08
植物園で植物の世話をしている見鍋景都はサクサクと雪を踏みしめながら通い慣れた道を歩いていた。家の近所であり、仲がいい友人の松峰加寿子の自宅でもある松峰壮は景都にとって馴染み深い場所だった。
景都は一応能力者だ、と言っても研究所へ登録以外の義務を持たない程度の小さな力だが。それでもその力は景都を助けてくれる。
植物の声が聞こえるのだ。会話ができるわけじゃない、「喉乾いた」「きもちー」「楽しい」「お腹すいた」そんなふうにただただつぶやきを聞くだけの霞のような力だが、それでも植物たちの世話をするのにとても有益だった。でも、景都には聞くことのできない声があった。それが、松峰壮の裏にある狂い咲きの桜だった。だが、数ヶ月前から元気をなくしているその桜が何かを訴えかけているかのような、そんな予感がした。それで定期的に通っているのだ。
そのうち何回かは幼馴染の加寿子が付き合ってくれていた。
「あれ? 誰かいる?」
桜の木の周囲に誰かがいるのはよくある光景だし、桜の木を見に来た観光客の姿もちらほら見える。だが、その中で、一人だけ異質な存在があった。
観光客の多くは桜の木が眺められるように少し離れた位置にいるのだが、一人だけ、すぐそばで木の幹に触れるようにして立っている。歳の頃は高校生から大学生くらいに見えた。
「え? あ、あの子……」
「加寿子、知り合い?」
「知り合い、というか……研究所の能力者。泉の定期鑑定にきた人についてきた人で……見習いの鑑定の能力者だって。桜を気にしていたけど……鑑定にきたの、かな? 聞いてない、けど……」
「鑑定の?」
なら、元気がなくなってきた桜について何かわかるだろうか。
一歩近づこうとした景都は突然身体中から力が抜き取られるような不思議な感覚がしてその場に膝をついた。雪が冷たくて、身体中が悴んでいるが、立ち上がる気力がない。これは能力者が強い力を使う時に感じるものなのだが、弱い力で日常的に小さく使うことしかできない景都は初めて感じる感覚だった。
パッと周囲を光が覆った。目がチカチカして視界が白に染まる。
『これ以上は……ダメ。もう、誰の命も、奪いたくない……』
初めて聞いた声。でも、これがあの狂い咲きの桜の声だとすぐにわかった。その狂い咲きの桜の声はひどく悲しげだった。
「景都!! 大丈夫?」
光が収まると加寿子が景都の顔を覗き込んできていた。
「だい、じょうぶ……」
体に力は入らないが、それでも、体調の悪さはない。ふと、頭上から桜の花びらが降ってきて顔を上げた。その視界を満開の桜の花と、ふわりと舞っている桜吹雪が映る。まるで、最期の力を振り絞っているかのようで、どこか悲しい。
「ちょっと、あなた大丈夫?」
「木更津さん!?」
悲鳴のような声音に顔を上げると、桜の木に寄りかかって倒れている少女が見えた。遠目にも青白い顔色が見えた。この桜の木の伝説と、桜の木の声と、そして、この満開の花の姿とが相舞って、まるで死んでいるかのように見えてゾッとした。だけど、今の景都にはこの場から動くだけの力がなくて、騒然とする周囲を見守っていることしかできなかった。




