第55話 器の資質
「ここで少しの間おとなしくしてて」
ローズの囁くような言葉でソーンは意識を取り戻す。しかしその時にはもう遅かった。透明なガラスに囲まれた小さな一室へ放り込まれ、扉が閉ざされてしまう。咄嗟にそれへ向かって体当たりするが、
「ぃぅっ!?」
か細いソーンの身体では弾き飛ばされるのが関の山だった。
既に離れてしまったローズを追う事は諦め、ソーンは周囲を見渡す。透明なガラスに囲まれた部屋は隣にもあったようで、そこには既に先客がいた。
「奇遇ね……こんなところで会うなんて」
「っ!」
かつて共に戦った、《ライナルディン》のパイロット、フェンだった。だがその目に、バイオアイに光はなく、特徴的な回転も完全に止まっている。
そんな自身の状態を見たソーンへ、フェンはまるでその様子が見えているかのように語りかける。
「ご丁寧に目眩しの嫌がらせまでしてくれたの。それでも何となく分かる。声と、呼吸と……直感で。このガラスに妙な細工がないのは、そういうデータも取りたいからなのかもしれない」
「……!」
「あぁ、そういえば喋れないんだっけ。大丈夫、なんとなく音で分かるから」
ガラスを擦ったり、クネクネと謎のジェスチャーを繰り返したりするソーンを小さく笑う。
「お互い頼りないかもしれないけど、今は大人しく機会を待つしかない。私達はみんな捕まったけど、M・Sの人達は助けに来てくれるでしょ?」
「……っ」
何も確証はない。だがみんなは必ず来てくれる。ソーンは大きく頷き、部屋の中央で堂々と座ってみせた。
見えはしないが、何をしているのか予想がついたフェンは小さく噴き出した。
(きっとそんなつもりなんかないだろうけど……ちょっとマシになった。ありがとね)
たった一人でこの部屋に閉じ込められていた間、フェンは耳を塞いだまま隅でうずくまるしかなかった。そうでなくては暗闇の中、身体を這い回る透明なチューブや薬液の幻に苛まれるから。
いつから自分がHERIにいたのかは覚えていない。ここで生まれたのか、度重なる実験で記憶を失ってしまったのか。とにかく残っている一番古い記憶では、気味の悪い笑みを浮かべながら頬を撫でてきた女性の姿が映っていた。
『あなたは、上手く出来上がりそう』
そこから先もまた、よく覚えていない。痛みと不快感があったことだけしか。
HERIの輸送艦から拐われた、否、救い出された時も、自分が何を言っていたのか、誰と何を話していたのか、よく覚えていない。ただ纏わりつく痛みの中で、ガラスの向こう側へ助けを求めていた、ような気がする。詳細は全てグライから聞いた話でしかない。
(でも今は……あの時と違う)
一人じゃない。それは心強さと同時に、失うことの恐怖をフェンへ与えていた。
「ようこそ。散らかってる部屋でごめんなさい」
拘束された状態で連れて来られたシェイクは部屋を見渡す。電子データでの資料が主流となった時代で紙の山が積み重なっている。目の前の女性の言葉は謙遜でも何でもない。
「あなた達もご苦労様。じゃあ彼の拘束具を外してあげて」
「ファーステット女史、お言葉ですが……」
「大丈夫だから。あの子達に見張りも変わってもらうし」
「しかしですね」
「君達に、私へお言葉を返す権限なんてないよ」
瞬間、女性、ファーステットが纏う雰囲気がガラリと変わる。柔らかで優しげな色が、機械に似た無色へと。
「どう? 君達の上司の真似、上手いでしょ?」
「ドリアーズさんの、い、いえ、失礼致しました」
兵士達は戸惑いながらもシェイクの拘束を解く。彼が怪しげな動きをしないか注視しながら、部屋を後にした。
「さて、じゃあ改めてお話ししようか、シェイク・ストラングスくん」
「……どうして、俺の名前を」
「順番に説明していくから」
ファーステットは紙の資料を押し除け、自らの背後に鎮座している小さなドリンクサーバーへコップを2つセットする。
「まずは座りなさい、大事なお客さん」
「無理やり連れて来ておいて何を」
「頭を下げてお願いしても、きっと来てはくれなかっただろうし」
コップへ満たされたドリンクが置かれる。口をつけようとしないシェイクを見たファーステットは小さく笑った。
「何か入ってるかもしれない? ここまで来てもらってそんな事しないってば。あの子に申し訳ないし」
「あの子……?」
「そういえば、お礼を言わないとね。ありがとう、あの子にソーンって素敵な名前を与えてくれて」
「っ、ソーンを知っているのか!?」
「えぇ。あなたと同じくらい、いいえ、あなたよりもよく知っている」
ファーステットはドリンクを一口飲むと、1枚のモニターにとある部屋の様子を映し出した。
「久しぶりに顔が見たくなっちゃって。彼女もここに来てもらってる」
「っ!」
シェイクはモニターを押し除け、ファーステットへ掴み掛かろうとした。
だが、
「うっ!? く、ぐっ……!!」
手が彼女の胸元を掴むより前に、シェイクの脳内に激痛が走る。コップが倒れ、机から床へドリンクが滴り落ちる。
「私の思った通り。あなた、レセプター因子がとても強い。何の調整も受けていないのに」
気づけばファーステットは小さなスキャナーを手にしており、シェイクの額へ当てていた。
「自然覚醒タイプでこの脳波許容値……あの子、ソーンの脳波を受け止めて何の障害も残っていない理由ね」
その時、スキャナーを握るファーステットの手が掴み上げられる。
「ローズの脳波を受けてもすぐに順応……やっぱり君の代わりは誰にも務まらないかなぁ」
「何、を、言っ……!?」
「もういいよローズ。あなたは迎えに行ってあげて」
ファーステットは扉の向こうから脳波を送っていたローズへ声を掛ける。
青く輝いていた目を閉じ、ローズは部屋の前を去っていった。
「素晴らしいけど、もう少し安定させたいかな」
ファーステットはスキャナーのボタンを押した。刹那、
「──っ」
シェイクは抵抗する間もなく意識を失った。彼は知る由もないが、それは以前にフェンを昏倒させ、《ライナルディン》を機能停止させたもの。
「オルトロスチェーン、簡易版だけどごめんね。君のレセプター因子なら気絶で済むと思って」
ファーステットは通信で研究員達を呼ぶ。彼らが到着するまでの間、ファーステットはシェイクの頬を優しく撫でていた。
「もっともっと……強くしてあげる。あの子に相応しいレセプターになれるように」
ローズはファーステットの言葉通り、ある人物を迎えに行く。
DCDが着艦する為のハッチ。アラートが鳴り響き、研究員達が退避している中、ローズはただ黙ってハッチを見つめる。
そこに、赤い影が降り立った。
「姉さんが待ってる。早く来て」
影は膝をつき、口角がゆっくり持ち上げる。
影 ── 《レッドラファー》の胸部が開き、黒い液体を散らしながら肉の中より全裸の人間が姿を現した。
「その前に……シャワー浴びてきていい?」
「5分」
「ローズ姉はせっかちだなぁ。15分」
「……」
黙って首を振るローズに構わず、その人物は一糸纏わぬ姿のまま横を通り抜ける。
ローズと全く同じ、薄桃色の髪と紫色の瞳、白く細い手足。だが伏せがちなローズの目に比べ、どこか妖艶さを感じさせる垂れた目をしていた。
「待ってラズベラ」
「待たない。ビチャビチャのまま服着たくないし。裸のままファー姉に会いに行っていいなら行くけど?」
「あの子達が来てる」
その言葉を聞いたラズベラの動きが止まる。
「へぇ……じゃあ7分で行く」
振り返ったラズベラに浮かぶ、悪辣な笑み。それは《レッドラファー》が浮かべていたものと瓜二つだった。
続く




