2.洞窟の印
襲撃から,僅かな時が過ぎた。
「モンスターの撃退に力を貸してもらい,大変助かった。ありがとう」
「兵士として当然のことをしたまでです。礼を言われる覚えはございません」
町で一番大きな建物の中で,ラチェは記憶の中にある限り生まれて初めて入った長の家に感動していた。横ではさっきモンスターを倒した女兵士が長に礼を言われている。
「今宵はどうぞ我が屋敷でゆっくりとお休みくだされ」
「……では,お言葉に甘えさせていただきます」
§§§
長の家に泊まることになったアイント兵とラチェは町の入り口に向かっていた。
長が半強制的にラチェをアイント兵の案内役に抜擢したのだ。ラチェは嫌だと言ったがまんざらでもなさそうだった。
「助けてもらったのに名前も言ってないな。俺はラーチエンド・ファーリエン。生まれも育ちもここ。お前は?」
「ルキア。ルケイアーク・シアルリーフ。アイント王国出身。えっと……」
「ラチェでいいよ」
「ラチェ,今どこに向かってる?」
「とりあえず,洞窟」
「洞窟?」
「ああ。というか,知らないのか?」
「何を?」
「ここは"ラルク"。"3つの世界が交わる地"だぜ」
人間,ラルサ,エルフ。それぞれが住んでいる3つの世界は,ある洞窟で行き来できるようになっている。その洞窟がある町,ラチェの言う"3つの世界が交わる地"がラルクなのだ。
「それなら聞いたことがある」
「この街にはそれぐらいしかないからな」
「そう」
「退屈するだろうけどゆっくりしてけよな」
ラチェの言葉に返事を返さずに,ルキアはただ歩き続けた。
かなり無口らしい。
「(……気まず)」
§§§
「ここだ」
ラチェが案内した洞窟は全体,が薄青く光っていた。2人は言葉を交わさず,黙々と歩いていく。
と,ラチェが立ち止まった。
「ここが人の足で行ける一番限界だな。これ以上行きたければ王都にあるでっかい機械を持ってきてからじゃないと確実的に無理だ」
「そう」
ルキアが黙って辺りを見渡す。幼い頃から何回も親に黙ってこの洞窟に来ているラチェには内部の構造は頭の中にすべて入っているはずだった。だが,
「あの石の模様なんだ?」
石の方に意識を向けたルキアの目に,石の上に浮かぶ濃い青に光る三角形,それを囲む5つの記号がうつった。
「消えてく……?」
だが中央の三角形と菱形を残し,あとはゆっくりと消えていってしまった。
「なんだよー」
ぼやくラチェを放って,ルキアは1人考え込んでいる。
「菱形……? ラルクの洞窟……?」
ラチェの薄水色の,アクアマリンのような瞳が太陽の加減で光った。
「あっ……」
「どうしたんだ?」
いきなり顔を上げたルキアに,ラチェが首を捻った。
「そこに立って」
「は? 何でだよ」
「良いから」
珍しく―――と言ってもルキアとラチェはまだ会ったばかりなのだが―――ルキアが大きな声を出す。
「ま,いっか」
ルキアはラチェをその石の場所に立たせた。
ちょうど岩の隙間から光がさしこむ位置だった。眩しさに一瞬ラチェが瞳を細める。
「今日は,湖水月の3日。だから……」
なにか呟くと,少し躊躇う素振りを見せたが,ルキアはラチェの薄い水色の瞳を覗き込んだ。
「……やっぱり」
「な,なんだよ」
まじまじと覗き込まれてラチェの声が上擦った。
「見て」
今度はルキアとラチェの位置を入れ替えて,ラチェがルキアの綺麗なエメラルドグリーンの瞳を覗き込んだ。
「えっ……!!」
ルキアの右の瞳には,菱形の印が浮かんでいた。
§§§
ルキアが岩にもたれ,ラチェが岩の上で片膝を抱えていた。
「どういうことだ? ルキア」
「……」
虚空に投げた言葉は,返ってこずに,岩が呑み込んだ。
「昔,聞いたことがあったから」
「誰から……?」
「わからない」
「は?」
「名前は聞いてないから。城に来た,わたしより少し年上くらいの女の子。魔術師だった」
「そんなに早く魔術師になるのか……」
感心するのはそこか? とでも言うような目をルキアはラチェに向けた。
「魔術師,というよりも聖職者,と言う方があっているかもしれない。その子が,"アーム=ラルクに行くなら,これをしなさい"と」
「へえ」
「1番はじめに言葉を交わした男の子と試せといってた」
「そうなのか」
「黒い髪,灰色の瞳をした女の子だった」
「灰色の瞳なら,エルフか……」
「うん。聖職者なら,エルフの筈」
「そうか」
「……」
「それで? 何なんだ? あの印が目に浮かんだら,何だって言うんだよ?」
正論。というか,ルキアが一番に答えるべきだった物はこのことについてだろう。
「その女の子が言うには,世界に異変が起こったとき,救世主になるらしい」
「はあ? なんで俺? 人違いだろ」
ラチェの反応は一般人なら当然のモノだった。
2人の間に沈黙が流れた。お互いでお互いの言葉の意味を考えていた時間は,轟音によってかき消された。
ダガーーーーーン!!!!!
「わっ! 聖なる洞窟にモンスター!」
「洞窟が崩壊したらまずい。はやく倒さないと!」
遺憾なくその暴れっぷりを披露した"それ"は洞窟の壁を半ば砕きながら表れた。
「そぅらっ!!」
「!!!」
2人が一斉にモンスターに切りかかった。
キーーーン
「はやっ!!!」
「っ!!」
高い音がして,2人の剣がこぼれた。
思案しているルキアに,さっきの轟音が嘘のような静さで,モンスターの尾が迫っていた。
「ルキア!」
「!?」
鈍い音がして,ルキアが吹っ飛ばされた。
「ルキア! 大丈夫か!!」
返事はなかった。
「やべぇな」
ラチェの額に一筋,冷や汗が流れた。
「 」
モンスターが,緩慢な動きでラチェの方を向く。
「くそっ……!!」
ラチェが顔の前で折れたロングソードを構えたときだった。
「アイセーゼ!」
「あ?」
呪文の始動語が聞こえ,モンスターが動きを止めた。氷に覆われ,固まって。
「だ,誰だ?」
「それはあと! 今は早くこのモンスターを倒す!!」
鋭い声だった。
「そこの石に……」
声が,止まった。
「なんだよ。はやく!! モンスターが襲ってくるだろう?」
事態の危険さに押され,ラチェが叫んだ。
「キミは自分の苦痛に変えてもその子を助ける気か?」
「わけわかんねーよ! はやく!!」
「……キミの印に手を当てるんだ!! 印は三角形,トライアングル!」
「わかった!!」
ラチェは薄青く光る石に手を当てた。
「あっ……」
すると,消えていた星の印が再び浮かび上がった。
「どうするんだ!」
「キミの手に光が移ったら,モンスターにそれを向けろ!!」
ラチェは自ら光を出している手をモンスターに向けた。
ccceeeee
辺りにかん高い音が響きわたり,フラッシュを焚いたような光りがはじけ,次の瞬間,その空間に立っている者はいなかった。
トライアングルの紺碧は,
溶けるように消え去った