16.鉄と煤
それから、3年の月日が流れた。
世界は一変した。 魔法という安易なエネルギーを失った人類は、一時的に混乱と衰退の時代を迎えた。 多くの国が破綻し、国境線は引き直された。
だが、人はしぶとい。 魔石の代わりに、人々は地下から黒い油を掘り出し、蒸気機関と内燃機関を発達させた。 空は相変わらず煤煙で汚れているが、それは「魔毒」ではない、ただの煤だ。 石肺病の新規発症者はゼロになり、かつての不治の病は歴史の教科書に載るだけの存在となった。
大陸南部のとある田舎町。 小さな診療所の庭で、一人の男が車椅子に座って日向ぼっこをしていた。
「……今日は風が強いな」
男――アラストル・クレイグは、膝の上の毛布を直しながら呟いた。 あの日、彼は奇跡的に一命を取り留めたが、代償として残存魔力を全て失い、両足の自由と、かつての並外れた演算能力を失った。 今はただの、少し身体の弱い青年だ。
「先生、お薬の時間ですよ」
白衣を着た女性が、盆を持ってやってくる。 エレオノーラだ。 彼女はあの後、科学者としての罪を償うために軍を辞め、この辺境で医者として働いている。 ガラード曹長は、今は隣町で警備会社の社長をやっているらしい。「平和すぎて商売あがったりだ」と、たまに手紙が来る。
「……苦いのは嫌いなんだがな」
アラストルが顔をしかめると、エレオノーラはふふっと笑った。
「我慢なさい。世界を救った英雄さんなんでしょ?」
「英雄じゃない。ただの数学狂いだ」
アラストルは苦笑いし、空を見上げた。 かつて灰色だった空は、今は少しだけ青みを取り戻している。
「……来た」
アラストルが呟く。 丘の向こうから、一人の少女が歩いてきた。
背中に大きなライフル……ではなく、大量の薪を背負っている。 灰色の髪は少し伸びて、日に焼けた肌は健康的だった。
ヴァルカだ。 彼女はカプセルでの治療の後遺症もなく、今は元気にアラストルの世話をしている。 失われた声は戻らなかったが、彼女の表情は以前よりもずっと豊かになっていた。
彼女はアラストルの前まで来ると、薪を下ろし、ポケットから何かを取り出した。
それは、綺麗に磨かれた「黒い石」だった。 かつての魔石ではない。ただの黒曜石だ。 彼女はそれをアラストルの掌に乗せ、ニコリと笑った。
『おみやげ』
彼女の手話に、アラストルは目を細める。
「……ああ、いい形だ。完璧な楕円形だ」
アラストルはその石を握りしめた。 魔法のない世界。 不便で、汚れていて、争いはまだ絶えない世界。 だが、ここには「明日」がある。
「さて……そろそろ戻ろうか。夕飯の献立を計算しないといけない」
アラストルが言うと、ヴァルカは嬉しそうに頷き、慣れた手付きで車椅子を押した。 車輪が土を踏む音が、静かに響く。
鉄と煤の匂いがする風の中を、二人はゆっくりと歩いていった。 その背中は、どこにでもいる平凡な家族のように見えた。




