03
「若女将」
温泉旅館である松嶺壮の次期女将の松嶺加寿子は「若女将」と呼ばれるのが嫌いだった。若女将は、なんとなく結婚して嫁に入った人の印象が強く、結婚のけの字もない加寿子にはそぐわない気がするのだ。それでも、加寿子を若女将と呼ぶ人は少なくない。
嫌な気分を押し殺して顔に笑みを浮かべる。そういう時の笑みはまるで能面のようだと言われているが自分ではよくわからない。
「はい」
「景都さん、いらっしゃってないですよね?」
仲のいい幼馴染の名前に加寿子は不思議そうに目を瞬いた。仲はいい、だが、四六時中一緒にいるわけではないし、そもそもこんな平日の昼間にここのいるわけがない。
「来てはいませんが……この時間は景都は仕事では?」
「それが……週末から帰っていないみたいで、職場にも来ていないと、ご両親が探しているんです」
松嶺壮のスタッフの丸井芽依の神妙な口調に加寿子はギョッと目を見張った。
「え!? 家に帰らないのはともかく、職場にも?」
植物が大好きで、彼らと会話ができる景都はよく外で話していて時間を忘れることがある。だが、植物園という職場は景都にとって天国なのか、何があっても職場へ顔を出さないことはない。熱が出てフラフラな状態で向かおうとして周りに止められたくらいなのだ。
そんな景都が数日連絡がなく、職場にも姿を見せないなんて初めてだった。加寿子は着物を乱さないように気をつけながら、でも小走りで芽依に近づいた。
「連絡が取れないんですか?」
「ええ、スマホも圏外になっているらしくて……それで、何か心当たりがあったら、連絡を欲しい、と。警察は事件性がなければ動いてくれないみたいですし……」
まあ、そうだろうな、とは思う。景都は未成年の子供ではなく成人女性だ。数日間帰らなかったくらいで警察が動いてくれるとは思えない。
「心当たりって言われても……あ……」
幼馴染と言っても、子供の頃のように毎日話しているわけではない。ここ何回かの景都とのやりとりを思い出していると、ふと、一週間くらい前の貰った奇妙なメッセージを思い出した。
「若女将? なにか、思いつくことでも?」
急に黙り込んだ加寿子を丸井が心配そうに見つめてくる。だが、加寿子はそれには気づかずに、スマホのチャットアプリのメッセージを見直していた。お互い時間が合わないので電話よりもチャットでのやり取りの方が多いのだ。
スクロールしていくと、目当てのメッセージを見つけた。
【森がある】というメッセージと共に送られてきた見慣れた景色の写真。そこに森は見えない。何もない一本道だ。だが、これを撮影した時、景都はここに森が見えていたらしい。でも、写真には写っていないし、景都自身見える時と見えない時があると言っていた。
写真を送ってきたのはこの時だけだったが、景都はこれを気にしていた。ある時とない時がある森の小道。もし、その道に入れてしまったら……その妄想にぞくり、とした。もし、誰にも見えない森の中に入れてしまったら、そこはもう、ここではない別の場所ではないか、と。
そんなことありえない、なんてこの世界で生きていたら言えない。日本は不思議に満ち溢れた場所なのだ。
でも、加寿子のこの違和感を誰かに伝えたところで、調べる術なんて……ふと、思い出した。数ヶ月前に何度か顔を合わせたことがある、高校生の女の子。鑑定という貴重で特殊な力と遠くのものを見る力を持っていると言っていた。まだ未熟だが、将来有望だと。確証はない。でも、ここで思い出したのは、まるで彼女を頼れという天啓のようだと感じた。
「出かけてきます!」
小走りで駆け出した加寿子に丸井がポカンと目を見張った。
「え!? 出かけるってどこへ……」
「東京の超能力研究所。ごめんなさい、お母さんたちには適当に言っておいてください」
「ちょ……若女将!」
背後から丸井が呼びかけてくる声が聞こえたが、加寿子は答えなかった。彼女なら、何かわかるかもしれない、そんな思いに突き動かされていた。




