んだような音がして、上空の雲が捻れた。ぽっかりと、唐突にぽっかりと日蝕の空が見えて、直後、最後の砲弾が、地上を襲った。

「でかいぞ!」

 時田が叫んだらしいが、轟音の中、誰にも届かない。おそらくは島ごと揺れた。森田も、時田も、青木はるみも、クバの根の這い回る地面に叩きつけられた。



 九条の砲撃を受けたウタキの中は、表土がめくれ返り、直撃を受けたと思われる式神たちが横たわる、戦場であった。砲撃の威力は、試し撃ちの数倍以上はあったらしい。地表の跡も、抉れ方も、まるで違っていた。

「由佳さん!みんな!」

 教誨師はそう叫び、かけだそうとした。その足首を、掴む手があった。

「行く、な……。」

 脚を掴む、泥と血で汚れた袖には、梯子リボン状に黒い紐が通してある。

「クロ、あんた……」

 大丈夫?、と尋ねようとして、気が付いた。泥まみれで仰向けに横たわる黒の腹部は大きく裂け、体内の臓器が露出していた。その臓器にも、容赦なく泥が付着している。

「気に、するな。我々は、全滅しなければ、再生、す……」

さすがの教誨師も、言葉を失う。黒の眼から、ふっと光が消えそうになる。

「ひな、入って来ちゃったんだね。」

 黒の傍らでうつ伏せに倒れていた深紫がよろりと身を起こし、そう言った。どうやら黒も深紫も、九条の砲撃でウタキの北端まで撥ね飛ばされたらしい。

「ええ。……あたしの仕事は、みんなを連れて帰ることだから。」

「伏せ、ろ。次、来る。」

 九条の第五射と第六射が、ウタキを襲った。着弾点に、教誨師は一人の人影を見た気がした。

(子ども……?)

 直撃の瞬間から一瞬遅れて、猛烈な衝撃と、雨と礫とを含んだ泥が、教誨師たちを襲った。

 九条は、決して式神たちごと、ウタキを砲撃したわけではなかった。引き絞るように一点に集中させた攻撃を放っていたのだ。だがそれを、標的となった者がいなし、結果、ウタキそのものが砲撃されたような有様になっていたのだ。

「……どう、したのですか?」

 唐突に、教誨師にも聞き覚えのある口調が響く。豪雨にも消されず、直接聴覚野に信号を送り込まれるように、声が響く。ウタキ中央に、幼児のような背丈の何者かがいる。教誨師には背を向け、ウタキの南端に自陣を構えた九条の方を、向いている。

「あなたの攻め手というのは、そのくらいなのですか?」

「ふん。まだ、あと一発、残っているわ。」

 九条の声が答える。

「無駄だと、思いますがね。」

 体格こそ違うが、ドクターに、間違いなかった。

「ねえ、深紫?」

 教誨師は小声で、傍らの少女に尋ねた。

「なに?」

「あなたたち、由佳さんの次の攻撃のタイミング、分かるでしょ?」

「うん。」

「あたし、倒れてるみんなをここまで連れてくるから、攻撃の一〇秒前になったら教えてくれる?」

「いいけど?でも、別にそんなことしなくても、」

「いいのよ。じゃ、よろしく。」

 教誨師は、復活したドクターと九条由佳とが向き合うウタキの中を走り、残る一〇人の式神を、黒や深紫のいるウタキの北端に集め始めた。それを、ドクターが見咎める。

「おや、あなたもいらっしゃったのですね?教誨師さん。」

「ええ。お久しぶり。今忙しいからまた後でね。」

「そのようですね。あなたのその行為にどんな意味があるか分かりませんが、……おっと、」

「ほら、気い抜いてると、由佳さんにやられちゃうよ?」

「そうでした。あなたたち、お友達になったのですね?」

「ええ。」

 教誨師と九条が、同時に答える。

「それは何より。」

 大人びた口調の幼児が、笑顔を浮かべる。

「由佳さん、後で一発、殴らせてもらうから。」

 ウタキ内を走り回りながら、教誨師は叫ぶ。

「覚悟はしてるわ。でも、ほんとに入って来ちゃったのね。」

「いいから、集中しなさい!」

「言われなくても。」

「最後の一撃ですね?由佳。」

「ええ。……遠慮なく行かせてもらうわ。」

 まるで、互いの再会と成長を楽しむかのような、ドクターの態度であった。対する九条は、特にどんな表情も浮かべていない。強いて言えば、静かな表情だ。

 北天の七つ星の名を、九条は唱えつつ、もう一度自陣を踏み巡った。

「アルカイド、」

「ミザール、」

「アリオト、」

「メグレズ、」

「フェクダ、」

「メラク、」

「ドゥーベ。」

 そして、九条は印を結び、高く掲げ、唱える。

「ケトゥ。」

 計都。今回の日蝕を司る凶星。ドラゴンテール。

 ドクターの眉が、ぴくりと動く。

 九条は、小さく微笑んだ。

(さよなら、賀茂くん……。)

 ドクターの頭上に落ちる雨粒の落下速度が小さくなり、やがて、ゼロからマイナスに転じる。教誨師の髪も、中空へと引き上げられる。時間が止まり、戻り始めたかのような錯覚を得る。一瞬の無音の後、教誨師は、黒い太陽を見た。

「ひな!戻って!」

 深紫が呼んでくれなければ、我を忘れて空を見上げ続けていたに違いない。空には、冴え冴えとしたコロナを吹き出す、暗黒の太陽があった。最後の一人、傷ついた赤を抱えて、教誨師はウタキの北端に走った。

「動けるコは、ひなを護って!」

 深紫が叫ぶ。転がり込むように戻ってきた教誨師に、式神たちが覆い被さる。

(ちょっと、頼んでないのに!)

 抗議の声を声を上げるまもなく、教誨師は式神たちの霊的な守護の中に取り込まれた。



 薄暗いクバの森の中にあって、常に太陽や月、星の恵みを受ける天湧のウタキを、九条は自らの結界で封じていた。それはそのまま、降交点で太陽を覆い隠すケトゥを地上に映したものであった。その中で九条はさらに、自陣を構成し、七つ星を踏み歩く舞を舞ったのだ。

(賀茂くん、あなたが今この時にしか復活できないように、私も今、ここでしか使えない術で、あなたの復活に応じるわ。あなたは私の術はほぼ読み解いていることでしょう。でもただ一つ、私がランズエンドにいた時期に身につけたこの術は、知らないはずよね……。

 これが最後。

 北天のドラゴンと、黄道に巣くうドラゴンよ。占星術の家に生まれ、今邪神を葬らんとするこの哀れな娘に、力を貸して……。)

 七つ星の六つまでを使って、力の通りやすい道筋をこじ開けた。それらはすべて、最後の、この一撃のために費やされたと言ってもよい。

 本当の一撃は、その道筋を通り、七つ目の星ドゥーベの推進力と、ケトゥという弾頭の破壊力によって地上にもたらされる。

 一瞬、マイナスまで振れた重力が、遙か虚空の高みで、何かに弾かれたように打ち出された。暴れ狂う多頭の龍のようにいったんはもつれ合った力の奔流が、鋭く捻れながら縒り合わされ、一つの黒い輝きとなってドクターの頭上に殺到した。その先端は過たずドクターの頭蓋中央を叩き、そして、溢れた力は、天湧のウタキを囲むドーム状の結界を揺らし、激しく膨張させた。

 九条や教誨師たちが仕掛けた結界に、ついに亀裂が走った。八本打ち込んだ杭がみな弾け飛び、蝕が終わった。



 第三接触を過ぎた空は、急激に明るさを取り戻してきていた。

「終わった、わ……。」

 自らの呼び込んだ力の余波を正面から受けた九条由佳は、白い装束の胸元を、自らの鮮血で汚していた。霊力を全身の細胞に満たすことで身を守れるとは言え、無傷で済むような衝撃ではなかった。手の甲で口元を拭うと、唇と同じ色の筋が、その頬に派手に引かれた。そしてその血も、胸元の血も、再び地面を叩き出した雨に滲んでいく。

「賀茂くんの気配は、な……」

 その瞬間、後頭部に激しい衝撃を受けた。何が起こったのか理解できなかった。背後から何者かに蹴り飛ばされたような感触だけを感じた。表土がはがされ、荒い岩盤が露出したウタキの地表に、頭から叩きつけられる。

「甘い甘い。」

 起きあがることもできず地面に倒れ伏したまま、九条は目を見開いた。

「そ、んな……」

「いいアイデア、だったと思いますけれどね。さすがにケトゥまで降ろしたのには驚きました。」

「直撃、しなかったの?」

「いえ、当たりましたよ?私には、避ける理由がありませんから。」

「?」

「滅してしまえばそれでもよいし、滅さなければ邪神として生きるだけですから。ただ、そもそも滅するはずはないのですがね。」

「なぜ?」

「もちろん、邪神としての莫大な力の恩恵もありますが、ほら、私のこの体、何からできているか、よく考えてみてください。」

「そうじゃないわ。私の疑問は、滅しても滅さずともよいという、その理由の方よ。こんな、手の込んだことをして、私たちを巻き込んでまで、復活してきたくせに。滅してもよい、ですって?」

「ふむ。まあ、こうなったことへの責任は少々、感じますがね?……あなた、まだ分からないのですか?」

「何がよ。」

「術者の死後も、使い魔たちが問題なく活動するためには、どんな方法がありますか?」

「……それは、そっちの専門でしょう?」

「そこで倒れたまま様子をうかがっている教誨師さん。あなた、私の最後の陣が停止するのを見ましたよね?」

 小さく舌打ちをしてから、のそりと、教誨師は身を起こす。体に付着した泥を、払い落としながら答える。

「……見ることは見たわ。ただ、停止したというより、……陣そのものがトラップになっていたようだけど?」

「正解。間抜けにもあの陣を踏んだセンターの連中が何人か、吹き飛びましたよね?」

「……!」

「なぜそれを、知っているのよ?」

 この問いに、ドクターはすぐには答えなかった。

「教誨師さん。あなた別れ際、私になんて声をかけてくださったか、覚えていますか?」

「ええ。「いってらっしゃい」って言ったわ。」

「その通り。その言葉の通りに、私は自分という存在の殻から離脱し、陣の術式でもって自らを解体し、遠く離れた、ヨーロッパから日本に向かっているはずの式神たちの人格の奥底にしまい込んだのです。そのプロセスの間も、しばらくは陣の周囲の状況は見えていました。……教誨師さん、あなたの涙もね。」

「ふん。」

「まあ、そうやってわたしは、私の痕跡をこの世に留めました。陣を踏んだ者が排除されたのは、まだ陣が生きていた証拠です。その結果、式神たちは変わらず活動し、九条とともに日本まで戻ってこられました。ですが、そのせいで、いずれどこかの日蝕に合わせて復活してしまう、という要らぬオプションが付いたのです。」

「ちょっと待って。……あんた、復活したくて復活したわけじゃないの?」

 ドクターは、少し困ったような笑顔で告げた。

「はい。有り体に言えばそうなりますね。何しろ、この世に痕跡を残し、まだ生きていることにしなければ、式神を維持することができないのですから……。実は意外とこれがやっかいで、復活する予定を組んでおかないと、痕跡だけではすぐに死んでしまったのと同じになってしまいますので。長期戦に備えるには、それしか選択肢がありませんでした。」

 呆然とした表情で、地面に両肘を突いたままの九条由佳が、ドクターを見つめる。

 そこへ、場違いな、若い女の笑い声が響く。

「……く。くっくっく……。あは、あははははははは。由佳さん、愛されすぎ。いや、笑ってごめん。じゃ、あなた、邪神になりたかったわけでもないのね?」

「はい。邪神になる覚悟だけは、しましたが。」

「そうか。うん。分かった。」

「何が分かったのですか?」

 ドクターが聞く。

「え?あたしがどうすればいいのか、それが分かったって言ってるのよ。……でも、そうね。あたしは、教誨師だから。ひとまず、あなたの最後の言葉を聞いて、あたしの考えが合っているか、確かめることにするわ。

 あたしは、あなたの言葉なんか、聞く気はなかったし、実は今だってない。あたしは個人的に、あなたを一切許していない。あなたがあたしの友達にしたことを、あたしは許さない。……でも、ここに、教誨師であるあたしがいる意味は、ちょっと分かった。だから、ほら、答えなさい。あたしにどうしてほしいのか。」

「……と、言いますと?」

「とぼけないで。さっき、深紫に教わったわ。あなたの体、そこにいる式神全部を殺さない限り、殺せないそうね。」

「はい。ま、邪神の部分はそれとは別に残るでしょうけれど。」

「そんな細かいことはどうでもいいのよ。……あたしには、由佳さんが、自分ごと、そして式神ちゃんたちごと、あなたを封じてしまいそうに思えたのよね。で、あなたと由佳さんが戦うどさくさの隙に、式神たちを結界の外に出そうと思ってたんだけど、ちょっと間に合わなかった。今は結界も弾けて消えたみたいだけど……。

 で、その式神たちが言うのよ。自分たちの術式の解き方を教えるから、ドクターを殺してやってくれって。」

「困った子たちですねえ。」

「今はあんたがクロの子どもでしょ?……フルチンのガキンチョのくせして。」

「……確かに。」

 ドクターは笑い、ホログラムのように白い装束を身にまとった。

「ずいぶん器用になったのね。」

「いえいえ。レディの前で、失礼しました。」

「ふん。術式を解くってことは、このコたちを殺すってことでしょ?あなた、そんな覚悟、させてるのよ?」

「……。」

 ドクターは、優しく微笑んだまま、答えない。そんなことは百も承知なのですよ、その笑顔はそう、答えていた。

「まあ、いいわ。で、どうしたいの?」

「……そうですね。わたしは一つだけ、あなた方にまだ言っていないことがあります。式神たちを温存し、わたしを打ち倒す方法が、一つだけありそうなんですが。それが解けますか?そして、実行できますか?教誨師さん。前の時と同じように、わたしを旅立たせてくださいますか?」

「それは、仕事の依頼ということでいいのね?」

「ええ。報酬は、」

「分かっているわ。そこにいる式神たちの命。」

「それだけじゃ、ありません。邪神のいない、今まで通りの世界も、お返ししますよ?」

 雨音を突いて、パン!という音がウタキに響いた。

 命の奪い合いをしているはずのドクターの間合いの中に教誨師が踏み込み、思い切りその頬を平手で打ち据えた音だ。

 ウタキ外周でようやく身を起こし、状況を見守っていた青木はるみが目を見張る。やれやれ、という顔で森田ケイが首をすくめる。

「ふざけないで……。今まで通りのはずが、ないじゃない。あなたは二度も、あなたを慕う九条さんと式神ちゃんたちを、あなたのいない世界に突き落とすのよ。その罪は、しっかり、背負いなさい!」

 ウタキの中央で、泥と血と涙に顔を汚した九条由佳が身を起こす。

 傷ついた式神たちが、その周りに集まる。

 ウタキの外周で見守っていた森田、時田、青木も、ドクターの背後に立つ。

 教誨師は、その中央で、依然、至近距離のまま、ドクターと対峙した。

「念のため、尋ねておくわ。あなたのその謎かけ、あたしの答えが間違っていたら?」

「わたしはここを旅立ち、やがて邪神そのものとなって世に災いをもたらすことでしょう。」

「……最後まで、しらばっくれるのね。そんな選択肢、プライドの高いあなたが選べるはずもないわ。」

「どうでしょう?」

「覚悟なさい。そんなことにはさせない。あたしは、みんなを連れて帰る。」

「よろしくお願いします。」

「森田!」

 MP5が、教誨師の手に戻る。赤いテープのマガジンをポーチから取り出し、教誨師は銃口を瀕死の黒に突きつける。

「頼、む。」

「ちょっと、我慢してて。貫通しないように、できる?」

「ああ。」

「次も、笑って会いましょう?」

 返事を待たず、黒の額を撃ち抜く。

「グレー、濃紺。」

「分かっているわ。」

 同じように、銀の弾丸で額を撃ち抜く。

 至近距離での発射だが、式神たちは自力で貫通を防いだ。銀の弾丸は式神たちの体内に留まり、その呪的な効果を最大限に発揮する。

 黒は見る間に収縮し、最後は複雑に縒り合わされた黒い二本の皮紐となった。グレーと濃紺も同様に、相次いで皮紐の状態まで還元された。ころりと銀の弾丸がその皮紐から離れると、魔弾の影響下から解放された三房の皮紐は、ふるふると震えるように捩れた。再生のプロセスの最初期の段階が始まったのだ。薄い半透明の膜が皮紐を覆い、ぼうっとした光を放ち始めた。

 式神たちの再生ネットワークは、まずは濃紺とグレーの再生に力を供給しなければならず、それを飛び越して、直接黒に力を届けることはできない。そのため、黒の再生は先送り、ということになる。つまり、黒への力の供給は、現在遮断された状態にある。黒が再生するには、後一つ、ドクターからの力を受けるルートがあり、そのため黒の皮紐にも再生のステップが開始されたが、少なくとも式神のネットワークから、ドクターに向かって力を供給するルートは絶たれている。

 うつむきがちに、教誨師は立ち上がる。声は低く、感情というものを感じさせない。

「式神ちゃんたちにも、配列があるのよね?」

「ええ。」

「そしてあなたは、クロから生まれたわ。」

「ええ。気づかれたようですね。」

「簡単よ。……九条さん、立てる?」

「大丈夫よ。」

 額が割れて出血が激しい九条が、雨の中立ち上がる。

「あなた、黒に力が渡らないように、グレーと濃紺を、殺し続けなさい。」

 高純度の銀の弾丸を装填したMP5を、九条に手渡す。それから、拾い上げた、ぼんやりと輝く三色の皮紐を、幼い子が、やっと手に入れた大事な宝物をそっと両手で包むように、ほんとうにそれ以上大事なものはないんだ、という手つきでそっと、九条由佳に託す。

 九条はそれを受け取りつつ、教誨師に問うた。

「……分かったわ。でもあなた、武器はどうするの?」

 ふっと、教誨師は微笑む。

「邪神とは言え、再生できないなら、手はあるわ。銃よりも、確かな手が。」

 教誨師は、背中の銘消しに手を伸ばす。

「ほう、それを使うつもりですか?」

 ドクターが、わざとらしく興味深そうな声を出す。

「ええ。」

 対する教誨師は、静かな声だ。

「さっき、わたしが九条を攻撃したのを見ていたでしょう?」

「もちろん。」

「この体、手強いですよ?」

「任せて。教誨師は、一度受けた仕事はキャンセルしないわ。」

「……いいでしょう。それでは、行かせていただきますよ。」

 ドクターは、とんと地面を蹴ると、虚空に消えた。およそ人類には不可能な初速で跳躍すると、次は意外な方向から着地と跳躍の音が聞こえてくる。それも、激しい雨にかき消されがちで、まずは時田がドクターを追うのを諦めた。青木はるみも、森田ケイも、やがてドクターを見失う。

(くうっ!)

 最初は、上空からの蹴りだった。教誨師は剣を抜く暇すら与えられず、その白木の鞘で蹴りを受け止めた。ブーツのかかとが荒れ果てたウタキの地表を滑り、わずかな段差に引っかかる。後方に転げる。

 次は、正面からの蹴り。一撃目で教誨師の鞘を踏み台に跳躍し、着地した反動で二撃目を放つ。ようやく身を起こしたばかりの教誨師は、鞘と両腕とをクロスさせてガードするが、さらに数メートル、後方に弾き飛ばされた。

「手も足も出ないじゃないですか?」

 すぐ後ろからドクターの声がして、振り返りつつ剣を抜くが、まるで間に合わない。三撃目を側頭部にもらい地面に倒れると、四撃目のかかとが容赦なく教誨師の大腿部にめり込む。それもかまわず剣を振り回すと、ドクターはふっと間合いを取る。

 教誨師は、雨の中立ち上がり、目を閉じる。実際、上空を見上げれば眼球を雨粒が叩く状態で、肉眼に頼ってドクターを追うのは不可能だ。だから、覚悟を決めて、目を閉じた。すると、脳の中に声が届いた。確証はないが、ベージュの声の気がした。

(ひな、わたしたちの視界をあげる。このウタキなら、あなたもつないであげられる。)

(……みんな、ありがとう。でも、いいの?あたしは、)

(頼む。ドクターを、救ってあげて。)

 バイオレットの声の気がした。

「何をこそこそやっているのですか?」

 地上に現れたドクターが、とんと地面を蹴り、砕け飛んだ岩石をさらに足の甲で蹴り飛ばす。標的は当然、式神たちだ。九条が、少女たちに覆い被さるようにして護る。その背中を容赦なく、岩石が襲う。

 ドクターの表情が、一瞬、苦しげなものに変わる。

「ドクター、あなた、……」

「ええ。これでも必死に、抑えているのですよ。さあ、早く、」

「分かったわ。」

 もう一度、教誨師は目を閉じる。直後、式神たちの五感を経由した視覚映像が一気に脳内に広がり、ドクターの跳躍の軌跡が滑らかに見えるようになった。聴覚もつながったらしく、ドクターの身体が空を切る音が立体的に把握できた。

 ドクターの着地点を跨ぎ、着地の瞬間に背中合わせになる。

 振り返りながら背後に向けて迷いなく剣を抜く。

 体幹に刃が届いた。だが、浅い。

 跳躍しようとするドクターを追う。

 ドクターの左の肩口に、切っ先が届くが、追いきれない。

 跳躍された。

 刀身を鞘に戻す。手負いとなったドクターは、ゴウ、と獣のような声を上げて再び空中を舞う。

(いけませんね、これでは制御不能になってしまいます。何とか、生き延びようとする邪神の本能と折り合いをつけてきましたが、これでは……。)

 抑えきれない衝動を解放するように、邪神の雄叫びを上げつつ、ドクターはウタキと上空を数度、往復した。最後は教誨師の二メートル後ろに着地し、再度の跳躍で一〇メートル以上舞い上がった。

 対する教誨師は、静かにそこに立っている。

 上空からその様子を見つつ、急激に邪神化の進行し始めたドクターは、祈りにも似た覚悟を口にした。

「今度こそ、ちゃんと殺してください、教誨師。さもなくば、あなたも道連れですよ!」

 今度は、落下点で待った。

 ドクターは一〇メートル分の落下速度で攻撃してくる。その速度の分だけ、軌道の修正は難しい。

 ここで、大丈夫だ。わずかに下がり、身を屈める。右手を柄に添える。

 雨の音、風の音、体の痛み、疲労、自らの思い――。

 九人の式神の知覚情報が接続された状況で、教誨師はこのバトルにとってノイズとなる情報を、みなキャンセルした。特別な技術ではない。豊富な鍛錬に裏打ちされた極度の集中状態が生み出したものだ。だが、ウタキの磁力がそれを後押しする。

 来た――。

 落下点から半歩下がった教誨師の頭部を、体を滑らかに回転させながら落下してきたドクターは、踵で砕こうとした。だがその瞬間、教誨師の体がすっと、落下点に戻った。

(何!?)

 そのとき教誨師は、水平方向にではなく、垂直に近い角度に向けて、剣を抜き放った。同時に、同じ方向に向けて跳躍するように大地を蹴り、剣速をさらに高めた。

 ついに、ドクターの脚の付け根から背中側を、深々と教誨師の刃が捉えた。

 幼児の体格とは言え、人間の重量を備えた物体の加速度を剣で受け止めれば、剣が受けるダメージは大きなものになる。最悪の場合、刀身が折れてしまうかもしれない。

 だから教誨師は、受けるのではなく、斬ったのだ。ドクター自身の加速度と重量を剣で受け止めるのではなく、落下するドクターの身体を迎えるようにして、剣を通したのだ。

(抜けろ!)

 教誨師は祈る。

 だが、完全に剣を振り抜く前に、刃にドクターの身体が重く絡みついてきた。刃の先端こそ、めり込むようにドクターの背中側から腹側へと突き出ているが、二つに切り開かれようとするドクターの体は臍の辺りで刀身に跨った状態になり、ぎしぎしと刀身を軋ませ始めた。不自然な角度で教誨師の方を向いたドクターの顔が、不気味に笑う。

 教誨師は刃を戻すことも抜くこともできず、左手に持った鞘を刀の峰側にあてがうことで、加速度で何十倍にもなったドクターの重量を何とか受け止める。一度は伸び上がった教誨師の身体が、不自然な形で押し込まれ、地面に押しつけられそうになる。刀身が、身体が、軋む。リハビリを終えたばかりの肩が、ドクターに蹴られた腿が、関節という関節が、悲鳴を上げる。

 どこが折れたって、かまわない。今ここで自分が潰れれば、誰も、連れて帰れない。

 痛みは、忘れた。

 自分が、ここにいる理由があると、信じた。

(ああああああああああああああああ!)

 声にならない叫びを上げて、大地を踏みしめた脚をさらに一歩前に踏み込んだ教誨師は剣を押し返し、両手で持ち直した。反動で一瞬ドクターの重量がふっと緩んだ隙に、右に体を捻った。そして、担ぐようにしてようやく、銘消しを振り抜いた。

 地面に、腰から肩までを切り裂かれた邪神が叩きつけられる。

 全身に返り血を浴びた教誨師は、地面を蹴るように踵を返す。

(右脚!)

(分かってる!)

 邪神の身体に駆け寄り、切っ先で右脚を股関節付近から切り離す。

 まだ痙攣しているその右脚を空中に蹴り上げ、大腿骨ごと縦に裂く。

 すると、中から、長さ三〇cmほどのぶよぶよした白い二匹の蚯蚓が飛び出し、教誨師の顔面めがけて跳躍してきた。

 つぴ、つぷ、という音を立てて、剣が、空中でその二匹の蚯蚓を切り裂く。

 人間の悲鳴のような、気味の悪い声が上がり、白濁した粘液が辺りに飛び散る。

 腐敗したタンパク質のような悪臭が、辺りに漂う。

 だが、怯んでいる暇はない。

「九条、銃を!」

 投げ渡された銃を片手で受け取り、斬り裂かれてものたうち回り、あまつさえ未だ飛びかかってこようとすらしている蚯蚓の頭部を、正確に弾き飛ばす。

「みんなも、レッドに換装して!」

森田たちが、まだ蠢いている虫に、銀の弾丸をさらに撃ち込む。九条が、何かに気づいた表情になる。

「離れてください!封じます!」

 九条が叫び、高速で印を結ぶと、白い蚯蚓の肉片散らばる空間ごと、一気に爆縮し、空間が抉れるように消失した。

 そこは、九条由佳が天湧ウタキ内に張った自陣のあった位置であった。

「どう、なったの?」

 ようやく教誨師は、両眼を開いた。呼吸を荒げたまま、辺りを警戒しつつ、教誨師は九条に尋ねた。返事を待ちながら、攻撃すべき対象が消失したのを確認した上で、MP5のストラップをかけ直す。銘消しに付着した化物の体液を、青木はるみが差し出した懐紙で拭い、鞘に収める。

「ドクターを邪神たらしめる魔を、陣ごと、北天の異界に転送したわ。転送といっても、神々の座す紫微宮に送ったわけだから、穢れた低次のものはすべて、焼かれます。もう、これで、大丈夫のはずよ。……ちょうど、陣を張っておいた場所でよかったわ。」

「ふうん。なるほどねっ」

 腕に唸りをつけて、教誨師は九条由佳を平手ではり倒した。低い声で、静かに問う。

「どう?あなたのシナリオ通りにはならなかったけれど?口ばっかりの九条さん。……あたしの目の前で、あたしの大事な友達を、どこにも連れてかせたりしないんだから。」

「ごめんなさいね。昨日言ったことは、あれは、……遺言のつもりだったのよ。」

「まったく……。ドクターも由佳さんも、ほんと似たものどうしよね?自分を投げ出すなとか言ってて、でも、結局最後はそれも仕方ないって思ってる。それじゃ、ドクターと同じでしょ?でも、あたしは子どもだから……」

 一度投げ出さないと決めたら、バカみたいに投げ出さないんだから、と言ってやろうと思ったが、言えなかった。

 この結末に至るまでに自分が行ってきたこと、式神たちに与えた苦痛の総量を振り返ると、むしろ残虐で残忍なのは自分の方ではないのかと、そう思ってしまった。

 ドクターを二度も失ったこの世界で、九条や式神たちに生き続けよと迫ることが、ほんとうに正しいことなのか。友として、笑って別れを告げてやるべきではなかったのか。

 背中の銘消しが、肩に食い込むMP5のストラップが、重かった。

「……ともかく、これで、終わったのよね?」

 起きあがろうとしていた九条由佳に手を差し伸べつつ、教誨師は尋ねた。それは、自分の罪を自分に問うような口調であった。

「ええ。終わったわ。」

 そう答えた九条は、泣いていた。

「ありがとう。」

 そう言って、教誨師を抱きしめた。

 式神たちのうち、動ける者はみな、教誨師と、九条の周りを囲んだ。



 あれほど激しかった雨も、雲の上の第四接触に合わせるかのように、小降りになっていた。風上となる西の空では、早くも雲の切れ間が覗いていた。

「それでは、ウタキを鎮める儀礼を執り行います。」

 荒れ果てた、天湧のウタキの中央に、傷の手当てもそこそこに、九条由佳が一人立つ。島の神、島主に感謝する祈りを捧げつつ、塩と砂とを四方に巻く。塩は清め、砂は大地再生の印だ。豪雨に叩かれ、未だ小雨に濡れる大地にそれらは、あっと言う間に同化していく。

 九条由佳が、塩と砂とを撒いて廻る。緩やかな舞を舞うように、鎮魂の舞を舞うように。

 雲の切れ間から、ようやく夏の太陽が現れた。

「ファンタジー」だと言いながら、滅多に魔法や魔術が出てこないこの話(まあ、式神はのこのこ街中を歩いてる感じですが)。とびきりの聖地という条件をつけて、ようやくそれっぽくなりました。南の島編、あと一話です。

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