09
部屋から出た瞬間、強烈な違和感に襲われた。シンと静まり返っていて、なんの物音も聞こえない。ひんやりとした空気を肌に感じる。人が住んでいる温かさを感じない。
ゾクっとして慌てて屋敷を飛び出し森の入り口に立った。でも森は終わりが見えないほどに生い茂っていて、この不思議な空間が消えたわけではないことがわかった。
「おじいちゃん? おばあちゃん? ミイちゃん?」
思わず声に出して呼んでみてもなんの返事もないし、花たちも何も答えてくれない。
嫌な予感がする。二人と一匹を探すために庭を見渡すが人影は見えない。裏の畑にも誰もいない。再び表に戻って森へ足を向ける。小道から外れ、木々の間を適当に歩く。
「おばあちゃん!」
なんの返事もない。
「おじいちゃん!」
何も返ってこない。
「ミイちゃん!!」
かすかな鳴き声が聞こえた気がした。でも、はっきりとは聞こえなくて、焦りによる幻聴かもしれない。
景都はなんか段々と怒りの感情が湧いてきた。何もわからない。なぜ、大切な思い出を奪われ、家族や友人から引き離されてこんなわけがわからない場所にいないといけないのだろう。景都が何をしたというのか。何もしていないのに。本当に、なにも悪いことはしていないのに。
「……ふざ、けるな!! 五条真司!! アンタが何したか知らないけど……何か関わっているっていうなら、私を、おばあちゃんたちの、ところへ、連れていけよ、バカーーーー」
はぁ、はぁ、と荒く息をする。大人になってからこんなに大声をだしたことはなかった。思わずむせた景都の耳に今度ははっきりと声が聞こえた。落ち着いた、大人の女性の声。
「こちらよ」
聞き覚えがある気がする。昔はこんなはっきりと言葉として聞き取れなかったが、それでもわかる。子供の頃から慣れ親しんでいた木々のこえだった。
その声に導かれるようにして森の中を歩いていくと、パッと視界が開け、あの花畑に出た。花畑の中で、ミイちゃんと戯れる老夫婦の姿があった。そうだ、あの森の中で一箇所だけ開けた場所があって、よくそこで遊んでいた。木はあったけど花はなかったので踏み潰す心配もなくて、遊び場としてもってこいだったのだ。そして、夕方になるとおばあちゃんがミイちゃんを呼びにきて、その時遊んでいる子供達に簡単につまめるお菓子をくれる。それを貰ったら帰宅の合図なのだ。そんな、よくある幸せな日常の光景を思い出してパチリ、と目を見張る。
前はなかった花畑。ここの花たちの声が幼かったのは、本当にできたばかりだからなのだろう。
今ここに子供達がいない、でも、たまーに、あとからおじいちゃんが来ることもあって、そんな時はミイちゃんが嬉しそうにかけまわっていてとても楽しかった。その時のような空間がここにあった。そして、唐突に理解した。今、ここで本当に生きているには多分、景都と五条真司だけだった。
「おばあちゃん、おじいちゃん……ううん、澤村千織さん、哲さん」
涙に濡れる瞳で、でも、彼らを見ながら名前を呼ぶ。どうか、今この瞬間だけではなく、この世界で二人が、そしてミイちゃんが紡いできた宝物のような時間を思い出して欲しい、と。仮初ではなく、本当の幸福へと続いて欲しい、と。
ミイちゃんを抱き上げた千織が景都を見た。その傍に哲も寄り添っている。
「景都ちゃん、私たちのわがままに付き合わせてしまってごめんなさいね……そこのあなたも」
優しい笑みを浮かべた千織の言葉に呼応するかのように五条真司を包み込んでいた棺型の結界が解け、五条真司の目が開く。だが、ぼんやりとしていて、こちらに気づいているかはわからなかった。この場を維持していたのは千織だったのだ。
「おばあ、ちゃん……」
彼らの姿が少しずつ薄くなっていく。
「そんな顔をしないで、最後にミイちゃんと、あなたたちと過ごせて幸せだったわ」
「そうじゃな、幸せで、楽しかった。これで、向こうでも楽しく過ごせる気がする。感謝する」
「ミャー」
強い風が吹いて、ミイちゃんと、千織と哲……そして、ここに咲き乱れていた花々の姿が消える。死後の世界なんて景都は知らない。でも、ここと同じような自然豊かな空間で笑っていてくれればいいなと、思う。
「いたぞ!!」
「無事だ! おい、待て! もう一人いる……」
「え? あ……五条、真司か!!」
「そっちは?」
「いや、こちらは……」
ふわふわとしたどこかぼんやりとした思考の中で景都が最後に聞いたのはそんな慌ただしい声と足音だった。




