10(完)
三ヶ月後の四月二十九日、伊織は一人で桜の木の元に来ていた。最後だから、と観光客は立ち入り禁止にしていたが、伊織は松峰家の人に誘われてこの場に来ていた。あれから何度も鏡越しに見ていた光景。満開に花を咲かせる桜の木は綺麗で、鏡越しに守るのとは違う感動を感じた。
「木更津伊織さん?」
「はい?」
「よかった……無事とは聞いていたけれど。植物の声が聞こえる、見鍋景都です」
「あなたが……ありがとうございます。あなたのおかげであの桜の声が聞こえました」
「私も、初めて聞きました。とても知的な、女性の声」
その言い方にきっと植物にもいろいろな声があるのだろうなと想像できた。
ぶわっと桜の花びらが舞う。慌てて視線を桜の木に戻した伊織の目の前で、一瞬だけ今まで以上に大きく花開き、そして、サラサラ、と塵となって消えていく。強い風が吹いて、桜の木のピンク色のチリが視界を埋め尽くし、風が消えた時、そこにはぽっかりと開いた空間しかなかった。
なぜか無性に悲しくなって涙が溢れてきた。
「あ……わたし、こそ……」
景都が呟いた声が聞こえた。目を向けると、やはり涙が滲んだ瞳で微笑んでいる。
「ありがとう、って。最後に綺麗な花を咲かせることができてよかったって」
景都にしか聞こえない声。でも、微笑んでいる、あの女性の姿が消えたような気がした。
「ありがとう」
桜の木にも、泉にもそう伝えたかった。
ふ、と顔をあげると、空の上で、着物姿の女性と、烏帽子を被った男性が手を取り合って微笑んでいるのが見えた、気がした。だが、それは一瞬のことで、すぐに消えてしまった。
「まぼろ、し?」
伊織の声は誰に聞こえることなく,消えていった。




