第二十九話【楽しいの前触れ】
「あのー、もしもしー。だ、大丈夫ですか……? すみません、この方は本当に眠っているだけ……でしょうか。お医者様を呼んだほうが……」
魔獣の被害について、実際に町の人に聞き込みをする。そう息巻いて繁華街へ来たフィリアは、居酒屋で酔い潰れた男に声をかけていた。
酔っぱらってて、完全に寝てて、会話はおろか返事すら出来ない、だらしないやつに。
「……フィリア。おい、フィリアってば」
どう考えてもこいつじゃない。話を聞くなら、せめて酔っぱらってないやつにするべきだ。
それこそ、店の人とか、店に入ってきたばっかりの客とか。とにかく、こんな状態のやつに何を聞こうってんだ。
「もしもし、大丈夫ですか。すみません、このかたにお水を頂けませんか」
「フィリア。そんなやつほっとけって。ただの酔っぱらいだろ」
なのにフィリアは、どうしてかその男にこだわった。たった今、水を頼んだ店員に話を聞けばよかったのに。
まあ、一応、理由らしいものはわかる。最初に話しかけた酔っ払いのおっさんが、こいつなら詳しいぞ……って、そう教えてくれたからだ。
でも、それはあくまでも話が出来る状態なら……であって、こんなんじゃいくら詳しくても役に立たないだろ。
だから、何度も何度もやめとけって、ほかのところに行こうって、そう言ってるのに……
「もしもし、もしもし。少しよろしいですか」
フィリアは寝ぼけた返事すら出来ないそいつにどうしてもこだわり続ける。
なんて言うか……フィリアの悪いところが悪い方向に作用してるな。どんくさいくせに妙に頑固なところが、しっかりと足を引っ張ってる。
「がっはっは! どうやら今日は店じまいらしいな、ジャンセンのやつ! 嬢ちゃん! そんなやつより俺らと飲もうや!」
「いえ、しかし……もしもし、もしもーし」
ほら、もう。周りの酔っぱらいにまでからかわれ始めたぞ。って、言っても全然聞く気がない。
フィリアがこうなのはある意味いつも通りだし、それは別にいいんだけど……それでここにいるやつらに笑われてるのは、ちょっとムカつく。
しかも、酔っ払いばっかりだから、ちょっとキモイこと言ってるし。それもムカつく。
「もしもし。ええと……ジャンセンさんとおっしゃるのですよね。私はフィリアと申します。お話しよろしいですか。もしもし」
「あーもう、ほっとけってば。どうせ大したこと知らねえって」
フィリア、デカいから。デカいし、周り見ればおっさんばっかりだから。悪い意味ですごい目立つんだ。
で、目立つと……やっぱり、キモい目で見るやつが増える。うざい、ムカつく。
だから、それ以上はもうほっとけなくて、早く帰るぞって腕を叩いた。
俺が不機嫌になれば気を遣うからな、フィリアは。ほんとに子供扱いでムカつくけど、今はそれだって利用してやる。
「……そうですね。今日は帰りましょう。明日もあるのですから、夜更かしするわけにもいきませんしね」
それだけやってようやく帰る気になったフィリアに、周りの酔っぱらいはまたキモいことを言い出した。
せっかく美人と飲めると思ったのに、とか。帰っておっかぁと飲むんじゃさみしくてしょうがない、とか。ムカつくことばっか言って……
「……んがっ。美人……?」
「っ! もしもし、気がつかれましたか? もしもし」
その騒ぎのせいか、それともその中の言葉に引っかかるものがあったのか、さっきまで寝てた酔っ払いが目を覚ましてしまった。
それがわかればフィリアはまた引き返して、まだ寝ぼけてる酔っ払いに声をかける。やっとここから出られると思ったのに……
「――おう! ジャンセン! 起きろよ! とびっきりの美人がお前さんをご使命だぜ! ここで立たねえなら、普段の色ボケはなんだったんだよ!」
「……美人……美……女……っ! 女――」
キモい。キモいキモいキモい、ムカつく。勝手に周りが盛り上がって、そのせいで寝てた酔っ払いも起きて。なのに、フィリアはそれにちょっと安心した顔してて。
ムカつく。こんなやつに話聞かなくちゃならない理由なんてないだろ。さっさとここ出て、もっとマシなやつに聞けばいいのに。
なのに……フィリアは期待した目で起き上がる酔っ払いを見てて、酔っ払いも真っ赤になった目でフィリアを……フィリアと、俺をじっと見てて……
「――うえっぷ――」
「――どぁああっ! ジャンセン! ここで吐くな! 外行け! おい! 外――嬢ちゃん離れろ――っ!」
いきなり顔を真っ青にしたと思ったら、手で口を押えて――――
「――クズ! キモい! 死ね!」
すぐ目の前にいた俺達に向けて、ゲロを吐き出した。最悪。最悪のクズだ。死んだほうがいい。
それが見えたから……ちゃんと見えちゃったから、俺は大急ぎでフィリアを抱えてその場から飛び退いた。汚い、キモい、ムカつく!
「あ、ありがとうございます、ユーゴ」
「……っ。お、重い! 自分で立て!」
それで……抱き上げたフィリアから、なんか……お菓子とは違う甘い匂いがして、なんか……それが、なんか……ムカついて。
それと、シンプルに腕がしんどくて。放り投げるように降ろして、自分の足で立たせた。戦ってないときだと力は強くならないのか……普通に重かった……
「……っと、そうです。あの、大丈夫ですか? ジャンセンさん?」
「大丈夫じゃねえ! あーもう、席がぐちゃぐちゃじゃねえか! おいこら! ジャンセン! てめえ! 吐くんなら外行けって言ってんだろうが! おい!」
で……そんな騒ぎがたった今あったばっかりなのに、フィリアはまだそいつに話を聞こうと思ってるらしい。
らしいけど……でも、今回ばかりはそうも言ってられない。そしてそれは、流石のフィリアにもわかったようだ。
「……ユーゴ、逃げましょう。なんとなく嫌な予感がします」
「なんとなくもくそも、このままだと間違いなく掃除手伝わされるだろうな」
直前まで近くにいたし、話しかけてもいたから、知り合いだと思われてても不思議じゃない。
だとしたら、あんなクズのゲロ掃除させられるハメになるかもしれない。そんなの嫌だ、絶対に嫌だ、死んでも嫌だ。
店の中はまだ騒ぎが続いてて、そこにいるのは酔っ払いばっかりだったから、隙を見てふたりで店から飛び出した。
ここへ来たのは初めてだし、追いかけられても見つかることはないだろ。店のやつとはほとんど顔合わせてないし、客は全員酔っ払いだし。
「……ふふ、あはは。なんだか、少し前にも似たことがあった気がしますね。雨の中を、ふたりで」
しばらく走って、逃げて、誰も追って来ないのを確認すると、フィリアはまたアホな顔して、変なこと言って、笑い出した。
子供みたいに、無邪気でなんにも考えてない顔だった。アホ、まぬけ、デブ。
「……あれは別に、何からも逃げてないだろ」
フィリアが言ってるのは、俺が夜中に連れ出して魔獣を退治した日のことだろう。
隠れてこそこそしてたのは同じかもしれないけど、全然違う。あれはいいことしてたんだし、最終的には。
今回はただ、クズがバカやったのに巻き込まれないためだけで……
そんな調子で、繁華街から宿まで戻るあいだ、フィリアはずっと子供みたいに笑ってた。何がそんなに面白いんだ……
「はあ。楽しかったですね、なんだか」
「楽しくない、別に」
それで、部屋に飛び込んで床に座り込むとすぐ、くすくす笑いながらまた変なことを言い始める。
変なのはずっとわかってたけど、今日は特別にアホだな。まあ、いつも違うことで特別にアホなだけかもしれないけど。
「……楽しいのは明日だ。いるんだろ、強い魔獣が」
けど……こうして逃げて、あとはもう寝るだけってなれば、明日に控えた本当に楽しいことが思い浮かぶ。
思い浮かべば、どうしても気分は高まるし、わくわくして顔も緩くなる。そんな俺を見て、フィリアはちょっとだけ困った顔をした。
「それを楽しいと言うのかはわかりませんが……そうですね。少なくとも、昨日と今日の道行とは、まるで違うものになるでしょう」
この町を出てヨロクへ向かうあいだは、今までにはいなかったような魔獣がいっぱいいる……かもしれない。
それを倒せば、きっと大勢が救われる。それに、フィリアも、今日自己紹介をした兵士六人も、俺のことをもうちょっと信用してくれるだろう。
それがわかってるだけで、明日は今日よりも絶対に楽しい。少なくとも、あのクズがゲロ吐くとこ見るよりずっといい。
「では、明日。頼みますよ、ユーゴ」
「わかってる。任せとけ」
さっきは本当に最悪だったけど、今日一日が悪かったわけじゃない。楽しい日ではあったから。
そのうえ、明日がもっと楽しいかもしれないなら……まあ、今回の件で文句を言うのはやめとこう。
フィリアが自分の部屋に戻ったあともわくわくしたままで、その日はちょっとだけ寝るのが遅くなった。
まあ……キモいの見たあとだし、走って脈も速くなってるから、こんなもんだろ。




