第三十二話【意外と大人】
「――ほんっとうに申し訳ない――っ! いや、ほんとごめん! あんときは過去最高に酔い潰れててさ! いやもう、マジでごめんね!」
「い、いえ……私は大丈夫ですが……」
ヨロクの街の居酒屋で、一個前の町で見かけたゲロ吐きクズ……名前なんだっけ。とにかく、ゴミみたいなやつと再会した。
会いたくもなかったし、見かけた時点でさっさと逃げたかったんだけど。どうしたわけか、フィリアがそいつに近づいてったから。ムカつく。
でも、ハルの町の酒場で聞いた話だと、こいつは街を渡り歩いて商売をしているらしい。
そして……俺がいてようやく辿り着いたこのヨロクにまで、こうして平然とやって来ている。
そういう部分だけを切り取って見れば、まあ、話しを聞く価値がないわけじゃない……のはわかるけどさ。
「悪気があったわけではないとこちらもわかっていますから、怒ってはいませんよ。それより、お話を聞かせていただけると……」
「ほんと⁈ マジごめん、ありがとう。ここはおごるからさ、ジャンジャン飲んでよ! オヤジ! もう一本酒持ってこい! いいやつ全部こっち入れろ!」
ハルでの醜態を説明して、それに巻き込まれかけたって伝えて、それでもなおこのクズは軽い態度を改めない。
やっぱりやめといたほうがいいと思う。こんなアホみたいなやつがすごいわけない。たぶん、こいつじゃなくてこいつを守ってる護衛とかが強いだけだ。
けど、フィリアはそれに気づかないのか、それともそうと決まったわけじゃないと思ってるのか、どうしてもこいつから話を聞きたいらしい。
絶対無駄なのに……なんで気づかないんだ、このアホ……
「あの、ジャンセンさん。お話を聞かせ――」
「え? 俺の話が聞きたいの⁉ まいったね、こりゃ。出来る男はモテちゃってしかたねーや」
キモい。うざい。こいつ、さっきからずっと話聞いてるようで何も伝わってない。ムカつく。
フィリアだってそれくらいわかるだろ。だって、話通じてないんだから。だったらさっさと諦めればいいのに。
「にしたって、ハルでちらっと顔見ただけなのにさ。そんな積極的な子うさぎちゃんには、特別にサービスしちゃうよ。なんでも聞いて」
きっも。うっざ。なんだよ、子うさぎって。どっからどう見ても、牛とかそういう……少なくとも小動物じゃないだろ、フィリアは。じゃなくて。
喋りかたもムカつくし性格もムカつく。ただでさえゴミみたいなやつなのに、ここまで一個もいいところがない。正真正銘、生きてる価値のないクズだぞ、こいつ。
「っと、いけね。お姉さんの名前教えて貰ってねーや。俺は知っての通りジャンセン。ジャンセン=グリーンパーク。いろんな街歩き回ってんだ。って、知ってるか」
「え、ええ……私はフィリアと申します。その……よろしくお願いします……?」
ムカつく。ムカつく。ムカつく。このクズが調子乗ってるのもムカつくし、フィリアがそれを怒らないのもムカつく。
王様なんだぞ、お前。だったら、こんなクズのこんな態度許す必要なんてないだろ。ムカつく!
でもって、クズのノリについていけないで困惑するフィリアをよそに、ゲロ男はまたジョッキの酒を一気に飲み干した。
そんな飲みかたするからゲロ吐くんだろ。学べよ。どんだけ頭悪いんだ、このクズ。クズ。カス。
「……おい、フィリア。本気か、お前。こんなあっぱらぱーから大した話が聞けると思ってるのかよ。さっきから割と呂律も怪しいし、早いとこ逃げたほうが……」
どう考えてもこいつがすごいわけない。じゃあ、話を聞く理由なんてない。
まだ困り果ててフリーズしてるフィリアの背中を叩いて、さっさと逃げるぞって腕を引っ張る。
でも、フィリアはまだ諦めてないのか、それとも困り過ぎてどうしたらいいのかわかんなくなったのか、一歩も動こうとしなくて……
「……ん? あれ? え? え? え、ちょっと待って。フィリアちゃん子持ち……? うっそ、マジで? 見えねーっ! いやいや、子供デカ過ぎんでしょ。いくつで産んだのよ」
うざいキモい死ね。誰がフィリアの子供だ。そんなに離れてないし、そもそもどう見たって血なんか繋がってるように見えないだろ。見えない……か?
いや……まあ、そうか。フィリアも髪は黒いし、顔立ちとかは全然違うにしても、大人と子供、女と男だと違って当然だから……じゃなくて!
「あの……いえ、彼は私の……ええと……弟でして」
「あー、姉弟ね。いや、似てねー。え? いくつ違うの? ってか、そもそもフィリアちゃんマジいくつ? ま、俺より歳下ってことはないだろうけど。あ、俺は二十四ね」
誰が弟だ。ムカつく。って言うか、弟だったら子供よりもっと似てるだろ。似てる……よな。わかんないけど。でもなくて!
それにしても、フィリアのこの適当であからさまな嘘にすら気づかないとか、やっぱりこいつ相当なアホだ。どうしようもないクズだ。間違いない。
それと……なんか知らないけど、フィリアからちょっと……かなり、怒りみたいなものを感じる。じゃあ、なおさらさっさと離れろよ……
「にしても、弟くんも大変だろな。こんなエロい姉ちゃんいたら、俺だったら我慢出来ねえけど。ま、そんなタイプでもないか。大人しそーな、無害そーな顔してるし」
「……おい、フィリア。帰ろう。やっぱりこいつ駄目だ。絶対話すだけ無駄だ」
こっち見んな。喋りかけんな。キモい。それと、フィリアはそういうのじゃないだろ。アホだし、どんくさいし。デブだし。
「あの、ジャンセンさんはどうやってここまでいらしたのですか? ハルからではかなり危険な道のりとなった筈ですが……」
もう帰ろう。こいつはほっとこう。って、何度も何度も腕を引っ張るんだけど、フィリアはどうしてもこんなクズとの会話を諦めない。アホ。まぬけ。デブ。
そんなの聞いてどうするんだよ。ここにいるからには、周りになんとかして貰っただけだろ。少なくとも、こいつ自体には魔獣の群れをどうにかする力も知恵も……
「……んー? そんなこと言ったら、フィリアちゃんだってどうやってここに来たのさ。弟くん連れて観光……ってわけないっしょ。んー……そうだなー……」
ぴり――って、耳の後ろがちょっとだけしびれて、ゲロ男の表情がちょっとだけ変わったのに気づいた。いや……もしかしたら、ずっとそんな顔をしてたのかもしれない。
さっきまでどうしようもないクズがへらへら笑ってるだけ……だと思ってたのに。まるで、パールと向かい合ってるときみたいな迫力を感じた。
「――そういや、国軍の馬車が載りつけてたな。アレに乗ってきた――乗ることが出来たんとなれば……」
――っ。こいつ……もしかして、酔っぱらったフリをしてたのか……? いや、違う。今も身体はふらふらしてるし、目の焦点もどこに合ってるのかわからない。
それなのに、やたらと冷静で威圧感のある態度で、さっきまでとは別人みたいに落ち着いた口調でこっちの素性を暴こうとしてるのがわかった。
もしかして俺達、あんまり関わんないほうがいいやつに声をかけちゃったのか……?
「……すごいですね。そうです。私達はランデルから測量にやって来ました。国策として、地図を更新するために」
フィリアもさすがに異変に気づいたのか、偽りの身分をさっと提示して、それらしい事情をでっちあげる。
国策で派遣された。馬車は護衛についた国軍のものだ。って、そうしたうえで……
「……どうしてわかったのですか? 馬車に紋章もついていないのに」
いつものフィリアと変わらないどんくささはきっと残ったままなのに、反対に向こうの正体を暴くための質問を投げ返す。
まるで賢いやつ同士の駆け引きみたいだ。あっちは酔っ払い、こっちアホなのに。ムカつく。
「んー? いやいや、そんな難しい話じゃないって。匂うんだよ、いろいろとさ。血とか鉄とか、火薬とか。相当強く匂いが着いてる。だからさ、そんな適当な嘘じゃ誤魔化せないよ」
「っ! 嘘……なんて、私達は別に……」
酔っ払い……だよな? フィリアはきっとアホだけど、こいつは……本当に酔っ払いか?
匂う。って、そいつは言った。血とか鉄とか火薬とか……って、そんなニオイがするわけないのに、俺を見ながらそう言った。
血と鉄はともかく、火薬のニオイなんてするわけない。だって俺は、鉄砲も爆弾も使わないんだから。
それでも、こいつは俺を見て、そういうものと縁があると見抜いた。俺が、戦ってるんだってわかったんだ。
「……すみません。言っても信じて貰えることのほうが少ないので。そうです。ユーゴは測量士ではなく、私を守るために戦ってくれる戦士です。すごくすごく強い、特別な力を持っています」
「ま、そんなの誰も信じないよね。でも……流石にそんだけ血の匂いさせて、周り警戒されたらさ。わかるよ、わかるやつには」
こいつ――やばいかもしれない。
カスタードのときとは違う。あいつも、アホだけど、まぬけだけど、そう見えるけど、でも、その向こうに何かを隠してた。
だけど、アイツはそれを見せてくれた。教えてくれた。自分はこういうやつで、こういうことが出来るって。教えて、仲間になってくれた。
でも、こいつは違う。自分がどういうやつか、何が出来るのか、全部伏せたまま、完全に警戒心を剥き出しにしてる。
酔っ払いなのに。クズなのに。こいつ、本当にやばいやつなんだ。
まずい。フィリアじゃどうやっても太刀打ち出来ない。殴り合ったら俺なら勝てるけど、騙し合いでフィリアが出し抜く姿なんてこれっぽっちも想像出来ないぞ。
「……そう怖い顔しないで、フィリアちゃん。大丈夫、別に怒ってないよ。んー……でも、そうだな。もし悪いと思ってるなら、このままここでひと晩相手してくんない?」
しかも、最悪なことに、こいつは標的をフィリアひとりに絞ってる。もう、俺のことなんて全然見てない。見ようともしてない。
俺には戦う力があるって、強いんだって知ってて、それでも無視して大丈夫な備えがあるんだ。
「相手……とは、お酌をすればよろしいのですか? それくらいで非礼の侘びになるのでしたら……」
「そんな固くなんないでって。何も取って食いやしないから。ちょっと酒の相手してくれればいいだけ。簡単でしょ」
やばい。さっきまでとは別の理由で、やっぱりさっさと逃げておくべきだった。
よく考えてみれば、危険地帯だろうとお構いなしに渡り歩いてる商売人なんて、今の今までヨロクに来られなかった俺達より上手に決まってる。
そんなやつ相手になんてしたら……フィリアの正体がバレて、そのうえで知られちゃいけない国の弱点とかまで引きずり出されるかも。そんなのあるのか知らないけど。
「はい、じゃあカンパーイ。弟くん……あー、名前なんてーの? 弟くんはまだ飲めない歳……だね、どう見ても。おーい、オヤジ。ミルクも持ってこい」
「っ。ば、馬鹿にすんな! 酒くらい……」
っ。違う、そんなとこで張り合うな。俺がするべきことは、フィリアを守ることだ。じゃあ、守れなくなるようなことはしちゃいけない。
このゲロ男……さっきまで俺のことなんて見てなかったくせに……いや、違う。今も見てないくせに、俺を排除するために煽ってきた。
俺が強いから、俺が戦えるから。だから、標的であるフィリアから遠ざけるために。
酒なんて飲んだことないからわかんないけど、酔っぱらって……店にいたおっさん達みたいになったら、流石に戦えないかもしれない。
挑発に乗って、一杯でも飲んだら……っ。
「あっはっは、そう警戒すんなって。何も悪さなんてしねーよ。ほら、ミルク飲んで落ち着きな。で、落ち着いたら名前教えろよ。お前だけだぜ、名無しなのは」
「っ。ユーゴ。フィリアはトロくさいから騙されそうだけど、俺はそうはいかないからな」
考え過ぎ……じゃない。目的はわからないけど、こいつもこいつでフィリアから聞き出したいことがあるんだ。
やばいな、本当に。話を聞くって建前がある以上、フィリアはこいつにつき合って酒を飲まなくちゃいけない。
もしフィリアがゲロ男みたいに酔っぱらったら、無理矢理連れ出して逃げるしかないか……? でも、それをこいつが許すかどうか……
「睨むな睨むな。ほら、ユーゴ。お姉さんの隣座れ。この出会いを祝して……カンパーイ! ほら、カンパイ。ユーゴ。おい」
出会いを祝して……か。こいつが商人だって言うなら、フィリアから聞き出す価値のある情報ってなんだ。
なんか……えっと……経済の話とか、だよな、きっと。パールに聞けばわかるかもしれないけど、今は誰にも頼れない。
じゃあ、どんなに小さな話だとしても、全部注意しておくしかないか。フィリアが余計なこと言わないように、俺が見張ってないと。
「……では、乾杯。ユーゴ。ここはご厚意に甘えましょう。こうして羽を伸ばす機会もなかなか取れませんから」
「……かんぱい」
フィリア……アホだとは思ってるけど、さすがに今の状況はわかってるよな……?
なんか、せっかくの機会だからゆっくりしよう……みたいなこと言ってるけど、それはゲロ男の前だから……ってことだよな……?
不安だ。めちゃくちゃ不安だ。何より、フィリアが酒飲んだらどうなるのか全くわからないのが不安だ。
だって、ゲロ男より歳下……だよな、たぶん。アホだし、ガキっぽいし。じゃあ……もうちょっと大人なゲロ男でああなるんだったら、フィリアは……
そして、宴会と呼ぶにはあまりに警戒心の高過ぎる飲み会は、ゆっくりゆっくり、時間をかけて盛り上がった。
盛り……上がった、うん。フィリアが意外と頑張って、いっぱいお酒飲んで、それを見たゲロ男が大はしゃぎで同じように酒を飲んで……
「かんぱーい。ええと……これで何杯目でしょうか。ジャンセンさん、大丈夫ですか?」
「か、かんぱ……うぷっ――ば、ばけもん――」
飲んで、飲まされて、負けじと飲んで……飲まれて……ううん。
気づけば席の隣には樽が三つ積み上がってて、ゲロ男は酔いじゃない理由で顔を真っ青にしながら……テーブルに突っ伏してしまった。ええっと……うーん……
「……フィリア。お前……意外と……」
「ええっと……」
よくわかんないけど、フィリアは……意外と大人だったのか……? ゲロ男がこんなんなってるのに、平気な顔してるってことは……




