第13話 伝えたい言葉
「おいグリム、今すぐ格納庫に……おい、どうしたお前?」
第3コロニー港では既に重力が働いており、パストゥが走る事で金属の床を足が叩く甲高い音も響いている。しかしグリムはというと、1枚の長い感熱紙に釘付けとなったまま呆然としていた。普段は皆を率いる立場として気丈さを放つ目が、〆られた魚の様に生気なく見開かれている。
「何みてんだお前、って、うわ……」
引ったくった感熱紙に刻まれた数字を見たパストゥは思わず呻いた。数字が6桁、頭の数字は2。一体何をどれだけ買えばこんな数字を叩き出せるのか一瞬疑問に思ったが、文字を見て納得した。
「まぁまぁこれは……お兄さんは新しい妹ちゃんがお気に入りなのかね」
「俺が、甘かったんです……念のため自分のカードを渡しておいて正解だった……は、はは……」
「はぁ。そんな金欠グリムくんに朗報だ」
数枚の紙束で額を軽く叩いてやると、スイッチが切り替わった様にグリムはそれを受け取った。目を通している間にもパストゥからの情報が同時に頭へ流れてくる。
「前にシェイクに出しとけって言った武装企画書なんだが……出した3つ全部が通りやがってな。近い内に試作品がこっちに来ると思う」
捲るたびに現れる兵器に、グリムは何度も感心させられる。どれもが量産機に適したコスト、それでいて戦術に一石を投じる様なもの。
「分かりました。テストを兼ねた案件を探しておきます」
「おー。あと、シェイクも格納庫に呼び出しといてくれ。《オルドレイザー》にてめぇの我儘積んどいたってな」
「我儘……って、もう終わったんですか?」
「誰だと思ってんだよ私を。天才だぞ」
マイナスドライバーをペン回しの様に弄りながら、パストゥは笑ってみせた。
呼び出しを受けたシェイクが格納庫へ向かっていると、トレーニングルームがふと目に入った。部屋に立ち入る扉の上に、今この空間がどういった状況になっているのかを示している。
「3G……?」
かなり無茶な数値だ。トレーニングはおろか、歩く事すら困難だろう。一体誰が入っているのか。
シェイクは部屋のロックを開き、中へ足を踏み入れた。途端に身体にのしかかる重力。身体の中身が丸ごと鉄塊に入れ替えられたようだが、まだ鈍ってはいないらしい。
ゆっくりと重力制御盤に近づいていく。奥で懸垂をしている人物はシェイクに気付いていない、というより周りを気にする余裕がないのだろう。床に落ちる汗の量からそれが分かる。
パネルを叩き、1Gへ数値を戻した。途端に羽毛の様に軽くなる身体。それは訓練をしていた人物にも訪れたのか、懸垂を止めて床へと降り立った。
「……使うの?」
「いや。3Gなんて環境でトレーニングをやるのが誰か、気になって」
息が上がったまま振り返ったネクトの顔に余裕などない。立っているだけで精一杯なのが分かる。トレーニングウェアが吸いきれなかった汗だけで水溜りが出来ているという状態だ。
「重力操作トレーニングは2Gまでにしておけ。身体を壊す」
「はぁ……はぁ……」
壁のホルダーから経口補水液が詰められたボトルを差し出す。しかしネクトはしばらく見つめたまま動かない。
「俺からは受け取りたくないか?」
「……いや」
シェイクからボトルを受け取ると、音が聞こえる程の勢いで中身を飲んでいく。10秒と経たないうちにボトルは空になった。
「分かった。今度からそうする事にする」
「っ、そうか」
「何を勘違いしているのかはよく分からないけど」
僅かに驚いた様子に気づいたのか、ネクトはボトルを棚に戻しながら続ける。
「間違ってないって思えば同意くらいするから」
「……それで、いいさ」
会話を打ち切り、シェイクはトレーニングルームを去ろうとする。
そこで肩を掴まれ、引き止められた。
「《オルドレイザー》を降りる気はないの?」
「何だ、急に」
あまりに突然言われた為に、最初は冗談か何かだと思った。だがネクトは冗談を言う様な性格ではないし、何より声色が本気だった。
「……やっぱりいい。忘れて」
しかしすぐにネクトは手を離し、シャワー室の中へ消えてしまった。
── その時が来たら、覚悟して ──
── 《オルドレイザー》を降りる気はないの? ──
一体、どちらがネクトの本心なのか。7年前までは自分の一部の様に一緒に生きてきた彼女の心が、シェイクにはもう分からなくなってしまっていた。
「何で今更、あんな事……!」
降り注ぐ湯の雨の中、ネクトは自己嫌悪の溜息を溢す。首にかけた2つのペンダントを見つめるが、何故あんな言葉が出たのかはまるで分からなかった。
皆の前で啖呵を切りながら、何処かでまだ迷いがある。迷いを抱く事は弱さであると7年前に知ったあの時から、もう迷わないと決めた筈なのに。
「まだ、足りてないんだ……」
湯の雨と共に、迷いも流れ落ちてしまえば楽だというのに。
「おせーぞおい、何やってたんだよシェイク」
「すまない。……何でソーンもいるんだ?」
パストゥの横には、アルルから買って貰ったであろう惑星がプリントされた白Tシャツを着たソーンの姿もあった。
見れば彼女の首と手首には見慣れない装置が付いていた。チョーカーにも見えるが、左右に青い半球状の物質や、布の様に薄い部分に走る回路の様な模様が目立つ。
「まぁ一つはこれのお披露目もある。ほらソーン、シェイクになんか送ってみ」
「っ」
頷いて見せると、白く細い指が青い半球に触れる。するとシェイクの目の前に小さなディスプレイが現れ、文字を表した。
『これがあれば、紙もいらないね』
「なるほど、ミニマムモニターか。よく手に入ったな」
ミニマムモニターとは、艦内でも飛び交っているドローンを更に小型化したもの。操作範囲は狭い上に文字表記しか行えないものの、脳波による操作を可能としている。未使用時は手首に格納されており、生体電気による充電を行なっている。
言語や聴覚に障害を抱えた者が活用しているものの、中々手に入らないのが難点である。
「なきゃ不便だろ。ダメ元だったが何とか届いてよかったって訳だ。んで、あとはもう一つ」
パストゥは背後に並んだ武装を指差した。
メデオライフルのフレーム部に外付けされた箱状の装置と、ストック下部に増設された弾倉。
「連射性の向上は何とか解決した筈だ」
「……外付け、か」
「おい、まだ不満かよこの野郎」
胸倉を掴んだパストゥを見たソーンが慌てふためくが、シェイクは慣れた様に手を離した。
「いや、こんな短時間で済ませて貰った手前、そんな事は言わない」
「内蔵式にしたかったのは山々だったけどな。あと、バズーカの方もHEAT弾が使える様にしといた。そっちはもう《オルドレイザー》に積んじまったが」
そう言っている間にもメデオライフルがクレーンによって吊り上げられていく。少し奥に目をやると、メデオライフルと繋がっていたケーブルがぶら下がったままの《オルドレイザー》が佇んでいた。背中にはショットシェルバズーカのHEAT弾倉を積んでいる。
「何だかんだ、ここに残る事に決まったんだ。バリバリ働いて貰わないとな。お前にも、《オルドレイザー》にも」
「……」
「おっとそうだな。ソーンも」
ややバツが悪そうに見つめてきたソーンの方も軽く叩き、パストゥは別の現場へ移ろうとした。
その時だった。
《警告! 第3コロニーへ接近するデヴァウルの群体が観測されました!! 繰り返します、デヴァウルの群体が観測されました!!》
『シェイク!』
早速ミニマムモニターに文字が表示される。しかし真剣な表情をしたソーンに対し、シェイクもパストゥも慌てた様子はない。
「ソーン、第3コロニーにデヴァウルが出た時は、基本政府軍が対応する事になってるんだ」
『そう、なの?』
「そうそう。だからゆっくりまったりしてりゃいいって事」
ソーンの頭をくしゃくしゃに撫で回すパストゥ。少々ムッとした様に頬を膨らませるソーンだったが、自然に接してくれる彼女に対して警戒はしていない様だ。
「にしてもやっぱりお前、整備士に行った方が良かったんじゃねえの?」
パストゥはシェイクの腰を叩く。
「武装企画書が一気に3枚通るなんて中々ないんだぞ? あの中だとダミーバルーン機雷が一番好きだったなぁ」
「それはお互い様だろ。お前だってパイロットになったら……」
「……わり、やめだやめ」
この話を早々に打ち切るパストゥ。いつもの様な笑みではなく、何処か諦観を含んだものだった。
「出来る事とやりたかった事が噛み合わないってのは、別に珍しい訳じゃねぇしな」
『ん? どういう事?』
無邪気な一文と、純粋に首を傾げるソーンだったが、パストゥは質問には答えず再び髪をくしゃくしゃに掻き回した。
「夢溢れる女の子にゃまだ早い話だよ!」
「ん、ん、ん」
そんなやりとりを見守る中で、シェイクはある事に気がついた。
「……警報、止まないな」
「そういや。って事はまだコロニー防衛ラインから引き離せてないって事か。手こずってんのかね?」
『……やっぱり、行った方が良いよ』
ソーンの身体が小さく震えた。何か無意識の内に感じ取っているのだろうか。俄かに信じがたいものの、共に《オルドレイザー》に乗ったシェイクには分かる。
ソーンの予感は当たる。
「行った方が良いったってな、何処に行きゃいいっ!?」
直後、艦内が大きく揺れた。パストゥの小さな身体が整備橋から転げ落ちそうになったが、シェイクが間一髪拾い上げる。
「何だってんだよ! 誰か誤発進させたか!?」
「いや、この揺れは艦じゃない……港が揺れている!」
《デヴァウルの一部が防衛ラインを突破! 政府軍より救援要請を受信しました! 急で申し訳ございませんが、戦闘配置について下さい!》
「ソーン、パイロットスーツに着替えるぞ!」
「ん!」
政府軍の戦力を掻い潜るほどの個体数だったのか、はたまた別の原因があったのか。
シェイクは妙な胸騒ぎが止まなかった。
続く




