7.離宮での出会い
シオン殿下がスハウゼン帝国へ帰り、その後私も王宮から家に帰って、いつもの変わり映えのない退屈な日常が再開した。
そして2ヶ月くらい経っただろうか。
今日の私の髪型は…というか鬘は、薔薇色で緩く巻いてあるハーフツイン。
ドレスはオレンジで多少レースの付いた、多少ふわりとしているシンプルなもの。
魔力の爆発を起こした次の日、療養服で走り回った時に思ったのだ。
滅茶苦茶走りやすいって!
シンプルイズザベストって!
それは、今まであれほどフリフリのドレスを着ていたのだからねえ。
髪型もまとめたものにしたかったけれど、メイドたちが喜んで鬘を選ぶので仕方がない。
ドレスに関しても、今まではもう少しシンプルにした方がいいのではと言っていたのに、私がシンプルに目覚めると今度は、いやもっとフリフリしたものをと言ってくる。
メリッサが言うには、私は極端過ぎるらしい。
しかし前ほどの動きづらいドレスを選ばれることはないし、もうメイドの好きにさせている。
そうしたらセンスが良くなったって、なんだか周りの人たちからも評判がいいし。
王妃教育が終わり、ブラブラと王宮の庭園を散策していた。
迷路庭園には、奥の奥に女神の像がある。
そこは行き止まりである。
でも、でも……、この先から、甘い匂いがする!!
私は3メートルはある密集した花々の壁をなんとかこじ開けて進んだ。
「――おりゃアア!!」
そして、先に通り抜けることができたのだった。
体のあちこちに花びらやら葉っぱやらが付いている。
多少の切り傷もできたが、まあいいや。
お父様とお母様にはバレないようにしているが、こんな傷は日常茶飯事である。
ドレスも結構汚れてしまった。
少しズレた鬘だけは直しておく。
私は匂いのする方へ歩き出した。
もうここは手入れがされていない。
ただポツリポツリと木々が立っているだけだ。
とても静かだ。
一体この先で誰がこの匂いを作っているのだろう。
――ニャア
「ん?」
途中、下を見ると黒猫がいた。
「猫ッ!!」
私が指を指して声を上げると、猫はビクッとして逃げて行った。
追おうと思ったがやめた。今はこの匂いの元に行くのだ。
匂いの元にたどり着くと、そこは装飾や彫刻はとても豪華だが、古くて寂れた建物、もう使われていない宮殿といった感じだ。
でも、この中から美味しそうな甘いがするし、人の気配もする。
出入り口近くには花壇がある。
よく見れば、古くとも掃除されているようで割と綺麗だ。
私は出入り口まで行くと立ち止まった。
そして中に向かって叫んだ。
「――誰かいますかァアア!?」
すると足音がして、恐る恐るというように警戒した、エプロンをした女性が出て来た。
そんな女性は、私と見ると目を丸くする。
「えぇっと……?」
女性は戸惑ったように私に近づいてきて、かがんで私に目線を合わせた。
私は思わず呟いた。
「女神様…?」
綺麗な人だった。
柔らかい緑色の髪に瞳。
腰まである長い髪は緩く波立っていて、目は垂れ目だ。
清らかで、儚くて、酷く優しい…そんな感じがした。
私の呟きに女性は小さく笑った。
「ウフフッ、違いますよ。――それよりもお嬢さん、とても汚れていますけれど怪我はありませんか? あら、小さな傷はありますね」
「そんなもの、怪我のうちに入りませんわ」
そんなことを話していると、ひょこっと小さな男の子が奥から顔を出した。
私よりも少し年下だろうか。
この女性と同じ緑の髪に、瞳は青色だ。
こちらには近づいてこない。
「――でも手当をしないと。こちらに来てください」
女性がそう言って、私を招き入れた。
男の子もひっそりついてくる。
一番近くの部屋に入ると、女性は救急箱を持ってきて治療をしてくれた。
私は治療を受けながら言う。
「あの、この甘い匂いはどこにありますか?」
女の人はそれを聞いて目を丸くすると、優しく笑って聞く。
「食べますか?」
「はい!!」
私は即答した。
「でもその前に、そのドレスは泥だらけですから着替えましょう。
何か服を持ってきますから。
その間にそのドレスは軽く洗っておきましょう。
今日はとても暑いから、すぐに乾きますよ。
手も洗ってくださいね」
面倒だと内心思うが、きっとお菓子を食べるのに不衛生でそう言っているのだろうから了承した。
洗面所で女性が持ってきてくれた服を着た。
私の来ていたドレスは女性が回収していった。
女性の服なのだろう、私はまだ子どもなのでこの服は少し大きい。
一応、鬘から花びらや葉っぱを取って整えた。
先ほどの部屋に戻ってくると、女性と男の子がテーブルの席について待っていた。
私もそのテーブルの席につくと、男の子はなんとなく気まずげな顔をした。
テーブルにはクッキーが置いてある。
「わぁ、美味しそう!!」
私がそう言うと、女性はニコニコと笑って微笑ましそうに私を見た。
「さあ、食べましょう。お嬢さんどうぞ?」
「いただきますッ!」
パクッと口に入れる。
私の頬は思わず緩んだ。
何か、優しい味がする。
こんなの食べたことがない。
決して高級な材料で作られていないだろうし、難しいレシピでもなさそうだ。
それなのに、こんなに美味しいのは何故なんだろう…?
「どうですか?」
「とっても美味しいですッ」
「それは良かったです」
そうして私は次に手を伸ばそうとする…が、止めた。
私は魔力を放出してから食欲旺盛になった。
魔力量が多い人はよく食べるらしいが、私はよく食べる、で収まらないくらいよく食べる。
手を止めなければ、気が付いた時にはなくなっていただろう。
危ない危ない…。
私はそれをふまえてクッキーに手を伸ばす。
ゆっくり食べましょう、ゆっくりね!
「――えっと、それでお嬢さんはどうしてここに来たのですか? 迷ったのでしょうか?」
女性の言葉に私は答えた。
「甘い匂いがしたから、その匂いを辿ったらここに来たのですわ。私は甘いものが好きなのです」
私の答えに、女性と男の子は思わずというように笑った。
「そうですか、フフッ」
「フフッ、何それ?」
それからなんとなく雑談を交えながら食べて、軽く洗っておいてくれたドレスが乾くと、私は帰ることにした。
「――また来てもいいですか?」
私がそう言うと、女性は少し困ったように言葉を詰まらせている。
しかし男の子は嬉しそうに頷いた。
「うん、また来てよ! えっと…」
「エリザベスよ、貴方は?」
「僕はアベル」
女性は困ったようなのに、仲良くなった私とアベルを見て本当に、とても嬉しそうだった。何か迷っているようだったが、私とアベルに慈愛に満ちた表情を向けて言った。
「ぜひ、また来てください、またお菓子を作りますね」
「はい! ありがとうございますッ」
「帰り道分かりますか? 途中まで送りましょうか?」
「いいえ、分かりますわ!」
私は走ってその場を後にする。
ここにたどり着くまでに大体の方向は分かったので、私は今度はもっとマシなルートで帰った。
口の中に、まだ温かい味が残っている。
あの2人との空気は穏やかだった。
なんだか、不思議だった。
また来たいと言ったのは、お菓子だけではない。
何か……、変な感じでよく分からなかったから、もう一度確かめようと思ったのだ。
家に帰ると、自室で少し考えた。
アベル……、どこかで聞いたことがある。
それに王宮の離れた場所で暮らしているなんて……。
私は思い出した。
第2王子は確かアベルといったはずだ。
とすればあの人はその母のユリアナ様。
伯爵家出身で王宮のメイドだった。
今日のあの感じからすると、ユリアナ様に野心というものはなさそうだし、アベルを身ごもったのはユリアナ様の意としないものだっただろうと思う。
ギルバート殿下以降子どもができない王妃殿下は、恐らく何らかの妊娠・出産に関わる病気だと言われている。
ユリアナ様とアベルは、今はひっそりと離宮で暮らしているらしいと聞いていた。
離宮とは、今日行ったあそこがそうなのだろう。
◇◇◇
あれから、私はよくユリアナ様とアベルに会いに行くようになった。
「お嬢様、最近ご機嫌ですねえ」
今日の鬘をセットしながらメリッサは言う。
「う、うん! そうね」
私は口ごもった。
ユリアナ様とアベルのことは言わない方がいい。
2人に会っていることが王妃殿下に知られたら反感を買うだろう。
メリッサになら言ってもいいかと思ったが、何かあった時にメリッサを巻き込んではいけない。
「何か良いことでもあったのですか?」
「そうねえ……」
「――美味しいお菓子でも見つけたのでしょう」
私の部屋で王妃教育についての書類を確認していたセバスチャンはそう口を挟んだ。
この屋敷のことに関しては執事であるセバスチャンが管理していて、ついでにか何なのか私の書類関係もセバスチャンがやってくれていた。
正直お父様よりもセバスチャンの方が何だか頼りになるし、安心できるからいいけれど。
私はセバスチャンの言葉にムッとする。
「私はそんな単純な女じゃいわよ!」
「では何があったんです?」
鋭い視線を向けるセバスチャンに私は言う。
「お、美味しい肉料理を見つけたのよ!!」
そんな私にセバスチャンは小さく笑った。
「フッ、そうですか。それはようございました」
自分で言っといて何だけれど信じるのね。
私ってどれだけ食いしん坊と思われ……まあそうだけれど。
「お嬢様はお肉が好きですからね」
「うん、そうなの!」
私は苦笑しながらも、誤魔化して元気に頷いた。
◇
黒髪清楚系美少女の今日の私は、王妃教育が終わると離宮に向かった。
2度目に行った時に、鬘が違ったので驚かれ、事情を話して鬘を取るとアベルには笑われた。
もう、男の子くらいには結構髪も伸びたのに。
面倒で、途中からユリアナ様とアベルがいる離宮にいる時は鬘を取っていた。
鬘を取った私は完全に美少年である。
「美味しいぃッ」
ドーナツを口に入れて私が頬に手を当てて言うと、2人は嬉しそうに私を見た。
アベルは言う。
「君って本当によく食べるよね」
「ええ、私は魔力量がとても多いから。魔力を開放してからとても食べるようになったのよ」
「魔力の開放…?」
アベルが首を傾げると、ユリアナ様が答えた。
「大体10歳くらいになると、魔法師によって魔力を開放してもらって魔法が使えるようになるのです」
ユリアナ様の言葉を聞いたアベルは驚いたように言った。
「え!? じゃあ君は魔法が使えるの?」
「もちろんよ」
私は得意気になって頷いた。
「母さんも?」
「ええ、私は少し苦手ですけれど」
「見たことなかった」
キラキラした目をしているアベルに、私は溜め息を吐いて言う。
「でも、日常生活では魔法は使うなと言われるし、魔法の実践授業は制御の訓練なのよ」
「そうなんだ」
「魔道具がありますし、普通に生活していて滅多に魔法は使いませんしねえ」
そう言ってユリアナ様は苦笑した。
私は残念そうなアベルにちょっと魔法を見せてあげたくなった。
「まあ、隠れてちょっと使ったりしているけれどね。見せてあげるわ!」
私がそう言うと、ユリアナ様は少し心配そうに聞く。
「えっと、日常生活で魔法は使うなと言われているのでは…?」
「大丈夫ですよ、もう大体制御はできますから」
「そうですか……?」
「はい!」
私は自信満々に頷いた。
庭に出ると、ユリアナ様とアベルが見守る中、私は手に意識を集中させた。
魔法の制御は、正直、人生で初めてこれほど苦戦した。
私は天才で、勉強、ダンス、マナー…ほとんどのことは簡単にこなす。
その上美少女。
でも、私だって苦手なものはある。
整理整頓と刺繍なんかだ。
それでもその整理整頓も刺繍ももうクリアした。
整理整頓…例えば自室の机に関しては、中はともかく上には何も置いていないからひとまず見た目は綺麗だ。
中はグチャグチャにしていても教材や紙など、使うものは皺がつかないように入れている。――ああ、もう使っていないものは捨てなければならないわね。そろそろ入らなくなってきたわ。
刺繍は、………………メリッサにやってもらっている。
バレたら大変なのである。
とにかく! 苦手な整理整頓と刺繍をクリアしてきた私である。
魔法の制御だって、もうクリアしつつあるのだ!
ファイアボールであれば、魔力を本当にちょこっと出す、くらいの感覚でやれば、片手で包めるくらいの大きさで出せる。
少し加減を間違えたとしても直径1メートル程度だ。
そこから大きくするとなると、滅茶苦茶大きくなり過ぎるのでまだ訓練が必要ではあるが。
それでも滅茶苦茶大きくなっても爆発なんてしない。
初めての魔法の実践授業で爆発した時は、興奮し過ぎて逆にもっともっと、と思っていたからだ。平常であれば爆発する前にヤバいと思ってストップできる。
火では危ないことは十分分かった。
だから水だ。
水をイメージしてちょこっと魔力を手の平に出す。
水の玉、ウォーターボールが手の平に浮かんだ。
「見て! 見て!!」
「おお!!」
アベルが私の元に寄ってくる。
「触ってもいい?」
私は思わず顔を引き攣らせた。
「いや、触らない方がいいかもしれないわ……」
千切れでもしたら大変だしね……。
「でもいいなあ、魔法いいなあ」
「フフッ」
私はアベルを微笑ましく見た。
「アベルが魔力の開放をしたら教えてあげるわ」
「え!? 本当?」
私は頷く。
そしてふと思い付いた。
「あッ、魔法以外に勉強なんかも――――」
ちょっと気が逸れたその時である。
――――バシャァァアアアァアアアァ!!
直径1メートルくらにウォーターボールが膨らんではじけた。
「うわああッ!!」
アベルは声を上げた。
私とアベルはびしょ濡れである。
「――大丈夫ですか!!??」
ユリアナ様が駆け寄って来た。
「私は大丈夫です。アベル、大丈夫?」
「うん、大丈夫だけど、びっくりしたよ」
「ア、アハハ……」
私は気まずげに笑って誤魔化す。
するとユリアナ様とアベルは笑った。
「ハハッ、でもすごいね!」
「2人ともびしょ濡れですね、ウフフッ」
◇◇◇
それから3ヶ月くらい経った。
今日も王妃教育が終わると離宮に来ていた。
ユリアナ様の作ってくれたお菓子を食べながら、ノートを開いてペンを持つアベルに言う。
「ここはこうでこうでこうよ」
「さっぱり分からないのだけど!!」
私はアベルに勉強を教えるようになった。
アベル曰く、私はあまり勉強を教えるのが上手くはないらしい。
ユリアナ様は外で洗濯物を干している。
「君、頭良くなさそうなのに……」
アベルがボソッと呟いた。
「ええ!? 私のどこを見てそう思ったの? どこからどう見ても聡明な美少女でしょ!」
まあ今は鬘を取っていて、美少年だけれど。
「確かに、ちゃんとしてれば見た目は頭良さそうだけどさあ。
初めてここに来た時は花びらやら葉っぱを付けてすごい姿だったし、お菓子もすごく食べるし、雑だしマイペースだし」
「ま、まあ…そうねえ」
「これだけ頭が良いってことはちゃんと勉強してるんだね」
「いいえ、私は授業以外では一切勉強しないわ。私が勉強なんてすると思う?」
私がそう言うと、アベルは項垂れた。
「いや、思わないよ。天才肌かあ。それならなんとなくぽいな」
「でも、今アベルに教えていることで勉強にもなっているわ!」
「……ああそうだね」
アベルは棒読みでそう言うのだった。
「――ニャア」
その時、猫のリリがやって来た。
ぴょんっと私の膝に乗る。
「あらリリ、来たのね」
リリはここで飼っている猫だ。
初めてこの離宮に来る時にも見掛けた。
撫でてやると、リリは心地よさそうに私の手にすり寄った。
それにしてもこの猫、やっぱりなんだか不思議な感じがする。
イヤな感じはしない。
むしろユリアナ様とアベルを守っているような気がするから良い猫だ。
その後、私とアベルの勉強が終わって、ユリアナ様も洗濯が干し終わって、3人で紅茶を飲んだ。
「エリザベス様、アベルの勉強はどうですか?」
「まあまあね」
「えぇ!?」
「あらあら、ウフフッ」
ユリアナ様は、私がヴァレンテ公爵家の長女でギルバート殿下の婚約者だと気付いているのか、気付いていなくても、どこかの令嬢だからと思っているのか、私を様付けで呼ぶ。
私はもうユリアナ様に敬語を使わなくなって、結構親しくなったつもりで、様付けで呼ばれるとなんだか違和感がある。
ユリアナ様の敬語はアベルに対してもだし、癖のようなもののようだけれど。
「ユリアナ様、ユリアナ様が私のことを様付けで呼ぶのなんかイヤだわ」
私がそう言うと、ユリアナ様はキョトンとして、それから少し照れたように微笑んだ。
「では、何と呼べばいいでしょう?」
「エリザベスって呼ん……、でも、うーん……」
何か他にないかしら…?
皆に、お父様にもお母様にもエリザベスと呼ばれているし、私に愛称ってないのよね。
そう考えると、私にも愛称が欲しいと思う。
「何か、愛称で呼んで欲しいわ。私ってそういうのがないの」
「僕もないけどね。アベルって呼びやすいし。でも確かに、エリザベスって少し長いかも……?」
「そうですねえ。エリザベスという名前には愛称の種類が多いですよね。何がいいでしょう」
「何でもいいわ」
「そうですか……?」
ユリアナ様は一瞬悩んだ後に言った。
「――ではエリスと」
「いいわね!」
「決まるの早ッ!」
私が満面の笑みで頷くと、アベルは思わずというようにツッコむのだった。
私は次にアベルに言う。
「アベルも私のことを君と呼ぶのやめて」
「エリスでいいかな?」
「うーん……」
アベルは友だちって感じではないし、なんていうか、弟って感じだ。
私はそうだ、と思って悪戯に笑って言う。
「じゃあエリスお姉様で!」
「お、お姉様……」
アベルは顔を引き攣らせた。
「いや、それはちょっと……」
「ええ? そう?」
私が残念がると、アベルはちょっと恥ずかしそうに言った。
「エリス姉さん、でいいかな?」
「まあ…、いいわね。じゃあ私のことはこれからエリス姉さんと呼びなさい?」
私がムフフと笑うと、アベルは苦笑した。
「分かったよ、姉さん」
姉さん……! なんていい響きだろう!!
弟欲しかったのよねえ!
いや、欲しいと思ったことはなかったけれど。
私はなんだかんだ、よくこの離宮でユリアナ様とアベルと過ごすようになって充実していた。
特に何もない日々だけれど、退屈だともくだらないとも思わなくなったのだった。