第三十六話【間に合わせる】
目が覚めたとき、外では水の音が鳴っていた。どうやら、雨が降っているらしい。それも、土の地面を叩く音がはっきり聞こえるくらい、強く。
「……」
これ、馬車は速く走れないよな。馬も危ないし、車輪も滑るだろうし。ぬかるみにハマったりしたら、それこそ立ち往生しかねない。
そうなったら……俺は、それを引っ張り上げたり、押して進んだり……は、きっと出来ないんだよな。
それはたぶん、俺に与えられた強さの概念とは違う……と、思う。少なくとも、フィリアを抱えたときには……
「……っ。アホ! デブ!」
あれはフィリアが特別重かったから。特別に重たそうに見えてて、そう思ってたから、それを持ち上げるのは大変だって、先入観があったからだ、きっと。
たぶん、壁を走るのと同じ要領で馬車も押せるハズ。やってやれないことじゃないんだ、きっと。
でも、出来ると決まったわけでもない。少なくとも、今までには一度も出来てないし、やろうともしてないことだから。
じゃあ、覚悟しておくべきだろう。万が一のことがあったらどうしようもなくなる。だから、そうならないように慎重に戻らなくちゃいけないんだ、って。
「としたら……ちゃんと準備させとくか」
今から何か出来るのかはわからないけど、直前になってから慌てるよりはいいだろ。
そんなわけで、俺はまずフィリアを起こしに行くことにした。いっつもどんくさいからな、早いうちから状況を把握させておかないと。
「フィリア、起きてるか。そろそろ準備しろよ」
それで、ドアを叩いて声をかけた……けど。まだ寝てるかな? 前に王宮で部屋を訪ねたときは起きてたから、案外早起きではあると思うけど……
「おはようございます、ユーゴ。今朝はあまり天気がよくありませんね。もしも魔獣と戦うことになったら、どうかいつも以上に気をつけてください」
っと、ちょっとも待たないうちに返事があった。やっぱり起きてたんだな。
でも、その心配はいらない。雨降った程度で魔獣に負けるとか、あり得ない。そんなのはわかってるだろ、フィリアも。
「貴方は魔獣よりも強いかもしれませんが、しかし魔獣のように鋭い爪を持っているわけではありません。簡単に滑って転んでしまいかねませんから」
「……? なんの話だよ、いきなり。寝ぼけてるのか?」
いや、だから、大雨の中で魔獣と戦ったことだってあるだろ。目の前で見てただろ。
なんとも要領を得ないボケたことばっかり言ってるフィリアだけど……たぶん、不安なんだろうな。俺のことが……じゃなくて。俺達が間に合うか、が。
フィリアも同じこと考えてたんだな。同じことで不安になって……それで、どうしよういもないんだろう。今からじゃ、なんにも手を打てないんだ。
あるいは、今から馬車に細工しようにも、マチュシーで馬を交換する予定だから。変なことしてそこで問題になるほうが面倒なのかも。わかんないけど。
じゃあ、ちゃんと休んでおくか。俺にも、フィリアにも、出来ることはないってことだろうから。
出発は早いけど、それでもまだもうちょっと先だし。寝るほどの時間はないにしても、ストレッチしたり、ちょっと横になったりするくらいはしておこう。
そして、馬車が出発する時間になった。集合場所に行ったら、兵士はみんなもう準備出来てて、あとはフィリアが来るのを待つだけだった。
みんな、同じような不安を抱えてる……よな。馬車が動かなくなったらどうしよう、って。
それに、マチュシーで足止めを食ったら、それこそもう一日遅れることになっちゃうんだ。
となったら、どこでぬかるみにハマるかわからないのに、普段より急いで戻らなくちゃならない。
いろんなものが悪いほうに噛み合っちゃって、みんなのストレスになってる気がする。なんとなくだけど。
それからちょっとするとフィリアもやってきて、号令ひとつで馬車は動き始めた。
目的地はマチュシー。そして、本来なら一度足を止めるところを、そのままランデルまで強行で戻る。
そんな無茶な日程を言い渡されても、みんなは文句やため息ひとつこぼさずにテキパキと動いていた。
でも、そんな中で……
「……? フィリア? 早く乗れよ、急ぐんだろ」
「っ。は、はい。すぐに行きます」
肝心のフィリアだけが、暗い顔でぼーっとしてた。自分で指示を出したのに。
でも、寝不足だとか、やる気がないとか、気が滅入って嫌になってるとか、そういうのじゃないと思う。
たぶん、俺より、みんなより、ずっとずっと大きな不安がのしかかってるんだろうな。そういう立場にいるせいで。
「……ユーゴ。もしものときは、私達だけでも宮に……ランデルに向かいましょう。マチュシーで馬を借りられなかった場合、陽も沈む前から足止めを食ってしまいます。それなら……」
それなら、俺が走ったほうが速い。そう言ったところで、フィリアははっとした表情になって、どこを向いてるのかわからなかった目を俺に向けた。
「……フィリア……?」
パニックになってる……のか。やっぱり、誰よりも不安でいっぱいだから。
こういうとき、俺はどうしたらいいんだろうな。俺は……強いけど、でも、まだ子供扱いされてる。まだ、安心させられるほどの信用は得られてない。
じゃあ、今はまだ何も出来ない……のかな。それは……ムカつくな。すぐにはどうにもならないことが、余計に。
「……っ。ユーゴ、聞いてください。もし、マチュシーで馬を借りられて、そして今日の内にランデルへ帰ることが出来たならば……」
それからフィリアはしばらく考え込んでしまって、そして、忘れてくれって言ったと思ったら、またちょっと考え始めちゃった。
そして次に口を開いたときには、さっきとは全然関係ない話を始めた。本当に頭の中ぐちゃぐちゃになってるみたいだ。
でも……意図は伝わってきた。
間に合わなかったら、無理だったら、ダメになるくらいだったら、ひとりでなんとかしてくれ。って、そう言いかけたのを、無理矢理引っ込めたんだ。
うまく行ったら、そのうえでまだ難しい問題を前に、どういうふうに解決して欲しいか、って。そういう話をするために。
「初めてのことですが、貴方には現場の指揮のもとで戦っていただきたい。私の指示でもなく、貴方の好きなようにでもなく」
「……わかった。別に、やることは変わらないだろ。俺が魔獣を倒す。それで、誰かが次に戦う場所を指示する。フィリアより慣れてるやつの指示を聞くってだけだ」
フィリアはこの中で……いや。この国で、一番強い影響力を持ってる。だから、ダメだったらどうしよう……なんてことを人前で言っちゃダメだと思ってるんだ。
そしてきっと、それは間違ってない。フィリアが悲観的になったら、ここにいる兵士も、たぶん俺も、きっとやる気を大きく削がれちゃうと思う。
その前提を持ったうえで、フィリアは俺に新しい指令を出した。自分じゃなくて、現場で戦ってる兵士の指示を聞いて戦って欲しい、って。
それはきっと、フィリアが王宮に戻ってやるべきことがあるからだ。魔獣との戦いの最中に、俺から離れなくちゃならないから。
なら、俺はそれに従うだけだ。いつも通りに。
ただ……フィリアは頭を下げてお願いしたけど、そんなのは堂々と命令してくれよな。そういうとこ、王様っぽくないし、子供扱いなんだよ。ムカつく。
そして、マチュシーで馬車を乗り換え、俺達はそのままランデルへと戻り始めた。
最初は馬だけ代える予定だったけど、借りられる馬の数が足りなくて、馬車ごと小さいのに交換する必要があったから。
だから、狭い馬車の中、フィリアが場所取るのにも我慢して、魔獣も出ない帰り道を大急ぎで走って――
「――っ! フィリア! どけ! 魔獣だ!」
「っ! ユーゴ、お願いしま……い、いたいっ。踏まないでくださ……いたたたっ。ふ、服がベルトに引っかかって……」
なんだよ、緊張感ないな! このデブ! アホ!
どうやら剣を提げてるベルトがフィリアのドレスに引っかかったらしくて、なんか……もう、邪魔だな!
「ああもう! これ、あとで部屋に戻しとけ!」
どうせここからはずっと戦うことになるんだ。って、ベルトを鞘ごと取って、剣だけ持って馬車から飛び出した。
ここは……まだ、街には着いてない。でも、行きには魔獣なんて見かけなかった場所だ。
こんなところで、もう魔獣の姿が見える。いや、違う。ここよりももっと街に近いところに魔獣が群れてるのが見えてる。
「……っ。やばいな……」
急いで戻ってきたけど、もう被害は出ててもおかしくない。今から俺が全部倒しても、間に合ってない可能性は低くない。
イライラする。ムカつく。俺が一番強いのに、強い力を貰ったのに、それでも守れないものがあるなんて。
地面はどろどろだったけど、思いっきり走ったって滑らなかった。あるいは、滑ってても転ばない強さがあるのかもしれない。
そして、転ばず滑らず、それでもいつも以上の速さで魔獣のもとへ――街へと迫る敵のもとへと駆けつけて、片っ端から斬り飛ばす。
間に合う。間に合わせる。それだけを強く念じながら。




