【本編完結】悪役令嬢と言われましたけど、大人しく断罪されるわけないでしょう?
【完結】悪役令嬢と言われましたけど、大人しく断罪されるわけないでしょう?
「───カティア・ローデント公爵令嬢! 心優しい彼女をいじめ抜き、先日は階段から突き落としたそうだな! 俺はそんな悪役令嬢と結婚するつもりはない! お前との婚約を破棄し、ここにいる男爵令嬢アリアとの婚約を宣言する!」
卒業パーティーと言う大事な場での婚約破棄。彼は生まれた時から決められていた私の婚約者です。私の両親は嫌だったそうですが、王家が決めた婚約なので断ることはできなかったのだとか。何代も前からローデント公爵家と彼の生まれ育ったレモーネ公爵家は敵対していました。私達の婚約は、関係を少しでも改善させるために仕組まれたものです。
ですが花嫁教育としてレモーネ家に通っても当然嫌われ者、婚約者に大切にされた覚えはなく、学園に入学してからはそちらのご令嬢と浮気。
……私を何だと思っているのでしょうか? 今までどんなに嫌がらせをされても悪口を言われても、ずっと黙っていました。でもそれは家に迷惑をかけないため。決してあなたに好き勝手されるためではありませんよ。浮気のことだって一応は隠していたつもりのようですが、この私が気付かないわけがありません。
「おい、なんとか言ったらどうだ!」
「そうですね……そちらのご令嬢は?」
「惚けるつもりか!? お前がいじめていた相手、アリア・ルー男爵令嬢だ!」
ルー、ですか……知ってはいますが関わった覚えのない家名ですね。彼の言葉はすべて心当たりがありませんけれど、そこの勝ち誇った顔をしているあなた、良かったら詳しく説明していただけません?
「ではアリア嬢にお聞きします。私があなたをいじめていた証拠はあるのですか?」
「ひ……ひどいです、カティア様! 証拠なんてなくても、あなたが私をいじめていたのに変わりはないでしょう? 私がレイモンド様と仲が良かったから嫉妬していたのだと分かっています。でも私、謝っていただけたらそれで許しますから……!」
「もしかして私を馬鹿にしています? 証拠がないのに謝罪することはできません。それから、私を名前で呼ぶ許可を出した覚えはなくてよ」
彼女に質問しましたが、もしかしなくても馬鹿にしているのでしょうね。卒業パーティーという大事な場での婚約破棄、身分が上の者に対する無礼、許可なく名前呼び。いじめや階段から突き落としたというのは冤罪ですし、この場にいらっしゃる皆様は迷惑そうにしておられますけど、お二人はお気付きではないのかしら。
何より、私は彼のことを好きではありません。むしろ嫌いです。嫌いな相手と別の女性が親しくしているのを見ても嫉妬なんてするはずがないでしょう。
それにこの場には国王陛下や王妃殿下、隣国の王族だっていらっしゃいます。この婚約破棄、皆様の様子を見るに王族の皆様に許可を取っての行動ではなさそうですね。国王陛下は何もおっしゃいませんけれど、普通に牢獄に入れられますよ? それともそれがお望み? 変わった方々ですこと。
「話を逸らすな! 心優しい彼女が謝れば許してくれると言っているんだ、素直に謝罪すれば良いものを!」
「ですから、証拠がないのに謝ることはできないと言っているでしょう? 私にも名誉というものがあります。私はそちらの方をいじめた覚えはありませんし、話すどころかこうしてまともにお会いしたのも初めてです。会ったこともない相手をどうやっていじめるというのですか?」
「どうせ取り巻きでも使ったのだろう。いつも一緒にいるそいつらだ。陰湿なくせして、口だけは良く回るようだな!」
私の友人達の方を指差して言うレイモンド様。陰湿なことと口が回ることは関係ないと思いますよ。ですが……そうですね。
「……私の友人を取り巻きだなんて、そんな失礼なことを言わないでいただける? 私はあなたのように友人を取り巻きだなんて思いませんし、仮にそう思っていたとしても男爵令嬢のために時間を使うほど暇ではありません」
「なっ! この俺に対して失礼だぞ!」
「何が失礼なのですか? 失礼と言うのなら、証拠もなしに公衆の面前で婚約破棄を宣言するあなたの方だと思いますよ。この際ですから言いますが、あなたは、あなた達レモーネ家は私のこと何だと思っていらっしゃるので? 私とレイモンド様は政略結婚です。双方の利を考えての婚約ですのに、一方的に嫌がらせを受けて私がいつまでも黙っていると本気で思っていたのですか? もしそうだとしたら……」
レモーネ家は終わりですね、と笑顔で続ける。レモーネ公爵夫妻もレイモンド様も、私がそんなに大人しい性格をしているとでも思っていたのですか? 自分がされていることを誰にも話せないような、気弱な人間だと勘違いしておられたのでしょうか。
当然、そんなことはありません。私は早い段階でお父様に相談し、いざとなったら抗議していただけるように準備をしていました。私が言わなくても気付かれていたでしょうけど。
自分で言うのも何ですが、私は家族に愛されているんですよ。そんな家族が敵対する家に嫁ごうとしている私の状況を調べないはずがないのです。
「言わせておけば……っ!」
顔を歪め、私に向かって伸ばそうとした手を強く掴まれたレイモンド様。急に目の前に現れた人物の正体は私の護衛騎士だったようで、必死に抗っているレイモンド様の手首を余裕の表情で握り締めています。こちらを振り返る彼に大丈夫だと告げて下がるように言いましたが、このまま私の後ろに控えているつもりのようですね。
「女性に手を上げようとするだなんて、それでも紳士ですか? ……そろそろ本題に戻りましょう。婚約破棄の件は承知致しました。ですが彼女をいじめていたことに関しては認めませんよ。───国王陛下、発言してもよろしいでしょうか」
「許す」
私を冤罪で断罪しようとしたのですから、相応の覚悟はしていますよね? 特に男爵令嬢。レイモンド様は気付かなかったのかもしれませんが、そこのご令嬢は相当計算高いと思いましてよ。なにせありもしないことで訴えて、私の地位と名誉を地に突き落とそうとしたのですからね。
「ご覧の通りですので、レモーネ公爵令息とルー男爵令嬢の浮気を証言致します。証拠はこちらにありますので、よろしければご確認ください」
いつか役に立つだろうと思って用意していた、浮気の証拠をまとめた書類を侍女から受け取り、こちらに来てくださった国王陛下の近衛騎士に手渡しました。それを見た国王陛下は書類にまとめられた証拠を読み進めるにつれ、険しい表情になっていきます。読み終わった書類を王妃殿下にも渡し、内容を確認した王妃殿下は絶望にも似た表情を浮かべておられました。
私達の婚約が両家の関係改善のためだけではないと知っているのは極一部の方々。当然ですが私達の婚約を決めた両陛下はご存知ですので、この反応は普通でしょう。
「いかがでしょうか?」
「……レモーネ公爵令息、ローデント公爵令嬢の婚約破棄を認める。カティア嬢がそこの男爵令嬢をいじめていたという事実はない。私が保証しよう。そしてレモーネ公爵令息が婚約者に対して失礼では済まされない態度を取っていたことについても、彼女の話していた通りだと断言しよう」
「な、なぜです……!?」
「令息に発言を許可した覚えはないが……今回は特別に答えてやろう。王家直属の諜報員より報告が入っていた。だがそれが誤っている可能性もあったため何も言わなかったが、こうして証拠まで提出されてはどうにもならないだろう」
王家直属の諜報員と言うのは、国中のあらゆる場所から常に国を見張っていて、誰がどんな目に合おうと国王陛下の言葉以外で動くことはありません。例えば、殺人事件が起きて何もしていないのに犯人にされたとします。真犯人を知っていたとしても、国王陛下が真偽を確かめない限り本当のことを言うことはありません。
つまり、国王陛下が動かなければ冤罪も有罪になってしまうということですね。今回は確認済みだったようですが、『誤っている可能性もあったため何も言わなかった』という言葉に関しては嘘でしょうね。私達の婚約がなくなると困るのは国王陛下ですから。
「それは……」
「自分の婚約が本当に両家の関係改善のためだけだと思っていたのか? 他の理由は考えはしなかったのか? もっと周りを見ていれば察することもできただろうに」
「国王陛下、もう良いでしょう。わたくし達をこの国に留めておきたかったのなら、もっと別の行動を起こすべきでした。旦那様と息子達、そしてカティアを連れて母国に帰ろうと思います」
そう言ってお母様方もこちらに集まって来られました。この婚約、実は東の隣国である大帝国と深い繋がりを持つために仕組まれたものでもあるのです。一番の理由はこちらですが、表向きは両家の関係改善ですね。関係改善もちゃんとした目的の一つではありますので。
私達が婚約した一番の理由も、気付いておられる方は少なくなかったでしょう。なにせお母様は大帝国の元皇女、顔が知れた存在ですから。
お母様が大帝国皇帝陛下の実妹であるため、大帝国ではお父様が大公の地位を持っておられます。大公というのは皇太子と同じようなものですね。ですから私も、一応は皇位継承権を持った皇女ということになります。
「……それは大帝国側の総意か?」
「元より、大帝国の皇帝陛下はわたくし達がこちらで暮らすことを好ましく思っておられませんでした。大帝国ではこちらの国以上に大きな地位と権力を持っていますからね。それに……」
「カティアの婚約者のことを知ってからはさらに否定的でしたね」
大帝国の皇帝陛下───つまり私の伯父様は妹であるお母様のことを溺愛しておられますし、愛する妹の子供が婚約者やその家族に嫌な態度を取られているとなると、否定的なのも仕方ないのかもしれません。
「そうか……この国に留まると言う選択肢はないのか? 留まってくれるのなら可能な範囲で何でもしよう」
「息子達が留まりたいと言うのなら考えますけど……」
「俺達は別にこの国に未練などないからどちらでも良い」
「私も同じく」
「……ということですので、準備ができ次第この国を出ますわ。これ以上お話しすることもないでしょうし、わたくし達はこれで失礼致します」
お父様もお母様もお兄様方も、もちろん私もこの国に未練などないのは分かりきっていたことでしょうに。家督を継ぐか大帝国に婿入りするか、父方のお祖父様方も好きにすれば良いとおっしゃっていたそうですし、今から大帝国に帰ることになっても文句は言われないでしょう。爵位は親族に継がせるなり何なりされるでしょうね。
何の未練もなく、注目を浴びながらも会場から出て行こうとしたところで、一人の男性に呼び止められました。彼はこの王国の西にある隣国、メイスフィールド帝国のアルバート皇太子殿下。文武両道、容姿端麗と国民に慕われている方です。
「ローデント公爵。例の件ですが、条件を満たしましたのでよろしいでしょうか?」
「……ああ」
何のことかと首を傾げていると、殿下がこちらに向かって歩いて来られました。例の件、とは私に関わることなのでしょうか……?
「カティア嬢……いえ、カティア皇女。お久しぶりですね」
「え、ええ……お元気そうで何よりです、アルバート皇太子殿下」
「失礼ですが、婚約破棄されたのですよね」
「はい」
一部始終見ておられたでしょう。そんな分かりきっていることを確認してどうするのかと思いつつ、次の言葉を待っていると小さく頷いた殿下が私の前で跪きました。どういうことだと困惑する皆様を気にも留めず、こちらを見上げてきます。
「ご存知の通り、私はずっとあなたをお慕いしておりました。これで十三回目の求婚です。今までは婚約者がいるからと断られていましたが……公爵に、とある条件を満たすことができたなら、もう一度あなたに求婚するチャンスをくださると聞きまして」
「条件、ですか?」
それが先程のお父様との短い会話に関係しているのでしょうか? ということは、例の件と言うのは私への求婚のこと……いえ、まだそうと決まったわけではありませんね。まだ詳しいことをお聞きしていませんし……
「はい。その条件というのが、ご婚約者があなたに対して不誠実な態度を取っていたことが露呈することです。その条件はご令息自ら首を絞めてくださいましたので満たされたことになります。あとはあなたさえ受け入れてくだされば婚約させていただけると。もちろん、私はカティア皇女と政略結婚がしたいわけではありません。あなたと結婚することができるのなら恋愛結婚が良いと思っています」
「で、殿下。いつの間にお父様とそのようなお話をされていたのですか? 私は何もお聞きしていませんが……」
そんな話になっていたのなら一言でも私にお話ししてくだされば良かったのに。当事者は私ですよね?
「お気を悪くされたのでしたら申し訳ありません。この条件が満たされる可能性は低いと思っていたものですから、あなたに余計な気を遣わせたくないと判断した結果です」
お父様……いざとなったら抗議できるように準備していたこと、皇太子殿下にお話ししていなかったのですか? ちょっと悪意を感じますね……?
いつもレイモンド様ではなく、アルバート皇太子殿下なら安心して私を任せられるとおっしゃっていましたのに。私のことを溺愛してくださっているのは分かっていますけど……
「そうだったのですね」
「ええ。……カティア皇女殿下、改めて言わせてください。ずっとお慕いしておりました。私はこれからもあなたと一緒に生きていきたい」
「…………」
これまでの話の内容から想像はついていました。私が何と言われるのか。いくら何でもここまで言われて勘付かない人はいないと思います。
私、先ほど皇太子殿下がおっしゃっていたように今回を合わせて十三回、求婚をされているのですよ。数年前に王国に留学に来られて、その時に私を好きになってくださったのだと聞きました。今までは婚約者がいたためお断りしていたのですが、せめて文通だけでもと言われていたのでずっと関わりはあったのです。
本当に素敵な方なのですよ。文武両道なのはもちろん、容姿端麗でもありますし何よりお優しいです。婚約者があんな感じでしたから余計に優しく感じましたね。
これだけ完璧な方にずっと想われていたら好きにならずにはいられないですよ……
「何度も何度もあなたに婚約を申し込みました。以前よりは親しくなれたと思っていますが、今回受け入れていただけなかったらもう求婚しません。ご迷惑なのは分かっていますから。ですからお願いです、すぐに返事をしてくださらなくても大丈夫ですから……前向きに検討してはいただけないでしょうか?」
◇
「……娘に恋愛感情を抱く気持ちは分かる。カティアは可愛い上に勉強も礼儀作法も非の打ちどころがないからな。貴族女性の憧れの的だ。だとしても……十二回、私からもカティアからも断りを入れられているというのに、あなたのメンタルは一体どうなっているのか」
「ただ彼女を想っているだけですよ。彼女は空虚だった私の心を埋めてくれました」
カティアが身に覚えのないことで断罪されることとなる卒業パーティーの前日。夜遅くに王国より遥かに大きい隣国の皇太子、アルバートはローデント公爵邸を訪れていた。その理由はただ一つ、カティアが婚約者に断罪されることになるという情報を得たから。
ここ数年、留学期間を終えて自国に帰っても度々こうしてこっそり公爵邸に訪れるようになったアルバート。そのことをカティアは知らない。カティアに会っているわけではないのなら何をしに来ているのか。それはアルバートの国とは反対側に位置するさらに大きな国、大帝国との取引のためだ。
最初は婚約の申し込みをしに来ていたが文通をするようになってからはやめた。それでもこっそりカティアの様子を窺いに来る。どうせ来るのならお互いにとって利益の出ることをしようと決め、公爵は大帝国皇帝に代わって友好関係を築いていたのだ。そうしている内に親しくなってしまい、その結果本当に何の用もなくただ公爵と話してカティアの様子を見て帰る、という行動を繰り返すようになっていた。
皇太子は暇なのかと思われるかもしれないが、しっかり仕事は終わらせて来ているので父である皇帝も口を出してこない。国益とは別に、カティアに嫁いできてほしいと思っているのもあるのだろう。アルバートを変えたのはカティアであるために。
カティアは自分がアルバートを変えたということを知らないだろうが、以前のアルバートの二つ名は『氷の皇太子』だ。完璧すぎるがゆえに何に対しても興味を持たなかったアルバートは無口無表情、家族にも臣下にもそれは変わらず、それでは皇太子として問題があると皇帝は頭を抱えていた。そんな皇太子を温厚な性格へと変えたカティアは皇帝にとっての救世主でもある。
ちなみにアルバートが変わろうと思ったのは、少しでもカティアに好かれるため。それだけのことだった。
「それより公爵。公爵が出した条件は達成しましたのでもう一度婚約を申し込んでも構いませんよね?」
「ああ。だがカティアが受け入れるかどうかは別だ。あの子が断るなら無理強いはするな」
「それは言われるまでもなく。嫌がる彼女と結婚したいとは思いませんので。好きな女性と結婚できるのにそれが政略となっては虚しいだけです」
この会話も、カティアが婚約破棄されることを知っているのも二人だけの秘密だ。明日の断罪の場では知らなかったふりをする。そう約束し、アルバートは滞在している王城へと帰って行った。
◇
しん、と。物音一つない静かな教室にくすりと笑う声が響いた。多くの貴族が通うこの学園も授業終わりの放課後となればほとんどの者が帰宅しているため、全くと言って良いほどに人の気配がなかった。夕日が差し込む少し暗い教室の窓辺の席に座っているのは隣国から留学に来ている皇太子のアルバート。
アルバートはとある目的のため、授業終わりの自主学習と称して毎日こうして遅くまで教室に残っていた。
「彼女が来られたのですか?」
「ああ。……今日も大荷物だな」
「そのようですね。今日は一体何分であの量の書物を読み終えるのでしょうか」
この席からは一本の大きな木が見える。彼女───カティア・ローデント公爵令嬢はかなりの頻度で学園の書物を持ち出し、その木の下で暗くなる直前まで読み耽っていた。この学園は申請すれば書物を外に持ち出して良いことになっている。ただし、時間が限られているので持ち出す者はあまりいない。だが彼女の場合は例外で、分厚い書物を一冊あたり数分という少なくとも常人には不可能な速さで読み終える。
流し読みしているわけではなく、目の動きが尋常ではないのだ。恐らく動体視力がかなり優れているのだろう。
その大量の書物を運ぶ使用人も大変そうに思えるが、彼女の伴う護衛はいわゆる脳筋と言うやつで、当然公爵令嬢の護衛を勤めるだけの戦闘能力や知性、冷静さもあるが基本的に鍛えることで頭がいっぱいなタイプだ。そのため、大変どころかむしろ喜んでほぼ毎日中々の距離を重い書物を抱えて行き来している。
……と、そんなことはどうでも良い。結局アルバートは忙しい中毎日居残りしてまで何をしているのかと言うと、楽しそうに書物を読んでいるカティアを見守っているのだ。
カティアには婚約者がいるので、異性であるアルバートがそう易々と近付くことはできない。それでも好きであることに変わりはないため、毎日訪れるわけではないと分かっていてもこうして待っているのだ。
「殿下も良く飽きませんね。敵わないことが分かっているというのに、こうして大事な時間を使ってまで彼女を見たいと思えるのがすごいです。無論、殿下が良い意味で変わってくださいましたし、私としては彼女に感謝しかないのでいくらでもお供致しますが」
「私が本気で手に入れたいと思ったのは彼女だけだ。すでに何度フラれているか分からないが、表向きは距離を保ちつつ親しくなろうと思う」
そう。堂々と近付くことはできなくても、こっそりならば構わないのだ。アルバートのカティアへの想いに関してはすでに多くの人間に知られているため、いくらでも手の施しようはある。
感情らしい感情がなかったアルバートに、少しでも意識されるために変わろうと思わせてくれたのはカティアだ。明るく優しく温かい彼女にアルバートは惹かれた。
───初恋は叶わないと良く言うが、アルバートはそれで終わらせるつもりなど毛頭ない。どんな手段を使ってでも、どんなに時間がかかったとしても彼女を手に入れて見せる、と。アルバートは、カティアに恋した瞬間から決めている。
◇
前向きに検討してほしい。そんな風に語りかけてくる殿下の表情は、温かい微笑みの中に少しだけ切なさが混じっているように見えました。
少し不安でした。殿下はずっと私に愛を囁いてくださっていましたが、私には婚約者がいたのでお断りすることしかできなかったのです。それでも関わりを持って殿下のことを知っていく内に『氷の皇太子』という二つ名が付いていた過去も、本当は温かい方だったのではないかと思うようになりました。真実は分かりませんけれど、私はそれだけ温かい心を持つ方だと思ったのです。
それでも、いつまでも振り向いてくれない相手を愛し続けることは難しいと思います。ですから私が彼のことを好きになった今でも気持ちを伝えられていない以上、いつ心が離れていってもおかしくはないと考えていました。
「アルバート皇太子殿下、一つお聞きしたいことがあります」
「なんでしょうか?」
「殿下は諦めようとは思われなかったのですか? こうして婚約破棄されなければ私の気持ちがどうであろうとあなたを受け入れることはできませんでした」
「私はあなたに恋した時からたったの一度も諦めようなどと思ったことはありませんよ。本当に手に入れたいものは口に出さないと伝わりませんし、行動しなければどうにもなりません。諦める前にできることはたくさんありますから」
そうですか……別に、この質問に何か意味があるわけではありません。ただ疑問に思っていたことを尋ねただけですので。
「ですがカティア殿下に降り向いていただくと決めて、私もそれなりに覚悟はしていました。どんなに諦めるつもりがなくとも私を見ていただける保証はありませんので。……このような回答でよろしかったでしょうか?」
「はい、ありがとうございます」
殿下は私を婚約すると言う意味を正しく理解されているはず。こちらの方が国力はありますから結婚することになれば殿下が婿入りする可能性も捨てきれません。その場合は皇太子の座を降りなければならなくなります。
「お父様、皇帝陛下はこの件に関して何とおっしゃっていました?」
「カティアの好きなようにすれば良い、と。大帝国も世継ぎには困っていないからな。婚約するならカティアが嫁ぐことになるのではないか?」
「分かりました。───皇太子殿下、国家間の問題については父の言葉通りです。詳しいことは今後決めることになるでしょう」
「っ! ということは……」
「私も、殿下をお慕いしております。私で良いのであればお受けしたいと思います」
どちらの国の皇帝陛下も私達のことを認めてくださると思います。それでもお互いに皇族である以上、政治が絡んでくることもあるでしょうね。大国同士で縁を結ぶというのは良いことですが、同時に大変なことでもあります。友好関係を結んでいますから大丈夫だとは思いますけれど。
それでも良いのならと最終確認も兼ねて告げると、殿下の表情が明るくなりました。
「ありがとうございます……!」
◇
あの後、会場内で私達の会話を聞いていた方々に祝福のお言葉をいただき、お互いの国への報告もあるからとパーティー中ではありましたが私達だけ途中で抜けることになりました。そして今───
「それで、レモーネ公爵家は今回の件についてどう落とし前を付けるつもりだ? まさかカティアの方にも非はあった、なんて馬鹿げたことは言わないだろうな?」
「そ、それは……」
「お父様、私からも言いたいことがあるので少し発言させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、好きにしろ」
「ありがとうございます」
ローデント公爵家の客室、お兄様方を含めた家族全員が怒りを抑えているのが分かります。そんな私達のテーブルを挟んだ正面に座って青褪めているのはレモーネ公爵家の皆様。公爵家も、冤罪で婚約を破棄したのだから黙り込むわけにはいかないでしょうね。しかもその相手は大帝国の皇女だったわけですし。
「公爵夫人、いつもの嫌味はどこに行ったのでしょうか? 家族には報告済みですし、この場でも遠慮なく言ってくださって構わないのですよ。それとも自分より上の立場だと分かった瞬間態度を変えるのですか? おかしいですね。『レイモンドには媚びを売っているくせに私には失礼な態度しか取れないのかしら! 私は相手によって態度を変える人間が嫌いよ!』とおっしゃっていましたのに」
身分制度が存在する以上、相手によって態度を変えるのは当然のことでしょうに。それは下の者に対しても対等に接することができる人が言う言葉であって、愛する息子の婚約者だからというだけの理由で嫌がらせをする方が言って良い言葉はないと思うのですよ。公爵夫人はそのことについてどうお考えなのでしょうね。
「私からするとおっしゃっていることと行動が矛盾しているように思えますが、公爵夫人はそのことについてどうお考えで?」
「何だかんだ言ってカティアが一番鬼畜じゃないか……」
「…………」
「誤解しないでいただきたいのですが、別に責めているわけではありませんからね。ただ私の意見を述べただけです。答えたくないのならそれで構いませんよ」
答えられないというのが正しいのでしょうけど。
俯いたまま何も話そうとしない公爵夫人を見ればそれくらい誰でも分かります。まあ正直、公爵夫人はどうでも良いのですよ。面倒だったとはいえあの程度の嫌がらせで気に病むほど弱くないですから。あれくらいで堪えていては皇女なんてやってられません。
「問題は……」
「ご子息の方だな」
お父様の言葉に、呼ばれた張本人であるレイモンド様はあからさまに緊張した表情になりました。ここからはお父様にお任せしましょうか。レイモンド様は冤罪であったことを認めるのか、それとも言い訳を続けるのか……楽しみですね。いくら何でも冤罪であったことをまだ知らない、なんてことはないでしょうから。
「カティアへの無礼、レモーネ公爵令息はどう償う? 謝罪すらされていないが」
「レイモンドには、」
「公爵には聞いていない。令息に問うが、まさか謝罪で済ませるつもりはないだろう?」
「ど、どうすれば良いのでしょうか……?」
「……失礼だが、彼に公爵家を継がせるのはやめた方が良いのではないか? これくらいのことが、自分で仕出かしたことへの償い方さえ考えられないような人間が、国にとって大きな役目を担う公爵家を継いでも家を潰すだけだと思うが」
あら、お父様名案ですね。こんな人達に助言して差し上げるお父様は普通に考えたら優しいと思いますけれど、本当にそうなったらレイモンド様は堪ったものではないでしょう。彼はご自分の次期公爵家当主という肩書にかなり執着しているようでした。
お母様やお兄様達もそれが良いと頷いていることですし、私も便乗しても良いですかね? レイモンド様にとっては十分に罰となるに違いありません。本音を言うのであれば、こんな爵位だけの役に立たない家なんて潰れてしまえば良いと思いますよ? それでも歴史のある家ですし、レモーネ公爵家が没落することで困る人もいるはずです。彼らに罪はありませんからやっぱりこのくらいがちょうど良いのでは?
「っ、それは……!」
「お父様、レモーネ公爵家の皆様の処分は私が決めて良いのですよね?」
「ああ、構わないが何か良い案でもあるのか?」
「お父様がおっしゃっていたように、レモーネ公爵家の跡取りの座を彼から剥奪してはどうかと思いまして。レイモンド様には優秀な弟君がいらっしゃいますし。弟君だけは私に良くしてくださったので巻き込んでしまって申し訳ないのですが……」
弟といってもレイモンド様の双子の弟君です。レイモンド様と違って優秀でいらっしゃいますから、アルバート皇太子殿下の国に留学へ行っておられてこの場にはいませんが。
「そうだな。私もそれが良いと思う。レモーネ公爵、カティアもこう言っていることだし、そちらは跡取りの座を移し公爵らは爵位を譲って隠居する。我が家が譲歩できるのはここまでだ。不敬罪で処刑することも可能だということを頭に入れた上で、良く考えてみると良い」
「だ、旦那様……」
「……分かっている」
あら……もっと渋るかと思いましたがそうでもなさそうですね? お父様が脅したからでしょうか。でもお二人はそれで良いとして……この騒動の原因であるレイモンド様が黙っている、なんてことはないでしょう?
「待ってください父上! 公爵家を継ぐのは俺です! 元はと言えばカティアが俺好みの女であれば浮気なんてしなかった……! 悪いのはカティアの方です!」
やはり私が予想した通りの反応ですね。当然です、私はレイモンド様が一番嫌がることだというのを理解していて提案しましたもの。
それでも責任転嫁が過ぎますね。私は彼のご機嫌取りでもすれば良かったのですか? そんなの絶対にお断りですよ。誰が婚約者とはいえ嫌いな相手の機嫌を取るものですか。
こんな感じだから嫌いなのです。もはや彼に対しては包み隠す必要がなさそうですね。
「父上、マズいですよ。カティアが怒っています」
「……私は知らない。あまりにも酷いようならアニエスが止めてくれるだろう」
「ちょっと旦那様! わたくしは関係ありません!」
……お父様方、コソコソ話さなくても全部聞こえていますからね?
「───レモーネ公爵令息。うるさいですよ、少しお黙りなさい」
「だ、誰にそんな口を利いている!」
「そうですね……平民に落とされた無能の元公爵家嫡男でしょうか」
「平民!? そ、そんなはずは……!」
「『平民に落とされた元公爵令息』になるかどうかは今後の公爵夫妻とあなたの言動によりますが、今のその態度だと不敬罪で平民落ちどころではないかもしれませんね」
この方こそ、私のことを誰だと思っているのでしょうか? 自分で言うことでもありませんが隣国の皇女ですよ。そして皇太子の婚約者。すでに三ヶ国の間では知れ渡っていることですのにお忘れなのでしょうか。本当に無知無能ですね。そんなだから身分の釣り合わない令嬢と浮気をしてこのような騒動に発展させてしまうのですよ?
恋物語だと身分に大きな差がある男女でもそれを乗り越えて大恋愛の末に結婚───なんて展開になるのかもしれませんが、所詮は物語です。現実でそれを実現させるなら国中の誰よりも優れた何かの実力を持っていたりとか、本当に特別な理由でもない限りあり得ません。この貴族社会で覆すことのできない身分差を埋めるほどの何かを、あなた方は持っていなかった。
だからこの場ではより身分の高い私達を怒らせることは得策ではないと思いますよ。
「今回の件、非常に不愉快ですが私は当事者です。当事者の中で一番身分が高いのが私です。これがどういうことか分かりますか?」
「……俺はお前に従うしかないと?」
「その通りです。それに私は被害者なので、今回の件をどう収めようと私に文句を付けられる人は誰一人としていないのですよ」
より現実を受け止められるようにあえて淡々と告げてみると、ようやく本当の意味でこの状況を理解してくださったのか彼の表情が絶望に染まりました。
私が言った『誰一人として』の中には王国、帝国、大帝国の皇帝陛下も入っていることをちゃんとお分かりのようですね。国王陛下は以ての外ですけれど、両国の皇帝陛下は私に文句を付ける理由もないでしょうし、むしろ重い罪であればあるほど喜ばれそうです。お怒りだと聞きましたからね。
「私もできることなら血生臭い方向に罰を変えたくはありません。先ほどまでのことは見逃します。あなたが冷静でいられるかどうかで今後の人生は変わってしまいますのでそのことをお忘れなく。それでは話を戻しましょうね、レイモンド様?」
◇
「ご存知かと思いますが、私はアルバート皇太子殿下の婚約者になったのですよ。色々とやらなければならないことが山積みなので早めにこの話し合いを終わらせたいです。……せっかくですし、レイモンド様に決めていただきましょう。レイモンド様、公爵家の跡取りの座を降りるのとそれ以上に重い罪にされること、どちらがよろしいですか? 私はどちらでも構いませんよ」
「……それ以上に重い罪、とは?」
「まだ考えていません。いくらでもありますから。労働刑、身分剥奪、処刑……言い出したらキリがありません」
普通に考えて跡取りの座を降りるのが一番だと思うのですが……だって跡取りの座を降りさえすれば他はなかったことにすると言っているのですし。公爵家の嫡男なのですから血筋や家柄、金銭などを求めて不祥事があったとしても婿入りさせたいと考える家も少なくはないでしょう。肩身の狭い思いはするかもしれませんけれど、そこは私の知ったことではありません。
「少し考える時間をもらえないか?」
「構いませんよ。それでしたら少しお話しでもしましょうか。皆様は少しの間、席を外していただけますか? 護衛はそのままで」
「分かった」
ありがとうございます、と静かに出て行ってくださるお父様方に頭を下げ、皆様が出て行かれたことを確認して再びレイモンド様に向き合います。
「私が一人で勝手に話しますので無視してくださって構いません。その間に考えてくださいな」
「ああ」
随分と大人しくなりましたね。理由に心当たりがないわけではありませんが……
「私はあなたに無能と言いました。ですがそれはここ数年の話です。レイモンド様は記憶にないかもしれませんが、学園に入るまでは今ほどあなたの態度も悪くなかったのですよ。嫌われているのは良く分かりましたがそれでも公爵家の令息としては文句の付けどころがなかったのです。……上から目線で話していますがそこはお許しくださいね」
「…………」
「振る舞いも教養も、王族に劣らないくらいに完璧でした。私以外の女性には紳士的でしたしね。態度だって悪くても不誠実とまではいきませんでした」
ですが学園に入学して、あの男爵令嬢と関わるようになってから明らかに私に対する態度が悪化したのですよ。それを見た周囲の方々は関わるべきではないと彼を避けるため、お二人の関係を知っている方もほとんどが注意しない。そうして気が付いたら今のようになってしまっていました。
そもそも入学する以前に、彼が私を嫌い始めた頃。ちょうどその頃から私はレモーネ家に花嫁教育で通っていました。人が人を嫌うには必ず理由があると思います。
何となく苦手、というだけな相手もその『何となく』の理由があると思うんですよ。容姿、性格、話し方……色々ありますよね。私はあまりにも態度が悪いのでレイモンド様が嫌いになりました。結局何が言いたいのかというと、彼にも私を嫌いになった理由があると思うのです。
「俺はお前が嫌いだから嫌いなんだ。理由はない」
「そうですか」
きっかけ、私は心当たりがありますけれど。あくまでも男爵令嬢は追い打ちになっただけ。私の勝手な想像に過ぎませんが───元凶はレモーネ公爵夫人。レイモンド様のお母君でしょうね。
「そろそろ決まりましたか?」
「……他の選択肢はないのか?」
「ありませんね。レイモンド様はどうしてそこまで跡取りの座に執着するのですか? 権力は便利な時もありますけど、生まれた時から決められた人生ほどつまらないものもないと思うのですが」
ただ権力がほしいだけかもしれないですね。それでも不思議ではありません。でも明確な理由を聞いたことはなかったはずです。
「俺は……お前が婚約者であったことと同じように、公爵家を継ぐことも勝手に決められていた。そのための教育だって受けてきた。苦労して学んできたというのに今更それを無駄にしたくない」
「……甘えないで。その努力を無駄にするような行動を取ってきたのは一体誰なのかしら? それなら私だって同じよ。レモーネ家が私にまともな態度を取ってくださったことは一度もありません。それでも私は花嫁教育を受けてきたわ。それが無駄になったのは他の誰でもなく、あなたのせいでしょう。自分の努力だけでなく私の努力まで踏みにじったあなたが言って良い言葉ではないわよ」
持っていて無駄になる知識はありません。それも含めての私です。それでも、彼の婚約者でなければ他にできたことはたくさんあったはずです。このように婚約破棄になるのであれば私の時間を奪わないでほしかった。返してほしいですよ、私の約十年という長い時間を。
私から質問したことですが、人の時間を無駄にした張本人であるレイモンド様が言って良い言葉ではないのでは?
「……そうだな」
レイモンド様が認めた……? いえ、今はそんなことはどうでも良いですね。
「それで、どうするのですか?」
「跡取りの座を降りる。これが誰にとっても最善の選択だろうからな」
「分かりました。では、私はこれで失礼致します」
ようやくすべてが終わったと一瞬だけ彼の方を振り返り、またすぐに退室しようとした時、懐かしい声と共に後ろから声を掛けられました。もう一度振り返って見ると憑き物が落ちたかのようにすっきりした表情のレイモンド様がいました。
「カティア……いや、カティア皇女殿下。大変申し訳ございませんでした。結局俺は最初から最後まであなたに迷惑しか掛けていなかったように思います。こうなったのは当然の結果ですね。今までありがとうございました」
「……畏まっているのはあなたらしくなくてよ。もっと堂々としていなさいな。すべての非があなたにあったとも思いません。ですが同じことを繰り返さないよう肝に銘じてくださいね。わたくしはあなたが優秀であると知っています。家柄だけでなくそれに見合った能力があるとちゃんと分かっています。次は昔のように素敵な方になっているよう願っています」
「はい。……ずっとお慕いしておりました。今度お会いする機会がありましたらその時は……」
「昔のようにお話しできると良いですね。私も友人としてお慕いしていますよ。ご家族との問題も無事に解決できますように。それでは」
まさか最後の最後で……今後お会いすることは一生ないと思っていましたけれど、今の彼ならお話しくらいはしても良いかもしれませんね。だってもう───昔のレイモンド様に戻っておられるようですし。ご家族との問題には口を出さないようにしましょう。それも罰の一つです。
「……皇女殿下」
「聞かなかったことにしてちょうだい。大好きだった友人が決定打は何か分からないけれど、とりあえず昔のように戻った様子だったのだからあれくらい良いじゃないの」
「すべて殿下の手のひらの上と言うことですか」
「冗談はやめなさいよ。わたくしは神ではないのだからすべてを操れるはずがないでしょう。わたくしは決められていた筋書きの一部を書き換えただけ。わたくしにできるのは洗脳された人間を元に戻すことくらいだった。それもかなり手を回しても確立が低いのだからそんな大それた話でもないわ」
私にできることなんて全然ありませんよ。ただ、大体ではありますが人の思考を読むことは得意なのですよね。心理戦の延長のようなものですけれど。長い時間をかけて根気強くパズルのピースを嵌めていかなければなりません。一つでも間違えてしまうと結果は大きく変化してきます。
約十年、無駄にされたとは言いましたが何もしていなかったわけではありません。彼の態度があんな感じだったので結婚はしたくないと前々から考えていました。そのためにお父様にも協力をお願いしていましたしね。でもレイモンド様が哀れでもありましたからずっと動いていました。ここ数年は特に。正解は最後まで分からないので彼の洗脳のようなものを解けるかは賭けでしたが、最終的には上手くいったようで何よりです。
「はいはい、そういうことにしておきましょうか。私は神々を敵に回すことになっても、殿下とだけは敵対したくありません」
「わたくしも嫌われたものね?」
「嫌っているわけではありませんよ。世界中を探しても殿下との心理戦に勝る者は誰もいないと断言できます。心理戦の範疇を超えていて、心の奥底では何を考えているか分からないのが恐ろしいだけです」
「そんな大袈裟なものでもないでしょうに」
部屋の外で待機していた護衛にお父様達がいらっしゃる部屋へ案内してもらい、部屋に入ると何やら満足そうなお顔のお父様方と真っ青を通り越して真っ白になっている公爵夫妻がいました。
お父様の方も話がまとまって今日はこれで屋敷に帰るそうで、いつの間にか暗くなった景色に少し驚きつつ、馬車に乗りました。もう二度とここに来ることはないでしょう。
「ところでお父様、公爵夫妻に何か言ったのですか?」
「いや、私はほとんど黙って聞いていただけだ。大人しくしていたが何だかんだ言って一番怒っていたらしいリオンが、」
「私は事実を言っただけです。あのような反応をしたということは自覚があったのだと思いまして」
「それで、嬉々として地獄に突き落としていたな」
「兄上はお黙りください。カティアに余計なことを吹き込んだら許しませんよ? 兄上が嫌われるなら構いませんけど、私がカティアに嫌われるのは困ります。世界の終わりです」
「この腹黒が……」
あらあら、お兄様方も仲がよろしいようで何よりですね。リオンお兄様が腹黒なのはすでに知っていることですから、わざとリオンお兄様の所業を私に聞かせようとしなくても良いと思いますけれど。
◇
カティア・ローデント公爵令嬢。彼女は俺が生まれたその時にはすで親によって決められていた婚約者だった。物心ついた頃から一緒にいることが多く、昔は婚約者というより友人のような関係だったと思う。
いつも何をやっても俺より優れている。それでも可愛らしく優しい彼女が俺は好きだった。初恋は……カティアだったように思う。
いつからだろうか、俺が彼女に嫌悪感を持つようになったのは。嫌悪感とは少し違うかもしれないが、思い返してみればカティアがレモーネの屋敷に花嫁教育として通うようになってからだった気がする。そしてその原因は恐らく母上だ。すべてを母上のせいにするつもりはない。それでもきっかけは母上で間違いないだろう。
母上は彼女を嫌っていた。それは俺が彼女を好きだったからだろうと今なら分かる。
「レオンです。ただいま帰りました。……って、あれ? 兄上、父上達はどちらに?」
「ちょうど今王城に行かれたところだ」
レオンは俺の双子の弟だ。俺と違って優秀で隣国へ留学に行っていたのだがまさかこのタイミングで帰ってくるとはな。
「ああ、兄上の不祥事のことですか。跡取りのことなど、詳しいことは先ほど使用人から聞きました。でもおかしいですね。兄上は正気に戻っているようなのに、どうしてあのような騒ぎを起こしたのですか? というかどうやって正気に戻ったのですか?」
「お前の自由を奪うことになってしまったのは申し訳ないと思っている。俺が正気に戻った理由はカティアだろう」
ここ十年ほど、俺はずっと心が何かに支配されているような感覚になっていた。気のせいかと思っていたがあれは恐らく母上に洗脳されていたのだろう。散々カティアの悪口を脳に刻み込まれてきたから。幼い俺なら信じ込んでも仕方なかったのかもしれない。それでも俺はカティアに最低なことをした。謝っても謝り切れないくらいに。今更都合の良いことを言うなと思われるかもしれないが、俺はカティアが好きだ。俺の初恋はずっと心に残ったままだった。だが正気に戻るのが遅すぎたな……彼女とは婚約破棄になってしまった。
何度も言うが悪いのは俺だ。彼女のことは諦めて同じことを繰り返さないようにしようと決めた。
だがここで一つ気になることがある。それはどうやって俺が正気に戻ったのかということだ。俺の勝手な想像でしかないが……俺が正気に戻ったのはレオンにも言った通り、カティアのおかげではないだろうか? 部屋から出て行こうとした時、彼女は一瞬俺の方を振り返った。その時、心の掛かっていた靄が晴れたような感覚になったのだ。彼女が何をしたのかまでは分からないが……
「そうですか。俺は兄上が正気に戻ってくださって嬉しいです。あの方には感謝しかありませんね」
「そうだな。だが心が晴れたとはいえ、今までのことがなかったことになるわけではない。まずは信用を取り戻すことができるように努力するつもりだ」
「ええ。頑張ってください」
『頑張ってください』と告げた時、レオンは俺から隠れるように俯いた。俯く直前、レオンが嬉しそうな、でも泣きそうな顔をしていたのを俺は見てしまった。嫌われているものだと思っていたが良く考えてみれば俺が変わってしまう前は仲が良かったんだ。昔の俺を求めていただけかもしれない。元に戻った俺が褒められるような性格をしているとは限らないが、こうして自分のことを大事に思ってくれている人のためにも早く信用を取り戻したい、と……そう思う。
◇
後日、レモーネ家の当主がレイモンド様の弟君であるレオン様に代替わりし、公爵夫妻は領地に戻って隠居することになったと聞きました。レイモンド様はレオン様ともお話されたようで、彼の行動次第ではありますが今後は真っ当な人生を送ることができるかもしれませんね。
私はというと、無事にアルバート皇太子殿下との婚約の手続きを終えることができました。殿下は卒業パーティーのためにご来訪されていたので一旦帰国されました。
ローデント公爵家は王家に爵位返上する予定でしたが歴史ある家であることに変わりはないので、この機会に次兄のリオンお兄様が家を継ぐことになりました。一番上のお兄様はいずれ大帝国の大公になるので。そして今から三日ほどかけて私はアルバート皇太子殿下のお父君が治めておられる帝国に向かいます。婚姻は一年後でそれまでは皇后教育を受けます。帝国に着くまで時間がかかるので早めに国を出なければならないのですが……
「カティア、一度……少し考え直すつもりはないか?」
「ありません。お父様、しつこいですよ」
「う……だ、だが」
「旦那様、カティアが困っているでしょう。あまりしつこく止めるとカティアが怒ってしまいますよ。この子はこれで短気なところがあるのですから。特に自分で決めたことに口を出されることが嫌いだと、旦那様も良く分かっておられるでしょうに。カティアに嫌われますよ」
「きらっ……」
そうです。お父様が本当にアルバート殿下で良かったのかと、馬車に乗ろうとしていたところを引き留めておられるのです。
お父様の隣に並んで笑顔を浮かべているお兄様達もお父様を止めないあたり同じ気持ちなのでしょうね。レイモンド様ではなくアルバート殿下が婚約者ならどんなに良かったか、と何度も繰り返していたのはお父様達ですのに、そのことを忘れているのでしょうか?
「ふふ、嫌いになったりしませんから落ち着いてください。結婚までに一度は帰ってくる予定ですから安心してくださいな」
嫌われる、という言葉を聞いた途端に石のように固まってしまったお父様に笑いかけると、ようやく解放してくださいました。その隙に馬車に乗るとなんとそこにいたのはアルバート殿下。帰国したと聞いておりましたが……
「お久しぶりです、カティア殿下。今日も美しいですね」
「あ、ありがとうございます。殿下はなぜこちらに……?」
「皇帝陛下への報告等はすべて従者に任せたのですよ。あまり重要な内容でもなかったので。せっかく長年の片想いが実ったのですからできる限りあなたと一緒にいたいですしね」
「そっ、そうですか……」
皇帝陛下への報告が伝言とはこれまた雑と言いますか……親子仲がよろしい、のでしょうか……? 私も殿下と一緒にいられるのは嬉しいですが……
「殿下、私のことはお好きなように呼んでくださって構いませんよ。敬語もいりません」
「そうですか? それならティアと呼ばせてくれる? 私のことも名前で良いよ」
「ではアルバート様と呼ばせていただきますね。なんだか慣れないので恥ずかしいですが……」
「んんっ……やっぱり可愛い」
「おい、イチャつくな」
アルバート様とお話ししていると馬車の外から声を掛けてきたのは……一番上のお兄様ですね。お父様の次はお兄様ですか。
「リオンお兄様? ちょっとこの方を屋敷に閉じ込めておいてくださいます?」
「ふっ……兄上、お兄様とも呼んでもらえないなんてかわいそうですね。大人しくしていれば良かったものを」
「嘘だ、黙っているから屋敷には閉じ込めるな」
「それなら最初からそうしてください。アルバート様、そろそろ行きましょうか」
「そうだね。皇帝陛下によろしくお伝えください」
「ああ。カティアも元気で」
「はい。それでは私達はこれで失礼致します」
長年のしがらみから解放されて、友人も本来の性格に戻り、好きな人とも結ばれ、家族も笑顔で。こんなに幸せなことがあっても良いのでしょうか?
いえ、長年苦労してきたのですからこれからは絶対に幸せになってみせますよ。一時はどうなることかと思いましたが、私が考えていた中で最も円満な終幕を迎えることができました。現実は物語のようにはいきません。悪役令嬢だって幸せにはなれます。ヒロインでも不幸になることはあります。自分の思うままに事を動かしたいのなら………自分自身の人生を捨てる覚悟で、それもかなりの時間をかけて物語を動かさなければならないでしょうね。
悪役令嬢と言われましたけど、大人しく断罪されるわけないでしょう? ねぇ、自称ヒロインさん?
最後までご覧いただきありがとうございました!この話はこれにて完結となります。いつか番外編や後日談などを書くかも……?
すべてはカティアの掌の上だったということですね。親しくなればなるほど、その人のことを知っていればいるほど心の奥底では何を考えているか分からない主人公を書きたかったのですが、うまく書くことが出来たでしょうか?
短編を書くのは初めてで想定以上に長くなってしまいましたが、いつかまた書きたいなと思っています。
改めまして最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました!よろしければブックマークや広告下の☆☆☆☆☆で評価して頂けると嬉しいです。