9.聞き込みと視線
ヒシュカトヤナ・トクウェーザの家は,小さく,それでいてなぜか異様な存在感を放っていた。家自体と言うよりも,周りの雰囲気がそう感じさせていた。町の外れにあるというだけでは得ることができない,人気のなさと静けさをその家は纏っていた。
ガチャ
「えっ?」
「いらっしゃい,ラチェ,ルキア,アスティ」
長の家からここに直行したラチェ達3人がドアの前に到達する少し前に,ドアが開いた。3人が例外なく驚いたような顔をする。
「ま,外にいるのもなんだから入って」
「は,はあ……」
不思議そうな顔を続かせて3人が続く。アスティが1度左手を開いて炎を揺らめかせた。
「ふーん。そういうことか」
「何かあった?」小さく言ったつもりだったが,ルキアには聞こえていたようだ。アスティはぶんぶんと首を横に振る。
「こちらに座ってちょうだい」
指し示された長椅子に座り,ルキアはヒュナの観察を始める。茶色い艶のある髪は後ろの低い位置で無造作に括られ,長身の体にズボン姿がよく似合っている。赤みがかった茶色の瞳の光が快活そうに煌めいていた。若そうにも見えるが纏う雰囲気のせいで年齢が想像できない。武器は持っていないだろう。人間とラルサのハーフなら,魔力を持っているのだろうか。魔力で攻撃されれば防御はできないがアスティがどうにかしてくれるだろう。
そこまで考えて,ルキアは緊張を解いた。そして無条件に仲間を信頼している自分に気づき心の中で微苦笑をもらす。
「すごい,なんで? って顔してるわね。私は元スフィア・レンティス。だから前もってわかるのよ」
「やっぱり。聞いたことあるんです,先輩に。それにこの家,かなりの魔力が感じられます」
「うん。流石現役のスフィア・レンティスさんね。あなたのことは,噂で聞いたわ」
「あ,お,恐れ入ります……」
恥ずかしそうに顔を赤らめるアスティの横でラチェが咳払いをした。
「あ,ごめんね。君達は何が知りたい?」
「じゃあ,俺が」
ラチェが真剣な顔で問う。
「何でも良いわよ。私が知っていることなら」
「カミルがどういうところなのか。俺達に行けるところなのか。俺達の仲間になるはずの人はどこにいるのか」
ラチェは疑問の連撃をヒュナに浴びせた。
「アスティから聞いたと思うけど,カミルのことは殆どわかっていないわ。だからこれは私の仮説。心のどこかに留めておくだけで良いわ」
「はい」
「あのカミルと言う世界は私達もラルサも人間もエルフも,誰一人として使えない力が生み出したもの。あの世界ではこちらの3つの世界の常識は全く通用しない。私は,このアリニア ワールドに渦巻く全ての不満がカミルを作り出したと考えているわ」
「不満,ですか……」
「あくまでも仮説よ」
溜め息をつくように吐き出したラチェの声を,ヒュナが硬く諭した。
「私は,魂1つになってカミルに行ったことがあるわ。恐らく私は,始めてカミルの存在を感知した者よ。大聖堂には何も知らせずに「鎮魂の禁書」の術を応用して勝手に使ったのよ」
「そんな……っ。あれは,場合によっては術を唱えた者の命を脅かす禁書じゃ……」
アスティの頭が弾かれたように上がった。
「そうよ。若かった私は少しだけはカミルに居ることができたけれど,すぐに戻された。魔力を感知した他のスフィア・レンティスが引き戻したのよ。そのときから,私は高位の魔術を使うことが出来なくなってしまった。
カミルは,混沌としたところだったわ。霧が深く,暗いところ。あのまま引き戻されていなかったら,うようよいるモンスター達に殺されていたでしょうね……」
「不満,かどうかはわかりませんが,人智を超えた何かが働いているのは確かですね」
ルキアが静かな声で意見を述べる。
「ええ。あとあなた達が行けるかどうか。それは問題ないはずよ。アリニア ワールドのどこかにあると言われる天樹から自動的に転送されるはずだわ。
そして,残りの仲間のことね。ラルサの1人は,私も噂に聞いたことのある少女よ。アスティは,青宝石族よね?」
「はい」
アスティが軽く肯定する。ラチェが疑問の声を上げた。
「サファイア?」
「ラルサの種族名よ。この際だから説明しておくわ。ラルサが生まれつき,多かれ少なかれ魔力を持っているのは知っているわね?」
ラチェとルキアが頷くのを確認してヒュナが続けた。
「その魔力に種類―――と言うより属性ね。それがあってその属性ごとに種族が別れているのよ。アスティの所属するのは青宝石族。水や氷の属性を持つ種族よ」
「ヒュナさん,1つ良いですか?」
ラチェがヒュナの言葉を遮った。
「何?」
「アスティはじゃあ水の属性魔法しか使えないんですか? 今朝も雷っぽいの使ってましたけれど」
「良い質問ね,ラチェ。そこが,アスティがスフィア・レンティスになることができる理由よ。アスティは特別に魔力が強いから,全ての属性魔法を使うことが出来るの。
後のラルサの1人は月長石族の2番目の魔術師。シルヴィエイス・ティルイーズ―――シルミーと言う名の少女だわ」
「シルミー……」
ルキアはその名を呟き,まだ会ったこともない魔術師の少女に思いを馳せた。
「シルミーもアスティと同じように全魔法を使うことが出来るわ。ローネの月長石族の領地で会えるとは思うけどあまりよくわからないわ。ごめんなさい。
後のエルフの2人は私にはよくわからないわね。あまり―――いえ,かなりお役にたてなかったけれど,これで良いかしら」
「いいえ,十分です。助かりました。貴重な情報,ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「ありがとうございます」
ルキアが礼を言い,ラチェとアスティがそれに続いた。
「じゃあ,大変だろうけれど,頑張って。あ!」
「?」
「へ?」
「え?」
突然大声を出したヒュナにルキア達3人は動作を止める。
「アスティ,いらっしゃい」
「え,あ,はい」
突然呼ばれたアスティは首を捻った。
「なんですか?」
「はい,これ」
手渡されたのは小さなダイヤモンド。
「あなたは……春雷石族なんですか? 石を貰ったら,あなたは魔法を使えなくなってしまいます」
「良いのよ」
アスティの手のひらに乗ったダイヤモンドを見てヒュナが言った。
「今のままで良いかもしれないけれど,これがあったら魔力が少しでも増えるかもしれないからね。持って行って良いわよ」
「……ありがとうございます。本当に……ありがとうございました」
同じ言葉しかでなかった。同じラルサであるアスティには石の大事さが痛いほどわかる。少しどころか,大いに助かる。
ヒュナが,アスティの肩に手を置いた。
「さあ,行きなさい。ラルサに与えられた魔力を,世界を救うために存分に振るいなさい」
アスティの姿が,ラチェには小さな子供のように見えた。
「はい」
アスティが,ラチェとルキアの方に歩いて,ドア脇に立った。
「ありがとうございました。失礼致します」
「いってらっしゃい」
「「「……いってきます」」」
§§§
ヒュナの家を出た3人は,薬屋に向かっていた。結局ごたごたして遅くなってしまったなあとアスティは思う。
「……」
「ルキア,どうしたんだ?」
先程からある一定の方向に何度も何度も振り返っているルキアを訝しんでラチェが尋ねた。
「……なんか……見られてる……ような」
「「(それはルキアが美人だからだ!!!!!!!!)」」
目と目を合わせてラチェとアスティがハモってしまったのは仕方がない。
試しにアスティがそちらの方を向くが何も見えなかった。
「何も見えないけど?」
「それなら良い。気のせいかもしれないから……」
「なら,行こうぜ!!」
「うん,時間勿体ないしな。ちょっと急ごう」
シュアルの道に,足音が高く響いた。
でも,確かに,小さな影が見えたんだ