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9.◆シオンの騎士


雨の降った翌日のよく晴れた日、1人の少年が剣を振っていた。

その剣技は圧倒的で、とても子どもの繰り出すものとは思えない。


貧乏貴族フォード子爵家の長男、アイザック12歳。

下に5人の弟妹を持つ。

灰色の髪に黒い瞳。

面倒見が良い性格だ。また苦労性。


――そしてその剣の腕は尋常ではない。






そんなアイザックの元に、父が焦った様子で駆けてきた。

「ア、アイザックッ!!!」


「な、何?」

アイザックは思わずといったようにたじろいだ。

「お、お前にお客様がいらっしゃっている。早く来い! 一刻も早く!!」

父はアイザックの腕を掴んで引っ張る。

「ああもう、分かったから。それより一体誰――」


その時であった。


「――あッ、こちらにいらっしゃいましたか」


1人の少年がやって来た。

貴族の令息いった風に気品に溢れていながら、柔らかい雰囲気を持っている……ルスランである。


シオンとルスランも12歳になった。


周りから見ると、シオンの傍にいるルスランは影が薄い。

しかし美少年というほどではないが普通に顔は整っていて、また王太子の側近、公爵家の子息ということで、気品やそういったものも備わっているのである。


ルスランは穏やかな笑みを浮かべている。

素直で天然な性格が出ているこの雰囲気も、ルスランを知っている人からするとほほんとしていようにしか見えないのだが、知らない人から見れば優しげで感じの良い印象であった。



アイザックの父は慌てたように言う。

「クルス公子、どうしてここに? 来客室でお待ちくださいと言ったと思いますが…。ここは足元が悪いですから汚れてしまいます…ッ」

「庭で剣を振っているフォード公子を連れてくると言っていたので、庭はこっちかなと」


整理もされていない庭で、昨日は雨が降ったから水溜まりができていたりする。

確かにルスランの靴は汚れていた。


「それに庭で剣を振っているならちょうどいいと思ったのですよ」


アイザックの父は、ルスランがアイザックへ何の用があって来たのかをまだ聞いていないようで、困惑顔になっていた。


一方アイザックは、クルス公子と聞いて若干緊張した面持ちになっていた。

クルス公子、すなわちクルス公爵家の子息である。

貧乏貴族であるフォード子爵家とは格が違い過ぎる。

またルスランは皇太子の側近だ。

大貴族の子息の中でも、さらに特別な存在であった。


ルスランはアイザックを見る。

「ええっと、私はルスラン・クルスです。貴方がアイザック・フォード子爵令息ですか?」

アイザックは急いでルスランの元まで駆け寄った。

「はい、おれ…私がアイザック・フォードです」


ルスランはアイザックの父に言う。

「少し、2人で話をさせてもらってもいいですか?」

「はい、あのお茶を用意し――」

「あ、お茶はいいですからね」

「そ、そうですか……」






アイザックの父が去ると、ルスランはアイザックに聞いた。

「私がシオン殿下の側近であることは知っていますか?」

「はい」

アイザックは頷く。


荒れた庭で、風が吹いた。

時間の感覚を失うような、不思議な感じがこの場所、空間を取り巻いていた。


そしてそんな中、ルスランは至って何でもないように言うのだった。



「――私は今、シオン殿下の騎士を探しているのですが、貴方に頼もうと思っています」



「へ……?」



アイザックは呆然として固まった。

そんなアイザックに構わずにルスランは言葉を続ける。


「シオン殿下の騎士となった暁には、フォード家に多額の金銭を支援しましょう。調べさせていただいた限りだと、失礼ながら、とてもお金に困っているようですね。

この支援を受けたなら、ご家族は食事もちゃんと栄養があるものを食べ、衣服ももっと良いものを着ることができます。弟妹は学校に通えるようにもなりますし、家庭教師、習い事もできるようになりますよ。

普通の貴族の裕福な暮らしができるようになるのです」


アイザックは振り絞ったような声で聞く。

「ど、うして、俺が……?」


「シオン殿下は、家柄よりも何よりも強さで騎士を選ぶと言っています。貴方はとても強いですから、貴方にしようかと」


「俺が、何故強いと思ったのですか?」


「貴方は剣術の大会ではいつも、優勝賞金より高い金を貰って勝ちを譲っているので、皆は貴方の強さを知らないようですけど。まあ、色々と調べましたので。同年代で敵はいないし、もう一介の騎士にも負けないほどの強さを持っていますよね?」


アイザックはやっと認められたというように、そしてその奇跡が逃げることを恐れるように、必死に縋りつくように言った。


「……そ、そうです、俺は…強いです……!」


ルスランは穏やかな微笑みから真剣な面持ちになる。


「――貴方にシオン殿下の騎士になってもらいたいと思っています…しかし、だからこそ、初めに言っておきましょう。

シオン殿下の騎士になるならば、貴方の人生は過酷なものになります。

貴方はシオン殿下の騎士になる。側近騎士ではありません。貴方の役目はシオン殿下の剣となり、殿下の敵を殺すこと。貴方の居場所は戦場です。貴方の前にはいつも敵がいるでしょう。数え切れないほどの人殺しをするでしょう、ただひたすらに…。

そういった騎士をシオン殿下は求めているのです」


それから、酷く優しげな顔になってルスランは聞いた。




「――シオン殿下の騎士になってくれますか?」




アイザックは手を強く握り締めていた。

強く握りすぎて掌に爪が食い込み、手から血が滴った。


少しの沈黙の後、アイザックは、叫ぶでもない、力強く、重く深く……決意を声に乗せて言った。




「俺はシオン殿下の騎士になります……ッ」




アイザックは真っ直ぐにルスランを見た。


「……俺は、剣を振るうことしかないのです。

騎士団に入って功績を挙げてみせる、とそう思っていました。

でもそれでも足りないと、ずっと渇望していたのです。

シオン殿下の騎士……、これこそが俺の求めていたものです。

過酷というのは…そうなのでしょう。

でもその過酷を俺は求めていたのです……ッ!!」


「そうですか」

ルスランは頷いた。


それから額の汗を拭って1つ息を吐いて、満面の笑みで言う。


「フゥ、もしシオン殿下の騎士にならないと言ったなら、貴方を始末しなければならなかったので良かったです」


「へ……?」


「将来貴方は凄まじい強さとなっているでしょう。

そんな貴方がシオン殿下の敵になったら非常に厄介なのです。

そして殺すとするなら、今ならたやすいでしょう。

貴方はまだ子どもです。貴方より強者はたくさんいる。

脅威となる芽は早めに摘んでおきたいですからね!」

ウィンクでもしそうな軽さであった。


アイザックはルスランの言葉に顔を引き攣らせる。

しかしそんなことに気にもしないルスランは言った。


「それでちょうどいいですから、実際に剣技を見たいのですが」

「え?」


ルスランは苦笑して頬を掻きながら言う。


「実力の確認を取るために、実際に遠くから剣を振っているのをこっそり見させていただいことは何度かあるのですが。大会の時や、この庭で素振りをしている時など。如何せん、警備も何もこの家にはなかったので、すみません。――つまり剣技を見たいというのは完全に好奇心です。いいですか?」


それにようやくアイザックは顔を緩めて小さく微笑んだ。







アイザックは剣を持つとルスランに聞いた。

「――それで、どうすればいいですか?」


ルスランは自らが腰に差していた剣を抜いた。


「私と勝負しましょう」


アイザックは目を丸くした。


「フッ、もちろん勝てるだなんて思っていませんよ? ただ、実際に剣を交えて貴方の剣を見てみたいのですよ」

アイザックは頷いた。

「分かりました」




アイザックとルスランは剣を持って向かい合う。



ルスランはアイザックに向かって一直線に駆けていった。


そして足を踏み込んで鋭くアイザックに突っ込んだ。


地面に生える雑草から昨日の雨の滴がはじけるように飛び上がった。



サッ――――……



ルスランはアイザックに向けて剣を振る。


自ずとそうなるべくしてなったというような、違和感を感じさせない、防御することさえ忘れそうになるような、あまりにも自然な一振りだった。



――――ルスランは1つの分野に飛び抜けた才はない。

だが、どんな分野においても覚えが良く器用であった。

それは尋常ならざるほどに…。

そして才がないということは奇抜さ、自分のスタイルを持ち得ない。

だからどれも基本に忠実なスタイルである。

また、素直で真面目故に努力もする。努力をすることに疑いはない。



基本を突き詰めればこうも自然な一振りとなるのかと思わせるものだった。



それをアイザックは驚いたように微かに目を見開いて軽々と受ける。


獣のように野生じみた、邪悪にも見える不敵な笑みをニヤッと浮かべて、奥の奥まで見透かすようにルスランの目を見た。


そして目を細めた、その瞬間だった。


ただ手を振り払ったという感じで、目にも見えない速さでルスランの剣を弾いた。




――あっという間であった。


「フゥ……」

ルスランは息を吐いて、姿勢を戻した。


「敵いませんね。全く見えませんでした」

ルスランは清々しく笑った。


アイザックはそんなルスランにつられるように笑って言う。

「しかし、クルス公子もとてもお強いです。正直驚きました。とても聡明であることは知っていましたが、剣術もこれほどのものだとは。同年代ではその…私の次に強いと思います」


「フフッ、私と貴方のその差はすごいですけどね。

私は器用貧乏なのですよ。聡明といってもシオン殿下には及びませんし、剣術も貴方には到底及びません。何に対しても私は覚えが良くて、まあまあいい線までいくのですが、何においても圧倒的な実力は身に付かないのです。

まあそれでも構いませんよ。1番になれなくても、全てにおいて2番くらいになれればいいのではないでしょうか?」


「そう、ですか」

ルスランが笑ってそう言うと、アイザックは、何てことを何でもないように言うんだというように、でもこの人なら…となんだか納得したように苦笑した。




「――では、今度契約書を持ってきますので、両親に話を付けておいてください」

「はい!」


ルスランが帰ると、アイザックは1人呟く。

「これから…あんなすごい人と一緒にシオン殿下を支えることになるのか……」

盛大に勘違いしているようであった。



◆◆◆



今日からシオンに騎士が付くことになる。

シオンは特にいつもと何も変わらずに机でつまらなそうに資料を読んでいたりするが、ルスランはうきうきとした様子である。


そして部屋がノックされる。

シオンの応答にアイザックは部屋に入った。


「――今日からシオン殿下の騎士となりましたアイザック・フォードです。これから殿下に誠心誠意仕えさせていただきます! よろしくお願い致します」


アイザックは多少緊張しているようだが、正々堂々と極めて真面目に言った。

そんなアイザックに、ルスランは謎に満足そうにうんうんと頷いている。

シオンは顔を上げると淡々と言う。


「貴方の役目は私の邪魔をする者を片っ端から葬ることです。

そのためにも貴方が今一番しなくてはならないことはことは、強くなること。

貴方は将来とても強くなると思いますが、まだ子どもで成長過程にあり、貴方より強い者はたくさんいます。

貴方は大人になる前に、私が王となる前に、最強にならなければなりません」


「はい」

アイザックは迷いなく頷く。


「いいでしょう、よろしくお願いしますね。使えないと思ったらすぐに切り捨てますから、最善を尽くしてください」

「必ずしも、シオン殿下のご意志に添えるよう死ぬ気で頑張ります」


シオンは思わずというように溢す。

「フゥ…、なんだか気分がいいですね。中々いい部下ができました」

「光栄です!」


「良かったですねえ」

ルスランがのんびりそう言うと、シオンは胡乱な目でルスランを見た。

「?」

ルスランは首を傾げる。

シオンは溜め息を吐いた。



「――これからよろしくお願いしますね、えっと、あ、アイザックと呼んでもいいですか? 僕のこともぜひルスランと」


ルスランがアイザックに言うと、すでに何度かルスランとは話したことがあるからか、アイザックは少し緊張が解けたようだった。


「はい、よろしくお願いします、ルスラン」

「話し方も楽なものでいいですよ? 僕のこの敬語は、僕はこの方が話しやすいので気にしないでくださいね?」

ルスランは1人称だけ僕と戻して言う。

アイザックは気さくに頷いた。

「分かった」



するとその時、1匹の犬が壁をすり抜けて入って来た。

銀の毛並みで中型犬くらいの大きさ、とても美しい獣である。


「ッ!?」

アイザックが驚いている中、シオンは何でもないように読んでいた資料のページをめくっている。


ルスランはその犬に駆け寄った。

「ロロ様、アイザックが来たので、わざわざ挨拶をしにきてくれたのですか?」

そう言って、ルスランはその犬、ロロをわしゃわしゃと撫でる。

ロロは何のことだか分からないように首を傾げた。


「ええっと……」

アイザックが困惑していると、ルスランが紹介した。


「ロロ様、シオン殿下の騎士アイザックですよ? 

そしてアイザック、こちらがスハウゼン帝国の神獣のロロ様です」


「し、神獣ッ!?」

アイザックは声を上げた。


「ええ、かわいいですよねえ」

ルスランがのんびりと言う。


アイザックは恐る恐るというようにロロに近寄る。

「ロロ様、アイザック・フォードです。よろしくお願い致します」

するとロロは1つ鳴いた。

「わん」




それからロロはシオンの元に向かった。

向かいながら人の…人獣の姿に変わる。

それをアイザックは目を丸くして見た。


「わん」


ロロはどこからともなく大きめな封筒を取り出して、シオンに差し出した。

「ん?」

シオンはそれを受け取ると封を解いて、まずは取り出さずに中を覗き見た。

「!?」

それを見た瞬間シオンは目を見開く。

表情は変えないまま、微かに口元を震わせた。


シオンは呟く。

「神獣はあまり遠出しない方がいいと思うのですが、まあちゃんと戻ってきてくれれば……」


そしてシオンはロロの額に人差し指を当てた。

その人差し指からシオンの魔力がロロに入っていっているようだ。

ロロは目を細めて心地よさそうである。


神獣からして人の魔力は食べ物のようなものだ。

好き嫌いがあるようだが、シオンの魔力は大層ロロに好まれているらしい。


シオンが魔力をあげ終えると、ロロはシオンの耳、エリザベスのピアスに手を伸ばした。

その手をシオンはペッと叩いておとす。

「こら、これはダメですよ!」

「わん…」

ロロは指をくわえて残念そうにしながらも頷いた。

あれほどのエリザベスの魔力は、どんな神獣からしても、好き嫌いなど関係なしに美味あるらしい。



「――何が入っていたのですか?」

ルスランがそう聞くと、シオンは突っぱねる。

「貴方に関係ないでしょう」

そしてその封筒を鍵の付いている机の引き出しの中に素早くサッと仕舞い、鍵を掛けたのだった。


「そうですか、ハア…」

そんなシオンにルスランは、思春期の子どもを相手にヤレヤレと言うかのように肩をすくめた。

シオンはそれにこめかみに青筋を立てる。


アイザックは何て無礼をと青ざめた。

「ちょ、おいルスラン…!」

「?」


シオンはアイザックに言う。

「コレはこういう人ですよ。一々反応していては身が持ちません」

アイザックは曖昧に頷く。

「そう、ですか…?」


恐らくこんな風に思っていたであろう、アイザックの中にあったルスランの『爽やかで有能な貴公子』像が崩れる第一歩であった。





ルスランとアイザックを早めに帰らせたシオンは、机の引き出しの鍵を開けてロロから受け取った封筒を取り出した。


その中身を取り出す。


それはエリザベスの姿絵であった。

さすがにスハウゼン帝国にまで他国の公爵令嬢であるエリザベスの姿絵は回ってこない。

しかしアメリア王国にはエリザベスの姿絵は売っている。

ただの貴族の息女では姿絵が売られることは早々ないが、エリザベスは王太子の婚約者であるし、とても美人であるから売られているのだった。


ロロがアメリア王国へ行って、人の姿で買ってきたのだろう。

アメリア王国には獣人はほどんどいないが、神獣は獣人ではなく、完全に人間の姿になることもできる。

獣人の方が楽らしいが。


先ほどの様子からして、シオンから魔力をもらうことが目的のようだ。

ロロはシオンの魔力が大好物である。


シオンはそのエリザベスの姿絵を見て、普段は絶対に見せない笑みを浮かべた。

「どうしているでしょうか?」

シオンがそう呟くと、フッとロロが人獣の姿で現われた。

そして期待の眼差しでシオンを見る。


「また……」

言葉は途切れたが、買ってくるというのですか、とそう続けられそうである。


「わん」


「うっ……」

シオンは漏らすように唸った。


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