第1話前編 残骸惑星
その昔、地球は青かったらしい。
砂埃と瓦礫で所々破れた本に書いてあった。雄大な海や森が広がり、魚や鳥、獣が駆け、人間が様々な文明を築いていたと。
今を生きる人達にそれを伝えたら何というのだろうか。馬鹿馬鹿しい夢物語と言うか、その時代に戻りたいと言うか。
妄想するだけなら自由だ。誰も咎めはしないし、罰せられはしない。仮に口にしたとしても、笑われるか、疲れているのかと心配されるくらい。
踏み倒され、天井が抜けた廃墟を出る。辺り一面に広がるのは真逆の、枯れ果てた黄金の大地。風が吹く度、渦を巻く砂が頬を叩く。尖った岩や瓦礫が申し訳程度に彩っているが、寂しさと虚しさは隠し切れていない。
近くに停めていた二輪バイクも随分砂を被ってしまっている。軽く砂を払い、エンジンを掛けてみる。少し歯切れの悪い起動音を上げたが、無事に準備が整ったようだ。
燃料は街でも手に入れるのが難しいガソリン。こうして廃墟の中を必死に掘り返し、見つけた遺物と引き換えに得ている。
今の時勢、外をふらつくのは山賊か犯罪者くらいなのだが、おかげで貴重な品を見つける事もある。犯罪者や山賊が襲ってくれた方が助かるのも本音である。返り討ちにして食料を頂く事ができる。
座席に跨りバイクを走らせる。砂埃を上げながら、今日最後の目的地へと向かう。
照りつける太陽が鬱陶しく、無意識のうちに空を仰いだ。そういえば一つだけ、本に書かれていた事と同じものがあった。
空だけは変わらず、青いまま。
2200年現在の地球は、およそ緑の星とはいえない状況だった。それは今から100年程前、思わぬ来客によって人類は滅亡の危機に陥ったからだ。
外宇宙からの侵略者。
当時までは、映画のスクリーンの向こう側でしか起こり得ない出来事。しかしいつかは成し遂げたいと夢見る者もいた、未知との遭遇。そのファーストコンタクトは最低最悪なものだった。
地球へ隕石と共にやってきた彼等は、地球上に存在する全ての資源を喰らい始めた。木、生物、石、土、鉱石、果ては海水や溶岩までも、彼等にとっては食料に過ぎなかった。普通の生物であれば排泄物も地球に還元されるのだが、彼等の排泄物はむしろ地球を蝕む毒にしかならない。
その所業は人間が過去に行った行為と重なるが、決して人間と共存する事はなかった。それどころか彼等は人間を、否、人型をした生き物を異常なまでに狙い、滅し続けた。
いつしか彼等は貪り喰らう者、《デヴァウル》と呼ばれるようになった。
人間は強大な侵略者を前にして、武器を取ろうとはしなかった。母なる地球を棄て、宇宙へと逃げるように移り住んだのだ。地球に意思があれば、こんな恩知らずな行いをした人類に対し怒り狂ったであろう。だが同時に、敵わぬ脅威を前に逃げるのは生物として至極当然な選択ではあった。
まず初めに衛星を打ち上げ、そこを拠点に開発を開始。これまで通信設備の役割を果たしていた人工衛星を改修、居住区や食糧生産区、資材開発区として生まれ変わらせた。
それまでの間、一切地球の外へ出る事をしなかった人類は、命を脅かす脅威を前に飛躍的な躍進を遂げたのだ。
そして今から30年前、最後のシャトルが打ち上げられた。取り残された人達は皆、地球と共に最期を迎える日を待つしかなくなっていた。ありきたりな映画と違うのは、彼等がそれを望んでいた点だろうか。
だが今、バイクで砂漠を駆けている青年、シェイクは違う。彼は少し前まで宇宙で暮らしていた。実兄と、仲間達と。現在はある事をきっかけに仕事を辞め、こうして瓦礫漁りをしている。
このバイクも拾い物。比較的状態が良く、持ち主が乗り捨てたのかキーも刺さったまま放置されていたのだ。それをシェイクが少し弄り、愛用している。
このご時世、地球では貨幣など鼻を嚼む紙くらいにしかならない。誰のものかも分からない遺物を欲しがる、物好きな人間がいなくてはシェイクも野垂れ死ぬしかなかっただろう。生きる事を半ば諦めた人々の中にはシェイクに勝るとも劣らない変人がいるのである。
日陰にバイクを停め、水筒に入った水を呷る。自分でも濾過はしたものの、やはり少し砂の感触がする。今では少し濁った水さえ高級品。それもデヴァウルが森を食い、湖や川、海の水すら飲み干し始め、砂漠化が深刻な速さで進んでいるからだ。
ここからは歩いて目的地へ向かう。道が瓦礫で埋め尽くされている為だ。昔、住宅が密集していた地域なのだろう。
だがここで、シェイクはある音に気がついた。これは自分が駆るバイクに似た、しかし更に重い音。それに追従する足音。
物陰に隠れ、望遠鏡で音がした方を探る。
「トラックと……やっぱりDCDか」
巨大な貨物を積んだ軍用トラック。その後ろを、重火器を手にした金属の巨人が付いて歩いていた。
DCD、50年ほど前に開発された、デヴァウルに対する抵抗手段の一つ。デヴァウルが人型に対し異常な執着を見せる事を逆手に取り、彼等を引き付け、狩る為の兵器だ。骨肉や鎧の元となる金属類は、通りすがる隕石や小惑星から採取されたもの。見方を変えれば、DCDもデヴァウルと同じ地球外の存在。しかし牙も爪も無い人類にとって、この巨人こそ唯一の抵抗手段なのだ。
「トラックで運ぶもの……?」
月に一度のペースでコロニーから物資が補給される。しかしほとんどは指定ポイントに小型無人衛星が着陸し、そこから物資を受け取る手法が用いられている。街同士の交流も失われた現在、わざわざトラックで運ぶ利点は少ない。
シェイクが望遠鏡で観察していると、ある事に気がついた。
トラック達が向かう少し先で、地面が不自然に砂埃を吐き出している。直後、大量の砂を押し上げて奇怪な生物が姿を現した。
蟹の背中からムカデの長い胴体が伸びる奇怪な形状をしたデヴァウル。巨大な鋏が頭部にあたる場所の側面から飛び出し、胴体から生えた無数の脚は一つ一つが砂を搔くのに適した鰭となっている。ガラスを引っ掻く様な咆哮を上げ、トラックへ襲い掛かる。
デヴァウルが出現した時に生じた砂の波がトラックを横転させる。しかしトラックを守るべく、DCDが立ち塞がる。
「たった1機で?」
DCDの名は《ナチュラリー》。最も多く量産されているDCDであり、宇宙地上問わず運用出来る汎用性と装備の拡張性の高さが特徴の機体である。太陽光を反射する銀色の装甲から、安価で操作性が良いⅡ型だと分かる。
《ナチュラリー》がバックパックに懸架した武器を取り出す。折り畳まれた銃身からバレルとストックが展開。トリガーを引くと、オレンジ色のエネルギー弾が発射された。
ビーム兵器。DCDと時を同じくして開発された人類の叡智の結晶である。
デヴァウルが地球にやって来た時、ほぼ同時期に飛来してくる様になった隕石から採取された未知の鉱石。それが持つ特異な性質を利用した光学兵器で、これが無ければデヴァウル相手に長期間の抵抗は不可能だっただろう。
「地球で、ビーム兵器……」
しかしシェイクは嫌な予感を感じ、思わず肩が震えた。確かにビーム兵器は強力だ。デヴァウルの堅牢な甲殻すら焼き穿つ威力を持っている。だが光学兵器である以上、まだ大気が存在する地球では大きく破壊力が落ちてしまう。ただそれでもなお強力ではある為、地球でビーム兵器を使用する際は出力を大幅に上げた状態で用いるのが一般的だ。
しかしこの《ナチュラリー》が放ったビーム弾はデヴァウルの鋏に直撃した後、一瞬で散ってしまった。出力を調整していない証拠である。デヴァウルにとって小石をぶつけられた程度だろう。しかしトラックを見ていた頭部がゆっくり《ナチュラリー》の方へ向く。
ひたすらビームを撃ち続けるが、デヴァウルは怯む事なく突進。その巨体で《ナチュラリー》を押し倒してしまった。
中のパイロットはパニックなのだろう。ビームライフルを投げ捨て、腰のラックからビームブレイドを引き抜いた。オレンジ色の刀身が大きく伸び、熱波が砂漠の砂を小さく波打たせる。
「ビーム刃を収束させてない……」
ライフルよりは幾分かマシではあるだろう。だがあれだけ密着されていてはビーム刃が長過ぎて当てられたものではない。仮に当たったとして、ビームライフルと同様大気の影響で不安定に揺らめく状態では鈍である。
このままでは間違いなくあの《ナチュラリー》は破壊される。シェイクの目に止まるのは、横転したトラックだ。望遠鏡を覗くと、運転席から出た人物が仕切りに無線目掛けて叫んでいる。応援を読んでいるのだろうが、状況を見ても間に合う前に《ナチュラリー》が破壊されるのが先だ。
助けるか、見捨てるか。
シェイクはその選択肢を秤にかける前に動いていた。
二輪バイクのエンジンを叩き起こし、フルスロットルで運転手の元へ向かう。瓦礫の中を蛇行し、前輪を上げて乗り越え、身を屈めて廃墟のトンネルを潜る。
クラクションを連打し、自分の位置を知らせる。
「おい! 早く逃げるぞ!!」
「か、貨物を……!」
「命を優先しろ!! 早く──」
シェイクが言い切るより早く、男の叫びは消えた。空から降り注いだ《ナチュラリー》の頭部に押し潰されたのだ。
横目で見れば、デヴァウルは既に《ナチュラリー》の胸部を鋏で突いている。垂れ流されている液体はオイルなのか、搭乗者の血液なのか。この気温で高温になった《ナチュラリー》の装甲に黒くこびりついていて分からない。
と、トラックの貨物コンテナが転がり落ちる。弾みで鍵が壊れたのか、中から貨物が飛び出した。
相当冷えていたのか、その貨物は白い蒸気を発している。
何かのポッド。その中が見えた時、シェイクは思わず呻いた。
「人間が……!?」
急いで近くへ駆け寄る。緊急事態が起きた為か、ポッドは何事か音声案内で捲し立てた後に開く。
中には少女が入っていた。淡い桃色の長い髪が広がっている。真っ白な患者服の隙間から覗く白い肌、そして胸元には真っ赤な模様が刻まれているのが見える。
呼吸はしているようだが、意識は無い。何処の誰なのか、何故ポッドに入れられていたのか、そんな事はシェイクには分からない。
だが今更知らんふりをして一人逃げる事も出来ない。シェイクは少女を抱え、荷物が大量に載った後部座席に寝せる。
「仕方ない、これとはお別れだ」
今日の収穫物を全て捨て、ロープをシートベルト代わりにして少女を後部へ巻きつける。
バレないように祈りながらバイクを発進させる。後ろを振り返ると、デヴァウルは《ナチュラリー》の動力部を捕食するのに夢中だった。シェイクは一息吐き、後は振り返らずにバイクを飛ばした。
幸いにも少し進んだ先にまた廃墟郡を見つけた。日も落ち始めている。ここで一度休息を取る事にした。
バイクを廃墟の前に停め、後ろの少女の様子を見る。まだ目覚めてはいないが、後輪が砂を巻き上げた所為で砂塗れ。真っ白だった服も薄汚れてしまった。
少女を背負い、自分の寝袋を広げるとそこへ寝かせる。このままでは夜の寒さで体温が下がってしまう為、身体の砂を払って毛布を被せた。
僅かに身体から香るのは麻酔の匂い。この少女が一体何者なのか。目覚めたら真っ先に聞かねばならないだろう。
目を覚まして何処かへ行ってしまうのだけは防がねばならない。折角助けたというのに預かり知らぬ所で死なれては目覚めが悪い。
一日くらいの徹夜は慣れている。静かに寝息を立てる少女を見守ったまま、シェイクは一晩を過ごした。