5.砂の海、鉄の船
湿った泥の感触が、遠い過去の記憶のようだ。
今、俺の視界を埋め尽くしているのは、見渡す限りの黄土色。 乾いた風が吹き荒れ、細かい砂粒が装甲車の窓ガラスを絶え間なく叩いている。
「……暑い。地獄の釜の底の方が、まだ涼しいんじゃねえか?」
運転席でハンドルを握るガラード曹長が、玉のような汗を流しながら悪態をついた。 彼のトレードマークだった葉巻は、今は噛まれてボロボロになっている。火をつける気にもならないのだろう。
「文句を言うな、曹長。湿度が低い分、石肺病の進行は遅くなる。俺にとっては療養地だよ」
俺は助手席で地図を広げながら、皮肉で返す。 だが、実際にはこの乾燥した大気も、肺には優しくない。微細な砂塵が喉を刺激し、常に咳き込みそうになるのを水で流し込んでいる状態だ。
俺たちが乗っているのは、軍から払い下げられた旧式の6輪装甲車。 通称『鉄の棺桶』。 魔石式冷却器などという高級な機能は、とうの昔に壊れている。
「へっ、療養地ねえ。……で、少佐殿。俺たちが左遷されたこの『南部遺跡調査隊』ってのは、要するに厄介払いだろ?」
「その通りだ。泥炭地で敵の最新兵器を撃破したまでは良かったが、独断専行が過ぎると上層部に睨まれた。……まあ、俺が希望した異動先だがな」
俺は地図上の「未踏査地域」と書かれた空白地帯を指でなぞる。 エレオノーラが言い残した、「南の遺跡」。 そこには、この滅びゆく星の寿命を延ばす鍵があるという。
「……」
後部座席では、ヴァルカが布を被って丸くなっていた。 砂漠の日差しは、彼女のような色素の薄い肌には毒だ。彼女は膝の上に愛用の対戦車ライフルを置き、丁寧に砂を拭き取っている。 その瞳だけは、油断なく窓の外の地平線を監視していた。
「……ん?」
ヴァルカが不意に顔を上げ、天井のハッチを指差した。 彼女の聴覚は、風の音の中から異物を聞き分ける。
「どうした、ヴァルカ」
彼女は無言で指を3本立て、右方向を示した。 3機、右から接近中。
俺は双眼鏡を掴む。 陽炎の向こう、砂煙を上げて迫ってくる影があった。
改造バギーだ。 車体には棘のような装甲板が溶接され、後部には粗雑な魔導機関が積まれている。 正規軍ではない。この辺りの砂漠を根城にする武装盗賊団――通称『砂鮫』だ。
「曹長、客だ。右舷方向、距離800」
「チッ、またハイエナ共かよ! こんな砂だらけの場所で、何を奪おうってんだ!」
ガラードが舌打ちし、アクセルを踏み込む。 『鉄の棺桶』のエンジンが唸りを上げるが、重装甲の悲しさか、加速は鈍い。
敵は速い。 軽量なバギーは、砂の波に乗り上げるようにして、あっという間に距離を詰めてくる。 先頭車両の助手席で、モヒカン頭の男が何かを構えた。
ヒュンッ!
風切り音と共に、装甲車の側面に衝撃が走る。 魔法ではない。ハープーン(銛)だ。ワイヤー付きの巨大な銛が、俺たちの車体に突き刺さった。
「捕まった! 引きずり回してひっくり返す気だぞ!」
ガラードがハンドルを逆に切って抵抗するが、車体が大きく軋む。 さらに2台のバギーが左右に展開し、魔導銃を乱射し始めた。
カン! キン! 装甲を弾丸が叩く音が響く。
「少佐! 機銃座へ行かせてくれ! ハチの巣にしてやる!」
「駄目だ。ここを開ければ砂が入る。それに、こちらの弾薬は貴重だ。……計算しろ」
俺は冷静に、窓の外の地形を見た。 ここはかつて海底だった場所だ。風化してはいるが、奇妙な岩の塔が林立している『岩礁地帯』が近い。
「曹長、針路10時方向。『針の岩場』へ突っ込め」
「あそこは道幅がねえぞ! 自殺行為だ!」
「奴らのバギーは横幅が広い。そして、ワイヤーで繋がっている。……どうなるか分かるな?」
ガラードは一瞬呆気にとられたが、すぐにニヤリと笑った。
「へっ、性格の悪い計算だこと!」
彼はハンドルを急旋回させた。 装甲車は砂を巻き上げ、屹立する岩の迷路へと突入していく。
ワイヤーで繋がれた敵の先頭車両も、慌てて追随しようとする。 だが、俺たちの装甲車がギリギリ通り抜けられる岩の隙間を、奴らの馬鹿げた改造バギーが抜けられるはずがない。
「今だ、ブレーキ!」
俺の指示で、ガラードがフルブレーキングする。 ワイヤーがピンと張る。
そして、敵のバギーは、勢いのまま岩の入り口に激突した。
ガシャァァァン!!
派手な金属音。 車幅を読み違えたバギーは、岩と岩の間に挟まり、くの字に折れ曲がった。
「馬鹿め。……物理法則は平等だ」
だが、残りの2台はワイヤーを切り離し、左右の岩場を迂回して回り込もうとしてくる。 しつこい連中だ。
「ヴァルカ。……仕事だ」
俺はハッチのロックを外した。 ヴァルカは頷き、砂塵対策のゴーグルを装着する。 そして、まるで猫のように身軽にハッチから上半身を出し、灼熱の風の中に身を晒した。
砂嵐の中、車体は激しく揺れている。 普通の狙撃手なら、スコープを覗くことすらできない状況だ。
だが、彼女は構えない。 ライフルの銃身を、あえて岩肌の影に向けた。
俺は手元の地図とコンパスで、風の通り道を予測する。 この岩場特有の『風の回廊』。
「……右の岩壁の上部。脆くなっている」
俺が呟いた瞬間、ヴァルカが引き金を引いた。
ドンッ!
放たれた大口径弾は、敵の車両ではなく、彼らの頭上に突き出た巨大な岩の根元を撃ち抜いた。
数万年の風化に耐えてきた岩が、その均衡を崩す。
ズズズ……ドォォォン!!
数百トンの岩塊が崩落し、迂回してきた2台のバギーを真上から押し潰した。 悲鳴も、爆発音も、すべては砂煙の中に消えた。
「……掃除完了」
ヴァルカが車内に戻ってくる。 彼女はバサバサとポンチョについた砂を払い、何事もなかったかのように再び布を被って丸くなった。
「まったく、呆れた連中だ。……弾一発と、岩っころだけで全滅させちまいやがった」
ガラードがバックミラーで瓦礫の山を確認し、肩をすくめる。 ワイヤーで繋がれたまま大破した先頭車両を引きずりながら、俺たちの『鉄の棺桶』は岩場を抜けた。
目の前に、広大な盆地が広がる。 その中央に、蜃気楼に揺れる巨大な影が見えた。
目的の中継地点、オアシス都市『カナン』だ。
「着いたな。……まずは水を補給するぞ」
俺は咳き込みながら、懐中時計を見た。 予定より12分の遅れ。 まあ、砂鮫の襲撃を考慮すれば、誤差の範囲内だ。
俺たちは砂塵の回廊を抜け、渇いた街へと車を進めた。




