7.初めての夜
夜になった。空が完全な闇に覆われる。硬い白金に輝く点が,幾つも天に浮かんでいた。
この時間になって,まだ今日寝るところがないというような旅人はいないだろう。いるとしたら,只の自殺行為だ。
「シュアルウーラ」の2階の部屋では,アスティが,それはそれは気持ちよさそうに寝ていた。ベッドの側には背負ってきた荷物が小さく置かれている。
「はえー」
上から覗き込んでラチェが感心する。
「俺宵っ張りだからぜってー無理だ」
ひとりごちて上のベッドから落下もしくは降りる。
部屋には2段ベッドが2つあり,1つの下段ベッドにはアスティが睡眠をとっていて,それ以外のベッドには誰もおらず,2段ベッドの間の通路にはラチェが着地姿勢でいた。
「やっべ落ち着かねえ!! 寝られねえ!! どうしよう!!」
アスティが寝ているというのにお構いなしで,かなり興奮した様子で叫ぶ。
「……あれ?」
"これぜってー怒られる!!"と覚悟をしていたラチェは拍子抜けした。アスティは何事もなかったかのように寝息をたてていたから。
「よかったー」
胸を撫で下ろす。アスティは文句を言わせるとなかなかうるさいと言うことをラチェはこの短い間でよく知らされていた。
「?」
不意に,空気を裂くような音が聞こえてラチェは辺りを見回した。
「外か?」
部屋の窓を使って外をのぞく。光のない,静かな村があるだけだった。
「何だろう?」
念のために自分のボロ剣をひっつかみ,階段を静かに駆け降りる。明かりに剣をかざして,
「アイント王国行ったら絶対武器新調しよう」
1人決心するのだった。
宿の裏口から出る。さっき見たのは正出入り口だったから,裏にある厩や庭で何かが起こっているのだろう。
バタンッ
「あ……」
「あ……」
同じ言葉を同時に発したラチェとルキア。ルキアは左手に,あのレイピアを持っていた。月明かりの反射で輝くレイピアが,佇むルキアの緑の瞳を照らしていた。
「なにやってたんだ?」
「訓練というか鍛錬というか」
曖昧な答えが返ってくる。
「うわ真面目!! でもちゃんと寝ろよ? 夜更かしは肌に悪いって母さんが言ってたし」
驚き,そして怒った。
「あ,うん」
勢いに,ルキアが怯む。
「俺も寝られないから一緒に練習しようかな」
「実戦で?」
「ううん。適当に素振りやっとく」
答え,適当な距離を置いて鞘を抜いた。傷だらけの鈍色が,月を映して青白く光る。
「アイントに」
「え?」
「アイントに行ったら,良い武器屋を紹介する」
小さな,けれども確かな声。
「あ,ああ」
ルキアの言葉に狼狽するラチェ。しばらくして,
「ありがとう」
振り向いて,笑った。太陽のように。
「んじゃ始めるよ」
誰に言うともなく言って,刃を閃かせた。
「……」
ルキアは,無言で刃を光らせた。
2人の剣技はまったく違った。輝くレイピアは滑るように流れ,月を滑らかに照らす。時折,その鋭さを闇の中に示した。突きなどの動作もとてもきれいだ。
鈍いロングソードは強く振られている。月光を,裂くように跳ね返している。
2人はそれぞれ異なる虚空の敵に向かって剣を向け続けた。
§§§
2時間程が経って2人の息があがってきた。
「俺もう無理ー!!」
喚くと,ロングソードを放り出し,どっかり座り込んだ。隣でもルキアがレイピアを置き,膝を抱える。
夜空に2人の息が白く溶ける。
「……」
「……」
息を整え,そして無言が続いた。
「ルキアは」
「?」
「ルキアはどうしてアイント兵になったんだ?」
「……」
ルキアはラチェを黙って見た。そのまっすぐな眼差しに,ラチェは聞いたことを少しだけ後悔した。けれども,気になることは,知りたい。ルキアの理由は,月並みなことではないだろう。"人々をモンスターの脅威から守りたい"とか,そういう理由ではないだろう。
「わたしの父は,アイント王国の兵の指南者だった」
「うん」
「わたしは,幼いときに母を病で亡くしていた。兵の戦闘訓練の時間になると,家事が終わっていても終わっていなくてもついていった。見よう見まねで練習した。
8歳の誕生日,父から将来何になるかを聞かれたとき,わたしは武術を教えてもらうことを望んだ。1番,わたしには剣が扱いやすかったから剣技を教えてもらった。王国では当時殺人事件が続いていて,自分が強くなればわたし達は長く生きていけると思った。
だけど,それは叶わなかった」
溜め息をつくように吐き出された言葉を聞き,ラチェは顔を凍りつかせた。
「それは……」
「そう。そういうこと」
静かな表情で語られたのは,残酷な事実。
「ある朝,何かの気配で目を覚ましたわたしは,父が殺されかけているのを目にした。家の中には見たことも無い紋様のついた鎧を着た奴が5人いた。
『我々は,人間じゃない』
そう言っていた。
いつの間にかそいつ等を倒していて,後は記憶がない。もう1度目を覚ましたとき,兵士に父がなくなったことを知らされた。
自分1人で生きていかなくてはならなくなったから,仕事を探した。ちょうどそのとき剣兵を募集していたから応募して,アイント兵になった」
1度言葉を切り,ルキアは言う。
「わたしがアイント兵になったのは,誰のためでもない。只自分が生きていくため。でも,今は違う」
「え……?」
「2度とわたしのような孤児を出さないために,わたしは剣兵を続けている」
静かに,厳かに,確かな意志を持って,彼女は言い切った。
「すごいな。ルキアは」
一息置いて,ラチェが言う。ルキアが彼の顔を見ると,星空を眺める水色の瞳は,きらきらと光っていた。
「よし! 聞きっぱなしは悪いよな! ……俺も「いい」
「へ?」
「話したくないって顔に描いてある」
「うそ……?」
ラチェが目を見開いた。
ルキアがさっき見た瞳。きらきら光る真っ直ぐな光片の奥に―――儚げな,夕染めの空の底のような色があった。遠くなりつつある,けれどもまだ鮮明に思い出せる過去を見ている瞳が。
「……ごめんルキア。俺,まだちゃんと話せないから,またいつか,必ず話すから」
「いい。そんなに謝らなくても。気にしていないし」
しっかりと,言った。
「うん」
そして,2人の間を沈黙が裂く。流れ続ける白金の星は,ラチェとルキアの居るところから遙か彼方に輝いていた。
さぁっと冷たい風が2人を巻き込む。過去を語った彼女と語れなかった彼は,今,自分に課せられている役割の重みを感じていた。
辛かったけれど
過去のことだから
平気だ
辛かった
過去のことだけど
やっぱり無理だ
2人は,深くなり続ける闇の中で座り続けた