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『嘘の記憶 - 記憶登録所にて -』

作者: 飯島和男

「これは嘘です」──私はそう言って、記憶の売買を行う「記憶登録所」で働いている。「本人」と名乗っている。この名前も、かつての本名が削除され、登録時に与えられた借り物に過ぎない。記憶は「個体経験素」と呼ばれる国家資源であり、人は記憶によってのみ「存在」する世界だ。登録所は秘密裏に地下に存在している 。


ある日、私は誤って記録された記憶ファイルを客に渡してしまった。通常は自動検出され消去されるはずだったが、客はそれを「思い出した」のだ。「これ……あのときの光景です。忘れていたけど、確かに……あの美術館の床……傘の影……」。その時、私は「記憶は、誤記されることで真実に近づく」と理解した。以降、私は積極的に記憶の「誤記」、すなわち創作や過去の偽造を行うようになった。それが客にとっては確かな「自己」の再構築となっていった 。


夜、私は古いアーカイブから誰のものかも不明な記憶「7762」を引き出し、自分に移植してみた 。翌朝、鏡には別の男が映っていた 。


街の外れには「自己売買所」がある。ここでは顔、名前、習慣、職業、趣味など、不要になった自己像を記憶と一緒に売却し、他者の自己を購入できる 。私は記憶を売る傍ら、時折そこで他者の自己を借りては返していたが、ある日返却を忘れてしまった 。すると、元の私の自己が登録所から削除されてしまったのだ 。


今、私は登録所に「不在であることの証明」を求めている 。登録されていない者は存在しないが、不在を証明できれば、その「不在」が「存在」になるからだ 。係員は言う。「あなたが誰であるかではなく、あなたが“誰でないか”を証明してください」と 。私は過去の自分を否定することで、現在を生き延びている 。毎日少しずつ記憶を削り、自分でない者になっていく 。


「これは嘘です。ですが、あなたが忘れていた真実かもしれません」──この言葉を、私は毎日繰り返している 。もう自分の名前すら覚えていない。私が「命人」という名前だったことも、どこかの誰かが記録していただけなのかもしれない 。


しかしある日、客が私に言った。「あなたの声、どこかで聞いた気がする。あれは……雨の日、美術館の床に映っていた……」。私は微笑んだ 。それが誰の記憶であろうと、私の創り出した「嘘」は今日も誰かの「存在」になっているのだから 。



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