宿屋の店主となったウィルの日常(上)
貿易都市リングラント。
大陸南部になるこの巨大都市は大陸を縦断する運河と穏やかな海に面しており、有数の交易拠点として栄えている。
商人として一旗揚げようと目指すとしたら、まず最初に名前の挙がる場所と言えばわかりやすいかな。
俺ことウィルは半年前からナーガ区と呼ばれる貿易都市内の一区画でカフェ併設の宿屋を経営している。
木造二階建て、全面リフォームしたばかりでほぼ新築同然。
木のぬくもりにこだわったので内装はヒノキの香り漂うログハウス風に設えてもらった。
一階は受付兼カフェスペース。
近所に手ごろな食事処がないからかありがたいことに昼も夜も大賑わい。
宿屋だと認識していない常連客もいるくらいだ。
二階が宿泊施設でシングルとダブルの部屋が各二つづつ、合計四部屋の小さな宿屋だ。
旅行客より冒険者や商人、御者といった仕事で訪れた人向きだと思う。
木のぬくもりあふれる内装も自慢だが酒やコーヒー、紅茶の種類も豊富で……まぁこれは約一名うるさい常連のせいで豊富にならざるを得なかったんだけど……カウンター裏にずらり並ぶ各国の珍しいお酒や瓶詰のコーヒー豆や茶葉などはインテリアとしても一役買っている。
とまぁ品揃えの豊富さや料理の腕が評判になって、今じゃナーガ区外からもお客さんが来てくれるようになった。
おかげさまで半年で商売は軌道に乗り始めている。
ただ……そのせいで変な連中から目をつけられたり他にも色々面倒ごとがあったりで……今日も俺の宿屋には少々、いや少々どころではないやんちゃなお客さんが盛大に酒盛りを始めていたのだった。
「ったくよぉ平和になったせいで商売あがったりだよな!」
「実入りの少ない雑用ばっかでよぉ! ここらで吹っ飛ぶくらいの戦争が起きやしないかね」
はい、こんな感じで世の中に対する不平不満を大声で訴える連中が食堂の一角を占拠しておりますねぇ。
身なりを見る限り傭兵崩れといったところだろうけど……おかしなところが数点。
一つ、実入りが少ないという割にはいい酒を頼んでいるという事。
二つ、周りのわざと迷惑になるように飲んでいるという事。
三つ、アレス区で有名な地上げ貴族の手下がわざわざナーガ区で飲んでいるという事……特に三つめが決め手だな、うん。
常連客が眉を顰め始める様子を見てしてやったりな顔を時折見せるので俺は確信した。
これが面倒ごとの一つだ。
大枚はたいて古い家屋をリフォームしやっとこさ商売が軌道に乗り始めたところで迷惑かけて心身ともに疲れ果てた時にはした金で店の権利を買い取る……よくある地上げ屋に目をつけられたのだ。
そんな俺の考えなどお構いなしにさらに傭兵崩れの連中は我が物顔で喚き散らしだした。
「これも四英雄とかいう連中が出しゃばったせいだな!」
その一言にゴロツキは「そうだそうだ」の大合唱。ジョッキを飲み干しては机に叩きつけては喚く。
「「大地の災い」のおかげで世の中が混乱していた時は剣が乾く暇ないってくらい忙しかったのによぉ」
「喧嘩にもめ事、用心棒……暴れて大金貰えて楽しかったなぁ」
「なのに調子づいた連中のせいで災いが鎮められちまって、コッチの身にもなれってんだよ」
「ホント貴族に頭下げるのかったりい。復活しねえかな、災い」
(最後のヤツ本音漏れてんぞ)
おっと、ついつい胸中でツッコんでしまった。
とまぁやたらと物騒な話題を酒の肴にしている連中に、多少の騒がしさには慣れている常連客も「なんだアレ」と眉をひそめ話し出したのだった。
それが視界に入ったようで連中は待ってましたと言わんばかりに客に因縁をつけ始める。
「なんだテメェ、文句あるのか?」
(あー……なんていうか捻りのないベタベタな因縁の付け方に逆に愛嬌を感じてしまうぜ)
マニュアル通りの振る舞いに思わず俺は嘆息してしまった。
おそらく連中は地上げ屋に雇われた傭兵崩れだ。実は最近、軌道に乗った俺の宿屋の経営権を奪い取るためちょくちょく嫌がらせをしてくる。
俺だけならまだしも客に迷惑をかけられると後が面倒だ……うん、ナーガ区の人って血の気が多いからね、流血沙汰で事件なんて起こされたら区長にどやされるのは目に見えている。
俺はすぐさまグラスを磨く手を取め、小さいカップに酒を注ぐとゴロツキのいるテーブルに持って行った。
割って入ってきた店の人間にゴロツキは眼光鋭く睨みつける。やる気満々かよこいつ。
「なんだ店主? お前が痛い目見たいのか?」
(あいにくその程度の威圧じゃビビりもしないんだよな。こっちはくぐりたくもない修羅場を居酒屋ののれん感覚で毎日くぐってたんだから……っと)
思い出すだけでゲンナリしてしまう……詮無いことを脳内で毒づきながら俺はゴロツキ一人一人に酒の入ったカップを差し出す。
鼻孔くすぐるフルーティな香り、透き通る上質の水のような液体を出されゴロツキどもは訝しげな顔をする。
「なんだこれは」
「上物の酒です。なんでも米の良いところから作った一級品だそうですよ」
ツイ、と連中の前にカップをすすめると俺は言葉を続けた。
「日頃の鬱憤を晴らすのが酒の役目です、戦争だの何だの物騒な言葉と憤りは美味い酒と一緒に飲み込んじゃくれませんかね」
物怖じしない俺の態度にお客さんから「おぉ」という感嘆の声が漏れる。
その雰囲気が気に障ったのかゴロツキの一人が酒に口を付けることなくカップごと床に叩きつけた。
パリンと乾いた音が食堂内に響く……カップは安物だけど酒はもったいねぇなぁ。
これ見よがしに嘆息すると俺はゴロツキ連中を睨みつけた。
「まったく引き際も酒のわびさびも分からない連中を雇いやがって……まぁいいコレで分かった」
「わかっただぁ?」
「お前らが遠慮なく追い出してもいい「招かれざる客」って事がな」
わっと沸く常連客、酒飲みから喧嘩の野次馬に早変わりだ。
その雰囲気に当てられたのかゴロツキ連中もいきり立って立ち上がる。
「オイ! 舐めてんのか店主!」
「俺たちゃ西じゃちっとは名のある傭兵集団だぞ!」
「それに俺らの雇い主を聞いて驚け! アレス区の貴族カジアス様だぞ!」
貴族の威を借り安っぽい名乗りを上げるゴロツキ連中に俺はこれ見よがしに嘆息する。
「地上げ行為がバレバレなんだよ……まぁいい、聞き分けの悪い酔っぱらいを追い出すのも酒場の店主の勤めだからな」
「そうだ!」「やっちまえウィルさん!」「ウィルさーん!」
老若男女問わずウチの常連客はノリのいいこと。
ま、こういう常連客ばかりだからちょっと荒っぽいことしても店に通ってくれるからありがたいもんだ。
「正直肩書きとか名乗れば名乗るほど安っぽく見えるもんだぜ。本当にヤバイ奴は名乗りもしないもんだからな」
「うるせぇ!」
一触即発なムードだったが俺の台詞を皮切りに襲いかかるゴロツキ。
ゴスッと鈍い音。しかし俺は――
「こんなもんか」
それを避けることなく平然と額で受けきってみせた。
「なぁ!?」
「正当防衛成立だな、よっと」
そのまま俺はゴロツキの腕をとって極めた。
「てめぇやけに頑丈じゃねぇか……いっでで」
「こ、こいつ意外にやるぞ」
驚くゴロツキ連中を見やって俺は嘆息する。
(旅に出る前の俺が見ても、今の自分の強さに驚くだろうね)
そう、世界の果てまで連れまわされた経験のおかげか、俺は度胸も腕力も丈夫さも一般人をはるかに凌駕してしまったのだ。
それこそ、このくらいのゴロツキなら軽くあしらうくらいわけもない。
(冒険者の上級に片足突っ込んでるレベルとか言われたな……冒険者になる気はないけどね)
俺は自嘲気味に笑いながらゴロツキ連中に帰るよう促した。
「はいはい、腕折られたくなかったら出てっちゃくれないか? お代は結構、出血大サービスだ。まだやるってんなら本当に出血しても知らないぞ」
「ちょ、ま――」
腕を取られているゴロツキは骨の軋む音に恐怖を感じ青ざめ始めている。
しかし残りのゴロツキ連中はと言うと――
「「「上等じゃねぇか!」」」
めっちゃやる気満々だった。酒が入って気が大きくなっているんだろうなぁ……
他三名がやる気満々な態度を見せ俺は呆れ混じりでうろたえる。
「えぇ……さっきの時といい、マジで引き際の分からない連中だな」
腕を取られている男が涙目になっているのにも関わらずやる気満々の他三名。チームワーク悪すぎだろこの四人組。
「あいつらの方がまだ上手く連携できていたぜ……まったく」
さてどうするか……困ったな。
お客さんが怪我する前に追い出す予定だったのに実力差も引き際も分からない連中相手に長引いたら事件扱いでまーた区長にドヤされそうだ。
それに――
「こんだけ大騒ぎすると気になってアイツが起きちまうかも知れないだろ……」
そこまで言い掛けた時だった。
カッ……カッ……
二階から誰かが降りてくる足音が食堂に響きわたる。
ゆっくり階下へと降りてくるその人物にその場にいる全員が思わず注目した。
カッ……カッ……
背筋を伸ばし凛とした姿勢で降りてくる様はまるで舞台役者。
切れ長の澄んだ青い瞳に薄い唇を真一文字に結んでいる。
銀色の頭髪は照明に煌めき見る物の目を奪う。
身につけている銀細工の施された胸当てや小手がやけに映える……そんな可憐な少女だった。
彼女はまるで諍いなど無いかのように空いている席に座っると俺に無言で視線を送ってくるのだった。
ジィ……
そんな彼女を見てゴロツキの一人が驚嘆混じりの声を上げる。
「あいつ……パウムじゃねぇか!? 四英雄のリーダー! 女騎士のパウム!」
「大陸随一の剣術使い!? 何でこんなところに!?」
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