10.最下層の真実
長い長いリフトの下降が終わると、空気の味が変わった。
先ほどまでの澄んだ冷気ではない。 鉄錆とオゾン、そして腐った血のような甘い匂い。 それが、この星の「内臓」の臭いだった。
「……到着だ。ここが最下層、『星の炉心』」
俺たちは重い金属扉をこじ開け、中枢制御室へと足を踏み入れた。
そこは、俺の想像していた「制御室」とはかけ離れていた。 床も壁も、無数のケーブルとパイプで埋め尽くされている。それらはまるで血管のように脈打ち、淡い赤色の光を明滅させていた。 部屋の中央には、巨大なガラス質のカプセルが鎮座している。その中では、黒い液体が渦を巻き、中心にある「何か」を守るように対流していた。
「……信じられない。このマナ濃度、計測不能よ」
エレオノーラが端末を見ながら震えている。 彼女の金髪が、静電気を帯びて逆立っていた。これほどの高濃度環境下では、ただ立っているだけで、常人なら即死するレベルだ。
だが、俺たちは生きている。 いや、生かされているのか。
「……ゴホッ……」
俺は咳き込んだ。 不思議なことに、痛みはない。むしろ、石化した肺が熱を持ち、心地よい拍動を刻んでいる。 俺の身体を蝕む「石」が、この空間と共鳴しているのだ。
「少佐、あれを見ろ。カプセルの中……人間か?」
ガラード曹長が指差した先。 黒い液体の中心に、一人の少女が浮かんでいた。 いや、少女の形をした「部品」だ。全身が白亜の結晶で構成され、無数の管が背中に突き刺さっている。
「……『神代の巫女』。あるいは、生体CPUか」
俺は杖をつき、カプセルに歩み寄る。 ガラス面に手を触れた瞬間、脳内に直接、情報の奔流が流れ込んできた。
『――警告。炉心融解、進行中。浄化フィルター、完全閉塞。……システム再起動には、新たな触媒が必要です』
無機質な声。 そして、目の前にホログラムのような映像が展開される。
それは、この星の「カルテ」だった。
「……嘘でしょ」
エレオノーラが息を呑む。
映像に映し出されていたのは、この星の断面図。 地殻の下を流れるマナの川は、黒く澱み、至る所で動脈硬化を起こしていた。 そして、その澱みが地上へ溢れ出した場所――それこそが、現在、人類が「魔石鉱脈」と呼んで採掘している場所だった。
「私たちが燃やしていた魔石は……エネルギーなんかじゃない」
エレオノーラが膝から崩れ落ちる。
「……この星の『癌細胞』よ。星が排出しきれずに溜め込んだ、汚染物質の塊……」
「その通りだ」
俺は静かに肯定した。 俺たちは、エネルギー資源だと思って、星の腫瘍を掘り起こし、それを燃やしてさらに毒を撒き散らしていたのだ。 戦争のたびに、文明が進むたびに、この星の死期を早めていた。
『――肯定。現行文明による魔石燃焼プロセスは、惑星寿命を98%短縮させています。推定残り時間、約5年』
「5年……」
あと5年で、この星は完全に石化して死ぬ。 それが、突きつけられた余命宣告だった。
「ふざけやがって……! 俺たちは、ただの自殺志願者だったってのか!」
ガラードが吼え、壁を殴りつける。
俺は冷静に、目の前のカプセルを見上げた。 このシステムは、まだ生きている。 かつての神代人が、この汚染を浄化するために作った巨大な空気清浄機。 だが、そのフィルターである「彼女」が寿命を迎え、機能停止しているのだ。
『システムより提案。再起動シークエンスを実行してください。……ただし、現在のCPUは破損しています。代替となる「適合者」の接続が必要です』
適合者。 その言葉が出た瞬間、カプセル内の赤い光が、俺を照らし出した。
『検知。適合率99.8%。……個体名:アラストル・クレイグ』
「……なっ!?」
ヴァルカが弾かれたように俺の前に立ち、銃口をカプセルに向けた。 彼女の背中が、「渡さない」と叫んでいる。
「待て、ヴァルカ」
俺は彼女の肩に手を置いた。
「計算通りだ。……俺の石肺病は、ただの病気じゃない。この高濃度マナ環境に適応するために、身体が勝手に進化した結果だったんだよ」
俺の肺にある石は、このシステムと同じ素材だ。 つまり、俺自身がこの遺跡の「予備パーツ」だったのだ。
「アラストル、まさか……」
エレオノーラが蒼白な顔で俺を見る。
「再起動すれば、空気中の魔毒は浄化される。星の寿命は延びるだろう。……その代わり、新たなCPUとなった俺は、永遠にこのカプセルの中で星の汚物を濾過し続けることになる」
人柱。 それが、神代の技術者が用意した解決策だった。
「ふざけるな! そんなの、解決じゃない! ただの生贄じゃないか!」
エレオノーラが叫ぶ。
「他に手があるか? あと5年で全滅するか、俺一人が消えて時間を稼ぐか。……簡単な計算だ」
俺は杖を捨て、カプセルへのアクセスパネルに手を伸ばした。 合理的だ。 俺一人の命で、ヴァルカやガラード、そして世界中の人間が助かるなら、コストパフォーマンスは最高だ。
「……計算しろ、アラストル。感情で動くな」
自分に言い聞かせる。 だが、その手が震えているのは何故だ。
カチリ。 乾いた金属音が響いた。
俺の手がパネルに触れる直前、ヴァルカのライフルが、俺の足元の床を撃ち抜いたのだ。
「……!」
俺は驚いて彼女を見た。 彼女はライフルを捨て、俺の胸ぐらを両手で掴み、強く揺さぶった。 その瞳から、大粒の涙が溢れていた。
声は出ない。 だが、彼女の唇は、はっきりとこう動いていた。
『い き ろ』
「ヴァルカ……」
「そうだぜ、少佐。……アンタの計算はいつも正しいが、今回は『美学』が足りねえ」
ガラード曹長が、ニヤリと笑いながら俺の肩を叩いた。
「誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんざ、クソ食らえだ。……そんなもんのために、俺たちはここまで来たんじゃねえ」
「……貴方たち、馬鹿なの?」
エレオノーラが呆れたように言い、そして、ふっと笑った。 彼女は自分の端末を操作し、カプセルへの接続を強引に切断した。
『警告。再起動プロセス、中断。……代替案を要求します』
「代替案ならあるわよ。……このクソったれなシステムごと、ぶっ壊してやるの」
エレオノーラは、かつての研究者の顔に戻っていた。
「アラストル、貴方の魔素圧縮燃焼と、私のホワイト・グリントの炉心制御。……これを合わせれば、何ができると思う?」
俺は瞬きし、そして脳内で高速演算を開始した。 彼女が何をしようとしているのか。 この遺跡のエネルギーを逆流させ、星のコアに直接干渉する? いや、それはあまりにも危険だ。失敗すれば星ごと吹き飛ぶ。
だが。 もし成功すれば、魔石という汚染源そのものを、「無害な物質」へと変質させることができるかもしれない。 魔法という力は失われるが、星は救われる。
成功率、0.0001%以下。 だが、0ではない。
「……悪魔的な計算式だ」
俺は笑った。 久しぶりに、心の底から笑った気がした。
「いいだろう。……やってやろうじゃないか。世界から魔法を消し去る、最後の大博打だ」
俺はヴァルカの手を握り直し、エレオノーラに向かって頷いた。
「準備しろ! 俺たち全員で、この『神様の失敗作』を書き換えるぞ!」
最下層の闇の中で、俺たちの反逆が始まった。




