第6話 心の棘
「この度はありがとうございました!」
「いえ、こちらも入社試験中に偶然通りがかっただけで。礼は彼等に」
《アスカロン》へ受け入れた民間人の前にシェイクとソーンを出すグリム。シェイクは差し出された手に応じて握手を返すが、ソーンは彼の後ろに隠れて動こうとしない。
シェイクも別の事で頭がいっぱいで、涙ぐみながら礼を言う乗客達に意識は向いていない。《オルドレイザー》を見上げるとソーンの声が頭の中で反響する。
「オルド、レイザーか」
名の由来は分からない。それよりも気になるのは、ソーンが何故その名を知っているのか。
「ソーン、オルドレイザーの名前をどうして……」
尋ねても首を振るだけで話さない。コクピットを降りるまでは膝に乗せた事に対してしつこく抗議していたというのに、今はまた息遣いしか聞こえない。
メモ用紙を千切り、ソーンへ渡そうとした時だった。
「グリム兄さん、船長達の話聞いてきたよ〜」
アルルとペイルの2人が降り立つ。
「本人達は上からの指示だって言い張ってる。まぁいずれにせよ一度コロニーに乗客を降ろさなきゃいけないし、その時に警察隊に投げるのがいいかもしれない」
「分かった。それまで船員と乗客には別々の部屋に待機して貰おう。……コムニさん、ガイドをお願い出来ますか?」
『了解しました。そちらにガイドドローンを飛ばします』
すると何処からともなく小さなドローンが飛来。宙にディスプレイが浮かび、女性の姿が現れる。
コムニ・ルーテル。アッシュグリーンのショートカットと黒い瞳は控えめな印象を与えるが、口元に浮かぶ笑みからは明るさも感じさせる。《アスカロン》の通信オペレーターを担当している女性。発進シークエンスなどのガイドも彼女が行なっている。
『皆さん、ガイドドローンにて誘導します。慌てずに移動して下さい』
「あっちは問題ないな」
「あぁ。後はシェイク、入社試験の結果は追って伝える。決まった様なもの、だがな」
小さく笑ったグリム。その表情を見ただけで合否を察した。アルルの小さなサムズアップと、ペイルの大きな溜息からも。
「なら一度部屋に戻りたい。俺はともかくソーンが疲れてる」
目蓋が閉じそうになっているソーンを一瞥する。パイロットではない上、《オルドレイザー》の様な暴れ馬に振り回されたのだ。無理もないだろう。
「分かった、シェイクは戻っていい」
「……何?」
グリムの妙な言葉に引っ掛かった瞬間、ソーンの手を何者かが掴んだ。
「はいはい失礼。ごめんね、眠いだろうけどすぐ終わるから」
「待て」
シェイクは男の手を振り払おうとした。しかし直前でグリムによって阻まれる。
「クールな奴だけど責任感はある。良いねぇ。俺はストーム・ベンドマン。大丈夫、ただの健康診断みたいなもんだからさ。じゃあな、新人くん」
ストームはソーンの手を引いて去って行った。何処か不安げな表情をして振り向くソーンを、シェイクはただ黙って見送るしかなかった。
ストームの腕章。このM・Sのものではなく、政府直属部隊のものだったのだ。
「ストームさんはM・Sのお目付役の様な人だ。心配はいらない」
「何故ソーンを……なんて、聞く方がおかしいか」
「ソーンは《オルドレイザー》を起動させた。最後のファクターは彼女だった訳だ。本当なら彼女の素性を調べるなんて契約違反だが、そうも言っていられない」
見上げた先にある《オルドレイザー》と目が合う。隕石から発掘されたDCDなのかすら分からない兵器。次に乗る時、扱い切れるのか。
否、乗りこなさなければならない。暗闇で見えた吐き気のする笑みを消す為に。
「今は、俺に出来る事なら何でもやる」
「ほぉぉぉん? な、ん、で、も、な?」
歯軋りと共に絞り出される声。アルルの顔が真っ青になり、ペイルすら息を呑む。
「パストゥ?」
「やってくれたなぁ!!? 《ナチュラリー》、よりにもよって変形持ちのⅢ型を、ゴミに変えやがってぇぇぇ!!」
シェイクの胸ぐらを掴み、自分ごと回転するのも構わず振り回す。
「どう弁償するつもりだよボケナス!! 整備にかかった金と時間返せ!!」
「や、やばいやばい……パストゥさんガチギレだぁ……」
「飛び火しないうちに行くぞ」
静かにその場を去るペイルとアルル。慌ててグリムが仲裁に入る。
「パストゥさん落ち着いてください。あの場は仕方がなかったんです」
「あぁん!?」
「悪かった。あの《ナチュラリー》が無かったら俺も死んでいた。良い調整だった」
「ちっ!!」
パストゥは飛びきり大きな舌打ちをすると、紙束をシェイクへ突き出した。
「反省文10枚と武装企画書3枚! こいつを明後日までに仕上げろ! 正式採用されなかったら覚悟しろ! おいグリム、このアホの管理しっかりやっとけよ!!」
2人の肩を派手な音が鳴るぐらいの強さで叩き、パストゥは整備区画へ戻って行った。
溜息を吐くグリムを横目に、シェイクは渡された企画書を注視していた。
「武装企画書、聞いた事ないな」
「最近じゃ、隕石採掘以外にも何かしらやらなきゃ経営が難しくてな。俺達で武器を設計して、試作品を他企業や軍に提供、有用性が認められれば生産ラインと利益が貰える」
「なら実用性が高い物を設計しないといけないわけか」
あれだけの気迫で迫られたにも関わらずあっけらかんとしている弟に、兄は思わず苦い表情をしてしまった。
と、シェイクが突然顔を上げた。何事かと視線の先を追うが、何もない。
「どうかしたのか?」
「……いや」
何でもないと言わんばかりに再び視線を落とすシェイク。だがそのまま何処かへ行ってしまった。
彼の様子が過去と少し違う事は気づいている。しかし7年前の事件を考えれば無理もないのは承知していた。
それでもシェイクの力、そして《オルドレイザー》の力が必要だから。
企画書に目が行きつつも、シェイクはふと見えた影を追っていた。一瞬見えたのが正しければ、会わなければならないと思ったのだ。
「もう、17歳か」
よく後ろから付いてきていた姿を思い浮かべる。あの笑顔は、
「っ」
ある筈がない。7年前の事件は、シェイクの行先で待っていた少女から笑顔を奪った。だから今、その顔に浮かんでいる表情は冷たかった。
「ネクト……」
「名前、覚えていたんだ」
「当たり前だ、忘れる訳がない。皆の事を片時だって」
「7年もフラついて、今更何しに戻って来たの?」
ネクト・ストラングス。金色の髪と銀色の瞳は昔から変わっていない。しかし背は大きく伸び、アルルやソーン、実姉のメロウよりも高くなっていた。身体つきは大人びており、髪をハーフアップに纏めている。シェイクが予想していた以上の成長ぶりだった。
「あの機体、《オルドレイザー》のパイロットとして呼ばれた。簡潔に言えばそうなる」
「へぇ。あの得体の知れない奴に乗ってたの、あんただったんだ」
「試験を見ていたのか?」
「見た。7年前と何も変わってない」
この言葉が称賛でない事はシェイクにも分かっている。だがそれよりもシェイクには気になる事があった。
「その腕章、パイロットになったのか」
「つい一月前に。次の仕事が初出撃」
腕章は赤い星を金色の枠で囲んだ意匠。これは操縦士訓練学校を主席、かつ飛び級で卒業した証だ。恐らく過去10人にも満たない天才にしか付けることが出来ない物だ。
「そういうあんたも、再入社試験は合格でしょ。晴れて出戻り出来たって訳」
「受け入れられないのは、十分理解している。それでも戻らなきゃいけない事情があった」
「別に。もうどうだっていい。ペイル兄さんみたいに怒る事もないし、グリム兄さんやアルル姉さん達みたいに受け入れるつもりもない。あんたはもう他人なんだから」
全て承知の上だった。彼女に許して貰おうなどと身勝手な事を少しでも考える資格など自分にはない。
シェイクが望むのは、ただ共に仕事をこなす事だけ。
「次からは俺も出る。その時はよろしく頼む」
シェイクは会話を打ち切り、ネクトの横を通り過ぎようとする。その時微かにネクトの唇が動いた。
「あんたが戻って来たって、あの2人が戻る訳じゃないのに」
シェイクの歩みが止まっても、無重力空間は身体を離さない。ただ前に進ませる。
二度と帰って来ない家族に代わって帰って来たのは、もう家族ですらない男。誰よりも家族を愛しているネクトにとってこれほど受け入れ難い事実はない。
そんな彼女をよく知るからこそなのか。言葉の棘が心臓の奥深くに食い込む様な痛みを与えた
「どんな感じよ、ソーンちゃんの診断結果」
検査を通して4日が経過。現在はベッドの上で幸せそうにエナジーバーを大量に食しているソーンだが、隣で診断結果を睨むストームと医師の男性の表情は深刻だった。
「まず声が発せない原因ですが、声帯はきちんと確認出来ましたし、肺も機能しています。ですが」
モニターに映し出されたレントゲン写真には奇妙なものが映し出されていた。
「何だこりゃ。声帯と肺にビッシリ、何だ、荊棘みてぇのが……」
「恐らくこれが原因かと。ただ一体何の物質なのかは全く分からずじまいで。声を出そうとすると激痛が走るのは本人からのメモで判明しています」
「こんなのが絡みついてりゃそうだよな……。でもシェイクの話じゃ、《オルドレイザー》に乗った時は普通に話せてたって」
「それについては、恐らく」
一枚の紙が差し出される。記載されている結果を見た時、ストームは心臓が跳ね上がった。
「おいおいおいおい、血中にメデオライトだぁ? しかも何だよこの濃度」
「通常なら人体にメデオライトは有毒。こんな濃度で混じっていれば数秒と生きていられません」
「けど、これと《オルドレイザー》との関係はまだ分からないな。ちょうど次の仕事がある。その時にまたデータを仕入れるとしようか」
ふと視線をベッドに移すと、既に大量の空袋が積み重なっているだけだった。扉が閉まる音が背後から続いた時に全てを察する。
「こりゃ、シェイクは苦労する事になりそうだなぁ」
「パストゥさん、今日の民間船護衛の件で相談が」
今日この日、《アスカロン》は第1コロニーと呼ばれる場所へ着艦。先の件の民間人と乗員を警察隊へ任せ、その足で次の仕事を行う予定である。
ソーンの引き渡しはこの民間船の行先である第3コロニーとなっている為、引き受けたのだった。
「ん〜? グリムか。どうせ最終確認に参加したいんだろ。好きにしろって毎度言ってるじゃねぇか」
「ありがとうございます。……それは?」
パストゥの目の前にある巨大な長方体の装置。よく見ればケーブルによって《オルドレイザー》の背部と接続されている。
「ビーム、ブレイドですか?」
「まぁなー。シェイクに文句言われたから倉庫から引っ張り出して来たんだ」
「文句?」
「機動力を調整するために装備重量を増やして調整してくれって。で、前にボツった試作用の装備が倉庫に埃被ってただろ、そいつらを積むことにした」
手渡された資料に目を通す。そのどれもが火力が過剰に高く、通常規格のDCDではスペックが足りないとして正式採用を見送られた武装だった。グリムも一度目を通したことはあるが、企業や正規軍でも広く採用されている《ナチュラリー》に搭載が不可能となれば却下されたのも仕方がないと感じていた。
「でも確かに、この機体なら可能かもしれませんね」
「《オルドレイザー》だってな。中々イカした名前だと思う」
「オルド、レイザー? いつの間に名前を付けたんですか?」
「シェイクはそう呼んでたけど、お前が付けたんじゃないのか?」
M・S内では機体のコードネームをパイロット、或いは整備士が決めて申請する決まりとなっている。パストゥが知らないということはシェイクが付けたということになるのだが、グリムが知る限り彼はあまりそれについては興味がないように見えていた。
「あの、シェイクがこの機体の名前を……」
「あ~待った待った。よっし、そっちのライフルも《オルドレイザー》に搭載しとけ。ジェネレーターに有線接続だぞ。お、そっちのバズーカも出してきたか。ならそれも追加だ。そっちはバックパックに積んどけ」
クレーンによって武装が搭載され、細身だった《オルドレイザー》のシルエットが見る間に大柄になっていく。
「確かにあいつがこんなイカした名前考えつくとは思えないけど、今はそんなこと大した問題じゃないだろ。それより気にかけなきゃならない新人がもう一人」
「ネクトの機体なら既に調整は終わっています。ただ、あの武装を本当に使用するんですか?」
「試験はちゃんとしたから大丈夫。正式採用が見送られたのは《ナチュラリー》のスペックに合わなかったからだし」
ネクトの機体の元へ2人も向かう。他のメンバーの機体も整備が終わり、2,3人の整備士が交代でチェックを行っている。しかしある1機のみ、7人ほどでチェックを行っているDCDがあった。
《バインドホーク》や《ブラストハンド》、《ソニックスラスト》と共通規格のメインカメラはクリアグリーンのバイザーに覆われ、腕や足の各部には同色のパーツが埋め込まれている。深い紫をベースとした機体色よりも目を引くのが、バックパックに接続された装備。
一見すると機体全高に迫る2枚のウイングバインダーにも見えるが、先端には砲口が存在し、側面には小さなフィンの様なものが3枚ずつ取り付けられている。
「ファイアスケイル……遠隔無線制御火器、か。もしも戦闘になったら実戦戦闘初の使用になる」
「不安か?」
「末っ子の初めての出撃を心配しない兄はいませんよ」
「信じてやれ。妹と」
パストゥは指さす。肩に刻まれた証、M・Sのデカールを。
「《ジェネレビオ》をな」
続く