第9話 宇宙に薔薇が咲く
通信機から鳴り響く奇怪な重低音は、警笛なのか、それとも総攻撃の合図なのか。その答えは次々と前進を開始した《ハウェール》達の動きが表していた。
『周囲の《ハウェール》達が、あ、えっと……』
『あの馬鹿でかい個体を今から《ハウェール・タイタニア》って呼ぶぞ!』
『は、はい! 《ハウェール・タイタニア》の音波に反応、こちらに総攻撃を仕掛ける模様!』
ダイゾウとコムニからの呼びかけ。しかし誰もそれに応答する暇がない。
「ちょちょっ、横からめっちゃ来た!」
「これじゃ捌ききれない!」
艦側面で《ソニックスラスト》と《ブラストハンド》が応戦するが、《ハウェール》から放たれたビーム弾のいくつかが《アスカロン》の艦底部に直撃。防御兵装を持たない2機にとってこの状況は最悪と言っていいものだった。
「艦底部損傷! 幸い破壊されたのは自動機銃の一部です!」
「これじゃ移動船に当たるのも時間の問題だ。撹乱煙幕を再展開! 自動迎撃装置を前面から側面まで展開!」
返事を待つ時間も、する時間も惜しい。手伝いに来た整備士達とコムニが急ぎパネルを操作する。
「ストーム、操舵は俺がやる! お前も行ってこい!」
「あいよ! ……はぁいパストゥちゃん、《ヴァレットボックス》は……」
『2分!!』
「オッケー!! 大好き!!」
ストームは椅子から駆け出し、格納庫へと向かうのだった。
『こ、こちらアルル〜! 何とかやってるけど、ひぃ、許して〜! もう疲れた〜!』
『こちらペイル、こんな事言いたくないが、《ブラストハンド》じゃこの数は相手しきれない!』
通信内容に耳を傾けつつ、シェイクは操縦桿のトリガーを引く。
後方から襲撃してくる《ハウェール》達も増え、もう既に30は超えている。どうやら顎髭に潜んでいた個体以外にも潜伏させていたらしい。
横を見れば、オレンジの熱線に焼かれて爆散する個体。ネクトも善戦しているが、このままではすり潰される方が早いだろう。
「ネクト、一度下がった方がいい」
「それ言うの何度目? まだ戦えるから」
「マシンガンの残りパック数は?」
「無い。でもファイアスケイルもビームブレイドも余裕がある」
「まだ戦えるっていうには心許ない数だ」
《ジェネレビオ》の背後に迫っていた《ハウェール》をバズーカで迎撃。ネクトもしっかり見ていたのか、直後にファイアスケイルが焼き払った。
「今ここを手薄にしたらデヴァウルが移動船に行くでしょ。それとも、あんた1人でここを守るの?」
このネクトの言葉にソーンが僅かに頬を膨らませる。しかしそんなことを知る由もないネクトは続ける。
「それに、グリム兄さんからここを任されてる。投げ出す訳にはいかないから」
「下がる事と配置を放棄するのは違う」
「っ、さっきから何なの!? 邪魔だから下がれって言うならあんたがもっと前に出れば良い! 指揮官はダイゾウさんとグリム兄さん、あんたじゃない!」
「……シェイクは心配してるんだよ! 何で分からないの!?」
ずっと堪えていたソーンが遂に声を張り上げた。虚を突かれたのかしばらくネクトは黙っていたが、
「誰、って……あぁそっか。乗ってる時は喋れるんだっけ」
「ずっと聞いてた! シェイクが言う事、無視したり、否定してばっかり! 何で話をちゃんと聞いてくれないの!?」
「ソーン、喧嘩はいいから索敵、をっ!!」
危うく移動船へ向かうところをメデオライフルで撃ち抜いた。だがシェイクの仲裁もソーンの耳には入っていない。そしてそんな彼女に対し、ネクトは冷めた対応を続ける。
「話は聞いてる。聞いた上で答えてる」
「じゃあどうして!?」
「どうしてだっていいでしょ。黙ってて」
「シェイクは皆の為に頑張って……」
「今の話と何か関係ある?」
「落ち着け、今はこんなことをしてる場合じゃない!」
収拾がつかなくなり、シェイクにも焦りが見え始める。メデオライフルはリチャージ中、ショットシェルバズーカは撃ち尽くした。だが一向に状況は好転しない。
嫌な記憶が脳裏を過り、思わず歯を食いしばる。
「関係ある! みんな、みんなシェイクの事、遠ざけて……うっ……!?」
更に反論しようとした時だった。突然ソーンは胸を押さえ、呼吸を荒くし始める。
「どうしたソーン!?」
「はぁ、はぁ……こんなに、苦しいのに……こんなに痛いのに……誰も、誰もシェイクの事……!!」
「何を言ってるんだ一体、っ!?」
直後、シェイクの肺にも激痛が走る。まるで胸の中を有刺鉄線で絞め上げられる様な痛み。否、痛みだけではない。
喉から迫り上がってきた液体が口から溢れる。毒々しい程に真っ赤な血がヘルメットにへばり付いた。
「はっ、うっ、っ!!」
「な、何!? 何が起きてるの!? ねぇ!!」
ネクトの呼びかけに応える事も出来ない。目の前が暗くなっていく。力も入らない。何が起きたのか分からないまま、意識が遠ざかっていく。
(ぁ、ぁぁ、これは、あの時と、同じだ……)
── シェイク……お前は間違ってない ──
── 生きろ。それだけでいい ──
目の前で炎となって消えた生命。憧れていた人が乗っていた機体が、刹那の輝きと共に散った瞬間。
炎の中から現れた、愉悦に満ちた笑み。
あの時から、シェイクは何も見えなくなった。聞こえなくなった。
自身の未熟さで、家族の柱だった2人を失った時から。慟哭し、嘆き、自身を責める家族の声から逃げた時から。
「シェイク」
耳元で囁かれた声と、冷たい感触で意識が引き上げられた。依然目の前は暗い。道標の様に声だけが聞こえる。
「貴方の痛み、私も今感じてる。だから、貴方にも私が感じている世界をあげる」
次の瞬間、視界が一気に広がった。明らかに人間の視界ではない。360度全てが見渡せる様な感覚。空間の全てを鮮明に把握しているという実感。
「これ、が、ソーンが、見ている、世界……?」
首に回された白い腕。そこには何本もの蒼い荊棘が絡みついている。しかし痛みはない。むしろ心地良さと安心感が身体を満たす。
「シェイク」
ソーンの囁きと同時に、シェイクの瞳も彼女と同じ様に蒼く染まった。
「討って」
《オルドレイザー》が吼える。蒼い流星となって飛翔し、転移したかの様な速度で《アスカロン》の真上に現れた。
バックパックの装甲を突き破り、炎の花弁が広がる。6枚の花弁の中心で、《オルドレイザー》は再び世界を震わせる咆哮をあげた。
異常な熱量が宙域に吹き荒れる。巨大な《アスカロン》や《ハウェール・タイタニア》すら大きく揺さぶる程の衝撃波。
『うわぁぁぁぁぁぁ!?』
『な、き、機体が、機体が飛ばされる!!』
《ソニックスラスト》と《ブラストハンド》は咄嗟に《アスカロン》の甲板に掴まる。
『熱波!?』
グリムは《バインドホーク》の両腕部から細いワイヤーを射出。近くに漂っていたデブリを引き寄せて身を守る。
「ぅっ、この熱量……!」
《ジェネレビオ》は両腕のビームバリアを展開する。しかし機体が煽られ、コクピットが激しく揺れる。
『何が起きた!?』
「《オルドレイザー》が、何かおかしい事になってる!!」
グリムの問いに対し、ネクトはそんな曖昧な答えを返す事しか出来ない。
そして、更に奇妙な事に気づく。
「《ハウェール》が……」
『《ハウェール》……? っ、これは!?』
この宙域にいる《ハウェール》達は全て、口を半開きにしたまま微動だにしない。遠方で《ハウェール・タイタニア》が何度吠えても、まるでそれが聞こえていない様に動かないのだ。
「訳が分からない……」
『こうなった以上、進路上の《ハウェール》を片付けながらタイタニアを躱して離脱する方がいい! 全機に配置を送るからすぐに ──』
グリムの通信が届くより早く、光の筋が宙を走った。遅れて輝くいくつもの爆発。
ネクトが見上げた先にいた《オルドレイザー》は、まるで蒼い薔薇のように暗い宇宙に咲いていた。
乱れ撃たれるメデオライフルの熱線に《ハウェール》達が成す術もなく焼かれていく。進路上にいない個体まで念入りに撃ち抜き、その全てを狩り尽くさんとしている様に見える。
『シェイク、ソーン! 応答してくれ!!』
辛うじて声を上げるのはグリムだけ。他の誰もはその圧倒的な力を振るい、デヴァウルを蹂躙する華を黙って見る事しか出来なかった。
『ムルォォォォォォ!!!』
怒る様に口を開け、砲塔にエネルギーを充填する《ハウェール・タイタニア》。だがその報復の一射すら《オルドレイザー》は許さない。銃口を遥かに超える太さのビームを放ち、砲塔を破壊。暴発したエネルギーに背中を焼かれ、《ハウェール・タイタニア》は苦悶の声を上げる。
『ムガァァァァァァ、ァァァ!!?』
口を縛り上げ、鰭を引き裂かんばかりに巻きつく蒼い荊棘。それは《オルドレイザー》の背中から射出されたものだった。
自身の数十倍ある体躯の相手を拘束した《オルドレイザー》の手に握られているのは、メデオブレイド。背部と繋がったその柄からは、宇宙空間だというのに炎の様なものが揺らめいている。
炎は一気に収束。《オルドレイザー》はおろか、《アスカロン》すら超える長さに伸張した青白い刃へ変貌する。
閃光が走った刹那、宇宙を両断するように刃が振るわれた。
騒がしかった空間に静寂が戻る。《オルドレイザー》の花弁が散った瞬間、《ハウェール・タイタニア》の身体が真横に断たれる。
爆発はしない。切断面がまるで熱したナイフを入れられたバターの様に滑らかな為だ。黒い体液の一滴も、臓物の一欠片も溢れない。
付近にいた《ハウェール》も巻き込まれたのか、体の一部が漂っている。あれだけあった反応はもう1つも存在しない。
「なん、だったんだ……現実なのか……?」
『紛れもなく現実だったよ』
震える声をしたグリムを我に返すように、通信機からストームの声が発せられる。
彼のDCD、《ヴァレットボックス》が沈黙する《オルドレイザー》を回収。そこでようやくグリムは、今回の防衛戦が終わった事を認識した。
『グリム、これから俺達がすべき事は言わなくても分かるな?』
「…………はい」
『オッケー。なら良いんだ』
ストームは大きく息を吐き、木端の様に漂うデヴァウルの残骸を見つめた。
「思わぬ拾い物、か」
続く