第15話 赤い因縁
「っ、く……うっ」
ヘルメットの中を満たす強烈な悪臭。失神した際に目を覚まさせる為の覚醒ガスが散布されたのだ。シェイクはヘルメット横のボタンを押し込み、覚醒ガスを換気する。
モニターの時間を見ると、失神していたのは数十秒だったらしい。指揮を取るグリムの通信が聞こえる。長距離狙撃によって弾かれた《オルドレイザー》は今、通信用小型衛星で眠っているようだ。
「ソーン、大丈夫か、ソーン?」
「……ヴッ!!」
どうやらソーンも覚醒ガスの餌食になったらしい。鼻を刺すような悪臭に晒された少女の口から、凄まじい声が出た。
横の換気ボタンを押してやると、表情が和らいでいく様子が見えた。
「うぇ……ありがとう、シェイク」
「レーダーに何か映ってないか確認してくれないか?」
「レーダーには何もないよ。でも……」
ソーンは斜め上を見上げる。レーダーには映らない、何かが見えているかのように。
「こっちに来てる。凄く速い、《オルドレイザー》を狙ってる!」
「そうか、ならこんな所で寝てる場合じゃない!」
通信用小型衛星を蹴り、《オルドレイザー》は再び飛翔。陣形を立て直すDCD達を通り過ぎる。
『シェイク、無事だったか!』
「あぁ、ソーンも大丈夫だ! それより、狙撃をした奴がこっちに向かってる!」
『何だと……っ、前方50kmに敵影!? いくら何でも速すぎる!!』
「焦るな兄貴! 俺達が引きつけるから落ち着いて陣形、を……」
シェイクには見えた。見えたからこそ、言葉の先を失ってしまった。
あの赤いデヴァウルを忘れはしない。7年前、シェイクの、家族の全てを狂わせた元凶。
「兄貴……見つけた。敵だ」
『ど、どうしたシェイク……っ、こいつは……!!』
いつもとは違う、シェイクの声に籠った殺気。違和感の正体を見た時、グリムは全てを理解した。シェイクがここに戻って来た理由が今、第3コロニーの脅威として襲来したのだ。
こうなってしまった以上、最早シェイクを繋ぎ止める為の言葉は意味を成さない。《オルドレイザー》とあの赤いデヴァウルの衝突を前提に陣形を立て直す他ないだろう。
「《オルドレイザー》の、性能なら……くっ、だとしても!」
一瞬でも囮の様な扱いをしようとした自身の頭を力一杯叩き、M・Sのメンバーへ通信を繋いだ。
「《ブラストハンド》、《ソニックスラスト》、《ヴァレットボックス》、引き続き政府軍の援護を。俺と《ジェネレビオ》は《オルドレイザー》の援護だ」
『グリム兄さん、あの赤いデヴァウル1体に3機も割くの?』
「それが最善だと判断したんだ。ネクト、異議があったとしても今は」
「赤いデヴァウルは、《オルドレイザー》だけでやる」
しかしグリムの意図しない言葉が、シェイクから発せられてしまった。
「誰も付いてくるな」
グリムが制止する間もなく、《オルドレイザー》と赤いデヴァウルの影がぶつかり合った。
そして意図せぬ事態は続く。シェイクとの通信が切れた瞬間、《ジェネレビオ》が《オルドレイザー》の元へ飛び立ったのだ。
「ネクト!?」
『援護なら《ジェネレビオ》の方が向いてる。彼奴の指示なんか聞く義理はない』
「ネクト、あの赤いデヴァウルは、っく!」
ネクトを諌めようとした瞬間、横から割って入った《シャークバード》が突進。斧に似た吻を《バインドホーク》へ叩きつけようと迫る。
「邪魔をするな、こんな時に!!」
突進を躱し、両手から射出したワイヤーで吻を絡め取る。直後、バインドホークの右脚が変形。爪先が後ろへ下がり、脚部前装甲が2つに分割、先端から短いビーム刃を発振。巨鳥の鉤爪の様になった右脚が、《シャークバード》の頭部を吻ごと挟み潰した。
『グリム、《シャークバード》の群れも減ってきた。この調子なら……』
「連絡は殲滅し終わってからで結構です! 今は目の前の敵に集中して下さい!」
『え、おう……悪い』
明らかにいつもと様子が違うグリムに困惑しながらも《シャークバード》を相手取っていると、政府軍からの通信がストームの耳に入る。
『ゾルワルト大佐の部隊が到着した!』
「はぁ〜、重役出勤ご苦労様ですってな」
背後から駆けつける数機のDCD。その中に、白色の装甲とメタリックレッドのラインが輝く《ハーダー》の姿があった。一際巨大なビームランスを携え、群れの中心へ肩に備え付けられた380mm拡散キャノンを発射。炸裂した瞬間、大量の熱破片が《シャークバード》達を斬り裂いた。
「嫌がらせメール送ってやろっと」
ストームはゾルワルトへ、重役出勤ご苦労様とメールを送信。するとすぐに、
『協力感謝する』
と味気ない返信が来る。洒落た語彙を持ち合わせていない真面目な人間だという事は分かりきっていた為、ストームは小さく笑う。
「《シャークバード》の方は何とかなりそうだが……あの赤い奴がどう動くか」
通信を聞いていた為、ある程度は理解している。あの赤いデヴァウルはシェイクとの間にただならぬ因縁を抱えている。それを前にして冷静でいろ、という方が無理な話だろう。
過去の経験から、ストームはそれをよく理解していた。
「それこそ、水を差したら野暮ってもんだよな。だろ、同じ部外者さんよ」
《シャークバード》達に狙いを定め、最後のミサイルを発射。派手に炸裂した事を見届け、肩のミサイルユニットをパージした。
一騎打ちをお膳立てする役目に徹する事には慣れている。
狙撃から僅か数分と経たずに近づいて来た赤いデヴァウル。それと真正面からぶつかり合う様な軌道で飛翔する《オルドレイザー》。
一切速度を緩めないまま、瞬く間に距離が縮まっていく。
「シェイク、ぶつかっちゃう……!」
ソーンからの警告に応える余裕すら今のシェイクにはなかった。あの赤い影を見ているだけで身体に走る痺れは、きっと恐怖から来るものだろう。
7年前、シェイクはあのデヴァウルに殺されかけた。そして、自身の愛機と、本当の姉と父の様に慕っていた人達を失った。守るべき家族からの信頼と愛を失った。目的を失った。全てを失った。
あの赤いデヴァウルに、奪われた。
違う。
姉の命を奪ったのはお前だろう。
シェイク・ストラングス。
「っ!!」
衝突する寸前、《オルドレイザー》が振るったメデオブレイドと、赤いデヴァウルが振るったビームブレイドが交わった。特有の電磁波が生じる特殊な反発作用、そして高いエネルギー同士が近づいた事による発火現象。まるで鍔迫り合いの様に拮抗し合う。
今の声はおそらく幻聴だ。何故なら、自分の声だったから。
擦れ違う様に離れ、再び光の刃をぶつけ合う。至近距離に迫ったデヴァウルの顔を見る度、シェイクの身体に走る痺れが増していく。
鍔迫り合いから機体を退くと同時に、左手マニピュレーターの付け根からビームバルカンを連射。ビームクローの発振部としての機能だけでなく、3連装のビーム機銃の砲門としての機能も有している。
牽制にしかならないことは承知の上。狙ったのは頭部だ。生物である以上、多少なりとも怯む素振りは見せる筈。それを見越し、メデオブレイドを突き出す構えを取る。
だが赤いデヴァウルは同様に後ろへ退くと、眼から強烈な光を照射。反射的に目を逸らしたシェイクとソーン。2人の視界が遮られた一瞬で、デヴァウルの姿は消えてしまった。
「逃げられた!?」
「違うよ、真上!! 早く!!」
目を塞いだまま叫んだソーンの言うままに、シェイクは《オルドレイザー》のメデオブレイドを上へ掲げた。振動と疎らな閃光が、3度目の迫り合いを伝える。
「このっ!」
今度は左手からビームクローを発振、目突きの様に突き出そうとする。
これも読んでいたのか、赤いデヴァウルは鍔迫り合いを強引に押し返し、《オルドレイザー》の頭部へ蹴りを見舞う。回転しながら吹き飛ばされる機体へ、デヴァウルは背から抜いたビームライフルの細い銃口を定める。
「ビームバリアが、間に合わないならっ!!」
背中のスラスターを噴射して体勢を立て直すと、メデオブレイドを逆袈裟に振り払った。発射された閃光の軌道を逸らす。範囲が極端に狭いだけでビームバリアと防御方法に差異はないが、コクピットを狙うと分かっていなければ出来なかっただろう。
「やっぱり、分かってるな……コクピットの事を!!」
デヴァウルには基本、知性は存在しないと言われている。数年前までは統制すら取れない烏合の衆そのもので、その隙をついて来たからこそ今まで人類は対抗出来たのだ。
しかし目の前の赤いデヴァウルは明らかに理解した上でコクピットを狙っている。ここを抜けば目の前の敵は死ぬと。
追い討ちの如く赤いデヴァウルがライフルのトリガーを引こうとした時だった。
オレンジ色の熱線が降り注ぐ。赤いデヴァウルは一瞬早く気がつき、身を引く様に回避した。
「ネクト……!?」
シェイクは思わず歯噛みする。自分の言った事を聞くとは思っていなかったが、心のどこかでグリムが引き止めてくれるだろうという甘えがあった。
『援護するから距離を取って!』
「ここから離れろ!! このデヴァウルは普通じゃないんだ!!」
『そんな事分かってる! だから他の皆と連携する為に下がれって……!』
「そうならない為に俺は ──」
そこまで言いかけた時だった。悪寒が走り、意図せず赤いデヴァウルの方へ視線が向く。
赤いデヴァウルは自身の周りを飛び回るファイアスケイルを興味深そうに眺めている。やがて、《オルドレイザー》の向こう側にいる《ジェネレビオ》を見る。
突如、赤いデヴァウルの顎部が大きく裂けた。ネクトは未知の攻撃と考え武器を構えたが、シェイクはその行動の意味をよく理解していた。
笑っている。吊り上がった筋組織が、悪辣な笑いを象っていた。
直後、熱線を放とうとしたファイアスケイルへ赤いデヴァウルはライフルを発射。小さく視認する事すら困難なファイアスケイルを寸分違わず撃ち抜いた。
「っ!?」
ネクトがファイアスケイルの反応が消えた事に虚を突かれた一瞬の内に、もう一基が墜とされる。報復の様に撃ち出される細いビームを赤いデヴァウルは僅かな慣性移動のみで回避。逆にビームを放ったファイアスケイルから撃墜していく。
全ての反応がロストした表示がモニターに現れた時、《ジェネレビオ》目掛けて突き出されるビーム刃の輝きが割って入った。
『ネクトッ!!』
「うぅっ!?」
咄嗟に抜剣したビームブレイドで受け止めるが、《ジェネレビオ》の馬力とビームブレイドの出力では相殺出来ずに弾き飛ばされる。
しかし赤いデヴァウルは追撃せず、まるでネクトを煽る様に右手の指を開閉する。悪辣な笑いを向けながら。
「この……っ!?」
ビームマシンガンを向けようとしたが、射線を塞ぐ様に《オルドレイザー》が躍り出る。
「ちょっと、どういうつもり!?」
『……め』
ネクトの予想に反し、聞こえて来たのはソーンの声だった。それもネクトに対する返事ではない。
『駄目、《オルドレイザー》……やめて……!!』
そこでようやく気がついた。《オルドレイザー》の装甲の隙間から漏れ出る炎に。
『また暴走したら、もうシェイクは帰れなくなるんだよ……そんなの、やだ……!!』
ソーンの掠れ声から察するに暴走は避けられないだろう。だが赤いデヴァウルがいる中、《オルドレイザー》を撃つ事が出来る筈もない。
「どう、したら……!?」
ネクトが答えを見つけるよりも早く、時は来てしまった。
『駄目ぇぇぇぇぇぇっっっ!!!』
ソーンの絶叫と同時に、《オルドレイザー》の背中から青い花弁が開いた。
続く




