第36話 家族の溝
「ソーンちゃんはなに注文したの〜?」
《アスカロン》の個人棟へと繋がる廊下。大量の菓子袋を抱えて並び立つソーンとアルルの姿があった。
『ハニーチップス バタースコーン カラメルたっぷりポップコーン チョコチップクッキー』
ミニマムモニターに大量の菓子の名が羅列される。その全ての量は徳用、または業務用と書かれている。
「ひぇ〜、そんなに食べれるの〜? まぁソーンちゃんなら大丈夫か」
アルルは目を輝かせながら山を見つめる。
オペレーション・サテライトブレイクの一件以来、時折ソーンとアルルはこの秘密の集会を開催している。内容など他愛のないものばかり。だがこうして自然に交流を深める事が出来る。それ自体に意味があった。
「さぁさぁ、今日も宴、と……」
「っ? ……ぃ!?」
前を見たアルルは言葉を失い、つられて前を見たソーンも息を呑んだ。
目の前に立っていたのはメロウ。この艦の料理長を務め、この艦の姉である彼女の顔は、一見するといつもの微笑みを浮かべている。が、その眉の間には皺が寄っている。
「もしかして夕飯、足りなかったのかな?」
「い、いや、いやいや、そんなことないよ!」
『もちmnou、もちろんお腹いい一杯でです!!#@』
「可愛い反応してるけ、ど」
2人の手を掴み、メロウは引っ張っていく。小さな身体からは想像も出来ないパワー。ソーンは単純に力で敵わず、アルルは幼い頃からの刷り込みで抵抗出来ず、引きずられていく。
『ごめんなさいごめんなさいごmnsい!!。!?』
「諦めようソーンちゃん……一緒にお仕置きされよ……」
大量の菓子袋が道標のように落ちていくのだった。
「ペイル、コンタクトの調子はどうだ?」
「問題ないよグリム兄さん」
DCD整備格納庫で話すグリムとペイル。ペイルの右眼はネイビーブルーではなく銀色となっており、複数のサークルが規則的に動いている。
「バイオアイを基にしたコンタクトレンズ。こんな高級品じゃなくても」
「ならシェイクが選んだやつにすれば良かったか?」
「あのゴーグルみたいなやつを? それだけは嫌だ」
「よくよく考えるとあれじゃヘルメットを被れない。コンタクトレンズで正解だったな」
「そうじゃねぇ!」
工具を運ぶシェイクのズレた発言を耳にし、ペイルは後頭部を引っ叩いた。
一月前までは見る事が出来なかった、そして7年前までは見慣れていた光景に、グリムは思わず笑ってしまった。
「兄貴、ところで次の仕事なんだが」
「あぁ、政府からの武装検証の実地試験だな。予定だと後3日で合流地点に着く」
「実地で落ち合ってから詳細を聞くんだったか。大丈夫なのか? 妙にきな臭いが」
「政府絡みなら違法な依頼じゃないだろ。そうだとしても断れば良いだけだ。な、兄さん?」
眉を顰めるシェイクの胸を軽く叩き、同意を求める様にグリムへ笑みを向けるペイル。シェイクの言葉に感じた奇妙な胸騒ぎを記憶の隅に押しやり、
「そう、だな。もし危ないと感じたら、お前達2人で止めてくれ」
2人へ笑いを返した。
メロウの説教から解放されたソーンは艦を漂うように進んでいく。口調は優しかったものの、その分ソーンの心に刺さるありがたいものだった。そしてそれだけ精神が疲れてしまった。
その時、曲がり角へ金色の髪が消えていくのが見えた。メロウと顔を合わせたのは数分前。となれば同じ髪色をした人物は1人しかいない。
『ネクト』
ミニマムモニターを飛ばし、曲がり角から少し進んだ場所にいたネクトの目の前へ出す。
この一月でソーンはM・Sのほとんどのメンバーと親交を深めていた。だがどうしても、ネクトとだけはまともに話す事が出来ていなかった。
『何してたの? 私、さっきメロウさんに怒られちゃって』
最初に会った時こそ、お互いに良くない印象を持っていた。だが今は共に過ごし、共に戦う仲でありたいとソーンは思っていた。
だがネクトは振り返る事もせず、ミニマムモニターを払う様に押し除けた。通路の壁にミニマムモニターがぶつかり、呆気に取られたソーンの意識を音によって引き戻した。
『ネクト、邪魔しちゃった? ごめん』
落ちてしまったモニターを拾い上げ、ソーンは手に乗せて文字を見せた。俯いているせいで表情は窺えないが、いきなり目の前にモニターを出した事で驚かせてしまったのかもしれない。そう信じていたから。
『いきなり目の前に出たらビックリしちゃうもんね。今度から気をt』
その考えはすぐに否定される。ソーンが抱えたミニマムモニターを、ネクトは力任せに叩き落とした。部品が外れ、モニターが消失する。
ネクトの顔には、怒り、苛立ち。ソーンが一目見ただけで心臓を絞めつけられる様な、辛く悲しい表情が浮かんでいた。
「……なに馴々しく話しかけて来てるの」
「……っ」
ただそれだけ告げ、ネクトはソーンの横を通り過ぎて行く。ソーンは彼女の背を見送る事すら出来なかった。
「どうして」
その時、ネクトの前にメロウが現れた。あの光景を見ていたのだろう。目を伏せ、唇は微かに震えていた。
「どうしてあんな事したのネクト……!?」
だがネクトは答えない。ソーンに向けた表情を一切崩さぬまま、メロウを見ていた。家族に向けたことのないものを前に気圧されながらも、メロウは妹へ問い続ける。
「答えなさいネクト! ソーンちゃんはネクトと仲良くなりたくて──」
「あの子の事は庇うんだ」
「えっ……」
絞り出す様な低い声に、メロウの言葉が止まる。
「あの時は私と彼奴の事、庇ってくれなかったのに」
メロウは目線を下ろし、小さな肩が震え始める。
「それが後ろめたいからアデル姉さんの真似してるの、みんなもう気づいてるよ」
「ちが……ぅ……そんな事……」
「別にもういいよ。今更だし」
通り過ぎていくネクトは、何処か虚な笑みを浮かべていた。
「また彼奴のこと信じて……なんだか分からない子のこと信じて……みんな馬鹿みたい」
続く
 




