第一話【少年ユーゴと女王フィリア】
「――――標的を発見。三……いえ、四頭。行けますか、ユーゴ」
望遠鏡を覗きながら、その人は言った。深い林の奥に、敵が四体いる、と。
人を襲う、気持ち悪い化け物。魔獣……って呼ばれてる、倒すべき敵。
その人はそれを、俺に、倒してくれって言った。人が、大人が、大勢いても殺されてしまうような化け物を。四頭も。
「――任せろ――」
俺はその命令を……お願いを、叶えてあげたいと思った。今の話じゃない。もっと前、初めて会って、話を聞いて、頼まれたときに。
ほかの誰かに言われてもきっと受けただろうけど……でも、その人の頼みは聞いてやってもいいかなって、そう思ったんだ。
長くてきれいな黒い髪。体育の先生よりももっと高い背。
怒ってるのかなって間違えるくらい怖い目つきと、でも……そうじゃないのがわかる、のんびりした声。
その人はいつも苦しそうで、ずっと悩んでて。なのに、俺と話をするときは頑張って笑おうとしてるのがわかって。
だから俺は、この人の期待には応えたいって……この人には報われて欲しいって、そう思った。
だから――俺は、戦う。
狭くて暗くてすごく揺れて、とにかく乗り心地の悪い馬車から飛び降りる。まだすごいスピードで走っている最中の乗り物から、平然と。
俺にはそれが出来る。出来るから、大人でも勝てない敵を――魔獣を、俺だったら倒せる。俺だけが、敵を蹴散らせる。
俺だけが、その人を助けてあげられる。
地面に足が着くと、自分の体重も、馬車から投げ出された勢いも感じないうちに、身体は前へと進み始めた。痛くないし、しびれもしない。
だから、なんにも心配することはない。あの人に貰った剣を握って、ずっと遠くに見えている――望遠鏡じゃないと見えないような場所にいる敵に向かって――
「――はぁああ――っ!」
――馬車よりももっともっと速く走って、そして一瞬で敵を全部斬り捨てた。大人も殺してしまうような怪物を、四頭一緒に。
俺は、そういうことが出来る特別な存在なんだ……って、その人が教えてくれたから。
この世のあらゆるものよりも強い。それが、その人が教えてくれた力だった。
俺は、ついこのあいだまでただの中学生だった。身体も小さくて、力も強くない、弱い子供だった。
でも、今は違う。と言うよりも、ここではそうじゃない。
ここは……この世界は、俺が生まれ育った場所とは違う場所……らしい。説明はされたけど、よくわからなかった。
でも、電気もロクに通ってないこと、自動車も走ってないこと、テレビもスマホもなくて、ゲームも漫画もないことがわかれば、一緒なわけはないと思った。
生まれた世界とは違う場所に……俺は、あの人に呼び出されたらしい。いわゆる、異世界転生だ。
そう、転生。生まれ変わったんだ。
俺は……元の世界の俺は、まだ中学生だったけど、死んでしまった。
もうちょっとやりたいこともあったけど、でも、死んだ。それは覆らない。
死んで、全部動かなくなって、何もかもがなくなって……おしまい。って、そう思ってた。けど、そうならなかった。
あの人に召喚されて、俺はこの世界でもう一度生きる権利を貰ったんだ。
最初はちょっとだけ戸惑った。だって、死んだ自覚はあったんだ。なのに、全然知らない場所に、病院でもないところにいたんだから。
でも、すぐにわかった。暗い部屋の中で、その人を見つけたから。見たこともないような服装のその人が、すごく優しい目を俺に向けていたから。
俺は、この人に、この世界に、何かを求められて呼び出されたんだ……って。
「――お疲れさまです、ユーゴ。周囲にほかの魔獣の気配はありません。帰還しましょう」
ユーゴ。って、その人が呼んでくれたのが俺の名前。元々の名前と同じ……だけど、ちょっと違う。だってこの世界には、この国には、漢字なんて存在しないから。
「わかったよ、フィリア」
フィリア。って、俺が呼んだのがその人の名前。教えて貰った、カタカナでもアルファベットでもない文字で綴られるもの。
この世のあらゆるものより強い戦士。俺はフィリアにそんな願いを託されてここにいる。
だから、俺は戦う。敵を……魔獣を、全部倒す。そして、みんなを守る。生き返らせてくれたお礼に。
魔獣を倒し終わると、また乗り心地の悪い馬車に乗って、俺とフィリアと、そして護衛の大人は戻るべき場所へと戻った。
その戻るべき場所は……フィリアやほかの大人からは、“宮”って呼ばれてる。
そう。ここは、王宮なんだ。王様がいるべき場所、王様を補佐する人が働く場所。そこに、俺達は戻ってきた。
ここにいるべき――魔獣との戦いに同行すべきじゃない、王様と一緒に。
フィリアはこの国の王様らしい。らしい……っていうのは、教えられてないって意味じゃない。王様だって聞いてるけど、王様らしくないって意味。
たぶん、まだそんな歳じゃない。近所の大学生と同じくらいの歳だと思う。まあ、ここに大学なんてないけどさ。
でも、フィリアが王様らしい。周りにはもっと歳が上の大人がいくらでもいるのに、王様はフィリアらしい。
あんまり事情はわかってないけど、どうやらフィリアの父親が前の王様らしくて、フィリアには兄弟がいないみたいだ。
そして、前の王様が急に亡くなったから、王様になれるのがフィリアしかいなかったんだって、そう聞いてる。
大変そうだなって思った。王様が大変じゃないわけないけど、そうじゃなくて。
フィリアは……王様には向いてなさそうだな……って、そう思ったから。
王様なんて言われてもピンとこないけど、とにかく偉い人なわけだから。
大人に命令して、いろいろやらせて、自分はとにかく全体を見てなくちゃならない……んだと思う。
でも、フィリアにはそれが出来なさそうだな……って、そう思うから。
たとえば……さっき、魔獣を倒しに行ったこともそう。王様が一緒に行く意味がわからない。
だって、倒して来いって命令するのが王様の仕事だろう。それを、わざわざ一緒に行って、魔獣があっちにいるとか指示まで出して。
まあ……行くって言うなら止めはしないけどさ。周りの大人もちょっと困ってた。
それと……これは毎日のことなんだけど……
「――ユーゴ。出てきてください、食事にしましょう」
うわ、来た。って、ちょっと頭が痛くなる。
フィリアはどうにも……俺の世話をしようとしてる……らしい。そんなの、それこそ執事とかに任せればいいのに。
なのに、どうしてか毎日毎食、ご飯が出来たぞ……って、俺を呼びに来るんだ。
それが……なんか……王様って言うか、母親にしか見えなくて……
「ユーゴ。出てきてください、冷めてしまいますよ」
ああもう……本当に頭が痛い。
フィリアは王様だ。偉い人だ。だったら、準備が出来たなんて知らせずに、時間になったら食堂に来て、きちんと食事を摂れ……って、命令すればいいのに。
そうされたら俺も従うし、それに文句を言ったりする気もない。
なのに……のんきな声で、毎日毎日……
「ユーゴ、まだ眠っているのですか。入りますよ」
本当に……なんでこんな……
フィリアは……まだ、二十歳くらいのお姉さんだ。それで……その……目つきは悪いし、身体はデカいし、なんか変だけど……でも……
でも……その……きれいな人……だから。
別に、そういうのじゃないけど。でも、なんか、そういう、きれいな、かっこいいお姉さんが、うざい母親みたいなことしてるのは……ちょっと、嫌だ。
嫌だから……やめて欲しいんだけど……
「……起きていたのですね。食事の準備が出来ましたよ、温かいうちに召しあがってください」
どうしてか、フィリアはずっとこの調子なんだ。俺がこの世界に来て間もないころから、王様だって身分を明かしたあとも、ずっと。
「……うるさい。食って欲しかったら運んでこい。俺はお前と一緒になんて食いたくないんだ」
きれいな人だと思った。かっこいいお姉さんだと思った。だから、その期待に応えたいと思った。
もちろん、それだけが理由じゃないけど。でも……王様だし、俺をこの世界に呼んだ力も持ってるし、特別な人なのは間違いないから。
だから……そういうかっこよくないことして欲しくないし、ましてや母親と被るようなことされると……普通よりもっとムカつく。
そんな理由で、自分でも呆れるくらいわけわかんないことで、いつもついついキツく当たってしまう。
なんだけど……王様なのに、それを怒らないから。怒られないから……なんか、やめるタイミングがわかんなくなって……
「……ユーゴ。ここに、置いておきますね。召し上がったら、声をかけてください。空いた食器がそのままでは、貴方もいい気分ではないでしょう」
気づいたら……こんな、引きこもりとその母親みたいな関係になっちゃった。
俺はただ、王様なら王様らしく……最初に会ったときのイメージ通りに、もうちょっとだけかっこよくしてて欲しいだけだったのに……
でも、こっちからそれを言うのも……恥ずかしいし。そもそも、フィリアは王様なんだから、礼儀をちゃんとしろって命令しなくちゃいけない立場なんだから。
だから……だから、フィリアがちゃんとしたら、俺もちゃんとする……つもりだから……
この世のあらゆるものよりも強い。そんな力を貰って、俺はこの世界に転生した。
フィリアとは……なんか……ちょっと噛み合わないけど。でも、その願いは叶えてやるつもりだ。




