第25話 後悔の痕
アルルは医務室の扉の前で立ち尽くしていた。包帯を巻いた右腕をさするのは痛みの所為ではない。不安な心を鎮めるためだ。
扉の向こう側には、未だベッドで安静を言い渡された人物がいる。その人物に会う為、アルルは踏み出す。
「ペイルー、元気して……」
しかし無理をして発した溌剌な声はすぐに失せる事になる。
ペイルの右眼には包帯が巻かれていた。狙撃手の命である目を、負傷したのだ。
「元気、か。メディカルポットに入れられる様な怪我じゃないなら、元気かもな」
「…………目、目は……」
「あぁ、見えなくなる訳じゃない。視力はかなり落ちるらしいけどな」
ペイルの右眼は利き眼だ。再び狙撃手としての感覚を取り戻すには時間がかかるだろう。
否、それ以上に。ペイルの右眼を傷つけたという事実がアルルの胸を抉る。
「アルル……どうして無線を切った」
「……ぁ、の……」
「どうして切ったって聞いてるんだよ!!」
怒号が響く。アルルは思わず腰を抜かし、その場に尻餅をつく。
「だって……だって……」
「俺の言う事が気に入らなかったのか!?」
「ちが……ごめん、なさい……」
「ごめんなさい!? 誰に対してのごめんなさいだ! 俺の眼なんかどうでもいい! 下手すれば皆やられてたかもしれないんだぞ!!」
ペイルは自らの点滴を薙ぎ倒し、寝台を力一杯殴りつけた。
「お前の所為で!!」
「っ!!」
この一言を聞いたアルルの目が見開かれる。頭の中で何度も脳を揺さぶる。
お前の所為。お前の所為。お前の所為。
「ぁぁ……ぁぁぁ……!!」
アルルは無意識の内に駆け出していた。逃げる様に。ペイルから、自らの過ちから。
「私の所為だ、私の所為で……!!」
アルルが去った後、ペイルは倒れた点滴台を力無く見つめていた。結局言いたい事を何も言えないまま、ただアルルを傷つけるだけで終わってしまった。
無事で良かった。後で話がしたい。ただそれだけを伝えたかっただけなのに。
「何で俺は……っ」
廊下の壁に何度もぶつかりながら、逃げる様にシャワールームへ転がり込んだ。
タイルで足を滑らせ、シャワーのノズルを誤って捻る。降り注ぐ湯の雨に濡れるが、アルルはその場に座り込んだまま動けない。
「ペイルも……皆も……私の所為で……」
皆を危機に晒した。自分のその場の感情で。自分の身勝手な行いで。
「ごめんなさい……ごめんなさいぃぃ……!」
その時だ。タイルを叩く水音をかき消す、水を踏む足音が聞こえたのは。
アルルが振り返ると、ミニマムモニターが目の前に現れる。
『ど、どうしたの、アルル?』
「ソーン、ちゃん……」
2人は一糸纏わぬ姿で、シャワールームへ併設されたスパの湯船に浸かる。少し俯いたまま距離を取るアルルに対し、どうしたものかとソーンは視線をあちこちへ動かす。ただでさえ裸で一緒になる事が初めてだというのに、いつもとまるで様子が違うアルルを前にして焦っているのだ。
「……ごめんなさい、ソーンちゃん」
「っ?」
だが沈黙はアルルによって破られる。しかしその言葉にソーンは首を傾げる。
「私の所為で迷惑かけて。ほんと、何やってたんだろう」
ソーンは敢えてミニマムモニターへ文字を打たない。アルルの方へ向き直り、言葉へ耳を傾ける。
「さっき、ペイルと喧嘩してさ……私、皆と仲良くできることだけは、自信があったのに……それだけが、取り柄だったのに……!」
「……」
「私、シェイクみたいに何でも得意じゃないし、ペイルみたいに射撃上手くないし、グリム兄さんみたいに、ネクトちゃんみたいに……何にも、得意な事がなくて……だからガムシャラに剣振り回すしか出来ないんだ、はは」
アルルが無理をして引き出した笑いも、上擦っていた。
「だからせめて、皆が仲良くいられる様に、誰よりも笑って……そうお父さんにも、アデル姉さんにも頼まれて…………」
もはや独り言と化す告白。だがソーンの胸は、荊棘に刺される様な痛みに支配されていた。
荊棘の刻印が淡く光る。ソーンが手を触れると、浸かっている湯よりも遥かに熱い。
「私……もう……バラバラになって欲しくない……皆が笑ってた、あの時に戻って欲しい……でも私なんかじゃ出来ないよ……!!」
アルルの涙が湯に落ちる。それを見たソーンは、アルルの元へと近づき、
「……ぁ」
そっと抱きしめた。頭を自らの胸に抱える様に。触れ合った肌が互いの体温を交換し合う。
「ソーン、ちゃん……?」
『アルル、自分を責めないで』
ミニマムモニターに浮かんだ文字が目に入る。
「だって……」
『ここに来た時、シェイクの次に私と仲良くしてくれたのはアルルだった。私が仮眠室に入れられてた時も、毎日ご飯を持ってきてくれたのもアルルだった』
「……」
『アルルの優しさはきっと皆に届いてる。アルルの優しさはまた皆を繋いでくれる。だから大丈夫』
「ソーンちゃん……ごめんね……ありがとうね……ぅ、ぅぅぅ……!!」
激しくなる心音も、流れ落ちる涙も。アルルの中から溢れる感情を、ソーンはその身体で受け止める。
自分の言葉が、長い間共に生き、共に育ち、誰よりも家族の事を理解しているアルルにとって、どれだけの価値があるのかは分からない。それでもアルルを励ました。
自分を責め、自分の心を傷つけ続ける痛さを、辛さを、ソーンは彼を通して味わったから。
専用の剥離剤により艦から引き剥がされた《ガルドミナス》を見つめ、パストゥは溜息を吐く。決してシェイクが貼り付けた所為で艦の塗装が禿げ上がった事だけに対してではない。
「お前まで帰って来るなんて。それもまぁこんなボロボロになって」
かつてM・Sでシェイクと共に戦った《トライファルコン》が戻って来た。彼女が整備士になって、初めて自分一人の手で整備をした機体。それに再び触れる事になるとは想像していなかった。
「ほぉん、海賊にしちゃまあまあな整備してんじゃねえか」
渡された資料に目を通す。耐ビームコーティング塗装を施した装甲、機体ジェネレーターと直結させ威力を向上させた右腕ビームブレイドユニット、整備性を重視した実弾武装である肩の機銃。
「け、ど、な」
パストゥは目の前で正座する海賊の整備員達へ一喝した。
「基礎の整備が、まるで、なってねぇんだよ! 駆動部、スラスター、ジェネレーター出力、その他諸々! これじゃいつお釈迦になってもおかしくねぇ!!」
M・Sの整備員達は聞き慣れた筈のパストゥの怒声に肩を震わせる。しかし海賊側の整備員達は不満げな表情を浮かべていた。
「でも今の今まで不調なんか無かったもん!」
「そうだぜ、勝手なことばっかり言いやがってこのペチャパイババア!!」
「そっちみたいに金があるわけじゃないんだよ!!」
M・Sの整備員達は震える。パストゥの指摘が正しい事は皆が知っている。鹵獲した《ガルドミナス》の内部を調べた時、フレームやエンジンなどは長年の小さな見逃しが積み重なり、限界を迎えていた。あの戦いで中破しなくとも何処かで破壊されていたに違いない。
海賊達はそんな状況を理解していない。年長者ですらパストゥより歳下に見える年齢層の集まりでは仕方がないのかもしれないが、それでもきっとパストゥは許さないだろう。
「お前ら、整備士の学校は?」
「……俺と、こいつが」
パストゥからの問いに、色黒の肌をした青年と眼鏡をかけた気弱そうな少女が前に出る。どうやら2人が海賊の整備士達のリーダーらしい。
「どこまで出た?」
「在学中に人攫いで連れて行かれた。だから卒業はしてねぇ。でもレイツさんに助けられた恩を返したかったからDCDの整備をしていた」
「わ、たしも……」
「そうか。なら決まりだな」
するとパストゥはスパナで自らの肩を叩き、次いでそのスパナで海賊達を指した。
「今日からお前らがここを出るまでの間に、整備技術を仕込んでやる。みっっっっっっちりとな!!」
それを聞いた2人は驚いた様子でパストゥを見る。加えて後ろから野次が飛ぶ。
「勝手な事言うなー!!」
「そうだそうだ、ババアから教えてもらうことなんかねぇ!!」
「うるっっっせぇ!! 三流整備でパイロットが死ぬなんざ、てめぇらだって目覚め悪いだろうが!!」
しかしながら彼女の一喝で全員が沈黙。
「あと……何人かババアって言った奴いたよな? 顔覚えたから覚悟しとけよ」
海賊達は震え上がる。自分達は世間で恐れられる海賊だと誇っていたが、目の前にいる整備士は海賊以上に恐ろしい存在だった。
続く




