第九十八話【越えた先で】
チエスコを出発した馬車は、狭くて視界の悪い林の中を、ゆっくりと進んでいた。
別に、のんびりしてるわけじゃない。それ以上スピードを出せないから、全速力なのに遅いだけ。
そして、事情はどうあれ進みが遅いから、魔獣に狙われる回数も増える。
おかげで、今までわざわざ遠回りしたり、日が高いのに出発を翌日に回したりしてた理由がよくわかったよ。
時間がかかれば魔獣と接触する回数が増えるし、魔獣と戦う回数が増えればそれでもまた時間がかかる。
相乗的にどんどん進みが遅くなるから、とにかく安全な道を選ぶしかなかったんだ。間違っても、何も見えない真夜中に走るはめにならないように。
「――はぁあ――っ! 足止めるな! 前は全部なんとかするから! 黙って進め!」
これは、たとえ俺やマリアノがいても変わらない。どうやっても解決しない問題だ。
俺がどれだけ手早く魔獣を倒したとしても、安全確認を怠るわけにはいかない。魔獣の接近があれば防御態勢を整える必要がある。
今よりずっと信頼されるようになったとしても、全部を俺に任せて、目を瞑ったように前へ進むなんてことは出来ないんだ。
危ないからじゃない。そうすると問題が起こるからでもない。
俺やマリアノがどれだけ強くて、どれだけ完璧にみんなを守ったとしても、人の防衛本能がそうさせる。
頭でどれだけ理解しても、こればっかりは覆せない。画鋲がばらまかれた床の上を、目を瞑ったまま素足で歩くなんて誰も出来ないように。
それに、盗賊団は軍隊じゃない。軍隊みたいに鍛えられてるし、組織での行動にも慣れてるけど、それでも一般人。結局はならず者集団の域を出ない。
だから……だろうな、やっぱり。ギルマン達ほどは味方をアテにしない。味方の頑張りを、成功を、アテに出来ないから、危険から目を背けられない。
魔獣が出るたびに全員がそれに反応して、それでいちいち全体がもたつくから、見るべきところへの対応も遅れがちだ。
なんて言うか……今までは、一緒に戦うとしたらギルマン達みたいな国軍の兵士だったから。そういうのは出来て当たり前だと思ってた。
でも、そうじゃない。味方を信じて持ち場を離れないとか、管轄外の脅威を意図的に無視するとか、そういうのは鍛えなくちゃ出来ないんだ。
「……それでも、俺だったら……っ」
わかった。ゲロ男が……ジャンセンが、盗賊団のボスが、俺の力には関心を向けた理由が。
マリアノだけじゃダメだったんだ。マリアノの強さがあっても、不完全な組織を守りながら危険地帯を抜けるなんてことは出来なかった。
事実、ナリッドの解放はあとに回してる。手に入れば大きな価値を持つ港があるってわかってても、諦めるしかなかったんだ。
じゃあ、もう話は簡単だ。俺は、今持ってるこの強さを――この世のあらゆるものよりも強いって力を、徹底的に使いこなせばいい。
宮の仕事を手伝うとか、この国のことを知るとか、いろいろ考えたけど、そんなのはおまけにしかならない。って言うか、俺がそれやる意味ない。フィリアがいるし。
俺は、部隊がどれだけ未熟でも、どれだけ頼りない味方だとしても、全員守って作戦を成功させる強さを手に入れればいいんだ。
「――はぁああ――ッ!」
手始めに、ナリッドをなんとかする。その道中で誰も死なせないようにする。もともとそのつもりだったけど、余計に気合い入った。
出来る。俺になら出来る。どうせ俺にしか出来ないし、だったら俺がやる。フィリアもゲロ男も、これから味方になる全員、俺が守ってやる。
って……気合入れて走り続けたけど、林の中には大して強い魔獣もいなくて、いつもどおりなんの苦戦もせずに目的地が見えてきた。
それは……ほかの大きな街で見るような防壁と比べて、あまりにも小さく、あまりにもボロボロな柵で、街の無事を期待させるものじゃなかった。
それでも部隊は足を止めず、柵の前まで辿り着き、入り口を探して周りを捜索し始める。
そうしているうちに、それが内側から開かれないと入れない仕組みなんだってことに気がついた。
「ユーゴ、ちょっと止まれ。どうにも……嫌な予感がする。見張り台はあるのに誰も立ってねえ。もしかすると、もう……」
「まだわかんないだろ。中から魔獣の気配はしないし、嫌なニオイもない。もう全員逃げ出した……なら、門は開いてるハズ。たぶん、まだ中に人が住んでる」
それは、半分は推測、もう半分は願望だった。
間に合ってて欲しい、手遅れであって欲しくない。そういう願望……だけど、それだけじゃない。
魔獣の気配がないのは本当だし、血のニオイもしない。だから、無事である可能性は十分にある。
それでも、まだどっちかはわかんないから、自分にもグリフィー達にも言い聞かせるように、出来るだけ前向きな言葉を選んだ。
そんなつもりはなかったけど、咄嗟に出たのはそういう言葉だった。なんか……フィリアのやたら楽観的な性格が伝染ったかも……
「みんな門の前で待ってて。俺なら跳び越えられるから、開けてくるよ。見張りがいないのはたぶん、誰も外に出てないから……門を開ける予定がないから、だろうしさ」
さて。じゃあ……ちょっと怖いけど、答え合わせをしよう。そうしないといつまで経っても始まらないからな。
みんなを門の前で待たせて、念のためにもう一度周囲の気配を探って、魔獣が襲って来ないのを確認してから思い切り跳び上がる。
柵より高くまで跳んだところで、その中がもうボロボロになってることはわかった……けど、でも、それがちょっとだけ希望を持たせてくれた。
もうボロボロになった街並みは、ボロボロになってもなんとか使おうとしてる証拠でもあったから。
ただ風化して自然に飲み込まれたのとは違う、余裕がなくて補修が間に合ってない、生活の痕跡がそこには広がっていたんだ。
「――っ。おーい、誰かいるかー? 助けに来たぞー」
そして柵の内側に着地すれば、そこはもう間違いなく人が暮らしている街だった。
ただ……それでも、表を歩いてる人の姿はなくて、呼びかけても返事は聞こえない。
もしかすると、ギリギリで間に合わなかった……のかな。
魔獣に襲われなくても、飢えて死んじゃったり、病気が逸ったり、小さな街が潰れる理由なんてそれこそいくらでも……
「――助けに……まさか、街の外から来た……のか……」
「っ! そうだ、俺はランデルから……あー、えーと……違うな。えっと……カンビレッジと、チエスコから……えぇーっと……」
嫌な可能性が頭に浮かんで、喉の奥のほうが熱くなったそのときに、不意に声が聞こえた。
それは、俺に話しかけるって感じじゃなかった。ただ、自分の感情を口から漏らしただけって感じの、ひとり言みたいな声。
でも、その人は俺を見て、事情を理解しようとしながらその言葉を口にしていた。
正面ちょっと左側にあった建物の窓から顔だけを覗かせたその男の人は、しばらく呆然として……そして、やっと焦点を合わせると、目を丸くして俺に呼びかける。
「――助けに来てくれたのか――っ。もう……もう、ずっとこのままだと……」
「そうだ、助けに来た。えっと……俺は違うけど、カンビレッジのあたりを守ってる盗賊団だ。なんか、こういうとこにも食べ物を運んだりしてるらしい」
その男の声が皮切りになったのか、そこら中の建物の窓から、ドアから、ぞろぞろと人が顔を出し始めた。
そして俺を見るや否や、みんな同じような反応を……泣きそうな顔で肩を震わせる姿を見せるから、本当にギリギリだったんだって思い知った。
でも……ギリギリ間に合った……んだな。俺は……フィリアは、ゲロ男は、守りたいものを守れる、ギリギリのタイミングに間に合わせられたんだ。
それから街の人に頼んで門を開けて貰って、部隊のみんなを中へ誘導した。
まだ大勢が暮らしているって知ったフィリアはすごく喜んでて……でも、その喜びをすぐにどこかへしまい込んで、険しい顔で考えごとを始める。
ここにいる人を全員無事に保護するには、盗賊団の力だけじゃ難しい。なんとかして、国が協力しなくちゃ……って。




