07
「ミャー」
寝室として貸してもらっている客間から出て階下へ降りてきた景都はゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らしている黒猫と優しい表情で猫を愛でている老夫婦に目を細めた。
「本当に仲がいいんですね」
今まではその光景を見ているだけだったのに、その時はなぜか口を挟んでいた。その言葉に顔を上げた二人の表情に思わず息を呑んだ。
二人はいつもの優しげな表情とは一転、なんの感情も浮かんでいない、まるで能面のような表情を浮かべていた。目も鼻も口もあるし、顔は見慣れてきた顔そのものなのに、なぜか一度だけテレビで見たことがある能の時に役者がつけている能面を思い出した。
「ひ……」
思わず声にならない悲鳴をあげた景都に気づいていないのか、二人の表情は変わらない。
「……そう、一度いなくなったのに……また、きてくれたの」
「わしらの元に戻ってくれた……もう、何も、いらない……」
掠れるような声で言われた言葉にギョッと目を見張る。なにかすごく怖いものに触れたかのようで、触れちゃいけないものに触れたかのようでひどく落ち着かない。
「あ……お、おばあ、ちゃん……おじいちゃん……?」
絞り出すように呼んだ景都の声が聞こえたのか、老夫婦の表情が一瞬で変わった。能面がスーーっと解けてその下から柔らかい表情が顔を出す。その表現が正しいかはわからないが、その光景にはそうとしか表現できない何かがあった。
「あら、おはよう」
「食事にしようかね」
猫を抱いて立ち上がった二人に変わった様子はない。でも、さっき一瞬だけ見た能面のような表情が忘れられない。
このままここにいてはダメだ、そんな気がした。早く抜け出す方法を探すべきだ、と本能が告げてくる。
どうやってあの花畑に行ったのかわかっていないので、もう一度行けるかは賭けだった。でも、不思議と今度は簡単にあの場所へ行くことができた。
森に出てくる時、老夫婦も黒猫もいないことを確認したのがよかったのかもしれない。
花たちに導かれて透明の棺に近づいた景都はその傍に腰を下ろした。なんとなく、この場所、というか彼がこの不思議な空間を維持する核の一つな気がしたのだ。
「ねえ、君たちはこの人を知っているの?」
「真司だよ。五条真司」
どの花が答えてくれたのかはわからないが、思いの外はっきりとした声が返ってきて目を瞬いた。普通の花の寿命は短い。だからなのか、精神の成長も早い気がする。だけど、昨日は幼児のような舌足らずな口調だったのに、今は人間でいうところの少年から青年に変わる頃合いに聞こえた。いくらなんでも早すぎる。まあ、ただ単に違う個体の可能性もあるが。
「五条真司?」
名前にも覚えはない。
「そう、真司」
「彼がここを作ったの?」
「違うよ? 真司にそんな力ないよ」
「あのね、ここはね、ただただ家族で過ごしたい……家族を待ちたいって願いだけでできたんだ。だから、それを邪魔するかもしれない真司はここにいるの」
「真司ははじめからこうだけど、きっと、このままだったらあなたもこうなるよ」
真司はこの場所を維持するための核、ではなく、この場所を壊さないように隔離されているのだろうか。そう考えると、この不思議な棺の正体がわかる気がした。
「これは、結界?」
真司を閉じ込め、隔離するための結界。
「うーん? わかんない」
少し幼い声が答えた。
「元の場所へ戻りたいのだけど、帰り方、知ってる?」
「思う出せばいいんだよ」
「思い出す?」
「うん、景都はこの場所と関わりが深いから、思い出したらきっと崩れる」
「私たちも、他の子達もみーんな、景都を知ってるんだよ」
「ね、お願い。あの二人を助けて」
「あの人たちは、ただただ、可愛い家族を待ちたかっただけなの」
「家族で仲良く過ごしたかっただけなの」
彼らは五条真司を守っているのかと思っていた。でも、違うのかもしれない。彼らが守りたいのは、解放したいのはあの老夫婦と黒猫のミイちゃんなのだろう。
景都は彼らを知っているのだろうか。
思わず考え込んだ景都の耳に、小さく猫の鳴き声が聞こえてきた。
「あ、時間切れだ」
「ね、景都、私たちを思い出してね」
ふわり、と風が舞い、気がついたらどこまでも続く森の小道に来ていた。どこまでも続く木々、もう、あの花畑の姿も真司と呼ばれた男性の姿も見えない。




