15.別れの演算
残り時間、60秒。
制御室は修羅場と化していた。
薬の副作用で全身から血の霧を噴き出しながら、ヴァルカは踊るように戦い続けていた。 その動きは既に生物の限界を超えている。筋肉が断裂し、骨が軋む音が聞こえる。
「ヴァルカ! もういい、止まれ!」
俺は叫ぶが、彼女は止まらない。 俺が計算を終えるその瞬間まで、一歩も敵を近づけないという、狂気じみた意志だけが彼女を動かしていた。
「……ッ、完了したわ! アラストル、エンターキーを!」
エレオノーラが叫ぶ。 術式は完成した。あとは俺が実行するだけだ。
だが、その直前。 最後の一体の銀の騎士が、ヴァルカの腹部をその鋭利な腕で貫いた。
「ガハッ……」
ヴァルカの動きが止まる。 彼女は口から大量の血を吐きながらも、突き刺さった敵の腕を両手で掴み、逃さないように固定した。
そして、俺の方を振り向き、血まみれの顔でニカっと笑った。 音のない唇が動く。
『う て』
俺の演算能力が、彼女の意図を瞬時に理解する。 彼女は自分ごと敵を固定し、俺に「システムの強制パージ(廃熱衝撃)」を撃たせようとしている。
「……くっ……!」
俺は唇を噛み切り、涙で滲む視界のまま、エンターキーを拳で叩き込んだ。
「……消えろぉぉぉぉッ!!」
『――システム書き換え、実行。全エネルギー、逆流開始』
制御室の中央にあるカプセルが、まばゆい光を放った。 それは癒やしの光ではない。 世界中の魔法を殺す、白亜の閃光だ。
衝撃波が部屋を薙ぎ払う。 銀の騎士は、その光を浴びて瞬時に灰へと変わり、崩れ去った。
そして、その光は天井を突き抜け、空へと駆け上がっていく。
【外の世界】
カナン上空に広がった光の輪は、衝撃波となって世界中へ拡散した。
帝国の戦艦。連邦の魔導戦車。兵士たちが持つ杖。 それらに埋め込まれた魔石が、次々と輝きを失い、ただの黒い砂となって崩れていく。
「ま、魔法が使えない!?」
「エンジンが止まった! 墜落するぞ!」
空飛ぶ船は重力に引かれて落下し、最強を誇った魔導兵器は鉄屑へと変わった。 戦場から銃声と爆音が消え、代わりに怒号と悲鳴だけが残る。
魔法という名の「万能感」が、この星から失われた瞬間だった。
【中枢制御室】
光が収まると、そこには静寂だけがあった。
「……終わった、のか?」
ガラードが、へたり込みながら呟く。
俺は杖をつき、倒れているヴァルカの元へ這い寄った。 彼女の腹部には大きな風穴が空いている。 普通なら即死だ。 だが、彼女の胸はまだ、微かに上下していた。
「ヴァルカ……!」
俺は彼女を抱き起こす。 その身体は驚くほど軽く、そして冷たかった。
彼女は薄く目を開け、俺を見た。 その瞳から、あの不気味な赫い光は消え、いつもの静かな鉄色に戻っていた。
彼女は震える手で、俺の胸ポケットを探った。 取り出したのは、俺の懐中時計だ。 中の黒い石――アッシュ・バレーの石もまた、光を失い、ただの白い砂利に変わっていた。
彼女はそれを見て、満足そうに目を細めた。 俺から「呪い」が消えたことを、喜んでいるようだった。
「……馬鹿野郎。こんなもの……お前の命と釣り合うもんか……」
俺は彼女を強く抱きしめた。 石化した俺の肺が、軋むように音を立てる。 いや、肺だけじゃない。 心臓が、痛い。計算では説明できない痛みが、俺を引き裂こうとしていた。
「アラストル! 彼女をカプセルへ!」
エレオノーラが叫んだ。
「まだシステムの『浄化余波』が残っているわ! このカプセルの再生機能なら、細胞レベルの修復が間に合うかもしれない!」
「……!」
俺はヴァルカを抱え、中央のカプセルへと走った。 ガラスは割れている。中の黒い液体は、今は透き通った水のように澄んでいた。
俺は彼女をその中へと横たえる。 カプセルが淡く発光し、彼女の傷口を包み込んでいく。
『――生体修復シークエンス、起動。……ただし、電力不足です』
無情なアナウンス。 魔石が消滅した今、この遺跡を動かすエネルギーも枯渇しつつある。
「電力が足りないなら……俺を使え!」
俺はカプセルの端子を掴み、自分自身の身体を回路として接続した。 俺の肺に残る、わずかな「マナの残り香」。 そして、俺の生命力そのものを、電気信号に変えて流し込む。
「アラストル、死ぬ気!?」
「計算済みだ……! 俺の命なんて、安いもんだ!」
意識が遠のく。 手足の感覚がなくなる。 俺の全てが、カプセルの中の少女へと流れ込んでいく。
(ああ……悪くない計算だ)
薄れゆく視界の中で、俺はヴァルカの顔を見た。 その頬に赤みが戻り、穏やかな寝息を立て始めたのを確認して。
俺の意識は、深い闇へと落ちていった。




